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よんのばいすう5-28  2021.5.28

風の便りはよい便り~『HELP EVER HURT COVER』を聴きながら ①

藤井風のカヴァーアルバム『HELP EVER HURT COVER』が話題になっていますね。私もただいまヘヴィーローテーション中。若い世代らしくエド・シーランやアリアナ・グランデ、テイラー・スイフトといった選曲はもっともだと思いますが、おおかたはいわゆる懐メロの類いで占められています。お父さんがまだ幼い彼を膝の上に乗せて、洋邦問わずさまざまな歌を歌ってくれた。そんな彼特有の幼児体験があったればこそ、こんなアルバムが生まれたんでしょうね。しかし、父と子のなんて幸せな光景でしょう。実家の喫茶店ではお母さんも同じように音楽漬けだったでしょうから、お母さんのお腹の中にいた時から音楽を聴いていた、つまりは胎教もあったと思われます。たとえアマチュアであっても、親が音楽を愛しているかどうかは、その後の人生を大きく左右する証拠だといえるでしょう。逆に、音楽を強制されて苦しむ人生もあるので、今の風君を思うと、そうならなかったことで数多の一般ピーポーが彼の歌声の恩恵に浴していられるのは、まさにこの世の奇跡の一つなのかもしれません。

さて、前述した比較的若い系の曲は守備範囲ではないので(笑)、私はそれ以外の「懐メロ」にフォーカスします。今回は最後の『Time after time』に焦点を当ててみました。実はこの曲、私は知りませんでした。『Time after time』といえば、シンディ・ローパーでしょう、という世代です。ですから当然、フランク・シナトラが歌っていたことも知りませんでした。とにかく、今年24歳の男子がいくらなんでもシナトラをチョイスするとは!と驚いたものです。

私がフランク・シナトラの存在を初めて知ったのは、おそらく1974年の『第3回東京音楽祭』でした。そう、あの金髪の美少年ルネ・シマールが『緑色の屋根』を歌ってグランプリを獲得し、一躍日本でスターになったあの番組です。審査員長は服部良一さんでした。最優秀歌唱賞にはシナトラの冠をつけた「シナトラ賞」が設けられており、シナトラが選考した作品が選ばれることになっていましたが、そこでもルネ・シマールが選ばれたのです。シナトラが小さいルネ・シマールを抱き寄せた、番組の興奮が頂点に達したあの光景を、今でも鮮やかに覚えています。その頃、シナトラが歌っていたのが『Let Me Try Again』という曲でした。シナトラといえば『マイウェイ』が一番有名ですが、私にとっては、この曲なのです。


当時私は14歳。13歳だったルネ・シマールに熱を上げたと同時に、シナトラの歌声は、その後の私の音楽の基準を決定づけたと言っても過言ではありません。なんといいお声!ムーディーでダイナミックな歌唱。だから、当時からトム・ジョーンズやエンゲルベルト・フンパーディンクも好きでした。そして、その後のバリー・マニロウブームへと続きます。

聞くところによると、これもお父さんの影響だそうで、子守歌代わりに歌ってくれていたらしいです。お父さんが子守歌を歌うシチュエーションも相当レアですが、選曲がシナトラって、これは世界広しといえども、なかなかレアな気がいたします(笑)。お父さんの守備範囲の広さに脱帽ですね。しかし、温かみのあるシナトラの声にこの歌はぴったりでした。

1947年の『ブルックリンで起きたこと』という映画の劇中歌として発表され、スタンダードジャズとして愛されているナンバーです。フランク・シナトラという方は、戦前戦後を通じてアメリカを代表するエンターテイナーとして活躍しました。半面、イタリア移民であったことからマフィアとの関係や、ケネディ大統領の暗殺事件への関与なども取り沙汰された、ある意味タブーの多い人。さまざまな女性と浮名を流した名うてのプレイボーイでもありましたが、晩年は実にダンディな面影を残したまま、1998年5月14日に82歳の生涯を終えました。風君が生まれたのはそのちょうど1カ月後。彼のお父さんがこの曲を子守歌に選んだのには、シナトラを偲ぶ思いもあったのでしょうか。

ところで、伝説のトランぺッターでシンガーでもあったチェット・ベーカーもこの歌を歌っています。シナトラが波乱万丈ながらも芸能人の王道を歩んでいたのとは別の意味で、チェット・ベーカーの音楽人生も浮き沈みの激しいものでした。私にとってのチェット・ベーカーは『マイファニー・ヴァレンタイン』です。


チェット・ベーカーについては、よく知らないというのが正直なところです。残念ながら彼が時代の寵児として活躍したのは1950年代でしたから。そして、ミュージシャンにはお決まりの「酒と麻薬に溺れる日々」がこの人にもありました。トラブルメーカーとして音楽の一線からは転落。喧嘩のケガで音楽活動もできず、生活保護を受けていた時代もあるとか。アメリカからヨーロッパに拠点を移して活動するも、1988年5月13日、オランダ・アムステルダムのホテルから転落死するという壮絶な一生を終えています。享年59歳。このyoutubeでは、喧嘩で歯を折られてしまい、顔の皺も深く刻まれて、もはや若かりし頃の面影は失っていますね。


天才にありがちな栄光と挫折。その悲哀とは真逆なほど歌詞が素敵です。

Time after time
I tell myself I’m so lucky
To be loving you
I’m so lucky to be

何度も僕は自分に言い聞かせる 君を愛している僕はとってもラッキーだと 

風君が家族の愛に包まれ、お父さんが歌うこの歌で眠りについた幼い日こそ、ラッキーだったんですね。彼の音楽人生がこれからどこまで行くかはわかりませんが、今のままでは収まりそうにないのは確か。本当にどこまで行くんでしょう。でも記念すべき、まさに伝説的カヴァーアルバムのエピローグとしてこの曲がある限り、彼の音楽人生は幸せでラッキーに満ち溢れているに違いないと思うのです。


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