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『子どもに期待せず、信じる』

こんにちは。小学校受験アドバイザーの石勝ももこです。

先日、幼稚舎と初等部の学校説明会が開催されましたね。実際に先生方のお話を聞いて、いよいよ願書に着手し始めたというご家庭が多いのではないでしょうか。慶應2校は志望理由などの記入欄がフリーテキストなので、ご家庭の色が出ます。そして、この内容こそが最後の最後、合否の分かれ目になります。もし記入内容にお困りでしたら、お気軽にご相談くださいね。

さて、今回は最近私が気になった言葉『子どもに期待せず、信じる』について、深堀りしていきたいと思います。

皆さんは、お子さま自身を純粋に信じることができていますか?

これって本当に難しいと思うんです。特に受験を控えているご家庭にとっては。

幼児教室の先生から「こういう風に振る舞えるようになりましょう」とか「ここの単元が弱いですね」などと毎週のように指摘されていると、親も「うちの子はアレもコレもできていない」と焦ってきて、周りを見るとできている子もいる...となると「あぁ、どうしてうちの子はできないの。毎日言ってるのに!」なんて怒ってしまうこともありますよね。

(恥ずかしながら、私はそうでした)

私たち親はできない状態の子どもを見てなぜ怒るのか、考えたことはありますか?

 このままでは志望校に合格できないから?

 子どもが言うことを聞いてくれないことが悲しい?

 それとも、できない我が子が恥ずかしいと思ってる?

どれもこれも、実は親の無意識の期待から生まれている怒りです

 このままでは志望校に合格できない→志望校に合格してほしいという期待

 子どもが言うことを聞いてくれない→言うことは聞いてほしいという期待

 できない我が子が恥ずかしい→自慢の子どもであってほしいという期待

私たち親は子どもが期待した状態ではないから、子どもを怒り、その恐怖で子どもを従わせて、理想に近づけようとしているんですね。

子どもの立場で考えてください。一方的で押し付けがましいと思いませんか?

 子どもが自ら小学校受験をすることを選択しましたか?

 子どもが自ら志望校を決めましたか?

 子どもが自ら受験勉強することを望んでいるのでしょうか?

私は過干渉な親に育てられ、自分の人生を自分で選択できなかった経験があります。私の親は子どもである私の人生を通して、自分の人生を生き直していました。私は今30代前半になり、家庭を持ち、子どもを育てる中で過去の自分の経験に向き合い、生きづらいさを感じながら生活しています。親が子どもの人生に干渉することは、その子の人生を奪うことになりかねないと実感しています。(※そんな私がなぜ我が子を小学校受験させたかは追って記事にする予定です。)

なので、私は小学校受験は親のエゴだと思っています。親の愛を目一杯受けたい子どもには拒否権はありません。そんな状況下で子どもに頑張ってもらうことを親であるあなたが選んだなら、私は親が『子どもに期待せずに、信じる』ことが必要だと思うのです。

うちの子は必ず成長する、今はそのタイミングでないだけ。

親が子どもを信じて受験までの時期を過ごせたら、受験期の経験が親子の財産になると思います。我が子の伸びるタイミングを見極めて、励まし、自信に繋げていくー。ここを怒るだけではない方法でやっていくのが、親の腕の見せどころです!(※ここの具体的な手法は「母親業は女優業」という持論があるので、また別記事でシェアします)

毎年10月になると、受験勉強やりすぎのお子さんが保育園や幼稚園で荒れ始めます。私の相談者様からも同じ話をお聞きします。どんな子でも生まれながらに持っている良さがあるのですから、一番近くにいる私たち親が我が子の可能性を誰よりも信じたいものです。

今年本番のご家庭はいよいよ仕上げの時期で、「そんな悠長なこと言ってられない」というのが本音だと思いますが、頭の片隅にでも置いておいていただけると嬉しいです。

子どもたちが本来の良さを発揮して、その子にとって良い学校と御縁ができることを心から願っています。

石勝ももこ

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