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自分との付き合い方

この春夏より諸々な事からメンタルを崩した私は
この過換気症候群という、時々息苦しくなり動悸がするものに罹り、パニック障害と近いカテゴリーに入るらしく、これを患ってから心が弱っている、
と自分では思っていた。

でもそれも違うのかもな、と思うようになった。

最近は会社が配慮してくれて働き方を少し変え、
日数も勤務時間もこれまでの半分程にセーブして
ゆっくり回復を待っている。でも退勤し帰宅した時の夕方が、最も症状が出やすいタイミング。それは毎日早朝に出勤する夫が私より帰宅が早いからで、
帰宅すると私には緊張のスイッチが入る。

大抵の人は我が家に帰ってきたらそれまでの「オン」な自分が「オフ」に切り替わりリラックスすると思うが、うちはなかなかそうも行かない。

彼は日頃上の人を支える相当な配慮と気を使わなければならない仕事で、帰宅後も何らかの電話を受ける事も頻繁でなかなか気が抜けない。
電話が来たら家族は静かにして彼がすぐにメモを取れるようにしなければだし、
(私は猫にもシー、と言ったりもする(. .))。
下手すると入浴中でも二度目のコールがあれば急ぎ、と判断して、かわいそうだが本人に知らせなければならない。バスタオルを腰に巻いて沼から上がったばかりの妖怪みたいに足跡で水びたしの道ができて、メモを取りに行く。場合によっては浴室に戻れず、何らかの手配の電話をその様相のままかけたりもする。夜も割と遅めの時間まで、食事中も寛ぎ時間も関係なく、鳴る時は鳴る。四六時中気は安まらない。

そうやって自分の時間の大幅な部分を占める仕事、
あまりに混沌とした日には会社で昼食を摂る時間もない事もある。几帳面で真面目なコツコツ型の人で、そのわりには幼い頃からのヤンチャな性格は健在なのでなかなかに打たれ強く、粘り強くて、だからといって気に病むとかではなく案外大胆に判断する。だから異常と言える、現代なら間違いなくコンプラ案件な理不尽なこの状況にも耐えられてしまっているのかも知れない。というか、耐えるしかないのだろうけれど。
そしてストイックなので、なるべくオフには全部忘れて何か好きな事に没頭したら良いのに、と思うがそこまではオフにし切れない、いやむしろずっとオンのまま気分転換は上手いのかも知れない。
午後から休出という日でも、いつも通り早起きして
ウォーキングに行く。しかも相当遠くまで。
基本的に体力気力、精神力が強い人なんだと思う。

対して私はというと、彼のように姉弟で伸び伸び逞しく育ったのと違い、ひとりっ子期間が長くて、(後にかなり歳の離れた妹弟が出来たけど)争うのも、争いを見るのもとても苦手。そもそもが陰の部分の方が断然多いと自覚している。だから人が争ったり不穏な空気や状況に弱くて(まぁ皆そうなんだけど)なんとかその状況を打破したくてわりとオロオロしやすい。自分ではこんな所がすごく嫌だが
なかなか治せない。

でも仕事は接客業で、お客様やゲストが喜んでくれるのはこの仕事の醍醐味で、大袈裟かもだが天職かも、という位この仕事が好きだ。
世界中の貧困やインフラ整備や災害支援等に携わる方々が学んだり仕事とするのを、窓口になったり宿泊や滞在、運営支援するというのが業務。後方支援みたいな縁の下系の仕事だが、例えほんの一端でもそこに携われる事、その支援事業の先にある人々の国や暮らし、幸せにきっと繋がって行くと信じているので、この仕事は私という一人の小さな人間の持つ、小さいけど大きな誇り。生き甲斐とも言える。

だから傍から見ると仕事が好きで楽しくて、明るい人に見えるのかもしれないが、本来持つ陰の部分は
あまりに暗いからこそ、表では少ない陽の部分を目一杯稼働させているのかもしれない。
でも家族がいると、やはりライフワークバランスはとても大事だな、と今回心身の健康に支障を來してやっと本当に実感した。

夫は私がそんな風に糧と思える仕事を持つ事を、理解も応援もしてくれているのだが、昨年から運営会社が変わりそちらに移籍してからはフルタイムになり、当然帰宅時間も遅くなったことで彼の方が我慢したり、自分のペースを私に合わせる事になった。

元々気が短く語気が強い人ではあるけど、彼がそこの部署に異動してからは業務の性質上、即判断し結論し、即行動、という日々だから、家庭内の事でも同じペースを私や家族にも求めるようになって。
だからそこに合わせられないと、暴言や圧力がひどくなる。私にも同じ大変さを求めるのだろう。少しでも何か言うと反論、口答えとされるから、私は家だと貝のように口を閉ざす事が増えた。これは言葉のDVだ、録音した方がいいかな、とも思った時も多々ある。

昨夜もそうだった。
帰宅したらとても機嫌が悪く、あれもこれもどれもそれも、全部今すぐやれ、と。

まぁ、まず空腹だったのだろう。男というものは空腹だと何も考えられない、と誰かにか教わったし、実際私もそう思う。空腹な時のパフォーマンスの低さは、男性の方が断然そうな気がする。まず人の話が聴けなくなってくるように見える。そんな事ジェンダーレスとか色々な今、そんな事発言したら叩かれるだろうな。でもうちの夫に限定しなくとも、それはなかなか正しい気がする。もちろん自己コントロール出来てる人もたくさんいるだろうけど。

なぜか彼は、昼食を摂り損ねても夕方におにぎり一個とかパン一個とかでお腹を落ち着けてから帰宅する、とかの工夫をしない。超腹ペコ星人だから、そらイライラもするわな、と思う。それでも、一刻も早く帰宅したいようだ。そうやって帰宅したって時間が早かったりタイミングが悪ければ、まだ何も用意されてないのは想像出来るだろうに。なんかそこは原始的というか、頭のスイッチを切って帰ってくるというか。大迷惑だ。でもそれが通常運転だから本当に大変。色々食べられる物や夕食を作り置きしたりしているが、日により気分が変わるのか、なかなか上手くいかない。

そんなわけで昨日は、まず何より空腹な夫、冷蔵庫にはもう夕食を作ったものを入れておいたけど、それさえも時短になって帰宅した私が温めて、どうぞ、と出して欲しいらしいし、自分の物だって含まれている洗濯物の取り入れも、自分も入るお風呂洗い又は溜める事さえも、更にはどっかにやった飲みかけのワイン用ガラス栓(他にも代用品はあるのに)を今すぐ探し出す事…etc、etc…全て私がやらないと気に入らない。ガミガミガミガミと、それはもう。聞かれた事に返事しても答え方が気に入らない。
酷いもんだ。 
寝てる間にベッドごと捨ててやろうか。
明日の朝無事に目覚められると思うなよ。
殺意も湧くというものよ笑。

私のこの症状が頻出するのは夕方で、こんな日々だから萎縮して緊張し、大体日没の頃位にスイッチが入ってしまう。だから時短で退勤させてもらって、座れる電車まで何本か見送り、なるべく帰りながらリラックスの訓練をしている。大好きなユンギさんの音と声を聴き、画像や映像を観、友達とメッセージし合ったりしながら、帰宅後に心が揺れるのに耐える強さを養い、備える。
そしてその後少し買い物や用達しをするから、帰宅までに時間がかかる。それでも以前よりはかなり改善されている。まだ元通りまでは遠そうだけど。

更に昨日は最寄駅で降りたら、ホームのベンチでとても具合悪そうにうずくまり、動けなくなってる女性がいた。声をかけようとしたが気分がとても悪そうで今は話せないかも、と思い、まずは駅員さんに知らせる事にした。

7月の時の私みたいだ。その時はもっとラッシュの混雑が酷い日だったけど、誰にも助けを求められず、声もかけられる事もなく、駅員さんさえもただ後ろを通って行ってしまった。意識を失い倒れないと、そんなものなのか、と。その時は本当に死ぬかと思う程苦しくてヤバかったので、孤独で悲しかった。でも私はたまたま家族が来てくれた。

声をかけたいけれど、ただ側にいるのでは解決にはならないし、申し訳ないけど家路を急がなきゃだしで、だからせめて、と下の改札まで降りて対応をお願いして来た。ホームのカメラでだって姿は見えているはずなのに…と思ってしまうが、大勢の乗客を
捌かなきゃならないだろうし、申し出がないとそんなものなのか…でもなんだか寂しいね。
その方がその後、無事に回復されているといいな。
どうかお大事に。
昨日は暑さも湿度もぶり返したから皆崩しやすいかも知れない。

そしてその後、少し遅くなったしと、もう少し夫のおつまみに焼き鳥でも買ってやるかな、ネコ達の草も買わなきゃ、と寄りながら帰宅したら、
爆弾が居た。
早く退勤しているのになんでこんな時間なんだ⁈、と。

私の毎日の何を見て聞いてるの?と言いたいのを飲み込み、なんとか吐く事をメインに息を整えながら、症状が悪化して発作にならないように、心を無にして蓋をして、とにかく夫を食べさせ、お風呂を沸かし、多分彼が自分で失くしたそのワインの栓を探していた。
お腹はだいぶ空いていたけどなかなか夕飯を夫と同じ食卓について摂る気にも状況にもならず、キッチンで何かをパクつきながら、心に取り込まないように、と念仏を唱えていた。

そして夫がお風呂に入ったタイミングで、もう一度外に出た。
夜気はまだ生温かく、あまり快適ではなかったけど、並木のある道をとにかくゆっくり、夜の散歩を楽しもう、と。
ぼんやりとした面影の月が出ていて、ユンギさんみたいにさり気なくて癒され、優しくて、美しくて。
大丈夫だから。後ろにいる。ね、って。言われてるみたいで。
ユンギさんの音と言葉達を想いながら、途中まで行って折り返し、を何度かしながら。結局5往復位はしたかも。

でも不思議と涙は出ないし、息も動悸も大丈夫だった。
イヤホンを忘れたから、ユンギさんの音楽を聴いていなかったせいかもしれないけど。
聴いたら逆に、溢れて止められなくなったかもだけど。
でもなんか心は静かで、涼しかった。
静寂___、私の感じるユンギさんの印象。私にとって一番の理想の姿でもある。

そうか、私心が弱ってるのではない、上手く付き合おうとしてるのかな、って。少しずつ、憧れるユンギさんのその静寂のように、心は少しずつ、強さや耐性を培えているのかも知れない。静かに、確実に。

この病気、とは自分で思っていない、心を強くしたり浄化している、そんな気がするこの症状は、
今までは終わりの見えない、出口のない暗いトンネルをこのままいつまで歩いてたら終わるんだろう、とか、酷い時には向こう(夫)か私かのどちらかが
もういなくなってしまえばいい、とか思っていた。
でも…ただ耐えて時間が過ぎるのを待ち、自分で結論を出したくなかったのかもだ。

今は毎日想うユンギさんの存在や、
今彼が新しい環境と、自分個人として頑張っているのだろう、という事が、大きなモチベーションになっているし、また必ず会える、共にいると言ってもらえて、間違いなくそれは力をくれている。
自分もまた諦めずに、腐らずに、かつてユンギさんが「ただ耐えるんです」と言ったそれが、辛い事に蓋をするのではなく希望を捨てない、という解釈として胸に深く響いてるから、大丈夫だと思える。

夫へはもはや今は人間愛、生物愛、という位での立ち位置だが、私には全部ぶつけてくるその稚拙さや危うい脆さも、受け止めるまではしないしできないけど、とりあえず家という器には一旦吐き出させてあげようかな、位には思う。
彼もなんとか踏ん張っているんだろう。

ユンギさんに出遭ったのが、もっとずっと若い時じゃなくて、とても残念に思っていたけど、今は逆にそれで良かったかも知れないと思う。若い時なら、きっと結婚はしなかったな。私は多分家庭向きではないかも知れない。結婚願望もあったし、子供も好きで、それが叶って、それは幸せと呼ぶものなのかも知れないけど、私のような未熟な人間には、難しい。娘達には親にならせてもらってたくさんの事を学ばせてもらっているし、愛しくて、生まれて来てくれて感謝もしている。でも私は、親はその子を世に人として生み出す最初の手伝いをしているだけで、本来は全部の、人間だけでなく動物や生きとし生ける者は対等で、誰の所有物でもなくて、各々が独りで、一つで、無二で、だから自由に生き生きと各々を自ら生かす事が本来の姿だと思っている。
だからこそ、己の所有物のように妻や子供、家族を扱う夫に歩調も波長も合わせるのが辛いのかも知れない。

だから今こうして、心身に自分の本来の、本心での生き方を求めて、こんな症状が出て、心境を吐露させ、何がしたいのかを表出させている時なのかも知れない。
だからきっとそのうち、心がちゃんと私自身にカチッとはまり収まれば、治るのではないかと思う。

何より驚くのは、ユンギさんのD-Dayソロが、その真髄が(とか分かったように言ってごめんなさいだけど)ここまで自分に落とし込まれ、活かされていっているなんて、だ。今までにない位、
「生きている」実感をしている。何というか、ユンギさんのもつ「陰」の部分に、私自身の押し込めて蓋をしていた「陰」も、そのままで良い、と赦しをもらった様な、だからこそ少ない「陽」の部分を照らして輝かせていける様な、自身を肯定できる力をもらったんだ、って。

ああ本当に。すごい人に出遭い魅了されてしまった。私という自分自身を好きになれるほどに。
ユンギさんに感謝してもしきれない。
そして、一緒にその魅力を愛せる人達と共にいられる事も。
ユンギさん、ありがとう。
あなたのおかげで、かけがえのない物や人、自分に出遭えました。

今日もあまりに長い長い話、
読んで下さった方に感謝します。
誰もが幸せな日々でありますように。

今日は、結婚記念日なのでした。(もう数十年:驚)
こんな家庭ですけど、なんとかこれからもやっていこう、そして今日より明日を、少しだけでも良い日にして行くために、努力しようと思います。

そして誰もが、万物が、どうか幸せに平穏に、ありのままの姿を全う出来ますように。
私の存在が、その人達や万物の幸せに、
ほんの一片でも役に立てますように。
希望と祈りを込めて。

2023.9.28











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