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水の生死画

こんにちは
Twitterで書きますよ〜って言ったnoteの第一弾です。

えび☔液体彫刻家(@ebi_kzk_water)

「水」を撮る人。液体彫刻家。
私が知る中で、ここまで延々と「水」を撮っているのはこの人だけだ。
えびさんの魅力は、

「水」と一言で表せるものを撮っているのに、えびさんの写真は一言で表せ得ないところ。

だと思う。その矛盾だけでも、私はワクワクしてしまう。

私も水を撮る。でもその水は、もう既に生きて死んだ水だ。木に落ちてしまった雨の雫、道に溜まって出来た水溜り。これらは、私が作り出したものでもなければ、生きているものでもない。自然が作り出しては自然が殺した水を、我が物顔で撮っては人に見せているだけ。

えびさんは、それらを創り出す。ただ何も無い水に、生を与える。まるで生きてるように、踊っているかのような、たった今息絶えた水を、創り出して切り撮る。
だからこそ、“水を撮る人”ではなく、“液体彫刻家”なのだと思う。そしてそれは、ただの観客である私からしてもしっくりくるカテゴリー分けだ。

私には到底出来ない事だしなれないカテゴリーだと思う。
技術的にはきっと出来る。場所を用意して、機材を揃えて、目の前に水があれば撮れる。
でも、それは二番煎じだ。私の個性ではない、言うなればクローン。
それに、そもそも水が挟めるとか、正直思いつかなければ興味もわかないし、それを写真に撮ろうなんて思わない。(後付けのリンクよりどうぞ。)
同じ写真を撮るのが無駄だという訳ではなく、ただこれに関しては、私はえびさんほどに移入して撮れない。
だからこそ、恋焦がれるのだと思う。

これ以上、たらたらと書き募ったところで、えびさんの魅力が分かる訳でもないので、好きな水達を載せておこう。(2018年11月25日まで遡った中で)と思ったけど、どうもリンクの貼り方が分からないので、Twitterで後付けしておく。

拙い文章で申し訳ない。が読んでくれると嬉しい。
偏りに偏った目線からの話。

終わり

因みに、今までえびさんに3回ほどアタックしたことがある。だけど、見事に惨敗した。最近フォローしてもらって、とりあえず心の中の私はパレードしたし、現実の私は小躍りした。(訳:ただただ嬉しかった)おしまいっ!!

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