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欧米ダンスカンパニーや振付家の日本での受け取られ方の過剰さについて

先日ベルリンのダンス関係者と久々にダンス談義。楽しすぎて6時間があっという間に過ぎた。(写真は日帰り旅行で行ったブランデンブルグの街。帰りの電車内で執筆中。)

その中で日本のダンスに関わる人たちにぜひ伝えたいトピックがでたのでここで書いてみます。それは私も東京ダンサー時代にいつも強く強く感じていたものの、ほとんど誰の共感も理解も得られない考えだったので結構書くにも勇気がいる話です。
今は時代の空気が変わったので、そしてこういう見方があるということを知ることで救われる人もいるかもしれないなど、とにかく以前よりは理解してもらえるかもと淡く期待してたりします。

端的に言うと、欧米イスラエルの世界的著名振付家やダンスカンパニーに対する日本人ダンス関係者の眼差しに含まれる危うさのことです。彼らの才能や創作物は確かに素晴らしいことが多いし、学ぶものは非常に多いことは全く否定しない。

しかし現地での彼らに対する眼差しは日本では考えられないほど冷静かつ客観的なものだったりする。
ドイツで今でも愛され多分野からの尊敬を集めるピナバウシュでさえ、数ある作品でも傑作は数作品だけだったとか、ダンサーの扱い方に対する批判的な声を聞くのは少なくない。

年間数億の助成金をもらうような大人気振付家が、実はほとんど製作意欲もアイデアも枯渇しつつあるということも、舞台を見ればすぐわかるけど、日本では未だに著名振付家としての神通力があったりする。

私はここで彼らの悪口を言いたいわけでは全くなく、むしろ道を切り開いてくれたことに対する深い感謝と尊敬の念を持っています。
問題なのは彼らではなく、それを批評的視点なしに彼らのやることなすことは全て素晴らしいのだと疑わない受け手の態度です。それは昭和から連綿と続く西洋コンプレックスにも深く根差している態度です。

私がその眼差しに危機感を感じていたのは、日本ダンス界のお金や注目の多くが西洋作品と振付家に多く流れる一方で、実は多くの国内で、ローカルで面白いことをしている、しようとしている次世代が見逃され潰されてしまうからです。

私の個人的体験ですが、昔オハッドナハリンさんご本人が東京でワークショップをされるというので数時間6000円とかいう高額でしたが本人だしと思って行ったとき衝撃だったのが、80名近くも参加者がいたこと。さらに衝撃だったのが、ナハリンさんはほぼ座ったままスタジオの後ろにいると聞こえないくらいの声量で淡々と指示を出していただけだったことです。
このユルめワークショップで彼は約50万円を手にしたのかとショックでしたが、でもこれはビジネスに置き換えれば十分納得できる話ではあります。お金はどこかから引っ張らないと活動は継続できませんから。

でもきっとローカルなアーティストで、より濃く面白い切り口を提示するワークショップも多くあるでしょう。彼らに目を向け、お金を支払うことで育つ芽は日本には必ずあるはずです。

私が経験した日本ダンス界の西洋崇拝的態度はもう10年15年前の話なので、しかもコロナで海外ツアーが困難になり否応なしにローカルに目を向けるしかなくなったこと自体は日本ダンス界にとっては全く悪くないことだと思います。
海外ツアーに関しては、コロナが落ち着いても気候変動の影響で来日を拒むアーティストが今後増える可能性はあります。実際そういう決断をしている欧州在住振付家もでてきています。

いろいろ書きましたが、他人や広告マーケティングの言うことに惑わされずに自分の感性で感じ、自分の頭で考えたことを、たとえ周りと同調できなかったとしても臆せずに表明できること、それに基づいて他者を応援したり自分の行動を展開することにしか、今のような時代に未来は拓かれないと強く思います。

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