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24歳、自分を好きになるために心がけていること

結婚をしてから、はや半年が経った。

パートナーと共有した時間を晒しあげるわけでもなく、充実した生活ぶりをアピールするわけでもなく、ただただ穏やかに毎日を過ごしている。恐らくこれが、「現状に満足している」状態なのだと思う。

といっても、この状態になるまでには、相応の時間がかかっており、覚悟と、別れがあったのだ。決して楽をして得たポジションではない。結果的に落ち着いているだけであって、別のシナリオもあったに違いない。

それでもここまで静かに過ごせているのには、恐らく理由がある。それはきっと毎日の積み重ねがあるからなのだろうけど、意識している2点を載せる。言わば、私がわたしとして平穏でいるための処方箋だ。会社で活きそうなポイントだが、家庭でも、個人でも万能な薬なので、生きやすさの足しとなれば幸いだ。

1)報連相を意識する

社会で、集団で生きる上ではある程度自分の考えを晒す必要があり、晒してくれている他者に対して敬意を払う必要があるのだと感じている。それを、身近でできるのが「報連相を意識する」ことなのだと思う。

報連相は、仕事の人間関係が大きく変わったタイミングで特に意識し始めた。

それまでの環境は、話をすることよりも手を動かすことが美とされ、業務で必要な会話以外においてはその存在価値が軽んじられていた。確かに、がむしゃらに走り回っていたから仕事上の技術は磨かれたが、一向に他者との溝が埋まっていないように感じていた。

ただ今春、色々な方面に影響する人事異動が起き、その余波は私の所属チームにもあった。良くも悪くも、何割かのデータは引き継いだままリセットされた状態になったため、それまで意識していなかったルーティンワークの整理や、業務引き継ぎが発生した。

そこで、新たにメンバーとなった職場のスタッフへの報告・連絡・相談がこれまで以上に大切なことになった。職歴は長くとも環境が変わったため学び直すことが必要な先輩や、0から教える必要がある生まれたてほやほやの新社会人などいろんな立場の人と関わる機会となった。

それまでその人たちが意識してきたこと、こちらが意識していること、考えは1つじゃない。だからこそ、話す必要がある。些細なことでも、引き摺るには重いことでも。

面倒でも、向き合う。お互いが納得できるまで、言葉を変え、表現を変え、手段を変え。決して楽ではないけど、理解ができた時は人同士の溝が埋まっていく。一旦手を止め、まずは目の前に居る人に「どうしたの?」と声をかけていく。多分、私が足りないと感じていたことは、そうした当たり前のコミュニケーションだったんだと思う。

自分を晒して、相手も覗いて。認めてもらえるから、人も認められる。存在を意識されているから、相手の存在も意識することができる。当たり前でいて、足りない何かが、そうしたやりとりなのだと思う。報告・連絡・相談という行為は、お堅いようでいて、人間関係の基礎の基礎だと感じている。

2)勝ちを譲る

「負けず嫌い」という言葉が相応しいのか分からないが、私は自分の意見が通ることに大分こだわりを持っていた。というか、自分の意見を採用したいがためにあらゆることで先手を打っていたと今になって思う。例えば、忘年会の幹事やら、部活の部長やら。

実際は小心者なので独裁政治は出来ず、ただただ調整すべき課題が増えその度に苦しんでいたのだが、それでも自分発信で何かをやること、成果を得ることに意味を見出していた。

そんななか、私よりもこだわりを持って主張する人が出てきた。その熱量と押しの凄まじさにびっくりした。驚きと同時に憧れと、私にはここまでするエネルギーが無いなという気づきにもなった。これまでの自分であれば対抗していたと思うが、今の私は他にやるべきこと、守るべきことが多くあるため、諦める決断をした。それが、見出しにもある通りの「勝ちを譲る」という行為なのである。

「諦めるなんて、なんと悲しいことか」と勝ちを譲り始めた頃は暗い気持ちでいることも多かったが、諦めたぶん時間も心もゆとりが生まれ、今では快く成果を人に譲ることができるようになった。ランチで行きたいところがあるなら決めてもらって構わないし、試したいプランがあるならそれに乗っかろう、という考えになった。

自分がこれまで成果を作ろうと必死になってきた分、人の努力もよく分かる。だから、成果を作ってくれた人にはたくさんのお礼の言葉と、できる範囲のお返しをしている。結果的に、他人の成果のおこぼれをいただく機会が増えたように感じる。

「自分に日の目が当たらない時期があっても、私は息ができるんだ。生きて良いんだ」と気づけた。だから、自分が常に100パーセントのコンディションでなくてもオーケーだし、ましてや他人が完璧でなくてもいいと思えるようになった。大変な時は人に助けて貰っていいし、他人が困っている時はできることをして援助をする。「勝ちを譲る」ことができる自分が、本当に穏やかで好きである。

おわりに

以上が、穏やかに生活を過ごせている私の2つのポイントである。

このポイントは今後変わってくだろうし、変わっていくことも認めていきたいと思う。

「あの時と言ってること違うよ?!」と言われることもあると思うが、私はゆるやかに、生き物として変化を受け入れたいと思うので、それは承知する。

勿論価値観の違いによる別れは寂しくも感じるが、それぞれが穏やかに暮らせるのであれば、それを止める理由なんて無いと思う。

ここまでの記録が、何かのきっかけになりますように。

2021/11/03 よんもじ



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