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劇場版スタァライトの中学の愛城さんが好きだけど嫌い

 今更だが、本当に今更だが、『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』を見た。

 「逆にまだ見てなかったのか!?」と皆さんから総ツッコミが飛んできそうなもんですが、恐ろしいことに上映している映画館が周りになかったのと、たまたま忙しくて機会が巡り合わなかったのです。信じてください。

 いや、どうでもいい。そんなことは至極どうでもいい。こういう前置きがやたら長い文章は得てしてつまらない。

 『劇場版 少女歌劇☆レヴュースタァライト』は、その全てのシーンが舞台少女の煌めきによって構成されているような信じられない映画だ。

 「ワイルドスクリ​──ンバロック」という何が何だか分からない劇が始まると同時に繰り出される、99期生が星翔音楽学院で過ごした3年間の全てを燃やし尽くすかのような圧巻のレヴューの数々。

 列車の上で問答無用の鏖殺が始まる「皆殺しのレヴュー」、双葉はんと香子の約束と決別、そしてその先の未来を決める2人のわがままによる「怨みのレヴュー」……舞台少女の煌めきによって、現実は歪み、融け落ち、この世の全てが「舞台」となっていく。

 劇場版スタァライトは、その大半がレヴューという夢幻の如き光景で彩られた作品。しかし今回この記事で注目する点はそこではない! むしろその対極、舞台少女が見せる「レヴュー」という煌めきの幻とは逆位置の「現実」、つまりは「中学生時代の愛城華恋」のあのシーンだ!!

 そう、『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』には、中学生時代の愛城華恋を描いたシーンが存在する。上映時間約2時間の大半が嘘みたいな光景で埋め尽くされたこの怪作の中、もはや執拗なまでに写実的に描かれたのがこの中学時代の愛城華恋のシーン。

 聖翔音楽学院99期生の愛城華恋から遡ることおよそ3年前、おそらく舞台は都内のミスド的なファーストフード店。中学時代の愛城華恋は……女子4人男子3人とミスドに来ていた。

 まずこの時点で信じられない。何で愛城さんが男子と一緒にミスドに来てるんですか?何で?そんなの私の愛城ちゃんじゃない!!(狩りのレヴュー)

 まあ……予測できないこともない。愛城華恋は明るくて、優しくて、ハツラツとしていて、星屑溢れるステージに可憐に愛の花を咲かせてみんなをスタァライトしちゃうんだから、そりゃもう中学で大人気なのは少し頭を働かせれば至極当然の事である。でも、でも、男子3人女子4人でミスドに来てる所をまじまじと見せつけられたら……私の知らない愛城ちゃんを見せられたら……心がおかしくなっちゃうでしょ!

 ああ、なんだか強いお酒を飲んだみたい──────。

 そもそも私は、テレビアニメ版『少女☆歌劇レヴュースタァライト』でも、『少女☆歌劇 レヴュー・スタァライト ロンド・ロンド・ロンド』でも、ソシャゲの『少女☆歌劇 レヴュースタァライト -Re LIVE-』でも、大して「愛城華恋」というキャラが好きでもなかった。いや別に嫌いって訳でもないのだが……なんなら私はまひる推しである。

 正直私は劇場版のこのシーンでとても落胆した。私の知ってる「愛城華恋」は、「聖翔音楽学院99期生の愛城華恋」であり、「少女☆歌劇レヴュースタァライトというアニメーションの主人公の愛城華恋」でしかない。

 しかし、この中学時代の愛城華恋は、もはや観客の予想も想定も想像からも離れた「愛城華恋という人間」そのものを描いたシーンでもある。
 
 そもそも愛城さんがこんなにゴリッゴリの“陽”の中学時代を過ごしていると思わなかった。そもそも愛城さんが普通に良い感じの中学時代を過ごしているとは思わなかった。そもそも愛城さんが男子3人と女子4人でミスドに行っちゃう感じの中学時代を過ごしてるなんて思わなかった。そもそも愛城さんは男子3人対自分1人とかじゃなくて「男子3:女子4」というこのトントン構図でミスドに行く時点で陽って感じがするし、そんなリアルを生きてると思わなかった。そもそも愛城さんはいつもこのメンバーでカラオケとか行っちゃってるのか?アウトレットは?ミスド以外のファミレスは?ココスか?ガストか?サイゼ?ロイホ?このメンバーはイツメンなのか?隣の女子は?男子3人の中、中央に座っているちょいヤンキーっぽい奴は何?どういう関係?学校でも仲が良いのか?そもそも愛城さんは同級生に告白されてる?いや絶対告白されてる。そうに違いない。そうだったら私はおかしくなるけど、逆にこんな素敵な子が告白されてなかったらおかしいだろう。この3人は愛城さんに告白したことがあるのか?いやないだろう。でも無かったとしても少しぐらいは意識したことがあるに違いない。特にあの、「俺は愛城のこと分かってるけどね」みたいなこと抜かしてる端の眼鏡、オメーなんなんだよ。オメー愛城のなんなんだよ。俺はアニメスタァライトリアタイ勢なんだよ。2018年から平成令和跨いで4年間愛城華恋のこと見てんだよ。なんなら俺高校1年生の頃にスタァライト見てんだからたったのこれっぽっち中学3年しか過ごしてない眼鏡のキミより「「「「「1年分」」」」」は愛城の事知ってんだが?

 外連味・虚構・幻想……ありとあらゆるアニメの嘘と快感が詰め込まれたこの怪作において、中学時代の愛城華恋を克明に切り取る約4分程度のこのシーンは、恐ろしいほどリアルに描かれている。

 同じ席、同じテーブルに座っているのに男子グループと女子グループでそれぞれ別の話を並行して展開しているこの中学生のリアルな空気感、華恋が「神楽ひかり」とGoogleで検索しようとして「か」と打ち込んだ際に「かにはにわ」がサジェストされる細かい描写、会話ひとつの空気の作り方から僅か1秒程度のスマートフォンのサジェストにまでこだわりが見えるのが『劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト』の凄まじさである。

 しかし、そこまでこだわられた現実の愛城さんの描写は、そんな夢の極地、煌めきの極限、めくるめくスーパー大スペクタクルワイルドスクリ────ンバロックと対極に位置する現実の愛城華恋は、私の持っていた「レヴュースタァライトの主人公愛城華恋」の虚像を見事に東京タワー1本刺し真っ向唐竹割に打ち砕いた。

 確かに私は、『少女☆歌劇レヴュースタァライト』という作品で描かれたちょっと落ちこぼれ気味の愛城華恋しか知らない。同級生からしたら、舞台で主役として立っていて、誰よりもキラキラしていて、夢に向かって突き進むみんなの憧れのスタァだったのだろう。

 同級生に……よしんば同級生に愛城さんが居たら一体どんな学生生活を送れるのだろう?私は根暗野郎だから多分愛城さんと女子4人男子3人でミスドに行くようなイベントは絶対に発生しないと思われる。でも、でも、もしかしたら落とした消しゴムを拾ってくれたりとか、いやそれはいくら何でもラブコメすぎる。もはや関われなくともいい、例えば文化祭のステージなんかで主役を張る愛城さんを拝むことが出来るのだろうか。むしろ……私が愛城さんと同じ幼稚園、小学校に通い続けていたとしたら、中学時代の大人気の愛城さんを見て一体どう思っていた?愛城さんがあんなにきれいになって嬉しい?愛城さんがあんなに人気者で妬ましい?愛城さんがあんなに舞台でキラキラ輝いていて誇らしい?一体、一体、一体私は何を思うのか。とにかく私は中学生の愛城さんを見て、何ていうかこう、感情がメチャクチャになった。そもそも私にとって「愛城華恋」はアニメのキャラでしかない。スタァライトで最もアニメアニメしてるキャラだと言っても過言ではない。天真爛漫、風光明媚、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。こんなに創作の中にしか存在しないようなキャラクターの過去をここまでリアルに描かれると逆に突き放されたような気持ちになる。だってそうでしょう!?私の知らない愛城さん、私だけが知らなかった愛城さん、なんで!?なんでこんなシーン作った!?こんなシーンが無ければこんな記事書いてないし、愛城さんについてここまで考える事も無かったッ!中学時代の愛城さんなんて好きだけど嫌いッ!!愛城さん…愛城さん……愛城さん………

 愛城ッ!!!