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よんのばいすう4-12 2021.4.12

地球は青かった?

世界的なワクチン不足をものともせず、我が道をゆくロシア製ワクチン「スプートニクV」。効果や安全性のほどが怪しいという噂もある中、ヨーロッパへの売り込み攻勢も過熱しているとかしてないとか。

このワクチンの名前にある「スプートニク」とは、ロシアが旧ソ連時代に国の威信をかけて開発し成功した人類初の無人人工衛星の打ち上げ計画から由来しています。1950年代後半のことでした。この衛星打ち上げの成功にはソ連の国民も多いに喜び、当時米ソ冷戦のさなかにあって、宇宙開発こそ国の競争力の要だという時代をもたらしました。

世界初の人口衛星スプートニク1号は1957年10月4日に打ち上げられています。その1か月後の11月3日にはスプートニク2号が打ち上げられましたが、その中には雌犬の「ライカ」が乗っていました。それが有人宇宙船の先駆けともなったそうですが、11月10日には通信が途絶え、打ち上げから162日目の1958年4月14日に大気圏の突入により消滅したといいます。ライカも宇宙の藻屑と消えました。残酷な話です。

それから3年後。1961年4月12日。一人のソ連人が宇宙に向けて飛び立ちました。ユーリ・ガガーリン。3000人の宇宙飛行士候補の中からたった一人選ばれた人類初の宇宙飛行士でした。もともとは鋳物工場の見習いながら学業も優秀。空軍の学校で戦闘機のパイロットになっていました。身長158センチという小柄な体格が、当時開発中の宇宙船ボストーク1号の狭い船内に適していたため選ばれたとも言われています。1957年には結婚しており、妻を残して27歳の若者がたった一人、危険を顧みず誰もなし得なかった宇宙飛行をやってのけたのでした。それはもう世界を驚愕させたことでしょう。

彼をのせた宇宙船は地球周回軌道に乗って大気圏外を1時間50分ほど1周しました。その後、ロシア領内サラトフの上空でガガーリンは宇宙船から脱出、パラシュートで牧場に落下したそうです。また、実は1周も回っていなかったそうですが、それは公けにはされませんでした。

そして生まれた名言が「地球は青かった」。しかし、日本ではそう残っていますが、本当は「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」だったとか。まぁ、ざっくりと言えば間違ってもいないのですが、とにかくガガーリンは一躍時の人になります。それはそうでしょう。世界初の宇宙飛行士という名誉。時の首相フルシチョフはガガーリンの名声を国の広告塔として最大限に利用しました。彼は世界を巡って要人と会いました。また小柄で愛くるしい笑顔、ユーモアのある人柄にも人気が集まりました。日本にもやってきたそうです。しかし、そのような環境の変化が彼の精神のバランスを狂わせてしまいます。酒におぼれ、自傷行為まで。それでも、もう一度宇宙へ飛びたいという夢は捨てませんでした。1968年3月27日。その訓練飛行中の墜落事故でガガーリンは帰らぬ人となります。享年34歳でした。事故の原因はじめ、その死には陰謀説など謎もあるそうです。

今年はガガーリンが宇宙に飛び立ってからちょうど60年。近年はロシアにおける宇宙開発熱も冷め、中国やアメリカにすっかり遅れを取ってはいるけれど、プーチンは抜け目なくワクチンに「スプートニク」という名前を付け、かつての栄光よ再びと国民の機運を高めようとしているようです。ロシアは民主化されたといっても、実は恐ろしいプーチン独裁国家でもあります。あの頃のソ連にも今のロシアにも、隠匿主義的なイメージはついて回ります。ガガーリンは依然として国の英雄だそうですが、その偉業をたたえるため、墜落現場である首都・モスクワ近郊のキルジャチに2021年の完成を目指して進められている記念施設の建設はコロナ禍の影響で完全にとまり、新しいモニュメントは土台しかできていないそうです。逆にAPF通信によると、プーチン大統領は、ガガーリンが着陸したロシア南部の記念碑を訪れて、「21世紀、ロシアは核大国、そして宇宙大国としての地位を維持しなければならない」と宇宙におけるロシアの地位を維持する取り組みを強化するよう政府に命じたとか。1961年4月というと私はまだ生まれて8カ月でした。でも学校では確かに教えられたから覚えているのでしょう。ただ、栄光の陰にあった悲劇は今回初めてわかりました。冷戦時代であろうが民主主義といわれる国であろうが、正しい記録と報道が存在しなければ、歴史の真実はもはや誰も知り得ないものです。

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