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初めてコミケに行ってきた

 夜明けの4時45分くらいにわたしは家を出て、コミケの2日目に向かった。日比谷線からりんかい線を乗り継ぎ、アーリー入場A枠の7時に間に合った上でほかの参加者を出し抜けるのはちょうどこれくらいの時間。実はこの日、だいぶドキドキして一睡もできなかった。

 ビッグサイトに着いたら、いきなりすごい選択を迫られた。「竹箒はサークル参加者の時点で東6まで行ってるからアーリーでもワンチャンないかも」「竹箒に人が吸われているうちに他のサークルを巡るべきでは?」……と。

 おい、わたしはコミケ初参加だぞ。こんなのどうしろっていうんだ。う~んう~んと悩んでいるうちに、いつの間にか入場が始まってしまった。

 とりあえずわたしは、「よし!竹箒はどうせ無理だからまず一番確保したいワダアルコ先生のところに行こう!」と決めていた。しかし、入場するや否や周りの人間がみんな一斉に走り始めた。

 一応係員の人が東の型月ホールに誘導してくれているのはなんとなくわかってたから、「うおおおおおおなんかわからんけどこの流れに乗れば型月に辿り着ける!!!」と迂闊にも人の流れに乗ったわたしは……………いつの間にか竹箒の最後尾に並んでいた。やってしまった。恐ろしい奈落〈ライ・ライク・ヴォーティガーン〉に呑み込まれてしまった。

 大体10時くらいだったかな。もう竹箒の列は東4から東6からさらに伸びに伸びて、「待機列が多重に折りたたまれている」という、コミケ初参加のわたしからしたら異常としか思えぬ様相を呈していた。

 それを見るたび、「こんなの、買えるわけなくない?」と、ちょっと不安になった。並んでいる途中に「頼むから売り切れないでくれよ、頼むから売り切れないでくれよ」と、何度も何度も炎天下の中祈った。正直、ずっと怖かった。ちょうどわたしの目の前で「竹箒完売!!!」って言われたらどうしよう。そのまま並んだ時間も全部無駄になって他の行きたかったサークルもとっくに全部狩りつくされていたら、どうしよう。すごく、不安だった。

 初めてのコミケでいきなり竹箒に並ぶとか、それなんて新米マスターにケルヌンノス?

 それでも竹箒の回転率はそこそこ速かったし、在庫もたっぷりあった。割と杞憂だった。実際わたしの番が回ってきて、その手に竹箒の新刊3冊を受け取った時に、色々な気持ちが一気にこぼれ出して、なんだか泣きそうになってしまった。

 普通に本を買うのとはちょっと違う。その手に本を受け取ったとき、「あぁ、これは私にとっての宝物だ!」「欲しかったものをやっと手に入れたんだ!」という嬉しさが心の底からこみ上げてきて、何故だかわからないけど反射的に泣きそうになってしまった。

 嬉しい。とても嬉しい。あぁ、やっと欲しかったものが手に入った。その安堵感、その幸福感は、これまでの人生で一度も味わったことのない感覚だった。とても不思議だ。わたしは自己分析は割と得意な方だと自負しているけれど、この「ずっとずっと並んで、欲しかった本を売り子の人から手渡してもらった」時にどうしてここまで嬉しさで涙がこぼれ落ちそうになるのか、自分でも未だによくわかっていない。

 とにかく、「待ち望んでいたものをその手にした」時の、その身を包む幸せが、今もわたしの心と脳裏にこびりついている。

この3冊を買えた人は大体東シ-64から満面の笑みで出てくるのも印象的でした

 そこからわたしはお目当てのワダメモに並んで、ちゃんとワダアルコ先生の月姫本をゲットして、そのままReDropさんのとこに行って新刊買って、ギリギリワンチャン買えたらいいなあと思っていたCHOCO先生のKOS-MOS20周年記念アンソロジーもなんとか頑張って買った。

 なんと、当初予定していた「欲しい4冊」を全て買えてしまった。疲労困憊になりながらも、「も、もしかしてわたしにはコミケを回る才能があるのか……?」と自惚れてしまうほど、大満足の結果だった。

 おうちに帰ってきて、まず手洗いとうがいをして、流石に疲れたのでベッドでちょっと横になって、買ってきた本を机に広げてみた。すごかった。どれもこれもが宝石のようにキラキラと輝いていて、ページをめくるたびに素敵なイラスト、かっこいい装丁、そして同人であるからこその自由で楽しい表現に、魅入られてしまう。

 月姫のキャラがとってもかわいく素敵に描かれたワダアルコ先生の新刊、ちょっとえっちで楽しいReDropさんの新刊。KOS-MOSの20年の軌跡が描かれた奇跡のアンソロジー、CHOCO先生の新刊。そして……竹箒3冊。

 買ってきた本をある程度読んだら、また机にばーっと並べてみる。そしたらわたしは、何故かまた泣きそうになっていた。何故なんだろう、何故わたしは泣いているんだろう。嬉しいからなのか。書店で本を買った時と明らかに違うのは、「自分で並んで買った」という、あの場所の思い出。あの場所の空気。あの場所の素敵な熱気。そして何よりもこの「宝物」としての在り方が、わたしの心をひどく揺さぶっているのかもしれない。

 こんなに素敵な本を作り出す人がいて、それを頑張って並んで買って、おうちに帰ってきて、自分だけの宝物みたいに広げて、幸せな気持ちになって……そういう思いにふける度、何故かわたしは泣いている。なんでなんだろう。自分でも知りたい。

 ひとつだけ思い当たるフシがあるとしたら、私は「物語に出てくるコミックマーケットを見る側」だったからなのかもしれない。アニメとか、ゲームとか、ちょいちょいコミケが出てくるけど、結局私はその実態を知らない。

 なんか人がいっぱいいて、コスプレしてる人がいて、本を売ってる。わたしの中の「コミックマーケット」は幻想で、空想で、創作物の中にしか存在しなかった。

 でも今回実際のコミケに初めて行って、「これは本当にこの世に実在するものなんだ……」と実感し、このイベントの「本を手渡しで受け取った時」のあの感覚を初めて味わえたから、心の底からあの瞬間に衝撃を受けたから……「あの時あの場所」そのものを追憶できる、この宝物たちが、ひどく尊く、美しく、煌めいて見えるのかもしれない。

 ここで「コミックマーケット、最高!」と心の底から言ってのけるほど私は性格も良くないし、ノリも悪い根暗で陰湿な人間だけど、それでもあの夢のような輝き、炎天下をはじき返すようなあの熱気、人が生み出した創作物が、それを欲する人に手渡された時に生まれるあの瞬くような煌めきを否定することは、わたしにはできない。

 この宝物たちを手に取って、机に広げて、ページを開くたびに、「あぁ、あれはもしかしたら夢だったのかな」と、少し自分自身を疑ってしまう。あそこはもしかしたら、空想に片足を突っ込む場所なのかもしれない。素敵な夢だった。なんて居心地のいい空想だったんだ……いや冷静に考えたら居心地はよくねぇわ。クソ暑かったわ。ふざんけなよ夏暑すぎるだろボケが!

 でも、「第100回」という記念の日に、初めて参加できて、とても幸せだった。朝4時に家を出て始発に乗ったこと。竹箒に並べたこと。帰ってきてばーっと本を広げた時の、言葉で表現できない幸福感。この思い出も、ずっと並んで買った本も、あの煌めきも、一生、わたしの宝物になると思う。