「組織としての大学 -役割や機能をどうみるか-」を読んで

研修の課題図書の一冊として読んでみた。

大学教授が書いた本なだけあって、小難しい言葉・表現が多く、教科書的な印象は拭えないものの、歴史的に大学が関わるステークホルダー(政治・産業・学生)との利害関係がうまく整理されており、大学に勤める人間として、読んでいて損はない一冊、という印象。

特に、職員である私にとっては、今後の求められる職員像についても1章使って説明してくれているのはわかりやすかった。

たしかに、職員は今や実務屋から専門職としての役割を求められている印象であり、今後は現職に安住するのではなく、しっかりと専門性を磨いていく必要があることが納得できた。

以下、備忘録として詳細を記載する。
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序章
・政府と大学の教育現場の対立(旧態依然として変わらない大学イメージ vs 的外れな教育改革をする政府)は日本に限らず海外でも起こっている。
・大学を他の教育(小中など)と比較すると、教員のプロフェッショナリティの高さゆえ、学内でも同じような研究・教育をしている人間は限られ、協働の意識はどうしても低くなる(体系的なカリキュラムを作りにくい)。評価はその教員の学外のコミュニティによるものである。
・研究を捨てる大学は自殺行為。あくまでも研究を通して自らの教育をアップデートしていかないと取り残される。
・知的創造性が発現する研究において、自律が非常に大切。標準化は教育力を低下させかねない。
・学長権限(トップダウン)、教授会(ボトムアップ)の双方のバランスが取れていることが好ましい。

1章
・経済のグローバル化によって、大きな政府から小さな政府という流れが生まれた。
・また、大学も各国独自の動きが大きかったが、少しずつグローバル化によって標準化がされるようになってきている。
・小さな政府になるにつれ、大学は基本的に自助努力で改革を進める流れになってきている。また、政府の要請であっても、教育or研究のどちらかに力点を置かざるを得なくなる大学は多く、独自の改革が進んできている。
・大学改革の方向は、①大学の健全経営、②多様な利害関係者のニーズへの対応(産業界が求める即戦力人材等)、③大学の多様化の3つ。
・大学が独自性を持つ中でグリップをきかせるため、今後は大学経営の時代、学長といった経営陣の重要性が増すと考えられる。
・大学改革にあたっては、小さな政府からや産業界からといったステークホルダーの要望に応えるだけではなく、大学の自律も必要である。さもなくば、俗に言う尖った研究ができず、独自性・先進性が失われるリスクがある。

2章
・地方大学は今後、クラスターとしてその地域の発展を産学官協力して担っていく役割を持つ。
・すでに東海、仙台、沖縄、徳島、浜松など各地域がそうしたクラスター構想を持っている。
・そうした中で、今後産業地域の形成、地域再生、地域イノベーション人材、産業育成、産業創出、イノベーション創出拠点といった形で、クラスターに求められる期待値が高まっている。
・経済界も関わってくる教育に関して、一丸となって人材を育成していこうという「介入」が行われるようになった。
・円卓会議では、産学協働人材の育成が、グローバル人材・イノベーション人材の輩出、最終的には日本復興・復活までつながるグランドデザインが描かれている。
・今後は政府だけでなく、経済界からも大学が評価されるようになるのは、現行の大学がイノベーション人材を生み出していない、ということの裏返しであり、様々な大学がイノベーション推進のための組織を立ち上げている。(教育内容を大学側が独自に決めづらくなってきている)
・また、政府の補助金も減少傾向あり、これは単なる財政政策だけではなく、大学の「選択と集中」を促す取り組みでもある。今はなんとか耐え忍んでいる大学が多いが、今後は自大学の得意なところ以外を切り捨てる改革も必要。
・いまだに、教授会の意見としては、学外者が経営に参加すべき、という意見は少ないのが現状。

4章
・行政改革を通して、大学の経営の論理ばかりが追及されてはならない。あくまでも教育の論理とのバランスを追求していくことが必要。
・大学評価において、①組織志向性:業績測定型(主に大学の財政や効率といった、民間視点の求心力の評価)、②専門志向性:プログラム評価型(教育の内容や質といった遠心力の評価)を明確に分けて考えなければならない。
・組織志向性による業績測定型の官僚主義的な改革ばかりが進むと、専門人である教員は組織への忠誠を重視した組織人になりかねない。そのため教員が一定のレベルでこうした改革に対して抵抗するのは、一種の「学問や専門性への誠実さ」からであるといってもよい。
・現状、大学評価は、教育サービスの受益者である学生のため、サービスの購入者である学生・父母のため、社会的な存在証明のため、自己改革のため、いずれなのかがはっきりしていない。

5章
・従来は教員が中心となって管理する大学の補佐を行う立場として職員が位置付けられていたが、キャリア教育やICTといった新しい教育が生まれたこと、大学の機能拡大や経営の高度化の必要性もあり、職員に求められる業務レベルは高度化している。
・また、既卒の大学職員の採用も強化の傾向にあり、
・一方、定期異動といったキャリア開発の必要性は認識されているものの、それを享受していると認識している職員はまだ少ないのが実態。
・アメリカでは職員業務の高度化にあわせ、職員の専門職化が進んでいる一方、日本はまだ教員を中心とした大学運営や、終身雇用を背景とした大学の管理運営業務の専門化はまだ進んではいない。
・日本でも教員・職員の協働体制の必要性は高まっており、職員の専門性を高める取り組みが進んできている。
・職員の求められる専門性を高めるためには、主に学内リソースを使うOJT、Off-JT、自己啓発では十分とは言えない。そのため、中途採用で専門性の高い人材を取り入れることはしているが、やりすぎると現存の職員のキャリアパスを閉ざしかねない。
・一部の大学では、職員も含めた教育組織としてアドミニストレーション専攻といった大学院課程の設置を行なっているところもある。
・もちろん、そうした育成の仕組みと同時に、育てた職員のポジションや処遇を準備することも必要。今後そうして育てた人材が他大学に流出するということもありうるが、大学職員全体の活性化という面では必要な変化と思われる。
・また、そうした大学職員としての専門性を高めるための自己研鑽のネットワークや団体といったものが必要となることも認識しておくべきである。

6章
・学生は大学の構成員であるかどうか、ということは常に議論を呼んでいる。
・営造物説は、あくまでも学生は利用者であるため、大学の経営運営には関わるものではない、というものである。これは近代に出てきた考え方である。
・一方で、中世ヨーロッパからの流れでは、大学はあくまでも教員と学生がともに学ぶ場(ケンブリッジ・オクスフォード・ボローニャ等)であるという考え方で、これは共同体説と言われている。この考え方があって、日本でも学生闘争が起こっている。
・日本の学生運動は、ボローニャ大学の学問の自治の考え方が主となっており、本来であれば自由であるべき学問に対して、外部(政府)の圧力がかかり、それに屈する教員に対し、学生のギルドとして戦わねばならない、という考え方である。
・2000年代に入り、欧州でボローニャプロセスがはじまり、教員だけでなく学生も参加して欧州全体の大学を改革する動きが出てきている。具体的には、欧州各国の高等教育プロセスを標準化し、教員・職員の域内の異動を促そう、というものである。
・この背景には、学生参加型というあらたな民主主義の大学運営による、他地域との差別化がある。機関データで大学を評価するアメリカに対して、学生参加型の質保証という新しい概念を打ち出し、大学の市場化に対応している。
・最近は学生も多様化しており、教員からの一方的な教育では彼らのニーズに対応しきれない。そのため、こうした
学生参加型の教育を謳うことで、現代の教育を実現しようという狙いもある。
・日本でも学生が大学運営に携わり、主体性を磨くということは政府からのレポートにも近年載せられているものの、学生代表が大学運営の根幹を担うことについては慎重である。
・今後の大学は、究極の管理主体は大学としつつ、学生の主体性を引き出し管理運営や教育方法など様々な領域には参加してもる仕掛けが必要であり、コミュニティとしての大学、である。

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