手品を見てもらうとは(1)

気がついたら手品の本を読んでいた。5歳くらいでトランプ手品の本を買ってもらってたし、6歳の誕生日のプレゼントにはテンヨーの『ダイナミックコイン』を買ってもらった(泣き落とした)。以来、そのときそのときで買える分量は異なるものの41歳の今に至るまで手品の書籍・道具・ビデオやDVDを買い続け、妻一人息子三人の狭い家からけっこうなスペースを奪っている。ただ、手品はなぜか仕事にも役立っているし、こどもサークルで手品を演じたりすることもあるので、一応細々とは家族に還元してはいる。と思う。数年前こどもたちに見てもらった『三本ロープ』は、ありがたいことに、私の予想をはるかに超えて、とてもウケた。

手品好きにはいくつかタイプがあるのだが、そもそもの私は「手品のタネが好き!」というタイプだった。手品を見てタネを知りたいと思う人は多いのだが、実際にタネを知ってしまうとガッカリしてしまう人がほとんどで、それは「手品のタネはおおむねくだらない」からなんである。

【……いや、この言い方は不正確だな。仮に、手品の秘密(観客に知られては不思議現象に見えなくなってしまうこと)のうち、物理的なものをタネといい、認知的・心理的なものをからくりということにすると、「手品のタネはおおむねくだらない」のである。からくりの方には、くだらないものは一つもない。しかし、多くの人が知りたがるのはタネの方であるし、「練習なしですぐできる!」みたいな手品の本に載っているのもタネだけであることが多い。実は、からくりなし・タネのみで手品を演ずることはとてつもなく難しいことです。】

幼いころの私は、タネを知って(からくりを理解するだけの頭脳はなかった)「うおおおおこりゃあすごい面白い」と思ったのだから、これは少数派だ。「こう見えるが、実はこうだ」ってのを面白がる心というのは少しばかりひねくれているのだろう。で、いろいろなタネを知る。すると今度は、そのタネによって手品が本当にうまく機能するのか、実地に試してみたくなる。こうして私の家族や友人たちは、私に手品を腐るほど見せられることになる。まあ、ストーリーとしてはありふれている。

手品関係のジョークの一つ:「トランプ手品はお好きですか?」「いえ、嫌いです」その後30ばかり見せられた。……改めて書いてみると、ジョークというよりはただの被害談だなこれ。

当然のように、私の手品はまったくウケなかった。めんどくささと憐れみの入り混じった顔、というか鼻で、あしらわれて終わりだった。「不思議だね」「どうして?」なんて言ってもらえはせず、せいぜい「なるほどね」「がんばったね」みたいな教育的配慮をときたま拝領するだけだった。もちろんまったくうれしくない。

ヘタすぎてタネがばれていたから、では、たぶん、ないのである。ここが大切なところで、手品ってのは、タネがばれなきゃウケるってものでは、まったく、ないのだ。それに気づくのに、私は20年くらいかかってしまった。

「どう演じればウケるか」は難しい問題だが、過去の私が「どうしてウケなかったのか」は、今から考えればまったく易しい問題だった。《タネによって手品が本当にうまく機能するのか、実地に試して》いるということは、見てくれている人を実験の器具備品だと思っているのである。リトマス試験紙のような扱いを受けて喜んで拍手してくれる人なんているわけがない。演じ方がごちゃごちゃしていたとかしゃべりがぎこちなかったとかトランプが汚れていたとか、いろんな細かい理由はあるにはあるが、もっとも大切なことは、もうこの一点に尽きる。そんなこともわからなかったのか、というくらい、あたりまえのことでした。

では、どうすればよかったんでしょうか。

「だめだよ自分中心に考えちゃ! 手品はね、お客さんに夢を与えるすてきな営みなんだ! お客さんに喜んでもらえることが、手品師の幸せなんだよね!」

……げ。げ。げろろろー。

ほんとうに、そう、どうやら本心から、こういうことをいう人がいるから世界は恐ろしいです。いや、ただ言うだけならば私だって似たようなことを言うこともありますし、結局のところそんなに間違ったことは言っていないとは思うんですが、なんていうか、この3つの《!》がね、悩みなく発されるところがね、ええと、まあ、幸せな人だなあと。

本来、ここから先のことを書きたくてnoteを開いたはずなんですが、考え出すとどんどんまとまらなくなってきたし、そもそもこのあたりのことが知りたければ、ネット上では『マジェイアの魔法都市案内』、書籍では『そもそもプロマジシャンというものは』藤山新太郎著、東京堂書店、を読むのがいちばんいいと最初からわかっているので、ちょっと、書き切るのにためらいが生じてきました。今日のところはここまでにしますが、もしも「その先の話、聞いてみてもいいかな……?」という方がおられましたら、コメントなどいただければ幸いです。

あ、そうそう、途中の「げ。げ。げろろろー。」は、『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を歌いたかったはずの次男が、なぜか何回歌ってもこうなってしまっていた、という数年前の史実に基づいた故事成語です。夫婦ともども大喜びでした。

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