なぜ数学?

 どうして数学なんてやるんでしょうね。

 「楽しいから!」と答えたい気持ちはあるけれど、ぼくは好きだけど嫌いな人だっているし、なのに学校でやらされてやらないと怒られて評価までされるものなんだから、そんな風に言ってはいけないとも思う。それに、いま「ぼくは好きだ」って言ったけど、それって何%くらい本当なのか。長年付き合っていれば、それなりに複雑な心情はあるものだ。

 「役に立つから!」いやまあそりゃもちろんそうなんだが、こうしてパソコンでネットにつながれるのも数学があるからなんだが、そんなレベルの話をしてもねえ。地下鉄を掘る技術だってフォアグラの作り方だってマンガの描き方だって、世の中には確実に役に立っているけど、それを世の中の全員が知っている必要はない。そういえば昔読んだ本に「連立方程式を立てて窒素・リン酸・カリの正しい配合比を知って肥料を作れる」とか「三角比を使って山の高さを知って彼女に感心される」とかあったけれど、あれどういうつもりだったんだろうな。

 「数理的能力が身につくから!」いやそれ答えになってないし。言いたい気持ちはなんとなくわかるんだけど、じゃあ数理的能力って何だよ、それが身についたら何がトクなんだよ、って当然突っ込まれるよねえ。(なお、野崎昭弘先生の名著『数学的センス』(ちくま文庫)には、この問いに対する答えにつながりそうなことがいろいろ書いてあります。ああいう文章を私も書けるようになりたい。)

 「『読み書きそろばん』は生活に必要です!」うーん、でも本当に日常生活だけに限ったら、必要な数学、っていうか算数は、せいぜい小学校の『割合』まででしょう。もちろん本当は、ローンを組むんだったら指数関数・対数関数の、車を運転するなら微分・積分の、理解は必須だと思うんですよ理念的には。だけど実際問題としては、その道のプロやコンピューターが計算してくれちゃう。あと、いわゆる「受験数学」は、生活にはほぼ全部不要です(じゃあ何に必要なんだと言われると困るんですが)。あっ、それはプロが考えている数学でも同じことか。リーマン予想を解決できたって明日のお野菜が安く買えるわけじゃないし。

 そんなことを、しょっちゅう考えるのです。

 今のところ、これは主張していいかな……と思っているのが、次の2点。

 (1)順番に、理詰めに、丁寧に根気よく、考えていけば、いつか結論を得られるだろう……という信念を持てる。いや、その信念が正しいものかどうかなんて知らないですよ。世の中、結論のないことや結論の定めようのないことなんていくらでもあるでしょう。でも、関係するみんなが納得して幸せになれそうな結論ががんばれば得られそうなのに、そこまで追求しないで終わっちゃう場面も多いと思うんですよ。そのときに、数学というシンプルな世界でたくさんの経験を積んだ人がいると、ちょっとは違うのではないかと思います。まあ、その人は世間的にはやたらにしつこくて空気の読めない人かもしれませんが、そういう人がコミュニティーの危機を救うかもしれません。

 (2)どんなペーペーの若僧が言うことでも論理的に正しければ正しいし、社会的に偉かろうが金持ちだろうが論理的に誤りを言えばそれは誤りです。数学の人間はこれはまったく当たり前のことだと思っていますが、世の中の人は往々にしてそう思っていない。講演中に学生がその道の権威に「そこウソですよ」と指摘し「ああほんとだ、これはどうも」なんていうのは、数学では日常の風景。私は、数学の爽やかさと厳しさが好きです。若者が堂々と生意気に振舞うのが数学の世界、大家も堂々と謙虚に振舞うのが数学の世界。そして、こういうマインドを持っている人が多くいるコミュニティーは、やはり爽やかで厳しい、生産的で居心地のよいものになるのではないかと思います。あと、こういう人たちは、人間誰でもたまには間違うよねって思っているので、気楽です。

 考えるたびに、ちょっとずつ言ってることが変わるんですけどね、このテーマ。現時点では、こんな感じ。こう考えると、まあ、数学もちょっとはみんなで勉強する意味があるのかなと。

 とりあえず、で一つ目を書いてみました。すぐにはうまくいかないですね。でも深く考えずに、どんどん書いていこうと思います。そのうちうまくなるでしょう、と楽観的に。それでは。


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