那智勝浦町昔懐かし話 第57話


第57話『熊野列石探方ウォーク』
 
はい、しはらくぶりでございます。ある時は弾き語りのタケちゃん、ある時は小説家きどりのタケちゃん、そして本業のタケちゃん。本業である観光協会主催のまぐろ祭りの準備でぜえぜえ言っておりましたが、昨日無事終わることが出来ました。これもひとえに、僕
の努力、いやいや皆様の応援のおかげでございます。本当にありがとうございました。と言うわけで、小説家に変身したタケちゃん。前にも書きましたが、僕は郷土史かでも何でもないので、その点ご了承ください。でわでわ第57話熊野列石探方ウォークです。
 
はい、皆さんは猪垣つて知ってますか。僕もおそらくこの観光協会の仕事していなかったら知らなかったと思います。那智勝浦町に高津気(こうづけ)という区がある。町の北東部に位置し新宮市に隣接している。面積5、15k平方メートルの中山間地域である。地区の産業としては、農林業が主体であるが、近年の道路整備の結果、町中央部まで車で約15分程度となったため区外への通勤者も多い。高津気地区の来歴は古く平安朝の頃からその存在が報告されている。高津気区の名前が現れる正確な文献は1628年の「郷帳」
がある。そんな高津気地区に熊野列石がある。熊野列石とは、猪垣(ししがき)とも呼ばれ、鹿や猪の害を防ぐ目的(諸説あり)で江戸時代に盛んに築造された防壁のことである。ここ熊野地方の猪垣は全国有数の規模を誇り、昭和63年に「熊野列石研究会」が県の補助を得て調査しところでは、新宮市と当時の東牟婁郡内で総延長70kmに及ぶ猪垣が確認された。あまりの長大さから、熊野先住民が古代に築いた防砦の連溝ではないかというロマンチックな説も出て全国的に話題になる程だった。那智勝浦町の高津気(こうづけ)の猪垣はとりわけ規模が大きく、熊野の万里の長城ともいえる威容を誇っている。ここには、猪落とし(いのししを落とす穴)や、侍岩、人面石もある。那智勝浦町観光協会が、集客事業の一環として平成19年の5月と10月の2回、平成20年の4月と10月の2回、「熊野列石探方ウォーク」と題して地元の方々の協力の元、この猪垣を歩くウォークを実施した。どの会も地元の方々が2、3人が随行し安全面からのサポートを行っていただいた。調整役として観光協会職員も2、3人が同行した。ここはきつい所もあるが、わりかし楽に歩ける。ウォークの参加費はいらないが、垣普請代として一人100円いただき、猪垣の保全代として高津気へ納めた。僕もこのウォークに何回か参加させていただき、垣普請にも何回か参加させていただいたりして、この猪垣を何回か歩き猪垣を目の当たりにした。その姿は高さ約1mでずっと猪垣が続いている。圧巻であった。現在は事情があり観光協会主催のウォークは行っていない。この熊野列石本当に熊野が誇るひとつの資源であると確信する。いつまでも残ってほしい。そして熊野列石探方ウォークを再現できればと思う。
 
第57話終わり

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?