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雑談ひとり

私たちの住む地球、理想の平和は国境無き世界、それは武力行使で解決する物ではなく、互いの価値観などの違いを理解し合い、互いに歩み寄る事が、平和への第一歩であるのかも知れない。
我が諸国も曽ては戦国時代以前から昭和時代まで、武力行使に明け暮れた時代もあった、それを今では間違えていた事に気付いていると思うが、、、
決して武力行使だけでは理解し合えない。
また双方、何方側が悪いのか決めつける、二択選択で求める人も多いが、果たして、それを決めつけて答えを出す事が正解なのか?
武力行使に発展しても、双方にも言い分がある。

例えば、自分が80%正しくても残り20%は相手の言い分も正しい。
しかも50%対50%正しい言い分の場合も有る。
つまり相手が100%間違っている事は極めて少ないと思う。

相手側の言い分が一方的に間違っている場合の武力行使や、民事的裁判の裁決は短時間で解決するとも考えられる。
なので双方、互いに言い分が等しい場合ほど、その武力行使や民事訴訟の裁判が長引く傾向が有る。

子供の喧嘩で負けた者の考え方が、一方的に間違っているのだろうか?
負けた者が間違っていない場合も少なくは無い。
なので武力行使で勝った方が正しいのか?

だが喧嘩するには何方とも言い分があり、また己を主張する権利もある。
それに対して、どちら側が間違っているのかを決めつけようとする人もいるが、やはり二択選択では物事は決められないと我輩は思う。
互いに理解し合えるまで、他者は見守るか仲裁をするのが望ましいと思う。
他者が何方に加担して善悪を求めるのは望ましく無いのでは?
しかし、その考え方はあくまでも我輩、個人的な考え方なので、その考え方も間違っているのかも知れない。
その我輩の考え方を間違っていると思う人にも、それなりの言い分が有る、そして互いに主張し合う事は当然である。
ただ大切なのは、そう言う自分とは違う考え方をする人が居る事を認める必要があると思う。

しかし、喧嘩の発端はただ単に考え方の違いだけでは無い。
相手に意地悪な事をされたり、必要以上に自分に何かを求められたりだとか、セクハラやパワハラ、相手と気が合わないだとか、、、喧嘩の原因を探したらキリが無い。
でも、、、はっきりしている事は、喧嘩で人の人生の全てを奪ったりだとか、歴史的建造物を破壊したりすることは、決して良い事では無い。
子供の喧嘩と全く違う武力行使、、、
子供の喧嘩と比べるのとは訳がちがう、、、
何が正解で何が誤ちなのか、、、?
奪われた者は一言では言い表せない程の苦しみや悲しみが多くのし掛かると思う。
今、私達に何が出来るのか、、、
なにも出来ないまま、皺寄せだけが、のし掛かるのみであるが、平和を願う事しか出来無い、、、、、、

雑談ひとり、、、〆(・_・)?





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