見出し画像

雨宿りを終えて(菜月海)

高校1年の6月、練習しないギタリストにブチギレて軽音部を早々に退部した。

怒りに任せて文化祭に出る機会をダメにした私に「なっちゃんの後ろで踊りたい」と言って、やけに手の込んだ編集が施された米津玄師のLemonに乗せて踊る自身の動画を見せてきたのがユウカだった。高校の文化祭で音源流して歌って、バックダンサーつけてるやつなんかおるんか?とは考えたが、しっかりダンスがかっこよかったし、私の歌が好きな人が好きだと思った。

文化祭当日、私たちの前に出た顔が可愛くてK−POPを踊る先輩たちのおかげで集客率は最強で、用意された観客席から、二階の渡り廊下から、校舎の窓から、先輩もクラスメイトも先生も皆んなが見ていた。冷たい視線も、無関心な欠伸も、大き過ぎるくらいの声援も、全て一度に受けていた。

雨女2人が揃っても覆せなかった晴天の下で歌ったあの日、私の歌で泣いた人を初めて見たあの日、誰にも伝わらないと自虐しながらも歌詞の意味に悩み自分の正解を踊るユウカを見たあの日は、私の高校生活でとっておきの一日だった。

当時の動画を見ると、原曲を深読みしすぎて表現したいことの渋滞に2人とも気づけていなかったような気もするが、あの時歌詞の一言一句に意味を成そうと話し合う時間は今の私たちを作っていると思う。

あれから早4年。

珍しいことをやっている私たちに向けられる「なんかやってんなあ」という周囲の反応は未だ変わらず、深夜二時を過ぎた頃にやっと盛り上がる打ち合わせという名の長電話は、現実味のない夢の話ばかりだ。

それでも昨日は「なんか」じゃない「何か」が、動いていた。

私たち以外にも、新しいことに挑む人。この日が彼らの青春の1ページになったかもしれないと思うと本当に尊い時間だった。

加えて他でもないこの日のための演出。ヨサメリウムが演者から好かれていて普通に泣きそうになった。アーティストのライブの内容にまで私たちが持つコンセプトを共有してもらえたことが本当に嬉しい。

そして約10ヶ月配信番組を作ってきた私たちにとって、目の前でお客さんを見られたことは何よりもご褒美だった。

昨日のお客さんに「今やってることが難しくて辛くて辞めてしまいたかったけど、今日のライブを見てやっぱり諦めたくないと思った」と言われて、本当の意味で足を止めて土砂降りの雨を少しの間でも凌いでもらえたのかもしれないと、やっとヨサメリウムが私たちだけの大切なものではなくなったのかもしれないと思えた。

間違いなく楽しいことがまだまだできる。そう確信できる夜だった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?