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「日本社会のしくみ」を読んで

私たちが住む日本という国は、島国であると同時に鎖国から一気に文明開花が進み、欧米の社会システムを取り入れつつ、独自のしくみを作り上げた国家だと思う。

日系企業にとって当たり前になっている、
「新卒一括採用」「年功序列」「定年制」「企業別組合」「職能資格制度」「終身雇用」などはその典型例であり、世界中探してもオリジナルなしくみである。

最近はトヨタの豊田章男社長が「終身雇用制度の限界」と発言するなど、潮目が変わりつつあり、人事制度の転換が叫ばれている。
一方、「そんな独特のしくみを形成した背景」抜きにして、「古きもの=悪しきもの」と一言で片付けてしまっていいのだろうか?

制度が時代に合わなくなってきていることは受け入れるとして、先人たちがいかにしてこの制度を作ってきたのかを理解しないことには、本当の意味で社会の進化は困難なのではないだろうか?

例えば、
①新卒一括採用&配属ガチャ
→新卒で入社した会社で、希望しない部署に配属されなかった私も戸惑った。
だが日本の大学教育(特に文系)を修了した者は、即座に即戦力となれるような知識・技能を習得しているだろうか?また彼らは、世の中に無数存在する職務の中から、それが一番の適職だと判断できるのだろうか?

②終身雇用・年功序列
→社内を見渡せば「働かないおじさん」が溢れかえっているし、このしくみ限界に来ているかもしれない。
しかし、終身雇用でそれなりの地位が確保されているからこそ、チャレンジや失敗もしやすい安心感があるかもしれない。評価されにくい日陰業務でも頑張れるかもしれない。
また、年功的に処遇が上がる背景には、一人ひとりの職務はあえて曖昧にされているという背景がある。これも、「あえて三遊間を不明瞭にしておく」ことで、日本人独特の「緻密な物事の考え方」や「チーム意識」を醸成しているのではないか?
そもそも「働かないおじさん」問題の根幹は人事制度ではなく、その上司の業務アサインやマネジメントの問題ではないだろうか?
それらを棚上げにして制度を直すことがゴールとなってはならないと思う。

③職務等級制度
→個人としては最近になって職務重視に人事制度を改定する企業が増えてきている印象だが、これはすでに1980年代から議論されていたものだと初めて知った。職務等級の導入では多くのベテラン社員の給与が削減されると思うが、彼らの不満を解消しつつ真の意味で制度を浸透させるためには、企業横断的な労働市場の確立は不可欠なのかもしれない。
例えば、派遣社員においては派遣会社がある種の市場をつくり、企業横断的に処遇を決めているように、政府かそれに近い存在が主体となって労働市場を作ることがゴールであるべきと思う。各社で職務等級を作ることもNGではないと思うが、こうした最終ゴールをぶらしてはいけないと思う。

いずれにしても、、、
私自身個人的には古いしくみは時代に合わせてアップデートされていくべきと考えているものの、原点を振り返ることなくしてこの議論はできないと思っている。
また、何かを変える際にはプラス面のいいとこ取りだけでなく、マイナス面は覚悟していかなければ、本質的な改革にはならないと考えさせられた本である。
(実際、日本企業の多くは欧米の人事制度いいとこ取りをしようとして中途半端に終わっていることがそれを証明している)

以下、忘備のため読書メモを記載する。
(超長文&ネタバレを大いに含む)
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1.日本のしくみ
・日本は会社か村のどちらかに所属することを前提とした社会制度。年金もそれぞれで異なるが、根本の生き方が異なるため大きな問題は起こらなかった。

・就職氷河期は人口構造がメインの要因(必ずしもバブル崩壊だけではない)。正社員への就職口が一定数の中、団塊ジュニアが一気に大卒就職することで、間口がなくなる(それを過去すでに政府は予想していた)。今後効率化で就職口が減ってくるのであれば、あるいみ少子化(子供を少なくする)も道理に叶っている。

・日本の会社は大学で学んだ内容を評価せず、大学入学時の成績つまり学校名で人を選ぶ。専門性を深めたところであまり意味をなさないため、大学院進学率はそう上がらない。日本はポテンシャル重視の採用であり、院卒であっても学士と処遇は変わらない。
一方、欧米は学位によって賃金の入り口か全く異なる。例えば、ブルーカラーの10年選手よりエンジニアの大卒一年目の方が賃金高い。

・中小企業から大企業への人の流動は一定数で止まる。なぜなら大企業は年功序列型賃金で人が辞めないから、門戸はそう広がらない。逆に中小企業は常に門戸を開いていて、賃金が低くても、大企業からこぼれてきた人材を補充できる。

2.欧米のしくみ
・欧米の職務ファーストの賃金制度であれば、社内で異動するより社外含めて同じ職種で異動していくことが普通になる。この場合、同じ職種でより高いサラリーを目指していくので、自ずと専門性が上げて市場価値を高めようと努力するモチベーションが働く。
(ただし、欧米でも一般職やブルーカラーは年功的側面が強い。成果主義は一部のみ)

・日本は「社内の平等」重視。職務が不透明なため、三遊間を頑張って拾った人が評価されやすい。そのため長時間労働が蔓延して女性は評価されにくい。

・ヨーロッパは横割りの職種別組合(熟練工が新規参入を防ぐために作った組合)。組合で技能を保証している。基本的に熟練度で賃金が上がるため、ある意味年功序列には近い形にはなっている。一方、アメリカは職務主義。ただし、上長が評価担当をすることで、ひいきによる賃金格差が問題になり、団結して組合を作るようになった。ヨーロッパとの最大の違いは、職務主義による同一労働同一賃金の考え方。職務で賃金が決まるため、熟練度といった年功的なものはない。

・ヨーロッパでは、職種別組合が教育にも強く結びつく。要は技能や知識認定のための学校を作り、客観的に評価認定することで、技能レベルを保証する仕組み。またアメリカは平等、を重視するため、なかな主観になりがちな人事効果は真ん中に寄りがち。そのため、意外に学位という客観的なものさしが重視されたりする。

・長期雇用はアメリカでもあった。好景気の際に企業の人材囲い込みのために福利厚生や年功的賃金などを拡充した時期があった。

3.日本の歴史からみるしくみの確立
・日本はヨーロッパと異なり、職種別組合が育ちにくかった。というのも文明開化で突然社会のしくみが大きく変わり、西洋の技術がどんどん入ってきた。それに民間産業が追いつけず、結果的に政府の方が民間を主導していた。そうなると近代教育を受けた人間は優先的に政府が囲い込んでしまう。これが職種ではなく学校レベルによる評価の始まり。

・近代教育を受けた人間を政府が独占するため、何を勉強したかにかかわらず、良い大学を出た人間を官職として採用し、高給で囲っていた。官職はアウトプットに関係なく高給で、数年ローテでジェネラリストとして成長し、年功的に特進していく。(もちろん下級職員とブルーカラーはべつ)政府系企業がそのやり方を倣うようになり、学歴別の採用が浸透。
ちなみにこの官職や軍隊的な雇用は欧米の公務員や軍隊でも見られるもので、民間企業の発展が遅かった日本ではそれが民間企業にまで広まったと思われる。
ちなみに年功的賃金は、予算に関係ない官職、かつ一部の人間だからこそ成り立つもので、民間企業ではそもそも高度成長といった特定の状況でしか成り立たせるのは困難。

・新卒一括採用の原点は、政府による帝大生の一括採用。明治時代は帝国大学卒業者といった近代教育を受けた人間が非常に少ない一方で、官僚を求めるニーズは非常に高く、需給関係がアンバランスだった。
ヒト不足の解消のため、帝国大学の卒業直後にすぐ官僚として登用したかった政府は、帝国大学生への試験免除を始めた。試験の代わりに学校の成績が官僚になってからの処遇に関わる。
このように、学校側が企業に学生を紹介するしくみから新卒一括採用がはじまる。なお、戦後は公的職業紹介所と学校以外による労働者の紹介は禁止されていた。(悪質な搾取が問題となっていたため)結果として新卒=学校の紹介で一括で採用する、という流れが強くなった。
なお、ドイツでは受給関係が逆だったため、優秀な大学を卒業しても官僚になれるまで何年もかかるケースが多かった。

・大部屋の原点は、一人一人の職務の曖昧さ。もとも官僚組織は課の業務分掌までしか決まっておらず、否が応でも全員で仕事をするという慣習。これは、日本は急激な近代化のため、一人一人の職務を規定することがなかったのが背景。(ちなみに一人ひとりの職務が曖昧なので、官僚達の評価は出身大学や公務員試験の成績、あとは年功序列だった)
一方、アメリカではコネ採用で能力の低い人間が官僚を勤めていたことが問題になり、職務分析を取り入れて、ダメな人間にはご退出いただく仕組みを作っていた。ドイツは、君主が官僚を監視するため、職務をちゃんとこなしているかをチェックしていたため、職務の観点が入っていた。

・定年の原点は、日本の軍の定年制である。体力的にどうしても若い人間が必要不可欠な軍においては、一定の年齢になると自動的に解雇となる仕組みが必要だった(これは欧米でも同じ)。その仕組みが、企業の能力維持や社会的責任(年金という社会保障の拡充)を目的に官営工場→民間企業にも波及してきた、ということ。

・日本の大学は当時、優秀な人間をスクリーニングして企業に紹介する役割をになっていた。大学自体の教育内容はそのまま実務に使えるものでなくとも、ポテンシャルの高い人間を成績等からスクリーニングして企業に送り出していた。ちなみにドイツでは労働組合が、過去の企業での勤務内容や資格などをもとにこの役割をになっていたが、近代化が急激に起こった日本ではこうした組合もなく、さらに資格試験といった能力を客観的に示すものも存在していなかった。そのため、「信用できる紹介者」のひとつとして学歴、大学が使われていた
その後、大学が私大も含めて認可されるようになると、大学卒の人間が増えてスクリーニングしきれなくなったり、大学の成績=実務能力ではないという風潮になったことで、人物重視の採用が増える。結果大学側の就職斡旋機能を強めていた。。

・戦時中は労働者不足により、職工階級の待遇改善が叫ばれた。また、ナショナリズムによる運命共同体意識が醸成された。一方で、従軍中の士官と下士官の扱いの違いから不満が生まれ、平等意識が高まった(企業内平等意識のはじまり)。
戦後、全員が共同体となって飢餓を脱するために企業内で協力し合った。これらが職員・工員混合の企業別組合の背景(その後職員・工員という区分がなくなり、「社員」という総称になった)。

・戦後の生活苦から、「生きるために必要な賃金」という考え方が広まり、生活給(今の家族給)の考え方が生まれた。結果的にかなり年功的な賃金になるが、この発想を生み出したのは当時の職員・工員混合組合のトップで、帝大出身の人間たち。彼らからすると年功で賃金が決まってくるのはそこまで不自然ではなかった。

・職員・工員混合の流れは戦後直後は生活苦解消という共通目標のため存在していたが、不景気によって経営側が強くなるにつれて職員と工員の区別の流れが強まった。これが職能資格制度の始まりである(実質的な職員・工員の身分差別)。
ただし、長い労働争議で経営側も疲弊し、工員に職能資格制度と組み合わせた年功型賃金(戦後の生活給の延長)を導入することである程度の妥協を示すこととした(ただし、昇格スピードの違いなど、実質的には身分差別は残っている)。

・社会保障は、近代の官職の恩給を真似て、官職と大企業の差を埋める目的で大企業で始まった。のちに、大企業以外の処遇改善を目的に国民年金がスタートする(現時点でも厚生年金と国民年金の差は大きいが)。

・終戦直後、アメリカに倣って同一労働同一賃金・職務給の導入が検討されたこともあった。しかし、これは経営側・組合側双方にとって受け入れ難いものとなった。
組合側は、職務給は職員・工員の給与格差をさらに助長する危険性があり、職員・工員混合の組合にとっては導入しにくいもの。
経営側は、企業横断的に賃金を決められてしまうと、自分たちの裁量で賃金を変えることができなくなることに対する反対があった。

・欧米では、学歴と職務が連動して処遇が決まる(例:意思決定職務=修士卒以上)。一方、職務という概念がない日本は学歴と処遇が直結しているため、同じ仕事をしていても学歴差で処遇が異なるケースあり。この場合、人口分布で大卒が増えてくると、おのずと全体の処遇を上げざるをえない。そのため、企業側は政府に進学抑制を働きかけ、高専などが設置された。しかしこれは「子供により高いレベルの教育を受けさせたい」という民衆のニーズとは乖離しており、うまくはいかなかった。

・より高学歴を目指す民衆のニーズに呼応する形で、私立大学が増加していった。特に安価で設置できる文系の学部を持つ私大が大幅に増え、大卒者が急増。しかし企業側が用意していた大卒のポストは限られており、旧来は高卒や中卒が担っていた仕事(販売や現場仕事)を大卒が担うようになったことが大学叛乱のきっかけ。これに対応する目的で、定期異動という制度が生まれてきた(ローテさせることでモチベーションを保つ)。

・職務という概念が浸透しなかった民間企業は、結果的に同一学歴・同一賃金という、より日本らしい制度へシフトした。(職務は違えども、同じ学歴であれば同じ処遇)
職能資格制度はもともと軍隊で使われていた(例:資格は大佐、職務は航空司令)が、それを企業でも取り入れる動きが出た。これは、学歴別の差別を見えにくくする狙いがあった。高卒でも大卒でも同じ資格制度の箱の中で管理はするものの、昇格スピードは大きく変えていく、という運用で、結果的に処遇を変えている。

・職能資格制度は企業横断的なものではないため、転職すれば職能資格は無に帰す。そのため、転職しにくくなる風土が醸成されていった。

・職能資格の良いポイントとしては、終身雇用と配置転換のバーターとなりうるもの。例えば新しい工場を開設する際の配置転換は、職務で労働契約を結んでいれば不可能だが、職能資格である程度能力を規定できていれば、配置転換もそれなりに可能。

・「能力」という言葉の解釈は多種多様で曖昧、ある意味これが職能資格の良い点。ベテランは経験=能力、若手は柔軟性やチャレンジ精神=能力、大卒は頭の回転や知識=能力、といったようにいくらでも解釈できるため、様々な種別の社員を抱える企業別労働組合にとっても受け入れやすかった。

・終身雇用維持のためには、人員構成の維持のため、不景気であっても一定数の新卒採用を継続する必要がある。そのため、大企業では新卒採用数はある程度維持されるものの、一方で期間従業員といった非正規雇用を景気調整のバッファとして持つようになった。

・大学の定員が抑制される一方で、高卒では良い職にありつけないとのニーズから、少ない椅子を奪い合う大学受験戦争が加熱、大学ランキングが生まれるようになった。大学のランクで職業が決まってくるため、消去法的に進路を選択するケースが増えた(例:「数学が苦手だから私立文系」など)。
特に、私立文系を選択する学生の多くは、「この専門性を高めたい」「こんな人間になりたい」といったキャリア観なしに大学を選択するケースが散見されるようになった。なお、この消去法的な進路選択の残余として出てきたのが専門学校。

・50歳では同期の70%以上が課長以上、という「頭でっかち組織(「歩のない将棋」)状態が1970年代から始まっていた。これは、職能を客観的には測ることが難しく、結局年功序列的に昇格が決まってしまった結果。企業は対応として、人事考課制度を強化し全員が満点状態を防ぐようにした(職務に関係のない人格評価がなくなる等)。また、大企業のポスト不足対策のため、子会社の設立と出向が加速。ただし、結果として効果は限定的である。

・人事考課の強化として、成果主義への転換が90年代から始まったが、多くは中途半端に終わっている。成果主義の必要条件である「その成果を測るために必要な個々の職務の定義」が出来ていない。また職務給への転換についても、企業横断的労働市場がない限り、「この職務は年収〇〇円」といった定義ができないため、完全な浸透は難しい。

4.まとめ
・日本企業の根本的ジレンマは、各社で職務の定義やそれに紐づく賃金を算出したとしても、それは社内の序列でしかなく、結果的に社内等級に変化してしまう点にある。企業横断的な職種による労働市場ができない限り、労働者の士気低下を伴わずに日本型雇用を根本から変革することは困難である。

・元来、経営者が解雇権を振りかざすといった野蛮な労働市場がどの社会でも蔓延っていた。労働運動を通してそれぞれの社会情勢によって「しくみ」が分化していった結果が現在である(日本においては急速な近代化と、戦争による共同体意識が与えた影響が強い)。

・世界にある雇用環境を類型化すると、「企業のメンバーシップ」「職種のメンバーシップ」「制度化された自由労働市場」の3つになる。日本では企業のメンバーシップが強く、ヨーロッパのように職種のメンバーシップは弱い(教員や弁護士といった職種のみ)。また、アメリカで強い「制度化された自由市場」は、学卒時(年収がある程度統一)と非正規雇用(企業をまたいでほぼ賃金一緒)のみ。

・こうした雇用環境は教育にも影響を与えていて、日本は企業志向、ドイツは資格志向、そしてアメリカは市場志向になる。企業志向の日本では、教育は企業内訓練に応えられる人材づくりの側面が強くなるため、大学院の進学率が下がってしまう。

・3つの類型それぞれにプラス面、マイナス面双方が存在する。日本の「企業のメンバーシップ」であれば、現場労働者レベルにも勤労意識が芽生え、製造業を中心に大きな発展を遂げたことが挙げられる(アメリカの市場志向ではどうしても現場労働者の勤労意識は弱くなる)。社会のしくみを変えるにあたっては、経営側(もしくは労働者側)からみた良いとこ取りをしようとしても上手くはいかない。

・職務主義に振ろうとするのであれば「透明性・公開性」の向上は不可欠。これらが高まり、社内外から特定のポジションを公募するようになれば、企業横断的な労働市場も出来上がってくる。一方、これら抜きにやろうとすると、今度は労働者側からの反発を受けることは必至(透明性・公開性の向上=経営側の権利濫用に対する牽制なので)。

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