電車の中でお賽銭をもらった話

ある夏。旅先。友人との待ち合わせ場所に向かうため地下鉄に乗る。サッと空席を探し、重い荷物を下ろして一息ついた。隣から会話が聞こえる。声の調子からするとお年を召された女性だろうか、というようなことを考えながら横を見る。そしてわたしは驚いた。女性の目線の先には誰もいなかった。否、その女性には確かに「誰か」見えていたのだろう。女性は大袈裟な身振り手振りを交えて「誰か」と会話をしている。わたしは慌てて正面を向いた。目の前には男性がいたが、女性のことを気にとめる様子は寸部もなかった。女性はしばらく「誰か」と会話を続け、そのうちにわたしのことを親指で指さし始めた。親しい間柄の人間が「この前この子がね、」と話を切り出すときのように。はじめは気にもとめなかった。否、関わってはいけないと無視を決め込み、手に持っていたスマートフォンで電子書籍を開く。しかし幾度も指されると次第に気になってくるものである。わたしには心配性の気があるので、顔になにかついているのだろうか、はたまた髪の色が奇抜であることが気に入らないのだろうかと、とりとめなく考えた。そうしているうちに女性は不意に小銭入れを取り出した。ファスナーを開け、つまみ出した小銭がいくらであるか確認したのかまではわからない。小銭は女性の手から弧を描き、わたしの鞄の縁に落ちた。女性が小銭を投げたのだということに気がつくまでにしばし時間がかかった。次の停車駅は○○です。車内アナウンスが聞こえる。わたしの降りる駅だ。ここまでわたしは思慮を巡らせはしろ、身じろぎひとつしなかった。小銭に気がついていないふりはできた。女性が降りるまで電車に乗り続けることも考えはした。しかし約束の時間が迫る。女性が一日中電車に乗っていることも考えられる。わたしは決心し、小銭を落とさぬよう細心の注意を払って立ち上がった。女性は立ち上がらなかった。電子音とともに開いたドアを抜け、わたしは安堵した。長いエスカレーターをのぼり、改札を目指す。駅員をみつけ、わたしは鞄の縁にのせたままの小銭を見せて、これを落とし物として預かってもらえるよう頼んだ。駅員は快く引き受けてくれた。このときはじめて小銭が10円玉であることを知った。10円という金額ではあったが、この奇妙な10円玉を持っていたり、使うことは荷が重かった。
近頃は何でもSNSにあげられてしまう。わたしはすぐさま、この女性も目撃談などあるのではないかと調べてみたが情報が出てくることはなかった。

その後旅行を楽しみ、以来この地に寄っても女性をみかけることはない。そしてわたしは思うのだ。あの女性はわたしにしか見えていなかったのではないかと。そしてあのときあの10円玉を持って帰ってしまっていたら、と。あのとき女性は小銭を投げたといったが、それはまるで賽銭箱に賽銭を投げ入れる様でもあった。あの女性はなぜわたしに10円玉をくれたのだろう。わたしがこの世のものではないというのは少々物語が過ぎる。しかしともするとわたしはあのとき、あちら側にいたのではないかと思うのだ。女性が10円玉を渡すことで救ってくれたのか、はたまたあちらに引き入れようとしたのかはわからない。前者であるとすれば、10円玉を手放した時点で不幸が起きているだろう。とすれば後者。しかしこのつづきを空想し、書き綴ることは愚行であると考える。これはある夏の日にわたしの身に起きた奇妙な一体験にすぎないのだから。

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