331. 性的少数者に対する県の取組が何故必要なのかが分からない。敢えてやるから目立つのであって、「勝手にどうぞ」という姿勢で良いのでは?
323の記事で埼玉県で行われた令和2年の県民の「性的マイノリティ」についてのアンケート調査から自由記述の部分を取り上げました。
今回も同じ調査からの回答をもとに記事を書きます。
さて、「LGBTの人たちはどうぞご勝手に」といって、県が何も対策をとらなかったらどうなるか考えてみましょう。
埼玉県では県民講座などで性的マイノリティについて理解を深めてもらうように活動を行っているそうです。
しかし、そういうことを県が積極的にやらない、性的マイノリティについて県が何もしないと、埼玉県に住んでいる性的マイノリティが偏見や差別にあっても知らん顔をするということになります。
悩み事がある、いじめをうけている、SOGIハラを受けている、性的マイノリティであることが受け入れられなくて毎日が辛い等、性的マイノリティであることで抱える不自由さや悩みがあります。
前にもとりあげたことがありますが、トランスジェンダーの学生は自分の性自認に合った制服を着たいと思っても、学校側が戸籍上の性別で制服を着用することになっているとかたくなな態度だったらどうでしょうか?
上の記事は2年前のものですが、東京の江戸川区と教育委員会関係者にトランス男性の方が次のように語っています:
沖縄では小中学校は各市町村の管轄、高校は県の管轄です(他の都道府県も同じだと思います)。トランス男性が「男性の制服を着たい」と言ったら、中学校なら市長や市の教育委員会にお願いをしなければなりません。東京は「区」ですから、ここでは江戸川区になっています。
高校はどうでしょう?都道府県の管轄なら、県の教育委員会でも審議をしなければなりません。そのとき、例えば埼玉県の方針として、「どうぞご勝手に」と言うでしょうか。
「大人になる前に死のうと考えていた」子ども(高校生)を県は救うことができないことになります。
トランス女性の場合はどうでしょう?「どうぞご勝手に」と言われたから昨日まで学ランを着ていたけれど、女子高生の制服を着て登校したら、周りはどう思うでしょうか?
県は「どうぞご勝手に」という方針なので、公務員である先生は何もしない。もしイジメが起きても何もしない。仲間外れになっていることがわかっていても校長をはじめとした教員が誰一人相談にものってくれない、保健室の先生も知らん顔。そんな中でその子は学校生活を続けていくことができるでしょうか。
沖縄県では昨年(2021年)3月に「沖縄県性の多様性尊重宣言(美ら島 にじいろ宣言)」を行いました。この宣言文を以下に引用します:
性の多様性を大切にすると沖縄県がこういった宣言をしたことを私は沖縄県民として誇りに思います。
なぜなら、沖縄県は性的マイノリティに「どうぞご勝手に」とは言わないとこの宣言で約束しているからです。
全ての人の命を大切にする、と沖縄県は言っています。そして、私はこの「全ての人の命を大切にする」ということがとても重要だと考えます。
こういったことが全国に広がればいいなぁと思います。
「どうぞご勝手に」と突き放してしまったら、失われる命があるかもしれないのです。
大人になる前に死のうと考えている子どもに手を差し伸べることができるようにするのが行政(県や国)の役割の1つではないでしょうか。
参考資料
画像:UnsplashのDaniel Abadiaが撮影した写真