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FFCCリマスターが宣伝するべきなのはマルチプレイじゃないと思う

みなさん、FFCCリマスター買いましたか!?
えっ?買ってない?

いや……まあ確かに何となく分からなくもないです。

今のインターネットに溢れるのは「何だこのオンラインの仕様のひどさは」「とても令和とは思えないガバガバマルチプレイ」「FF14のプロデューサーにオンラインを作り直させろ」とオンラインマルチの仕様の酷さに対する怨嗟の声ばかりです。

確かに、確かにですよ?2〜3回ほどしかオンラインでプレイしていない私から見てもマルチプレイの仕様はちょっとアレだと思います。

特に「1度部屋を立ててすぐに抜けたらしばらく部屋を立てられない」なんか、明らかにおかしいだろ!


ですが私はこのゲームを遊ぶ内に「(FFCCが宣伝するべきなのはマルチプレイじゃないのでは…?)」と薄々気付いてきました。



ここで皆さんに質問です。
特にFFCCを全く知らない方に質問です。

FFCCって、どんなゲームだと思います?



いやまあこのnoteとかいうサービスにアンケート機能なんか無いのでこれを見ている方の反応なんか知らないのですが、私はFFCCを実際に遊ぶまで「マルチプレイがウリ」以上の情報を全く知りませんでした。

そう。マルチプレイ。
FFCCと言ったらやはり一番有名なのは「ゲームキューブとゲームボーイアドバンスを接続してみんなで協力プレイ」という画期的なシステムでしょう。FFCCを一度も遊んだことがない私でもこれは流石に知っていました。

そしてそのマルチプレイが今回のリマスターでついにオンラインに対応!Switch・PS4・スマートフォンでのクロスプレイも出来ちゃうぜ!

そのため、FFCCリマスターはオンラインマルチプレイをやたらと宣伝している。

「お前のアンテナが低いだけだろ」と言われたら何も反論出来ないのですが、マジで「オンラインマルチプレイが出来る」以上の情報を何も知らないでこのゲームを買いました。



ところが、蓋を開けたらビックリ!

このゲーム、オンラインマルチプレイの大々的な宣伝の陰に隠れていた完成度の高い独特な世界観とセンスに溢れた素敵なテキストの部分が圧倒的に面白い!!!



FFCCはチュートリアルでこの世界観についてある程度説明してくれる。

「この世界は瘴気に覆われていて、クリスタルの加護がなくてはマトモに生活も出来ない。というか死ぬ。そのために、主人公達は年一でミルラの雫を集めてクリスタルを清めなければならない」という世界観です。

察しのいい方はもうお気づきかもしれませんが、そう。FFCC世界は半ば詰んでいます。


まず大前提の「世界が瘴気に覆われている」って部分がおかしいんですよね。


「何故世界が瘴気に覆われているのに誰も瘴気の根本的な解決を図ろうとしない?」

「年一でクリスタルを清めた所で結局は瘴気の根本的な解決には至らないただの延命措置なのではないか?」

序盤も最序盤でこの辺りの疑問がもう止まらなくなります。



そして、FFCC世界の住人は明らかにこんな行き詰まりの世界観を受け入れ楽しそうに暮らしているのです。

同じFFシリーズの『FINAL FANTASY X』もFFCCと似たような行き詰まった世界観だったのですが、それは主人公のティーダが「何だよこの世界は!クソッタレ!!俺が何とかしてやるぜ!!!」と世界を救う気マンマンでプレイヤーを引っ張って行ってくれるため、ある程度は希望を持つことが出来ました。

ところがどっこい。FFCCはティーダが居ません。誰もこの瘴気に覆われただ命を懸けて年一でクリスタルを清めるだけの延命措置を繰り返す停滞した世界を疑う者がいません。



まさにプレイヤー自身がこの世界の一人の住民となって、ただ延命措置を繰り返し続ける停滞した世界で生き続けるのです。

FFCCはゲーム全体の牧歌的な雰囲気やアイリッシュな音楽で覆い隠そうとしていますが、実際には「誰がどう見てもこれ以上の発展がない行き詰まりの世界観なのに住人はどいつもこいつも能天気で楽しそう」というとても不気味なゲームです。



一応、このクソみたいな世界をどうにかしようとした勇気ある若者も居たらしいのですが、消息を絶ってしまいオマケに老人に「人には自分の背にあった生き方というものがあるものじゃ。」と説教を食らいます。

お前みたいな臆病者がこの世界を停滞させてるんだよこのクソジジイ!



ただ、段々と牧歌的な雰囲気では覆い隠せないこのゲームの退廃的な世界観が滲み出てきます。


これは日記です。FFCCの主人公、つまりプレイヤーが街に訪れたりダンジョンを攻略した時に書き記すただの日記なのですが、まあこれがやたらとセンスが良い!


「時は、すべてのものを流してくれる。楽しいことも、つらいことも、すべてを。」なんて大分麦焼酎二階堂のCMか???ってぐらいの痺れるセンスの良さ。


素朴な語り口とやや丸っこくてかわいらしいフォントで何とか誤魔化そうとしていますが、この日記は中々に現実の諸行無常を書き記しています。




これは先程のマール峠での日記と繋がっている鉱山ステージの開始時のナレーションです。

このゲーム、「ステージ開始時のナレーション」がめちゃくちゃ面白いんですよ。

「いやさっきから日記が面白いだのステージ開始時のナレーションが面白いだの何を言ってるんだ?」と思うかもしれませんが、個人的にはこのゲームを攻略する上でのモチベーションは「ステージ開始時のナレーション」と「ステージが終わった後の日記」が八割を占めています。

それぐらいテキストのセンスがいいんですよ!

そのやたらとセンスが良いFFCCのナレーションによって語られるリルティの民の栄枯盛衰。

ファイナルファンタジーには「敵が帝国」という謎のお約束があるのですが、その帝国ポジションになりそうなリルティの野望が既に終わっているのです。

どこまで行ってもどこか寂しく退廃的で、実際未来への希望を感じるようなステージはあまりありません。



そしてその極地がこの「ティダの村」!


先程説明したように、FFCC世界は瘴気から身を守るために年一で村または街のクリスタルを清めなければなりません。

じゃあ清められなかったらどうなるの?

その答えの全てがティダの村にあります。

そう、ティダの村は「ミルラの雫を集めるのに失敗して滅んだ村」というこの世界の最悪さを物語っている良い意味でも悪い意味でもFFCCを象徴するステージです。

もはやどう考えても牧歌的な雰囲気では隠し切れない。




そして、そのティダの村の住人たちはみなキャラバンを信じたまま召されていったのだ。

ただ「村が焼かれた」とかならまだありそうですけど、「クリスタルを清めてくれるキャラバンの帰りをみんなで信じて待ちながらそのまま全滅」というシチュエーションのエグさ。


追い打ちをかけるようにステージ上に立っている「キャラバンが帰ってくるまであと3日!みんなでせいだいに、あたたく、むかえよう!」の立て看板!マジで性格悪いなこのゲーム!




さて、FFCCの牧歌的な雰囲気に反した行き詰まった世界観と謎のテキストのセンスの良さに少しでも興味を持っていただけましたか?

タイトルにもある通り、FFCCはオンラインマルチプレイばかり取り上げられてもっと大事なこのゲームのマルチプレイと関係ない部分があまり広まっていないような気がする!おい聞いてるかスクウェア・エニックス!



FFCC世界はこのまま瘴気から守ってくれるクリスタルを清める延命措置を延々と繰り返すだけなのか?

誰かこの行き詰まりの世界を救ってくれるのか?

そもそもプレイヤーはこの詰んだ世界で一体何が出来るのか?


この辺りの疑問は……FFCCをやってみてください。
そして何故かやたらとセンスのいいテキスト、もとい日記がこんなに印象に残るような素敵な文章なのにもちゃんとした理由がある。

このゲームはクリアすればスッキリします!
これだけは間違いない!



少しでもFFCCに興味を持った方、是非購入を検討されてみては?

Switch・PS4・IOS・AndroidでFFCCリマスターは好評発売中です。

マルチプレイじゃなくてソロプレイでもちゃんと攻略出来ますので、そこはご安心ください。

それでは!