見出し画像

報告があります

みなさん、こんにちは。
ここ最近幾つか自分自身の中で大きな変化があったため現状の報告をさせて頂こうと思います。少々長めの文章となることが予想されますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
また途中にSNSにあげるべきではない過激な表現も見受けられます。それを分かった上で最後まで目を通すようにお願いします。
 

①グランプリを取りました

今年度で2回目を迎える「おおくまハチドリプロジェクト」の企画提案会が12月19日に福島県双葉郡大熊町で開催され、全6チームある中で最優秀賞を頂くことができました。

こちら

昨年度の第1回にも参加をしており、周りに圧倒され不完全燃焼に終わってしまった悔しさから、1年越しのリベンジを果たせました。


(絶対的な評価をできる訳ではないですが)誰よりも熱を注ぎ、「絶対にグランプリを取る。グランプリ以外は狙ってない。」と強く意気込んで臨んで、有言実行を果たすことが出来ました。


(と強気に言いつつも、本番直前や結果発表の前は顔が真っ青になって、結果発表の時も安心して涙を流していました。笑)

②環境から芸術への転換



これまで私は"環境活動家"としての活動を高校1年生から続けてきました。


特に今年はソーラーシェアリングの実装に向けて、CMの出演や企業視察、本出版に向けた対談など活動の幅を広げてきました。


しかし、私が12月に提案した企画は「芸術・アート」です。


ここで1つ謝罪したいことが、

これまで「再生可能エネルギーで福島県を再興する」という目標を掲げ、沢山の方々にご協力して頂きながらも「環境活動家」から一度去るという決断をしてしまったという事実と、
その期待に応えることが出来なかったということに関してこの場を持って謝らせて頂きます。誠に申し訳ございませんでした。


私自身もこの大きな変化に追いついてない反面、この「芸術・アート」の事業には納得のいった状態で企画を進められています。


10年前に東日本大震災を経験し、避難した先では人間関係でトラウマとなるような体験をして、母と私で自殺を試みようとしました。


リストカット、一酸化炭素中毒、首吊り。


死にたいという思いも中途半端なもので、思うようには死ねなかった。


おそらくこの時に自分が「生」を選択した因子こそが自分の生きる価値であり、将来やりたい事に繋がるのだと思います。


当時の自分は合唱に熱中しており、楽しいことはもちろん実績も残してきました。歌詞に自分を投影している瞬間が充実していた。ただなんとなく口ずさむだけでも楽しかった。


同時期に監督のお誘いで映画俳優としての活動も始めました。
歌と演技はよく似ていて、こちらも自分を与えられた役に投影する事が出来ました。慣れない仕事ではありましたが、自分の世界観を創れた瞬間が快感だった。


そんな中、ある日を境に合唱を辞めたのですが、理由は1つ。


「限界を感じたから」


これはみんなが直面する壁ですが、僕は逃げたんです。


そして高校入学直後のドイツ留学の経験から環境問題に関心を抱き、そこから高校3年間は「環境」1本でした。原発事故からの再生可能エネルギーという流れは合理的ではあったし、当時の自分には凄く新鮮で魅力的ではあった。


しかし、色々な方に相談していく中で「本当にやりたいことなの?」という言葉を何度も耳にして以来、自分でも疑問に感じてはいました。
 

(まだ言語化出来ていないのですが)「再生可能エネルギー」おそらく今の自分がやりたいことでは無いという結論に至り、芸術・アートでの事業化を進めることにしました。


何より「環境活動」で各種選考会(SFCのAO入試も含む)にエントリーをしても不採用の連続で、芸術・アートで初めてプレゼンをしたら最優秀賞を頂けたという結果からも後者の方がやりたい事の具現化を上手く出来ているのではないかと思います。


限界を感じていた声楽・演劇も含まれる芸術・アートに帰ってきたというのは少々自分でも驚いてはいますが、好きなことを見つけられたのかなと安心している自分もいます。


環境にしても芸術にしても「福島」という軸は一生ブレる事が無いので、これからも引き続き応援して頂けると幸いです。

③大学に行きません。


今年の4月10日から神奈川県で一人暮らしを始めて、某大手予備校にも通うことが出来ました。


その一方で4月から「大学に行く意味って何だろうか」と何度も考えることがありました。そして色んな方にも相談することがありました。


「大学に行った方が良い/別に行かなくなって良い」


当たり前ですが、意見は別れて、個人の状況に合わせた判断が必要だなと感じました。


・資金面の課題
予備校で100万円の教育ローンを組んで、それを除いても借金があります(金額までは聞いていないですが)。そこにまた4年間の学費600万円ほどを借りていく事に罪悪感しか無いので、天からお金が降ってこない限り行かないです。


・本気で福島で事業化をしたい
次項より。


4月からずっと考えてるのであくまでこれは一部ですが、自分のやりたい事、精神的なところ、家庭環境を鑑みた上で進学するということを断念しました。


今日から浪人生ではなく高卒になります。今後ともよろしくお願い致します。

④浪江町への移住を検討中(Uターン)

これからは芸術祭「パレットおおくま」の実行に向けて時間を使っていこうと考えています。


薄々とどこかのタイミングで移住(Uターン)をして、地に足のついた事業を展開していかなければいけないと思っていたのですが、来年の4月から今の家を解約し、福島県双葉郡浪江町へ引越しをしようと思います。


これに関してはかなり話が進んでおり、年明けの1月からは住民票が浪江町に移っているのです。


そして、1月に3週間ほど浪江町で過ごして、4月以降の暮らしや活動の見通しなども立てれればと思いバスのチケットも取りました。


神奈川に滞在できる期間も短いので、こちらでやるべき事は早い段階で済ませておき、車の免許も取らなければいけないなと思っているところです。



以上のように「分野の変更」「大学進学」「移住」などいくつかの決断が重なりました。

大学進学に関してはずっと迷っていたことで、今の日本社会では学歴フィルターがあり、この先も険しい道が続きますが、アンフェアな状況を覆すくらい突き抜けてみせます!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?