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【非モテはこうして作られた①】ヨシの自分語り「結婚から離婚編」

どうも、ヨシ(@yoshi_research)です。

いつもnoteの購読、ありがとうございます。

おかげさまで沢山の方に支持をいただけてnoteを買っていただいたりコンサルをやらせてもらえたりしますが、自分がどういう人間なのかを知っていただけた方が皆さん安心してnoteを手に取ってくれたり、コンサルを受けてくれたりするかなあと思い、自己紹介代りに自分語りをしてみようかな、と。

今回は結婚してから離婚するまでの話を。婚活アカの方もそれなりに読む価値のある話かもしれません。よろしければご一読下さい。

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僕が元妻と初めて会ったのは20代の前半、彼女は自分より歳が2つ下だった。

知性と気の強さがそのまま顔にあらわれた、目鼻立ちのくっきりした美人だと思った。

お互い同じ教育関係の職場で、同じ部門の先輩後輩の関係だった。

当時、僕が愛読していた小説と同じ小説を偶然にも彼女が読んでいて、そこから話が弾んだ。

そんな小さなことを「運命的だ」と捉えるくらいには僕はロマンチストで、そして非モテだった。

彼女の血液型はB型、親兄弟も含めて僕はとにかくB型の人間と縁があり、上手い付き合い方を心得ている。それすらも「運命的だ」と捉えるくらい盲目バカで、ロマンチストで、非モテだった。

彼女も僕に好意を持っているようだった。こちらからの誘いを最優先して予定を合わせてくれて、順調にデートを重ねていった。

三回目のデートだっただろうか、あるアーティストのMVにも使われたことのある場所で僕から告白。OKの返事をもらった。

帰りの車は本当に喜びで溢れていたと思う。久しぶりに出来た彼女だった。

「何人もの人に言い寄られていて、モテ期だったけれど貴方を選んだ」そういう言葉にも刺激されて、嬉しかった。

彼女とはとにかく笑い合えた。彼女は頭の回転が早く、人を楽しませる術に長けていた。僕も負けじと笑わせる。そんな2人だった。

述懐すれば、そこから十数年間、離婚する直前まで笑い合う関係は続いていた。一緒に居て楽しい、ということだけで愛情の有無に関係なく離れ難い何かを感じていた。

振り返れば、彼女はとても「女性的」でもあった。

主観的で、感情的で、他責思考だった。

「お昼ご飯、何が食べたい?」に対して、
「何でもいい」と返答したくせに、僕が決めたことに対して平気で文句を言う。

待ち合わせ時間に平気で遅れてくる。
僕がそれを咎めると、怒り出す。

彼女が決めた計画通りに進めていても、お腹が減れば、喉が乾けば、歩き疲れれば、機嫌が悪くなり、その解決方法を僕に委ねる。自分ではなんとかしようと思わない。

借りたお金は返さない。
とにかくお金に汚い。

駐車場の精算機のお釣り口に、前の人が取り忘れて残っていた500円玉を僕が見つけて手に取ったら、それを彼女にすごい勢いで奪われたことを未だに忘れられない。

最初のうちはそういったことに自分も意見を言っていたけれど、彼女は全く素直に聞く気はない。意見を言えば何倍にもなって返ってきて、面倒なことになる。

いつしか自分は「意見を言わない方が楽だ」と思うようになった。そう、搾取される側の非モテへと洗脳が進んでいったのだ。

しかしそういったストレスが積み重なり、たまりかねて自分が爆発すると泣きながら謝ってくる。「離れないで」と言われる。そして僕はそれを許す。また同じことを何度も繰り返すとわかっていても、僕には許す以外のことができなかった。


何度かの爆発と、それと同じ数の許しを繰り返して、僕が30を過ぎた頃、結婚の話になった。

正直、躊躇いもあった。こんなにストレスを感じる人と一緒になっていいのだろうか、と。セックスの回数もこの頃にはほとんどなくなっていた。

しかし、結婚した。

まず、新しい相手を見つけられるかの不安があった。30過ぎた男が、今から相手を見つけるなんて無理ではないか(今から考えると最高にばかばかしい)。それに、確実に薄毛が進行している…見た目も彼女との長い付き合いで気が緩みっぱなしで、お世辞にも褒められたものではない…

新しい相手が彼女よりもいい相手かどうかもわからない、女なんてみんなそれなりにわがままで、誰だってストレスを感じるのではないか?

だったら一緒にいて楽しいと思えるなら、この人でいいのではないか?

そう思って決断した。

しかし、彼女が結婚式直前のイライラ絶頂時、見慣れないアクセサリーを身につけているのを見たときに(当時買い物は大体一緒に行って、僕の意見を聞いてから彼女は購入を決めていた)、その時でも自分は結婚を取りやめるべきだったかもしれない。

この頃にはすっかり、搾取される側へと洗脳が完了していた。

掃除、洗濯など家事は全て僕が担当。

電気ガス水道の公共料金の支払いは僕、彼女に請求しても払わない。

部屋には僕のものは置けない。彼女のもので埋め尽くされる。

自分が先に布団に入ることは許されない。

休みの日にやりたいことをやるのも許されない。彼女が一緒に出かけたい時は、常に一緒に出かけないといけない。

おまけに、苗字を変えたのは僕。

それでも僕は彼女の機嫌を取っていた。何か意見しても面倒だ。自分が我慢するのが一番幸せなんだ、と。

搾取されていたのはわかっていた。しかし、自分に言い聞かせる。「これは修行だ」と。きっとこれを乗り越えた先には幸せがあるんだ、と。

そう、自分が我慢すれば楽しいんだ。彼女は僕を楽しませてくれる。自分が余計なことを何も言い出さなければ楽しい時間は続くんだ。

夜は食事をしながらひたすら彼女の仕事の愚痴を聞き、彼女がテレビを見ている間に皿を洗い、掃除をし、洗濯機を回す。そんな毎日を何年も過ごし、気づくと40が近くなっていた。

そんな彼女との時間も気付くと20年近い時間になっていた。

ある日、彼女はとても嬉しそうだった。どうやら彼女の部署に中途で入ってきた男性社員Aさんがとても気が合うらしく(この頃にはもう我々は別々の仕事をしていた)、お互いに仕事の愚痴だったり、何でも言い合えるそうだ。

僕も愚痴から解放されて、心から「Aさんがいて良かったね!」と言い、「最近Aさんどう?」と聞くと、嬉しそうにAさんが活躍している姿を話してくれる。

同じ部署でまとまりができたその頃から、彼女は外泊が多くなった。

「朝まで飲んでくる」
「飲んでそのまま実家に泊まってくる」

当然、自分は何も意見は言えない。それでも彼女がいないことで気が楽になっていたので、言う気もなかった。

たまに帰ってきた時に聞いてみる
「最近Aさんどう?」

彼女は言葉少なに「頑張ってるよ」とだけ返してきた。それ以外は何も喋らなかった。

その後、外泊のペースはどんどん増え、3日4日家にいないこともザラになった。

流石の僕も、もう気付いている。

ある日、彼女が家にいない時に、部屋に残された彼女の鞄を見たら、区役所の封筒の中に「離婚届」が入っているのを見つけた。

自分は彼女の荷物を漁ってAとの決定的な不倫の証拠をいくつか発見した。

「やっぱりな」

その時の僕は、きっと悲しみも感じていたと思う。

ただ、それよりもここから解放される喜びと、自由を手に入れられる未来への希望が勝っていたのははっきり覚えている。

しかし逆に言えば、ここまでの状態にならないと自分の力では洗脳は解けなかったのだ。

苦笑しながら証拠を集め、写真を撮り、弁護士に相談。慰謝料をたくさんいただけることになりました、とさ。

めでたしめでたし

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ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

このように「相手に屈する、搾取される側のマインド」を長年かけて醸成されると、もう自分の力ではどうしようもありませんでした。

だからこそ男女関係において「自分が言いたいことを言えるマインド」と「お互い対等でいられる関係」を作ることが重要だということが、読んでいただいた皆さんに伝われば、と思いました。

女慣れしていない、自分のような元非モテの方が、搾取する側の女に捕まって欲しくない…心からそう思いますが、今では

「自分のマインドが弱かったせいで、彼女を搾取させる側にしてしまった」

と思っています。

自分が彼女に言いたいことを言えれば、言ったあと何倍になって返ってきても折れないマインドがあれば、対等な関係になれたかもしれません。

こちらが言いたいことを言って、それで向こうが去ってくれれば、もっと早く自分は解放されていました。 

だから、何はなくても「マインド」です。言いたいことを言う、自分を曲げない、何よりも自分を大切にする、そして、相手に依存しない。

自分の悲劇から、それが伝わってくれれば嬉しいです。

…が、しかし!
この男はその一年後に、また同じような過ちを繰り返します。20年近い時間を無駄にしながら…

次回は【非モテはこうして作られた②】ヨシの自分語り「メンヘラクリエイター編」

次回公開予定です!

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