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マイナス体験をプラスに変える極意:プラスの言葉理論(6)

(前回の続き)
【無念の想いを晴らすチャンス!】

自分の過去に、その時の自分に「良かったね」とプラスの言葉をかけると、過去の意味付けが劇的に変わることがある、という話です。

中学時代は、何ひとつ思いに任せず、悔しさだらけでしたが、ことに陸上部での惨めな悔しすぎる体験は極めつけでした。

しかし、その積もり積もった無念を晴らすチャンスが来ました。中学3年1月の耐寒マラソン、8キロ走です。

陸上部での無念の思いを晴らす! とギンギラギンに燃えました。

難しいのはわかっていました。優勝! まではいかなくとも、陸上部キャプテンの意地を通す、納得の行く「俺の氣が晴れる走り」を狙っていました。

高校受験も近いながらも、毎夜のごとく我ながら驚くほどの集中力でトレーニングを積んでいました。

そして、かなりの手ごたえを感じていました。

【右太腿に激痛】

マラソン大会も一週間前ぐらいになりました。

夜に家の前の道で、八千メートルの走り込みをしていた時でした。坂道を下りきった辺りでラストスパートをかけたとき、右の太腿の裏の方でビリッと音がして激痛が走りました。

すぐケンケン状態になって、走るのをやめました。その後は歩けないほどではありませんでしたが、少し速く走ったりするとビリビリと来ました。

肉離れでした。この時点でレースは終わってしまいました! もう練習はできませんでした。 

【止むに止まれぬ思いをぶつける】

耐寒マラソン本番のスタート。すぐに脚が駄目になると思って、わざとトップで校門を出ました。

意外に走れるのに驚きましたが、1キロ過ぎ辺りで例のビリッがやっぱり来ました。その後はペースダウン。少し速く走るとまたビリッと来て、無理が利きませんでした。

騙し騙しでラストの校庭まで来ました。最後の直線、かなり先にH君がいました。もう最後だ、脚はどうなってもいい、と猛然とダッシュして最後で追い抜きました。

ゴールすると、(ああ、これで俺の陸上部生活は終わった! 惨めなまんま、終わったなぁ)と、積年の悔しさが一氣にこみ上げてきました。

全然走り込んでないから、力も有り余っていました。
それで……バック転をしました。

それは積もり積もった悔しさと、それを晴らさんとしてそれも叶わなかったこと、そして無念のうちにすべては終わって過去のものとなったことへの別れのパフォーマンスでした。止むに止まれぬ想いのバック転だったのです。

すっきりして、手についた土をパッパッと払っていると、近くに教頭先生が居ました。チラッとその表情が見えました。ムッとした顔でした。

【誰もわからぬこの心】

講評の時間になり、教頭先生が教壇の上で「力を出し切らなかった人もいた」とキッパリときつい口調で言いました。

(「力を出し切らなかった人」とは俺のことだ。バック転なんかやってたのを見られたからな。しかし、俺のこの無念の想いなんて、わっからないだろうなぁ)と聞きながら思っていました。

教頭先生は、けっして悪い先生ではなく、むしろ、優しくて人望も人気も実力もある、間違いなくいい先生でした。

しかし、その教頭先生であっても、この気持ちはわからないだろうし、わかってもらいたいとも思いませんでした。だから言い訳はいっさいしませんでした。

【将来の職業選択に繋がる】

人間の心を知るということは実に難しく、そして深いことなんだ、と実感した瞬間でした。

しかし、同時に、(俺なら、ゴール直後にバック転をしている生徒の心まで見抜ける人間になれるのではないか! なぜそんなことをそこでやるのか、やらないといられないのか、俺ならば人の心の底まで見抜ける人間になれるんじゃないか!)と思いました。

後々私は大学・大学院で教育学・心理学を学び、「カウンセラー」を職業にしました。この体験は、その遠因になっていると思うのです。

さんざん惨めな想いを重ね、それを晴らさんとして、またさらに惨めな想いをした……しかし、それこそ「良かったね」だったのでした!

惨めな悔しい過去は、そのままにしておかなくていいんですね。

「良かったね」とプラスの言葉で覆い被せてみるという、およそ誰でも、すぐに簡単に、お金もかけずにできることで、貴重な輝かしい体験に変えて、しまっておくようにもできる……まさしく極意ですね。(極意塾投稿No.189)

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