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俺はゼルダに向いてないかもしれない

 まず、僕はこのゼルダの伝説ってゲームを結構面白いと思っている。タイトルに「向いてないかもしれない」って書いてるけど、結構面白いと思ってる。たとえ相性的に合わないと思うような相手だったとしても、人間としては愛せるだろう。それと同じことだ。僕はこのゼルダってゲームが好きだ。

 そもそも、僕ほどの天才がなんのプラスにもならないようなただ罵詈雑言を吐き散らすだけの駄文を書くと思うのか? だから、これからこの記事を読むアナタもそなたも貴様も「あぁ、こんな困った人もいるんだなぁ」と、それはそれは冷めた目で見守るがいい。

 で、僕ってゼルダに向いてないかもしれない。

 なんで向いてないのか、これからいろいろ書いてみる。


日本の恥

 まず、このツイートを見てほしい。

 僕が操作したリンクが、哀れにも落下していく。そんなに面白味のない動画。いや、この動画そんなに面白くないだろ。キミら、何がそんなに面白いの? 全ッ然面白くないね。少なくとも僕にとってはなッ!

 だが、どうやら凄まじい数の人間がこのツイートを見たらしい。ツイッターには便利な機能が備わっていて、この「インプレッション数」とかいう数字で最終的にどれくらい僕のこの哀れな死に様がお茶の間の笑い者にされたかを確認できるらしい。どれどれチェックしてみるか、420万。420万だ。

 420万人もの人間が、僕の間抜けな死に様で笑っているらしい。ちなみに、現在の大阪府大阪市の推定人口が270万。そして現在の神奈川県川崎市の推定人口が150万。つまり、大阪市と川崎市の全人口を足したくらいの人間が僕を笑いものにしている。

 ちなみに世界各国の人口でカウントすると、中南米に位置するパナマの全人口が大体440万人。つまり、パナマの全国民が僕の落下するリンクを見て大笑いしている可能性がある。もはやパナマのコメディアン気分だ。

 そしてこの何の面白味もない落下死動画は、いろいろなニュースサイトやまとめサイトで紹介されたらしい。基本的に僕は悪いように扱われなければフリー素材だ。いちいち応答するのも面倒だから好きに使え。好きに今日の面白ニュースとして消費するがいい。

 自分で言うのもなんだが、僕はなんて寛大な男なんだ。みんなが笑ってくれるならもうそれでいい。これで世界平和が訪れるならそれでいい。僕はインターネットのアンパンマンか?

 そしてこの動画は国境すら越えたらしい。

 Unseen Japan……どうやら、日本で起きた面白い出来事を英語に翻訳して海外に発信するメディアらしい。へぇ、素晴らしいメディアじゃないか。僕の美しい死に様を紹介していること以外はな。

 “Feel like I’m not cut out for Zelda”

 日本語に直すと、「自分はゼルダには向いてない気がする」。

 おい、これ誰の言葉だ。もうこんなん日本の恥だよ。やめろ!日本で「おもしろ外国人の反応集!」みたいな動画が作られてるヤツの逆パターンじゃないか!俺を「海外が驚いた!おもしろ日本人」みたいに紹介するな!! 

俺は宮本茂にどう顔向けするんだッ!!

 ウルトラハンドで板と板をくっつけて渡る。なぜそれだけができない。ちなみにここで何度か失敗してもいいよう、この板は何枚も用意されている。だが、僕はここで5回くらい死んで、この板は在庫が尽きた。

 ハハハ、任天堂め、ざまぁ見やがれ! 僕の不器用さはどうやらアナタたちの心優しい想定を上回ったようだぜ!! まぁ察せると思うが、僕は「ウルトラハンド」を使った工作ギミックがそれはそれは大の苦手である。

端的に言えば、僕はゼルダの工作要素が全て上手くいかない。


世界のルールが、わからないんだ

 そして僕は、この手の「手作業」が常人の500倍ぐらい苦手である。これは盛っている数字ではない。手作業全般が、学生時代から1ミリたりともできなかった。

 たとえば、技能教科で木の板をのこぎりで切って何かを作ったりしただろう。僕はのこぎりで切る段階から友達にやってもらった。たとえば、家庭科で裁縫針を使って手提げ袋を縫ったりしただろう。僕は全部友達に縫ってもらった。たとえば、夏休みの宿題で筆と絵の具を使ってポスターを書いたりしただろう。僕は絵が描けないので友達に描いてもらった。

 調理実習で、クラスの友達と協力してご飯を作る楽しい時間があっただろう。僕は料理ができないので同じ班の人に全部作ってもらった。同じ班の女の子が言い放った「ジスロマくん、卵焼きって卵といてからフライパンに入れるんだよ……w」という言葉、未だ脳裏に焼き付いている。それで調理実習タイムの笑いをかっさらったのだから結果オーライではある。

 ある意味、笑いを取る規模が調理実習の班の5人から世界中の420万人に変わっただけなのではないか? あぁ、なんて俺はエンターテイナー気質なのだろう。あぁ、なんて俺は罪作りな男なんだろう。やはり僕は世界に愛されるために生まれてきた存在なのだろうな。

 この「手作業全般が一切合切できない」という僕の性質、ゼルダにおいても全く同じである。なぜなら、触った瞬間「あっ、これ無理だわ」と、自動的に「この作業は俺にはできない」ということを察知するセンサーがゼルダでも発動しているからだ。

 急に登場した「(この作業は)俺にはできないセンサー」、これは僕が21年間生き続けてきた中で獲得した第七感、セブンズセンスとも言える能力だ。 

 およそ何千回に渡る手作業の失敗の果てに獲得した能力。
 最終的に、不器用人間は「自分の手先の悪さがいつか生死に関わるかもしれない」という恐怖と戦うことになる。その生存本能で獲得した能力とも言える。あまりにもできないことが多いので、「物事に触れた瞬間、効率的にできないことを分別する能力」を獲得したということだ。

 そして、ゼルダはこの「俺にはできないセンサー」がビンビンに反応している。感度が良すぎて対魔忍みたいになっている。

 つまり、「祠に入った瞬間に“あ、これ無理”と身体が自動で拒絶して即座に攻略サイトを開く」なんてパターンがある。フフフ、自分で書いてて思う。僕はなんて面白い人間なんだ。僕がもうひとりいたとしたら、きっと僕は僕のことを大好きになっている。

 そして、ここにもうひとつ乗算のように重なってくる問題がある。

 常々思っていた。多分、僕は世界のルールがわかっていない。

 上の動画を見てほしい。僕は、板の下に車輪をつけて扇風機で推進力を持たせれば、車が走ると思い込んでいる。この動画には、「レゴとかやったことないんか?」「ミニ四駆作ったことないんだね」「精神科でちゃんとした診断を受けに行け」というインターネットのみなさまからの心温まるメッセージが多数寄せられた。ありがとう!

 でも、僕は本気で「板の下に車輪をつけて、扇風機で推進力を持たせれば車が走り出すのは当然のことである」と、思っていた。だけど、世界はそれに応えなかった。これも、昔からよくあることだった。

 この「世界のルールがわかっていない」とはどういうことか、もう少し正確に書いてみる。たぶん僕は、「物事の始まりと終わりが理解できても、その過程がよくわかっていない」のだと思う。こういうのも、21年間の失敗の連続で蓄積した自己分析データによるものだ。

 物事には、常に始まりと終わりがある。たとえば、ニュートンは木からリンゴが落下する様を見て万有引力を発見した。ニュートンはそこから「木からリンゴが落ち、地面にリンゴが落着するまでの過程」を解析した。

 たとえば、アルキメデスは風呂に入っていたところから、金の王冠の純度を図る方法を思いついた。アルキメデスはそこから「体積が違うことによる浮力と比重の変化の過程」を解析した。

 僕は、この「過程」が全く見えていない。

 もう少しわかりやすく例を挙げよう。僕は、運動が全くできない。

 僕の通う中学校は全校生徒およそ700人のマンモス校だったにも関わらず、体力テストの結果は堂々のワースト10だった。バレーができない。野球ができない。サッカーができない。マラソンができない。僕に可能な運動は、存在しない。

 だが、あの運動において、「始まりと終わりに何が起きているのか」はわかる。たとえばバレーボールで、ゲーム開始時にサーブを撃つ。アレは、「ボールを腕で打つ」ことが始まりにある。そして、「打たれたボールが飛んでいく(相手の陣地に入っていく)」ことが終わりにある。

 この一連の事象は理解できる。だが、ここの中間にある「サーブという行動が完遂に至るまでの行程」が、全くわからなかった。どの角度で打てば飛んでいくのか、どのくらいの力で打てばスピードが出るのか、そもそもどんな力の働き方で、相手の陣地に入っていくのか。全く理解できていない。

 この「サーブという事象が完了するまでの世界のルールが、感覚的に理解できていない」のである。サーブをちゃんと打てる人には、かなり伝わりづらい感覚かもしれない。

 すごくカンタンに言えば、たぶん多くの人が何気なく実行できている「①があって、②がある。そして③の手順を踏み、④に至る」という段階の踏み方を、僕は「始まりと、終わり」でしか実行できないのだ。その間にある行程のコマンドを、なぜか読み込むことができないように設計されている。

 たぶん、バレーボール日本代表の人が僕にサーブの打ち方を10時間教えてくれても、そもそものコマンドを読み込むプログラムが違うので、正常なサーブが成立しないのだ。これは脳で理解できていても、身体は変えられないからだ。そしてこれを、「世界のルールがわからない」と呼称する。

 先ほど挙げた「卵焼き事件」はかなりその良い例だ。なぜサーブでたとえようとしたのか。通常であれば、「①卵を割る。②卵を溶く。③フライパンに入れる。④いい感じに焼く」が、正常な卵焼きの実行コマンドである。

 だが、僕の場合は「卵をフライパンに入れれば、卵焼きができる」と思い込んでいた。これが、始まりと終わりのみを実行するプログラム。そして実行した。結果、班の笑いをかっさらった。なぜゲームのチートバグ動画が面白いのか、この事例から理解できよう。まさにリアルチートバグ動画。

 そしてこれはゼルダでも全く同じ。
 僕が21年感じてきた、「あぁ、これはまた世界のルールがわかっていなくて事象が成立しないのだ」という現実世界でしか起こり得なかったはずの感覚が、ゼルダの中で完全に味わえている。もうこれまでに貼った散々な動画を見るがいい。そして笑ってくれたら、普通に嬉しい。

 おっと、ここまでの文章でもしかしたら不安にさせてしまっているかもだが、別に私は自分の人生を悲観視なんてしていないからね。自分の人生が、世界で一番最高だと思っているよ。そもそも悲観する時間があれば、もっと楽しいことを考えた方がいい。だから存分に笑ってくれたまえ。

 別にこれ、鬱々とした記事ではないんだ。自嘲的でもない。僕は明るい話が好きだからねっ! あくまで、「こういう人間が遊ぶと、ゼルダはこうなる」というサンプリングデータとして見てしてほしいな。


スクラビルドとモドレコは、国語で動かせる

 ここまで読んでいて、「アナタ、日常生活とか大丈夫なの……?」と心配してくれている方もいるかもしれない。ご安心を、全然大丈夫。そして心配ありがとう! 嬉しいっ!

 なぜなら、あの「自分にできないことを効率的に分別するセンサー」は、逆方向に作用させることもできるのだ。つまり、このセンサーは「自分にできることを効率的に分別する」ということも可能なのだ。

 これも昔からそうだったのだが、僕は「できないことが壊滅的にできない代わりに、できることは尋常ではない処理速度で実行できる」という性質の人間らしい。そしてこの「できること、できないこと」を少し触れた段階で効率的に分別するのが、あの「俺にはできないセンサー」の実態である。

 この「尋常ではない処理速度で実行できる」ことの一例として挙げられるのが、今まさにこうして書いている文章である。僕は結構、文章を書くのが得意である。時間さえもらえれば、1日2万字くらいはポンと出せる。逆に、「1日1万字で精いっぱい」という人の話を聞いて驚いたくらい。

 たぶん「あなたは1週間の出来事を5万字くらいの日記にして毎週提出しなさい」と言われても、かなり楽々とこなせてしまう。それもドラマティックに、情感たっぷりに。どこかの王族やIT長者が僕を雇って欲しいくらいだ。どうだろう、全世界の王族とIT長者のみなさま、僕を宮廷コラムニストとして雇ってみませんか?

 そしてこの「テキストだけは尋常じゃない速度で処理できる」ことに繋がってくるのが、「スクラビルド」と「モドレコ」である。

 端的に言おう。私はスクラビルドとモドレコは「国語の脳」で動かせる仕組みだと思っている。つまり、私はスクラビルドとモドレコを「テキストを組み立てる時と同じ領域を使うシステム」として処理している(気がする)。

 ひとつ目のスクラビルド、これは「武器と武器(もしくは素材)をくっつける」システム。剣と岩をくっつければ、剣と岩がくっついたハンマーとかになる。これは、テキストとして処理しても意味が通るシステムなのである。

 「手元に剣があった。そして道端に岩が落ちている。スクラビルドを起動する。剣と岩を、くっつけてみた。より強力な武器が誕生した!」

 いま、テキストに起こしてみた。これは実際にゲーム内でスクラビルドを使用した時と、何ら変わりがないはずだ。だからこれは、僕の中では「テキストとして処理できる物事」なのだ。

 つまり、ウルトラハンドと違ってスクラビルドはすごくカンタンに把握できた。国語の領域で理解できるから、スクラビルドはわかりやすかった。

 そしてモドレコも全く同じ原理である。「既に動いてしまった物体の時間を戻すことで、位相や状態を戻す」というシステムであれば、これは僕の脳内ではテキストとして処理することができる。

 下記の動画を見てほしいのだけど、「一度投げつけた武器をモドレコで戻して再攻撃」という高度なテクニックを、さも当然のように実行できている! これは僕にとってはすごいことなんだ!! 自慢させてほしい!!

 この「自分の領域外の数学的・物理的に処理せざるを得ないウルトラハンド(だから、使いこなせない)」と、「自分の領域内の国語的に処理できるスクラビルドとモドレコ(だから、使いこなせる)」の違いは、さすがに自分でもちょっと面白い現象だと思っている。ゲームの中で、ここまで明確に「自分の得意、不得意」が如実に反映されることは、あるのだろうか。

 僕が先ほどから何度か「この記事はある種のサンプリングデータとしても見てほしい」と書いているのは、ここの「数学のウルトラハンド」「国語のスクラビルド・モドレコ」の違いにある。どこかの教授にどういう仕組みなのか説明してほしい。急に丸投げしてみる。

 そしてウルトラハンドとの違いを書く中、ひとつ気付いたことがある。

 僕は「国語で理解できないものが、実行不可能」なのではないだろうか? 

 つまり、あの「世界のルールがわからない」は、「国語の文法や、テキスト的に処理できないことは、自分の脳の構造的に解析不可能」ということなのではないだろうか? 

 この動画を例として挙げてみよう。おいそこ、笑うな。先生は真面目な話をしています。ここは「車輪に対し、板を“垂直に”接着することで推進力となり、船が進んでいく」ことでクリアできる祠。しかしこのクソボケ野郎は、板を“並行に”接着して進もうとした結果、船を大暴走させている。

 やはり、この「数学的・物理的な事象」が私はそもそもの脳の構造で理解できないようだ。力の作用する方向がわからない。物体にどんな力が働いているのかわからない。物事の大半を「テキスト」で処理しようとするので、その過程にある物理的な実証をすっ飛ばして結果を出力しようとしている。

 この「物事の過程にある数学的・物理的な実証を挟まなければ処理できないことは、実行不可能」なのが、私の抱える「世界のルールがわからない」問題なのだ! すげえ! ゼルダでここまで気付けるか!?

 そしてこの問題は改善不可能であることが21年の生活データの集積結果として判明し、その対抗策として先ほどの「俺にはできないセンサー」が発生するに至る。この「数学的・物理的な過程を把握できない」ことは、最悪の場合マジで命に関わることがある。実際、これのせいで何度も危ない目に遭いかけている。割とマジに、生存本能として獲得した能力の可能性が高い。

 ………僕っていま実家離れて一人暮らし始めてるんだけどさ、よくひとりで1年間生き残れたよね!? すごくない!? 不器用は不器用なりに、21年分の失敗データの蓄積と分析を、ちゃんとやっているのです!!


失敗とは、データの蓄積

 そして、ひとつ言いたいことがある。

 失敗って、していいんすよね。

 もちろん、「成功」と「失敗」のどちらがプラスかと言われたら、それは間違いなく前者だよ。でも、「失敗」の何もかもがダメなのかと言われらたら、僕は全くそんなことないと思う。

 なぜなら失敗とは、データの蓄積だからだ。すなわち、以降の対策を講ずることができる。人生はRPGなどと言われるけれど、人間もデータクラッシュさえ起きなければ、何度かのトライアンドエラーでゲームクリアには辿り着ける。それは21年間生きてきた僕が、今こうして証明しているだろう。

 最初になんか「ゼルダが結構好き」って書いた最大の理由は、この「失敗が面白さに変換される」ということにある。図工でゴミを量産した。裁縫でクズを量産した。調理実習で産業廃棄物を大量生産した。さすがに自分でも「負の才能」だと思っていたものが、このゲームにおいて「面白さの才能」として花開いている。ここに驚いた。そしてこれが、ゼルダが好きな理由。

 これも何度も書いているが、僕は自分の人生を全く悲観視していない。僕は生きていて楽しい。だから、自分の失敗を楽しんでくれる人がいるなら、それは世界にとっても、僕にとっても良いことだ。世界中の420万人が1秒でも面白がってくれたら、それってとっても素敵なことじゃない?

 あぁ、僕はなんて心の広い男なんだ……。

 たぶん、これまで書いたことは「発達障害」の4文字で片付けようと思えば片付けられる。だけど、ここまでその言葉を使いたくなかったのは、悲しい話にしたくないから・苦労話にしたくないから・鬱々としたものにしたくないからの3点に尽きる。なんか色々そういうのに厳しい世界だけど、僕に限っては好き放題面白がってくれて構わない。

 あとまぁ、何もかもが「病気」で括らてしまったら、それはそれでつまらないでしょう? 人は千差万別であるべきで、それぞれに個性があるべき。だから、ゼルダの遊び方もいっぱいあっていい。これだって「僕の楽しいゼルダ」なんだから、「こういう人間が遊んだゼルダ」として見てほしいな!

 私は21年生きてきた中で、「失敗は必ずしも悪だと分類されるものではない」ということがわかったけど、もしかしたらまだあまりわかってない人もいるかもしれない。だってそれもそう、失敗って「完全に良いもの」でもないのだから。だけど、許されるべきものでもある。

 ゲームの中で失敗したらリンクは普通に死ぬから、別にこれは「失敗を肯定するゲーム」じゃない。でも、同時にこれは「失敗が許される場所を用意したゲーム」なんじゃないかと思う。僕はそこが好きってことなのです! 

 向いてなくても、楽しいゲームなのです!

 もしこのゲームで、「失敗の良さ」に気付いてくれる人がいたら、なんだかちょっと嬉しいかもしれない。いや、俺別にゼルダ作ってねえけど。

 以上! 「こういう人間が遊ぶとゼルダはこうなる」のサンプリングデータ発表、終わり! なんの活用もできないかもしれないけど、もしこの結果報告がゲームデザイナーさんやモノづくりをしている人の参考データになれば幸いです! いや、参考になるか?

 何か質問等あれば、コメントに書きこんでください! 可能な範囲で僕がお答えしましょう! よろしくね!


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