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電車読書

思いがけず電車通勤になり、電車読書が日課となった。

読みたいけれど、上中下巻全部読める気がしなかった富士日記を読み終わり、その他の武田百合子さんの文庫もほぼ読み終わった。

積まれたままの数々の文庫も着々と読み終えていて、家で読むより読書が捗るから不思議だ。

電車読書はもっぱらエッセイや日記の類を読んでいる。

ついつい夢中になり、乗り過ごすということがないし、切り上げやすく、続きが気になるということもないから、その日の気分で別の本を読んだらもできる。

でも、だんだん読む本がなくなってきて、読みかけのエッセイもちょっと気分じゃなかったから、小説を持っていった。

井上荒野さんの『キャベツ炒めに捧ぐ』。

小さな古本屋さんで見つけた本だった。

食にまつわるエッセイが好きで、探していたときに見つけて手に取った。

まずはタイトルと表紙に惹かれて、次に冒頭の数行を読んで続きが読んでみたいと思った。

本を選ぶ時、冒頭、少し読んでみることにしている。

言葉の選び方や文章の好みというのがあって、それが合っていると、文章がするすると入ってくる。また、それが合わないとするすると入っていかず、どこかに引っかかったような感じになり、なかなか読み進むことが出来ない。

最近、文章の好みが変わってきて、以前は好きだった作家さんだけど今はなんとなく違和感を感じるということがある。

閑話休題。

『キャベツ炒めに捧ぐ』だ。

惣菜屋で働く3人の女性たちの11の物語。

派手な事件が起こるわけではないけれど、それなりに長く生きてきたら、いろいろなことがあって、その都度、気持ちに折り合いをつけながら日々を過ごしているつもりだけれど、上手くいかないこともある。

そんな私より少し年上の彼女たちの日々の思いや出来事に、共感する部分があった。

そして、共感できる年齢になってきたのだなとしみじみ思ったりもした。

おもしろかったし、何より文章や言葉がするすると入ってきて、今の私に合っているのかもしれない。

そういう本に出会えるのはうれしい。

それにしても、短編だったからよかったけれど、あまりに集中して読んでたからか、車内放送が耳に入らず、はっと気がつくと降りる駅の一つ前だったりして、やっぱり電車読書に小説は危険だ。

次は何を読もうかな。







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