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句読点って、人工物なんだね。っていうこと

みなさんこんばんは。

突然なんですが、街で「あなたこれできますか」って聞いたら、
「いやぁやったことはないかなー」とか、
「ちょっとできないと思います」
って7割……かな、半数以上の人が、言いそうなこと。

つまりできるのがちょっと珍しいこと。
そういう範囲の中の、自分にできることって、何でしょう。

って思った時に、私は、文字起こしかなと、思います。

文字起こしっていうのは、録音した音声を、文字に起こしていく、書き起こしていく。っていう、字のままの作業です。
と言っても、多分、今後できなくっても、正直困ることはありません。なぜなら Google ドキュメントっていうとっても普遍的な、みんなが使える無料のツールをはじめとして、昨今よく言われている、 AI とか人工知能とかが今後担っていくような、自動化の波に呑まれていくような、そういう作業の中の一つだからです。

でも、まだ需要は実はあって。少なくとも私の周りでは。
というのも、最近、文字起こしを必要とする、記事を作成する依頼をいただきました。
初めてではなくって、これが何回目かなんですけど、それで慣れてきたおかげで、ひとつ、気づいたことがあります。

句読点って、人工物なんだね。っていうことです。

さっき、文字起こしは七割くらい、少なくとも半数以上の人がちょっとできないんじゃないかな、って独断と偏見で言わせていただきましたけれども、正直、なんだったら、意識していないとかやったことないだけで、誰でも文字起こしってできます。

ノートとペンはちょっとこの時代には合わないかもしれないけど、アナログじゃダメかなっていうんだったら、スマートフォンでもいいんです。
書くものと書かれるもの、記録するものが手元にあって、録音を聞くことができたら、誰でも十分できてしまいます。
本当に文字起こしって、それだけなんですよ。聞いて、それを、書く。

様々な人が、一番最初はおそらく、さっき言ったように紙とペンで。それからだんだんデジタル機器に移っていって。
実は、文字起こしをするために音声の再生とかをキーボードで操作できるような、そういうソフトとかもあったりして、結構文字起こしの中でも技術が進化していたりとかしてるんですけど。
でもそんな中! 現れた期待の新星 Google ドキュメントですよ。

完全自動でね文字起こしをしてくれます私は詳しくないのでわかりませんが録音した音声ファイルからも文字起こしをすることができるとかちょっとねあの子どうなるん誤変換とか間違うこともあるんですけどそれでも毎日から文字起こしをすることもあればそれを修正することなんてね微々たる量になります


はい。

突然雰囲気が変わったぞ、と思った方、もうお分かりかもしれませんね。
実は今までの文章は、Googleドキュメントの自動入力を用いて作成された文章を、読みやすいように編集したものだったのです。

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こんな具合になっておりました。


ちなみに先ほど例に出した無編集の文章を、同じレベル感で編集するとしたら、

完全自動でね、文字起こしをしてくれます。私は詳しくないのでわかりませんが、録音した音声ファイルからも、文字起こしをすることができるとか。
ちょっと、自動なぶん誤変換とか、間違うこともあるんですけど、それでもイチから文字起こしをすることを思えば、それを修正することなんて、微々たる作業になります。

というふうに編集します。


そんでもってここからは普通に書きますが、つまりこれが句読点って人工物なのだ、という気づきです。

Googleドキュメントで音声入力すると、句読点は一切入力されません。
これってよく考えなくても当たり前のことですよね、私たちは話す時に「てん」とか「まる」とかを日常的に発音することはありません。
私に限った話なのかもしれませんが、句読点の存在を意識しながら会話したことすら、ほぼ無いです。スピーチとか大勢の前で発表するときだけ意識しますが、それは句読点というより「間」という意識が強いです。

少し黙る、言葉が途切れる。
Googleドキュメントは認識も変換もしませんが、私は認識して、句読点に変換します。

これが文字起こしの面白さです。
同じ音源を聞いても、それを書き起こす人が違えば、同じ原稿になることは無いと思います。それは句読点に限った話ではなく、ひとつの言葉をどう表記するか、ということについてもそうです。同じ言葉を漢字、ひらがな、あるいはカタカナで表記するだけで、印象が大きく変わります。

話者の頭の中にあるものが、脳に命令され声帯を通ってしまえば、私たちは音として認識するしかないのです。
それを文字に起こすことは、その音を捕まえて、私の脳を通して文章にするということで、私というフィルターが、音を漢字にしたり、句読点で区切ったりします。

更に、文字起こしを終えて記事にするときは、冒頭の文章のように編集だってします。
例えば、それが過剰だと思えば「えー」や「まぁ」、語尾の「でも『ね』」などを削ります(これをどれほど残すか、というところにもまた別の面白さがあります)。
これはまだ小さい方の編集で、そもそもの言い方を大きく変えたり、削ったりすることもあります。

では、私が作成した記事には、話者のその人らしさは何%くらい含まれているのでしょうか。
文字起こしするときも、それを記事にするときも、このことをずっと考えながら作業しています。

もしこの記事を読んでくださって、ちょっと面白いな、と思ったら、是非文字起こしに挑戦してみてください。5分くらいの音源でも良いです。
何人かで同じ音源を文字に起こすのも凄く面白いです。

あと、今回この記事を書くために初めて自分の声をGoogleドキュメントの音声入力に通してみたのですが、それも結構面白かったです。それもよかったら、是非。

起こすのはちょっとな、という人は読んでみるのもありです。
塩野米松さんの著作を読むと、文字起こしをする意味、音ではなく文字で残すことの可能性、とかにも思いを馳せられる、かもしれないです。

以上。

追記:この前半部分を作るときに録音していた音源を投稿しました。文章を読みながら聞くとちょっと面白いかもしれません。


2020年9月7日追記:この記事を書くきっかけとなった、私が文字起こしや構成、編集などを担当した記事が公開されています!


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