K川自動車学校の記憶

遡ること5年

2018年3月、わたしは暇だった。
大学院を入学1ヶ月足らずで休学して1年が経とうとしていた。
僅かながらアルバイトはしていたが、それ以外の時間はTwitterやYouTubeをみて無気力に生きていた。
そんなときとある夫婦ライダーのモトブログが流れてきた。
奥さんはわたしが乗りたかったCBR250Rに乗っていた。
色もわたしが乗りたかったトリコロールだった。
そしてわたしは思った。

そうだ、合宿免許に行こう。

更に遡ること3年

大学2年生だったわたしは入校の手続きに自動車学校に来ていた。
当時、同級生の恋人がいたが夏休みの間はまったく会えなかった。
暇すぎて気が狂いそうで、朝から晩まで名探偵コナンを読みふけった。
ご存じの方も多いと思うが、コナンにはバイクに乗るキャラが多く出てくる。

小学生の時分、わたしは服部平次に恋していた。
ポケモンの主人公の名前を【かずは】にして平次の隣気分を味わうほどに。
服部平次はバイクに乗っている。
服部平次に恋をしたその時からわたしの目標はバイクの免許を取ることになった。
それから約10年、教習所に通おうにも人見知りが祟ってなかなか一歩が踏み出せなかった。
そんなときにコナンを再び読み、一人の少女と出会った。

世良真純。

彼女もまたバイクに乗っていた。

二輪免許をとろう。
わたしは教習所に駆け込んだ。

入校(1回目)と挫折

その教習所では女性の場合は入校前に車体を起こせるかどうかの確認があった。
起こせない場合は小型二輪からスタートすることを勧められるそうだ。
うっすらと髭が生え、すね毛も男性ばりに濃いわたしは力には自信があった。
軽々と、とはいかないが車体を起こすことに成功し、無事に普通二輪での入校を果たす。
夏休みの間に学科も技能も数回受けたが、技能教習は人見知りにはキツかった。
また軽い拒食症を患ったこともあり、後期授業が始まるころには教習所に通わなくなった。
季節が2,3巡った頃、教習期限が近いとのはがきが届いていたがわたしが再び教習所に行くことはなかった。
仮に再開したとしても、入校当時から体重が8kg減りバイクを起こすことさえままならなかっただろう。

二輪も、普通車も、
もう一生免許を取ることはない。
このときはそう思っていた。

2度目の教習所選び

再び教習所に通うことを決意した理由は冒頭で述べた通りである。
合宿免許を選択したのは、逃げられないようにするため。
入校しさえすれば卒業まで逃げることはできない。

場所は本当になんとなくで選んだ。
二輪は教官が隣にいないのでどこでも一緒だと思った。
【さわやか】に行きたい。
そうだ、静岡にしよう。
ついでに花鳥園にも行っちゃうか!
こんなノリでK川自動車学校に決めた。
これが最悪の結果となることも知らずに。

顔面ピアス禁止

深夜テンションでフォームに必要事項を記入し、送信ボタンを押して眠りについた。
確認の電話に出られなかったらやめよう。
1回で出られたら入校しよう。
そんな賭け気分だった。
翌朝、早朝近く。本当に早い時間だったと思う。
目覚ましで起きなかったことがないわたしは着信音で目覚めた。
知らない番号。
合宿免許に申し込んだがこんなに早くかかってくるものだろうか。
おそるおそる通話ボタンを押した。

「おはようございます。お申し込みありがとうございます」
オペレーターは明るくハキハキした声で話しかけてきた。
自動車学校の職員ではなく合宿免許コーディネーターらしい。
「ご希望のお日にちで入校できますので......」
いろいろと説明を受けたと思うのだがこのあたりはまったく記憶がない。
「なにかご質問はありますか?」
いつもならすかさずいいえと答えるが、今回は聞くべきことがあった。

「耳以外の顔面ピアス禁止とありますが、首や胸元は大丈夫なのですか」
サブカル陰キャだったわたしはマイクロダーマル(キャッチのない埋め込み式のピアス)を何個か入れていた。
「ヘソピのようなものでしょうか」
「まあ、近いものだと思っていただければ」
「顔面でなければ大丈夫です!三環さんは個室プランを選択されているのでまったく問題ないと思いますよ」
そういうものなのか。
教習所によってはボディピアスも禁止のところがあるようだが、K川自動車学校は大丈夫とのこと。

詳しくは書類を送ります、と締めくくってオペレーターとの電話は終了した。

処女捨て合宿

さて、本当に入校することになってしまった。
わたしは今さらK川自動車学校の情報を集め始めた。
2023年6月現在のGoogleマップでの評価は★2.7。
DREMという合宿免許口コミサイトでは★1.9。

困った。
もっと考えて選ぶべきだったか。

そして口コミにあった処女捨て合宿という単語の破壊力。
基本的には若い男女が集まるのだからそういうことが発生するものなのだろうか。
(実際には女子棟に入るにはカードキーが必要だったので真偽は不明)

教官、とくに二輪についての評価もかなり悪い。
これは入校後に身をもって体験することとなる。

いざK川へ

我が拠点、愛知からK川までは新幹線で移動する。
新幹線の時間もほぼほぼ指定されており、駅に着いてからはまっすぐと集合場所に向かうことになる。
家を出た直後、わたしはイヤホンがないことに気づいた。
バスの時間まであと数分、戻って間に合うか......?
イヤホンなしでの生活など当時は考えられず、わたしはダッシュで家に戻った。
しかしいくら探せどイヤホンはない。
諦めて家を飛び出し、バスに乗り込んだ。
空腹で走ったせいか気分が悪くなった。
駅に着くやいなやわたしはトイレに駆け込み、そして吐いた。

とんでもない始まりだった。
これ以上ひどいことは起きないだろうと思った。
しかしこれは数時間後に始まる地獄への序章にすぎなかった。

青い顔でトイレから出て、なんとか指定された新幹線に乗り込みK川駅を目指す。しばらくは気持ち悪さが続いたが、気分は次第に戻っていった。

K川にはすぐに着いた。
改札を出て指定された場所に向かおうとするともう一つ改札が現れた。
つまり一つ目の改札は新幹線と在来線の乗り換え改札であり、出口ではなかった。
切符を取り忘れたと駅員に告げると、呆れたように改札の外に出してくれた。
今すぐ家に帰りたかった。

指定場所にはまだ迎えはいなかった。
わたしの他にも入校予定らしき人たちが幾人か集まっていた。
彼らはほとんどヤンキーの風貌をしていた。
わたしが入校したのは、順当に卒業しても高校や大学の入学式には間に合わないというタイミングだった。
つまりそういうことだ。
ここに集まっているのは入学式をブッチしてもなんとも思わない者達だった。

マイクロバスが到着した。
職員がキレ気味に名前を言ってバスに乗り込むように指示する。
過半数は遅れてきたのだが、彼らは怒鳴られていた。
「コンビニに寄ってた?新幹線がついたらまっすぐ来るのが常識だろうが!」
バスが動き出した頃には誰もが無言で真顔になり、車内の空気はヒリついていた。
「タバコ持ってるやつ、全部出せ!吸ってるのバレたら退学だからな!」
職員はどこまでも対ヤンキー仕様だった。
バスから降りると教室に詰め込まれ、書類をあくせくと書くことになる。
書き方をミスれば怒鳴られる。
書類が終われば視力検査。
わたしの直前で列が詰まる。
カラコン禁止なのにカラコンをつけてきたギャルが外すように言われていた。

初日の夜、ひとりで泣いた

入校式が終われば早速学科と技能が始まる。
9日間しかないので予定はぎゅうぎゆうに詰まっている。
とてもさわやかや花鳥園に行く暇などなさそうだった。

はじめての技能は散々だった。何度か立ちゴケをし、そのたびに重い車体を起こした。
教官には怒鳴られ、無知をなじられた。
原簿で頭をはたかれたこともあった。

教習が終わって個室に戻り、悔しくて、つらくて泣いた。
わたしはいい子ちゃんで通ってきたのでヤンキー風の扱いには慣れていなかった。

女子はわたしを含め3人入校していたのだが、仲良くなってから聞くと初日の夜はみんな泣いたらしい。
わたしだけじゃない、みんなつらいんだ。
そう思うと少し心強かった。

事故る

2日目にわたしは事故った。
エンストした子に先に行ってくださいと言われ、あたふたと抜かそうとしたところ、車体が飛び出しその子のバイクに激突した。
衝撃で二人とも地面に転がった。
教官がすっ飛んできてこれ以上ない剣幕で怒られた。
当たり前だ。同期を危険にさらしたのだから。
ぶつかった子に謝り倒し、教習は続行。
教習後に膝をみると血液がズボンににじんでいた。

技能の後もしばらく学科が続き、部屋に戻ったころには傷口は乾き、ズボンが貼り付いていた。
シャワーを当てながらズボンを脱ぐ。
大きさとしてはたいしたことはないが、少しえぐれていた。
キズパワーパッドを買いにドラッグストアに向かったが、かなり遠かった。
自転車を借りればよかったのだが、生活部の職員がこわかった。

なお、このときの傷はいまだに跡が残っているし、ぶつけると足の小指をタンスの角にぶつけたレベルで痛い。

一本橋わたろ

当時はTwitterに教習の記録を残していたのだが、そのアカウントはもう消してしまったので詳細な記録はない。

ロンドン橋わたろのリズムで一本橋わたろと歌っていたことは覚えている。

一本橋わたろ わたろ わたろ
一本橋わたろ 落ちたよ

そんな替え歌だったが、実は一本橋は大の得意で一度も落ちたことがない。
(後に大型二輪のときに1度だけ落ちた)

冗談でも言っていないと身が持たなかったが、教習が進むにつれて教官にも二輪の操作にも慣れてきて、泣くことはなくなっていた。

やさしい教官とおいしい食堂

あまりにもひどいことが多すぎたが、いいこともあった。
学科の教官はおもしろく、丁寧に授業をしてくれた。
また、土曜日はシフトの関係で技能の教官もやさしかった。

そして食堂はいつだってオアシスだった。
やさしいおじちゃん、おばちゃんにおいしいごはん。
これがなかったら逃げ出していたかもしれない。

そしてまた地獄へ

やさしい教官に和んだ翌日。
いつもの教官はヤンキー気質な恐さがあるのだが、今日の教官は一味違った。
嫌みを言うタイプで、さらに口調もキツかった。怒鳴るだけならよいが、人格さえも否定された。

救命講習もこの教官だった。
なにか文句を言わないと済まないらしく、原簿に書かれているわたしの生年月日をチラリと見て、
「この年齢なら出来て当たり前」
と言い放った。

この教官は卒業検定でも担当となることになる。

つらいときはグーバイクを

日々怒鳴られ、消耗していたが、そんなときは乗りたいバイクを眺めた。
CBR250Rに乗りたかったが、SR400にも興味があった。
通学路に置いてあった、それだけの理由だった。
グーバイクで走行距離や値段とにらめっこをした。
免許を取ったら真っ先にバイク屋に行こうと思って耐えた。

覚えることがたくさん

合宿免許でつらいのは学科試験の勉強時間が少ないことであろう。
学科試験自体は卒業後に各々試験場で受験することになるのだが、多くの自動車学校は模擬試験を用意しており、それに合格しないと修了検定や卒業検定が受けられないシステムとなっているだろう。
わたしはゆーて勉強は得意な方(ヤンキーたちと比較して)だったので、問題なく模擬試験には合格した。
問題はコースである。
後に四輪の免許を取ったときは教官が横からコースを指定してくれたのがどんなにありがたかったか。
二輪はコースをすべて暗記する必要がある。
(間違ったら教えてくれるが、正しいコースに戻るまでも採点範囲となるので間違えないほうがよい)
コースが書かれた紙を何度もペンでなぞり、朝イチの授業前にコースを実際に歩いて覚えた。

修了検定と卒業検定

修了検定については割愛する(あまり記憶がないので)
卒業検定、我々より2日先に入校した組は半数が落第したらしい。
これは入学当初から何度も聞かされていたことだった。
4日ほど前に入校した人がシュミレーター教習にサンダルで来て追い返されるところも見た。
先人たちがハチャメチャだった我々はかなりビビりながら卒検に臨んだのだ。
後に一ヶ月足らずで免停になった若いヤンキーですら真面目に卒検に取り組んでいた。

二輪小屋と呼んでいた場所で待機していた我々は、卒検の様子が見たくて少し外に出ていた。
すると先に紹介した嫌味な教官が飛んできて「小屋にいろって言っただろうが!」と怒鳴られた。
他人の様子は見てはいけなかったのか……?未だに謎である。

わたしの番が来て、不安なのはもちろんスラロームだったが無事にクリアし、他の課題もそつなくこなしたのではなかろうか(もちろん上手ではない)
全員が終わり、1〜2時間後に発表があったと思う。
わたしの同期はわたしを含め全員合格した。
前回は半分が落ちたのだ、とビビらされなかったら全員合格はなかったかもしれない。
女子3人で手を取り合って喜んだ。

イヤミ教官が向こうから歩いてきたので会釈をすると、とびきりの笑顔でおめでとうと言われた。とんでもない飴と鞭だったな。
他の教官も卒検が終わった途端やさしくなったので、やはり二輪というのは危険な乗り物だからどうしても乗車中は厳しくなってしまうのかもしれない。

最後の最後で……

二輪の教官のやさしさに触れ、気分が良いまま帰れる。わたしはそう思い込んでいた。
大きな荷物を送ることにしたわたしは生活課に向かった。
「で、なに?荷物?ハァ……」
生活課の職員は相変わらずめちゃくちゃ態度が悪かった。
黒髪眼鏡すっぴん23歳も彼らからすればクソガキなのだろうか。
最後の最後でまた嫌な気持ちになったが、もう数時間でここからサヨナラできるのだ。

さらばK川

さて、卒業式も終わりK川とついにお別れである。
さわやか、行けなかったなぁ。
花鳥園も行けなかったなぁ。
行ったところはドラッグストアとゲーセンだけ。
マイクロバスでK川駅まで運ばれ、9日間寝食を共にした仲間ともお別れである。新幹線はとなりの席を取るでもなく、みんなバラバラと乗車した。

おわりに

免許は取れたが、免許を早く取れる以外のメリットはなにもなかった。
合宿免許を取る方はまずはリサーチを!




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