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神は無慈悲

久しぶりに海外テレビドラマを観た。『GOOD OMENS(グッド・オーメンズ)』というAmazonオリジナルのもの。

天使のアジラフェルと悪魔のクロウリーは、地球への愛着を深めていた。そんな2人にとって地球の滅亡は最悪のニュースだ。(中略)人類のヒーローは反キリストを探し出し、手遅れになる前にハルマゲドンを止めることができるのか?

Amazon videoの紹介文より

天使と悪魔の二人がとてもチャーミングなキャラクターで、魅力的なドラマになっています。

第3話まで視聴したところで、ノアの方舟のシーンが出てきました。
ノアの家族と動物の番(つがい)だけが生き残るアレです。

船に乗り込む動物たちの意味を、天使が悪魔に説明します。
「ノアの奥さんも子供も生き残るよ。」

そこで悪魔のクロウリーが問います。
「他の人間は溺れ死ねと?子供も殺す気か?」
天使はバツが悪そうに頷きます。

その後のクロウリーのセリフが秀逸です。
「悪魔がやることだ」

その時、子どもの頃の考えを思い出しました。
「神様なんかいない。いたとしても無慈悲だ。」

ぼくは小さい頃に洗礼を受けていて、クリスチャンということになってます。なってます、というのは証明書があるわけではないし。親から聞いて認識してるだけです。

日曜学校には(遊びに)一時期いってました。そこで頂いた聖書も読みましたね。「わたしは門である。ヨハネ10章1節」とか、そらで言えたりしました。神父さんは優しかったし、愛を説かれたお話しも面白かったです。

それなのにノアの方舟の物語では、怒りで世界を沈めてしまうのです。

なぜ父なる神様はそのようなことをなさるのでしょうか。
偶像崇拝を嫌い、異教徒は許さないことにも、子供心に疑問を感じました。

人間だったら、モラハラ、パワハラ問題に発展しそうです。
インクルージョン、ダイバシティは何処へやら。

お断りしておきますと、ぼくは宗教の話をしようと思ってはいません。キリスト教を批判する意図もまったくないです。深く勉強したこともないですし。
ただ、「物語」として捉えて感じたことを述べてます。

でもこういうことがあるので、創作、物語として流してもらえるわけでもなさそうです。

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(注釈)公開後に有料エリアを変更しました。

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