那智勝浦町昔懐かし話 第38話
第38話『温泉娘』
はい、前回の春咲半島キャンペーにもちょこっと登場しましたが、今回も本業の観光のお仕事に関する那智勝浦町昔懐かし話であります。でわでわ第38話であります。
「なあ、吉野さん、そろそろ来年の温泉娘の募集記事新聞に載せやなあかんね。」
観光協会の同僚であるI さんが僕に尋ねた。「そうすね。もう12月入ったから紀南新聞と南紀州新聞に記事載せますか。あと記者クラブにも情報流しときましょ。」「そうやね。来年もかわいい娘応募してきてくれたらええけどなぁ」
温泉娘というのは、那智勝浦町観光協会に所属する那智勝浦町のキャンペーンガール
である。僕が平成5年に狭き門(えっ、もうその冗談はええって、すいません)を突破して観光協会に入社したのだがすでにその時には、温泉娘が存在したのだからおそらく30年近く前から那智勝浦町のキャンペーンガールとして頑張っていたことになる。温泉娘は、字のごとく那智勝浦町は、温泉と生まぐろ(当時はまだ、世界遺産に登録されていなかったのて、世界遺産の町という言葉は後で付け加えられました。)の町であるためそのキャッチフレーズにふさわしい名前として温泉娘と言う名がついていた。1年任期で4月から翌年の3月まで平安衣装によつての観光キャンペーン参加やテレビや雑誌のモデル、ラジオの出演、各イベントへの参加等全国に出かけたりしていた。人数は4人から5人で
前年の1月から3月上旬まで各新聞や雑誌、ラジオ等(当時はまだインターネットというものが無く当然ホームページやfacebookとか言う物が無かったのであります。携帯もありませんでした。)で応募し、履歴書と全身の写真を提出していただき、三役と局長と担当のIさんによって厳重(ほんまかいな)の面接を行い温泉娘を決めていた。
応募資格は18歳以上の健康で明るい女性、1年通して要望があれば出張可能な方、容姿端麗、高校生不可という主な内容であった。勝浦在住でなくても大阪とか地方でのキャンペーンに参加できれば採用したりもした。制服も僕が入社した頃はこちらの女性社員が決めたりしていたが,その内温泉娘たちでいくつかある候補から選ばして購入したりした。基本的に帽子、上下の制服、靴、たすきを用意し1年間貸与しその年が終われば本人にプレゼントした。出張費は実費支払い、また1回PR活動に参加ごとに規定の日当を支払い、1年間終了時規定により謝礼金を支払っていた。どこかのキャンペーンガールみたいに外国旅行プレゼントとかは、なかったが、皆非常に那智勝浦町のために頑張っていただいたと思う。同僚のIさんは、僕より5年遅く入社したのでその5年間は僕が温泉娘担当だった。東京や大阪でのキャンペーンに同行したり、他の市町村の方々といっしょにマスコミやエージェント廻ったりもした。この温泉娘世界遺産登録前年くらいまで続き、予算の関係や、キャンペーンの時は県のキャンペーンガールも出席するのでそちらにお任せする等の理由で無くなった。今は県のキャンペーンガールと共に観光協会の女性職員が平安衣装とかでPRを行っている。この温泉娘の中から実は、プロのモデルになったりタレントになったりした方もいる。本人のため名前は伏せるが、和歌山で有名なスーパーのCMで一番前で踊っている彼女も温泉娘出身である。おそらくこの話をごらんの方々の中には
昔温泉娘だった方、お母さんや姉妹、友達が温泉娘だった方もいらっしゃると思う。
温泉娘だったことをいつまでも誇りに思っていただければと思う。この話も良き思い出のひとつである。 第38話終わり
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