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ロシュ限界

疲れていることに気づくのにも体力がいる。

財布の中に775円しかなくて、通り過ぎたラーメン屋の坦々麺が980円であることを確かめたあたりで薄々勘づいてはいたのである。

立ち食いラーメン屋、入ってすぐの食券機のボタンを押して、ピッ、あっ、そういや今日まともなご飯食べてないじゃん、と思った。
パイナップルとクレープはまともな食事ではないのか? という議論は置いといて。

衝動的にラーメンを食べてしまうのは、たいてい労働の後。
夜ご飯の時間帯に終わるバイトを始めてから、帰り道で見かける「ラーメン」という文字列の攻撃力を知った。次点は餃子。

もしかして:中華に弱い

いや、中華が強い。

閑話休題。

カウンターにて、わずかな待ち時間、村上春樹の『遠い太鼓』をなんとなく開く。

『遠い太鼓』はすごいざっくりと言うと3年分の旅行記。
冒頭、彼は膨大な手続きや仕事、やらないといけないことを片付け、ようやくローマに到着。
何が理由かもわからないくらいに肥大化し凝り固まった疲弊をいかに正確に描写するか、という試みをしていた。

ローマのホテルで横たわる男の頭の中ではいつまでも二匹の蜂が飛びまわっており、私の頭の中は粘性のもので満たされて声も届かない。
粒状の古びた空気を多量に含んだ壁の向こうで、誰かがパクパクと声を動かしているのはわかるんだけども、その顔さえ歪んでうまく見えない。

というわけで、脳味噌がスライムになった女の前にラーメンがやってきた。煮卵もつけちゃった。

野球の実況が聞こえる。6回裏らしい。
ラジカセは見えない。あるのかもしれないけど、どんぶりと相対した人間は理由がなければ斜め下を見ている。

どんぶりにしがみつくように食べていた。わりと必死。
気を抜くと頭からぱしゃんと突っ込んでしまいそうで、落ちないようにするためには何かしらの作業をし続けるしかなかった。その場においては食べることが最適であったし、当たり前に求められていた。

ラーメンを食べるときはたいてい綺麗な服を着ている。それはつまりそのような服が求められるような用事があったということで、その用事も私をラーメンに導く要素なのかもしれなかった。

というわけで、気をつけてはみるのだけれど、一滴胸元に飛んでしまうと、もう諦めの体勢に入る。

20年ほど生きていて、麺を啜れた記憶がない。不器用すぎて、啜り方がわからないので、イタリア人に顔を顰められることのない人生を送っている。
ただ同時に麺を啜っていないけれど服にスープを飛ばしたという事実も明らかになってしまったわけだが。最初に食べるの麺じゃなくてもやしだし。

もやし。おいしい。いつもももやしから食べる。唐辛子をふってみたら思ったより赤くてびっくりする。

チャーシュー。子供のころは食べられなかった。2枚あると思って計画的に食べていたのに、終盤でよく見たらもう1枚あって全てが狂ってしまった。

麺。詳しいことはわからないけど思ったより多い。たまに胡椒を猛烈に振って絡めて食べる。

海苔。「ラーメンについている海苔はうまい」という変な固定概念を持っており、なんとなくそれが正解っぽい匂いがするので、大事に大事にしてしまう。
そうすると、しなっとする。まぁそれはいい。でもしなっとしてかつ脂! という感じになるので、脂! なところはあまり好きじゃなくて、正解じゃなかったな、と思う。今回もそう。

眠くてぐらぐらとしてきた。

いつも炭水化物を摂ると、消化活動か貧血なのか、なんなのかよくわからないが眠気が来る。

でもこういう、忙しないときにラーメンを食べても、なぜかいつも何も体に変化がない。帰路に着いた時さえ体おっも、と思ったくらい。
眠気が無かった。欲しいくらいだった。今きた。

というわけで眠ろうかなと思います。
ラーメンは美味しかったけどたまで良いです。

ロシュ限界は特に関係ありません。

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