喜怒哀楽がない

映画「永い言い訳」を観ました。
作品は素晴らしく、エンドロールまであっという間でした。主演の4人だけでなく、他の素晴らしい役者さん達がチョイ役であることも贅沢であり、少し物足りなさ(良い意味で)を感じずにはいられない、そんな映画でした。

中でも印象に残っているのは
男の子が「お母さんが死んだ時に泣けなかった」というとこ、
そして主人公自身も妻が死んだことに悲しさを微塵も感じてはいなかった(というようにみえた)。まして事故があったときには、愛人と会っていた。

一見、特に主人公に対してはクズとしか感じられないような、そんな場面でしたが、怒りではなく自分への恥ずかしさがありました。
他人に優しくしたり、悲しんでるフリをして、結局は自分のことしか愛せない。

自分が一番大切。

見透かされているような気持ちになりました。

私の周りにはそういう愛情豊かな人が多い気がしています。みんなもそう思っているのか、自分が圧倒的に誰かを愛することができていないのか。
そうなりたいとも思っていながら、結局いつも世間体を気にしてしまう自分が恥ずかしいです。(それですら自分が可愛いということか)

昔先輩に恋の話をしていたときに「オ○ニー野郎」と言われたことがあります。その言葉を選んだことはウケ狙いもあったとは思いますが、普段から鋭い人なので本音の部分もかなりあったんだろうなと思っています。
何年も前に言われた言葉ですが、未だに忘れることができません。

他の知り合いには「るろうに剣心の瀬田宗次郎みたい」と言われたことがあります。喜怒哀楽の中で「楽」以外を持たない、感情欠落したキャラクターです。普段からいつも笑ってごまかすところがあり、何考えてるかわからないとのことです。

「人生は他者」

この言葉を主人公がノートに書いた時、すぐには意味がわかりませんでした。見終わった今も本当の意味が分かっているのか自信はありません。

自分のことばかりで、他人の気持ちを考えていない。だから向き合うこともできない。

正直、映画を観ている最中はそんな後ろめたさもあり、素直に楽しむことができませんでした。どこかずっとゾワゾワするような。

それでも今この映画を手に取ったことには意味があるような気もしています。

いい歳してこんなんじゃ、一生誰も愛せなくなってしまう。

そんな危機感を感じずにはいられませんでした。

ネガティブな事を多く書きましたが、最初に書いたとおり、作品はとても素晴らしいです。
次に観たとき、少しでも後ろめたさがなくなっている事を祈ります。

おわり

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