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#10 「書くこと入門」② 書くコツを探さない。まず、経験を深める。

今回は、書くこと入門というコーナーで、2回目を記してみたいと思います。
入門とは、門をくぐることですね。門をくぐると、道が始まります。書くことの道には終わりがないから、いくらでもお話しすることがある。そういうことではなくて、終わりがないのが、道なのだと思うんです。

たとえば、いろんな資格検定がありますね。試験は合格すれば終わりだけれど、試験に合格してからその道で働き始めると、もう、終わりがないですよね。
書くことは、方法を自分の中で確立することではありません。

自分の心をどこまでも深く掘り下げていき、真実に出会いたい。
では、真実とは何か。
自分ですよね。書くことは、真実の自分に出会うことだといっていい。

私たちは真実の自分に出会ったとき、この存在世界の深みにふれて、大いなるものに出会うということが、あるんじゃないでしょうか。
それが書くということです。

書くことをみなさんと考える場、「読むと書く」という講座を始めて、11年が経ちました。外で「書くこと」についてお話しするとよく受けるのが、「書くコツってのはあるんですか」という質問なんです。
「読むと書く」講座でこの質問が出ないのは、そういうものはないと最初にお話ししているからなのですが、今回、そのことを取り上げたいと思います。

コツがあるという考え方そのものが、もったいない。
それは、書くコツがあるのだとしたらそれは、人と同じことをするということだからなんです。

人と同じようなものをなぞってすむのなら、わざわざ書かなくてもいいですよね。自分しか書けないものを書くのに、コツは諦めた方がいいと思うんです。「コツがある」とは、手法があって、それをどう要領よくやればいいのか、いうことですよね。

YouTubeなど見ていると、いろんなコツを紹介してくれる動画がありますよね。ゴミ袋のしまい方、確かにこういうふうにするときれいにしまえるのかと、興味深いんですけれど、書くとは、そういうことではないんです。

その人が、そのとき書く文章は、その人しか、書けないんですよ。

とても素朴なことを言っていますよね。でも、ものすごく厳粛な事実です。その人が、そのとき書く文章は、その人にしか書けない。
みなさんは、歴史上にただ一度しか起こらないものを書けるのに、誰かと同じように書いては、もったいないんです。
だから、コツをつかもうとすることはやめた方がいい。諦めた方がいいと思います。

今、諦めるといいましたが、諦めるというと「ああ、もうだめだ」と理解しがちですね。けれども諦めるとは、もともと仏教の言葉で「明らめる」と書いたんです。諦めるとは、明らかにする。

コツはないのだと、自分の中で明らかにした方がいいですよ、ということが、ここでの「諦める」の意味です。コツがないなら、どうしたらいいんだ、となりますね。

それは、経験していくしかありません。
では、何を経験するのか。
もちろん、書けないということを経験するんです。書けないということを、経験する。

書けないということを経験しはじめれば、私たちは、門の前に立ちます。それで、その門を叩く。
どんどん、と叩きます。叩いていると、あちらからギーッと開いて、どうぞ、ということになるんです。

書けないから、門を叩く。書けないと思わない人は、門を叩きません。
書けなくて門を叩いて、自分の道を歩く。これが書くことの第一歩なんです。

コツは探さない。コツがあると思っている発想そのものが、みなさんの中に住んでいる創造性にふたをします。

創造性、すなわちこの世にただ一つのものを生み出すということ。
それを僕は皆さんに実践していただきたいと心から思っています。コツという小さなことは忘れて、進むことにいたしましょう。

★note「若松英輔の考えるヒント」では、voicyで放送した内容を編集し、掲載しています。
〈voicy〉若松英輔の「読むと書く」ラジオ
https://voicy.jp/channel/214814/1232552