見出し画像

「エロゲ」を知らない私にブルーアーカイブがくれたもの

 1年くらい前、『ブルーアーカイブ』の最終編を遊んで、「あ、そういうことか」と納得したことがあった。

 今から、この「ブルアカで得た納得」について書いていこうと思う。

 私は、「エロゲ」というものを遊んだことがない。
 もっと言うと、「エロゲという時代」を知らないのだ。

 いくつか「全年齢版」を遊んだことはあるけど、18禁シーンが存在している&アドベンチャー形式の「エロゲ」というものを、遊んだことがない。というか、私が物心ついた中学~高校の頃には、スマホを中心にした「ソシャゲ」がメインストリームだった。

 そして、私は一応ゲーム系に携わる仕事をしていて……自分より、ひと回りふた回り歳が離れた人と話すことも多い。

 その人たちが「エロゲ」について語り始めると、それはそれはもう熱い思いを語り始めるのだ。いい思い出も悪い思い出も含めて、あのメーカーがどうだ、このヒロインがどうだ……とにかく、「エロゲ」という時代を通った人は、ものすごく楽しそうに「エロゲ」を語っている。

 それを、私は理解できなかった。
 ただただ、シンプルに「エロゲという時代」を知らないから。

 こういうものは、決まって「その時代の空気」「その時代の感覚」がセットになってついてくる。もちろん名作と呼ばれるタイトルは、今からプレイしても「作品の素晴らしさ」は全く色あせることなく楽しめると思う。

 だけど、私よりひと回りふた回り上の人が味わってきた「エロゲの楽しさ」を、その時代の空気や感覚込みで120%体験できるのかというと、私はそう思えない。

 たとえば、『平成ガメラ』や『FF7』のような90年代後期の作品群が持っている「あの空気」を、今から順番に追っていって、「その時代の空気」まで合わせて120%堪能できるだろうか? 私は、そうは思えない。

 「ガイア理論がすごい」とか「世界が滅びそうな空気が漂っている」とかはロジック的に理解できるかもしれないけど、もっと大本にある「リアルタイムじゃないとわからない感覚」を、完全には把握できないと思う。

 だから、私のような「エロゲという時代を知らない人間」と、「エロゲという時代を通った人間」の間には、絶対に埋まらない「何か」があるのだ。この「何か」が一体何なのかは、私と近い世代の人なら少しは理解してくれるんじゃないかと思い……ちょっと曖昧なままにしてみたりする。

 つまり、「エロゲという時代をリアタイした人」が、その時間その時代で直接体験してきた「エロゲの楽しさ」を、これからも完全には味わえないのだろうな……と、勝手に落ち込んでいたりした。もう薄々気づいているかもしれないけど、この記事の根本にあるのは「私の勝手な落ち込み」である。

 素晴らしいゲームは、この世にたくさんある。私もKeyのアニメや型月のゲームは好きだ。だけど、もっと大本にある「エロゲの楽しさ」は、あとからどれだけプレイしても完全には味わえない……私はそう思っていた。別にこれは、「エロゲ」に限った話でもないと思う。

 この「エロゲという時代を知らない」という感覚、ピンと来ない人は本当にピンと来ないかもしれない。

 この「知らない」からこそ味わっていた感覚をなんとか言葉にしてみると、「寂しい」とか「羨ましい」とか、そういう気持ちになるのだと思う。だけど、もっと品のない言葉で表現すると、これはきっと「欲望」なのかもしれない。つまり、「それが欲しい」ということ。

 「憧れ」とか、そんな綺麗なものじゃない。私の知らない感覚を、私の知りえない感動を、私が一生味わえない「何か」を持っている人間が、この世にはたくさんいるらしい。そして私は、その「何か」を味わってきた人の思いを、間近でたくさん見てきた。

 だったら、それは欲しくなって当たり前じゃない?

 なのに、どれだけ求めてもそれは手に入らない。
 なぜなら、人類はまだタイムマシーンを発明してないから。

 私は、できることなら、時代性を含めてその作品を120%味わいたい。

 『月姫』をリリース当時に遊んでみたかった。夕方に放送されていたらしい『少女革命ウテナ』をリアタイで視聴してみたかった。『ガメラ3 邪神覚醒』を当時の劇場で見たかった。その時の空気込みで『FF7』を遊びたかった。『ゼノギアス』Disc2の衝撃を、何も知らないまま味わってみたかった。

 これらすべて、私の薄汚い「欲望」でしかない。
 だけど、この欲望を止められない。
 こんな思い、どうしようもない。

 ここでようやくブルアカの話になる。
 前置きなげーよ!

 1年くらい前、私は「最終編」をリアルタイムでプレイした。
 ものすごく良かった。簡潔に言うなら、感動した。

 そしてあのエンドロールを見終えて、「Re Aoharu」が流れるタイトル画面に突入した瞬間、勝手に納得した。「あ、そういうことか」と。全く上手く説明できないけど、「あれだけエロゲについて熱く語っていた人たちが味わってきた“何か”はこれだったのか」と、勝手に納得した。

 ブルアカは、いわゆる「エロゲ」の影響を多大に受けて作られたゲームである。私はその影響の大本を、あまり知らない。完全には理解していない。けれど、最終編をリアルタイムで追って、ブルアカが影響されてきた「何か」の断片を、ちょっとだけ理解できた気がした。

 2周年イベントで突如として「最終編」が発表され、そこからまもなくメインストーリーが実装され、あまりにも冠位時間神殿っぽいレイドバトルを行い、美しくも切ない先生全裸エンディングを迎えた「あの時間」、「あの空気」。まさに、あの一瞬でしか味わえないものだった。

 だから、私がブルアカに一番言いたかったことは、「エロゲという時代の断片を見せてくれてありがとう」です。これだけ、ずっと言いたかったんです。なので、最終編をクリアした一番の感想は、「ちょっとスッキリした」でした。ずっと抱えてた言葉にできないこのぐちゃぐちゃした気持ちを、ちょっとだけほどいてもらった感じがしました。

 ただ、「120%理解した」わけでもないとは思います。元々15%くらいだったエロゲ理解度を、25%くらいに引き上げてもらった……そんな感じです。だけど、それくらいでちょうどよかった。この「何か」にちょっとだけ触れられたのが、私にとっては本当に、本当に嬉しかったです。

 これが、『ブルーアーカイブ』という作品に一番言いたかったことです。

 だけど、いつの日か「ソシャゲの熱狂」を別の形で作り出すコンテンツが現れるのかもしれない。「エロゲの熱狂」を別の形で作り出してきたブルアカのように、そんな作品が生まれる時代がやってくるのかもしれない。

 これはもう、無限ループだと思う。

 たぶん、いつの日か自分も「ソシャゲという時代を通った人間」になり、私と少し世代の離れた人に「(この辺の人たちソシャゲの話になるとテンション上がるよな……)」とか、思われたりするのかもしれない。え、怖っ。時代の流れって怖っ。おい、何年経ってもブルアカの話してやるからな!

 だからこそ、自分は胸を張って言えるのかもしれない。
 「この時代に生まれてよかった」と。

 俺より年下のオタクよ、
 最終編をリアタイした俺をさぞ羨ましがるがいい!!