散る桜 残る桜も 散る桜
先日、父が他界した。65歳だった。
無口で人見知りで、
寂しくて哀しくて孤独な、
自分のことをあまり語らない
静かで秘密主義な人だった。
聞いたところによると、
若くして両親を亡くし、10歳のころから新聞配達で生活費の足しにし、
お金の問題で高校は中退し、その後は一人孤独に転々としながら働き、
時には鬱病と戦いながらもいつしか測量機を作るエンジニアとしてサラリーマンに落ち着き、韓国転勤を機になにを間違ったのか14歳年下しかも韓国人の女性(僕にとっては母)と恋をし、結婚をしたらしい。
息子ができてからその後は仕事一筋で生きたような人だった。
あまりにも自分語りの少ない人間だったので、
人伝に聞いた話と、家に残っていた手記や手紙を追ってみて
やっと初めて知る話が多すぎた。
若い時から酒とタバコばかりで
大きめの病気を何回もやってきているので、
早死にするだろうとは言われていて、
一人息子の僕とは40歳近く離れているから
孫の顔も見れないね。と冗談交じりに話していたけど
本当に孫の顔も奥さんの顔も見せられなかった。
「孫?そんなの見せなくていいよ。結婚?いいよ。勝手にしろよ。」
と言ってくれたのをふと思い出したりもする。
(ありがとう。勝手にします)
生前の闘病期間も、死んでからも、
泣いて悼んでくれる父の友人もいて嬉しかった。
孤独でさみしい一人きりの人生を歩んでいたイメージだった父が
死ぬ間際は人に囲まれていて、なんとなく嬉しかったのかもしれない。
一人じゃなかったんだなぁって思えたから。
小さいころから年老いるまで
働きづめだったから可哀そうだ
と母が悲しげに言っていたが、そうじゃないと今は思う。
父が選んで、そうしたんだな。この人生を生きたんだな。と思う。
母を選んで、僕を選んで、
愛する丹沢で生きることを選んで、
ここで死ぬことを選んだ。
思っていたより孤独な人じゃなかったし、
人よりは短いかもしれないけど悪くない人生だったように思う。
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朝の7時半、
父は母と僕に見守られながら、静かに旅立った。
父は闘病最後の一か月間
「パッと消えたい。寂しくないし、泣く必要もない。墓もいらない。ただ、じゃあな、と軽く挨拶だけして、パッと消えて、いつか土に還りたい」
とよく話していた。
(死ぬ覚悟できすぎだろ。こういうのって周りの人間より本人の方が早いんだなと思った。)
※僕も父とは死生観が似ていてよく会話する方だったので落ち着くのも早かったように思う。
最期の瞬間、
母はずっと泣いていて言葉も出ず、だったので、
僕が代わりに「じゃあな」と言ってやった。
そしてパッと消えるみたいに、死んだ。
聞こえただろうか。
届いていたらいいな。と思う。
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ただ、消えて、土に還る。
それだけなのかもしれない。
もうどこかで会うこともないし、
世界は佐野一男という人間を失ってもなにも変わらない。
いつか母も、僕も、そして大事な人も、みんな、土に還る。
多分そのときも世界はなにも変わらない。
それでもいい。と思う。
一人の人間として生まれ、愛し、愛され、生きた。
それをちゃんと誰かが覚えている。わかっている。
それだけでいい。
父が、息子が生まれて父親になったとき母に、
「やっと普通の人間になれた気がする」
と言った。
と後になってから母に聞かされた。
良かったね。お父さん。人間になれて。
ほんと良かったね。
あなたは愛されながら、惜しまれながら、旅立った。立派な人でした。
ありがとう。さようなら。
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