ヒルベルト『幾何学基礎論』を読む(3)

 第3回、完結編です。第2回同様、ちょっと長くなってしまいましたが、話の切れ目がここだったということで……すみません。

 この文章、実は、全体を通して読むと先に行けば行くほど数学っぽくなくなるのではないかと思います。もともとこのあたりの話題は「数学基礎論」とか「超数学」とか呼ばれる学問領域のもので、数学とはちょっとスタンスが異なるかもしれないものなのですね。文章を読みなれている方ならば、数学に詳しくなくても、この(3)は(1)と比べて読みやすいのではないかと勝手に思っています。

 よろしくお願いいたします! 

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 以上①②③と、『幾何学基礎論』に盛り込まれたヒルベルトの意図・業績を概観してきた。これらを一言でまとめると、「公理主義の伝道」といえると私は思う。

 ヒルベルトは、大数学者である。それも、超弩級の大数学者である:有史以来の大数学者を5人挙げよ、と言われたら、ほとんどの数学者が数えるのではないだろうか。もし10人挙げよ、ならば、絶対に挙げる。挙げない数学者はニセモノだ。

 したがって、ヒルベルトの学識範囲もとてつもなく広い。《幾何学基礎論》の著者だからといって幾何学しかやらなかったのだと思ったら大間違いだ。解析学、代数学など数学の各領域は言うに及ばず、物理学においてもあたるところ敵なし、八面六臂の大活躍。

 そしてヒルベルトが、自らが興味を持つすべての領域において、「これからの科学」の指導原理として熱烈に提唱したのが、「公理主義」であった(数学の領域においては、公理主義に命題記述や推論の原理の考え方を合わせた「形式主義」という用語の方がよいのだが、いまはこのまま進める)。どれだけ熱烈であったかは、この『幾何学基礎論』の本論、および同時に収められた論文《数の概念について》、講演《公理論的思惟》を読むと、実にひしひしと感じられる。これでなくちゃだめなんだ、これでこそ前に進めるんだ。読んでいるだけでなんだか励まされるような、情熱のほとばしりは是非この本を手にとって自ら感じてほしいが、それにしても、なぜヒルベルトは、ここまで熱を入れたのだろう。

 もちろん本人の心のうちのことなどわからないが、状況証拠ははっきりしている。それは、カントール(Georg Cantor, 1845-1918)の集合論である。 

 集合論(Set Theory)とはカントールの創始になる数学の一分野である。ではあるが、現代数学にとってもはや単なる一分野ではない。ひらかながなければ日本語が書けないのと同様、水がなければ魚が生きられないのと同様、集合論なしでは現代数学は一歩も前進できない。まさに集合論は、現代数学の記述の手段であり、生息環境である。

 カントールは、解析学上のある問題を考えるうちに、自然と〈集合〉なるものの概念に至った。それは実に興味深く、また、数学をする上で実に便利なツールであった。――私はここで、中学・高校くらいの知識でわかるように「集合概念がいかに数学に便利か」ということを例をもって示そうとして、かなり長時間悩んだが、結局断念した。無理だ。集合概念のありがたみは、ある程度数学の経験を積んではじめて感じられるものだからだ。その境地に至るまで、修業するよりない、残念ながら。

 ところが〈集合〉には、なにかと不思議な性質がたくさんあった。それらのうちには、「不思議だねえ面白いねえ」の一言ですまされるものもあったが、一方、大変深刻な――つまり、集合論自体を破壊してしまうようなパワーを秘めた――パラドキシカルなものもあった。それは集合論の主たる対象である〈無限〉の取り扱いが大変難しかったことによる。後の時代には人間も〈無限〉の取り扱い(というより、つきあい方というべきか)にだんだん慣れてきて、あまりひどいパラドックスは避けられるようになったのだけれども、創生期においてはそうはいかない。〈無限〉の牙は集合論の創始者カントールにまず向けられた。同時代の数学者たちの激烈な批判もあり、カントールは追い込まれ、ついに精神病院で生涯を終えることになる。(カントールの集合論とその悩みについて知りたい人は、まず『集合への30講』(志賀浩二 著、朝倉書店)を読むといいでしょう。)

 しかし、カントールを支持した数学者もまたたくさんいたのだ。その代表格が、ほかならぬヒルベルトである。ヒルベルトには、カントールの集合論が数学と数学者にもたらすであろう、莫大な利益と幸せが、感得できていたのに違いない。

 少し長いが、この辺の事情を正確にわかってもらうために、専門家の文章を引用する。

&&&引用はじめ&&&

  ……カントールの集合概念は抽象的な概念の構成を容易にし、そのうえでの高度な抽象的議論を可能にします。

  その意味で、カントールの集合論は、現代数学の成立と発展のために必要欠くべからざる前提でした。カントールの集合論の強みは、直観的に判断できるところにあります。しかしその直観性にもかかわらず、カントールの集合論から矛盾が出てきました。(中略)

 ヒルベルトは深い洞察力をもった大数学者でした。つねに問題の本質を考え、その本質を見通してから一段高い立場で解決するというのがヒルベルトの本領でした。このヒルベルトにとっては、抽象概念を自由自在に使うことのできる集合概念は、何にもかえがたい手段でした。集合概念とこのヒルベルト的数学が二十世紀前半の現代数学を創り上げた時代精神であったといってよいと思います。 

 この集合論から矛盾が出たのです。ヒルベルトはこの集合論の矛盾によって、彼の信ずる現代数学が損なわれることを何より恐れました。「カントールのつくったパラダイスをそうムザムザ離してなるものか」というのがヒルベルトの心境だったと言われています。…… 

       『ヒルベルト23の問題』(杉浦光男編、日本評論社)より、              《算術の公理と無矛盾性》(竹内外史)から 

&&&引用おわり&&& 

「カントールのつくったパラダイスを云々」は、原語では次の通り。私はドイツ語を学んだことがないが、それでもなんとなく、迫力が感じられるのだ。気のせいかな。 

       Aus dem Paradies, das Cantor uns geschaffen, 

         soll uns niemand vertreiben koennen. 

「カントールの創造した楽園からわれわれを追放することなど誰にもできはしないのだ」 ……キリスト教圏での宣言である。大変な決意が感じられないか。 

 楽園から追放されたくないヒルベルトは、集合論の矛盾を追放すべく、仲間や弟子と共に研究を続けた。その指導原理が公理主義であり、形式主義である。議論の出発点を公理としてきちんと定め、どのような推論が許されるかはっきり定めておきさえすれば、奇妙な矛盾は理論の中に入り込むはずはなく、美しい数学的世界――つまり楽園!――を手に入れることが出来るはずだ! 

 私は、《幾何学基礎論》は、実はヒルベルトのもっともやりたかったことではなくて、ただ公理主義の標榜にもっとも便利であったから真っ先に取り上げただけではないかという気がしている。便利であった理由は、もちろん、ギリシャ以来の伝統を持つユークリッド幾何学が、「公理からの演繹」というスタイルをもって、すでに世の中に広く知られていたことである。公理なるものを持ち出して、もっとも自然な学問領域が、ユークリッド幾何学だったというわけ。……こういうとなんだか《幾何学基礎論》がヒルベルトのやっつけ仕事みたいに言っているようだが、もちろんそんなことはない。《幾何学基礎論》は巨大で美しい仕事である。しかしヒルベルトにとっては、それは攻略の本丸では無かったのだと思う。 

 ヒルベルトが攻略の本丸としていたもの、それは、当然「集合論の無矛盾性」であっただろう。あれだけ派手な宣言をしているんだからまあ間違いないはずだ。 

 そして、数学にあまた出現する集合たちのうち、第一義的に重要な集合は、「数の集合」である。――数学を数の学問だと思うのは大きな誤解であるが、数が数学にとって重要な研究対象であることは確かである。

 「数の集合」がどうしてそんなに重要なのか。それはなんといっても、計算ができるからである(これを普通「演算(または算法、算術)が定義されている」という)。計算する、ということが数学の基礎的かつ中心的な営みであることはいうまでもないだろう。 

 というわけで、ヒルベルトの第2問題である。

 数(正確には実数)とその演算の体系は、矛盾をはらまないのだろうか。

という問題であったが、これを普通〈算術の公理と無矛盾性〉の問題という。ヒルベルトにとって、いや、現代数学全体にとって、大切な問題なのである。

 先に、《幾何学基礎論》においてヒルベルトは、幾何学基礎論の無矛盾性を、実数とその演算の体系の無矛盾性に帰着した、ということを紹介した。これは、幾何学のことを中心に考えるならば、はなはだ不満足な結果だといえると思う。醤油が切れたからとりあえずお隣から借りてきたというような、その場しのぎの解決に見えないだろうか。

 しかし、ヒルベルトにしてみれば、実に気分のよい“落としどころ”だったのではないだろうか。自分がもっとも大切にしたい〈算術の公理と無矛盾性〉の問題に、あの、ギリシャ以来伝統のあるユークリッド幾何学の無矛盾性を結びつけることができた。このことは、『算術の公理と無矛盾性』のことを考えることの重要性をさらに裏づけたことになった。さあ、みんなで考えようではないか! ……実際ヒルベルトは1920年ごろから、仲間や弟子たちとともに、〈ヒルベルト・プログラム〉と呼ばれる方針のもと、精力的に研究をはじめるのである。

 そして1931年、ゲーデルの不完全性定理がやってくる。このときヒルベルト70歳。


 現時点で、私が頭を絞って述べられることはすべて述べ尽くしたようだ。これが書評といえるものなのか、読み返してみて、我ながら疑わしい。ただここは開き直って、「数学への情熱を感じ取ってほしい!」といおう。多くの人が『幾何学基礎論』をはじめ、いろいろな数学の本を手に取ってくれることを祈りつつ。

##############(おわり)###############

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