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今更FFXを遊んだら人生の嫌だった事を全部追体験させられた

みなさん、人生で何か嫌だったことってありますか?いやまぁそりゃ真っ当な人生を送っていれば必ず1つぐらいは嫌なことはあると思います。

例えば「昨日ぶつけたばかりなのにまた足の小指をぶつけた!」とか、どんな小さいことでも必ず何か嫌だったことはあるはずです。



単刀直入に行くと、FFXをワクワクで遊んだらこれまでの人生で嫌だったことを全部追体験させられました。

まずはこのツイートを見て下さい。

私はこのティーダとユウナが笑い合うシーンで「えっ?何で二人とも会話の途中で笑い始めてるの?クスリ吸ってるの?」と思った。

しかし、「いやこのシーンはクスリ吸ってるんじゃなくて会話が続かないのを笑って誤魔化してるんですよ」とフォロワーさんから突っ込みが入った。

私はこの時!もう何年も生きてきて初めて「人間は会話が続かなくなった時に笑って誤魔化す」というコミュニケーション技術があることを知った!
これまでの人生、一度も人との会話が続かないときに笑って誤魔化したことはなかったし、もちろん人に笑って誤魔化されたことも一度もない。

アレ…?じゃあこれまでの人生って一体……?

だってそんなの義務教育で教わってないんだよ!
「人と会話している最中に笑って誤魔化す」なんてコミュニケーション技術は義務教育で教わってないし誰からも教えてもらえなかった!それなのに何で楽しいハズのファイナルファンタジーでコミュニケーション能力の欠如が露呈しなくちゃいけないんだ!?

もはやこの頃からFFX特有の嫌な明るいノリが私に対して牙を剥き始めていた。



このツイートでは「訳の分からないノリ」と言っているが、今になって思い返してみればこれはとても明るくて楽しい体育会系のノリだということがよく分かる。

まず断言するが私はこういう体育会系の明るいノリが大の苦手だ。
自分のことを光属性に弱い闇属性だとか太陽に当たったら灰になる吸血鬼だとか言うとまるでカッコつけているみたいだが、まさにそんな感じでこういう楽しげな明るいノリを見ているだけでどんどん心が蝕まれていく。

「みんな~!階段の上まで競争だ~!!」
「ア、アハハ…(なんなんだこの訳の分からない明るいノリは…何が楽しくて笑ってるんだ…分からない…とてもじゃないがついていけない…苦手だ…)」と自分に合わないノリを見せつけられてとにかく愛想笑いをすることしか出来ない。

ゲームだけでなくこの体育会系の嫌な明るいノリにはこれまでの人生で何度も苦しめられてきた。何で!?何で!?何で楽しい楽しいファイナルファンタジーで体育会系の嫌な明るいノリに首を絞められくちゃいけないの!?



もう完全にFFXの「嫌な明るいノリの牙」が私の喉元に完全にぶっ刺さった。私は苦しみ悶えることしか出来ない。しかもこのシーンはかなり序盤。

「も、もしかしてクリアするまでこのFFX特有の嫌な明るいノリに苦しめられ続けるのか…?」とプレイ当時の私は戦々恐々した。

実際その通り、FFXは最初から最後までずっと嫌な明るいノリに苦しめられ続けるゲームである。(個人の感想です)




も~~~~~~~~~~無理!!!!!

もう嫌~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


このイベントは主人公のティーダとメインヒロインのユウナが笑顔の練習のために二人仲良く笑い合うだけのイベント。それだけ。
本当にそれだけなのに、もう見ているだけで湿疹が出そうになる。

いや違う。これはFFXが悪いのではない。こんなちょっといちゃいちゃするだけのイベントでここまで精神を追い詰められるプレイヤー側に問題がある。ゲームは何も悪くない。プレイヤーが全て悪い。

こんな事になるならもう中学生ぐらいの頃にFFXを遊んでもっと明るい人間になっておくんだった………



もうFFXに対する負の感情が止まらなくなっている所に、FFXはもう一つの武器「どうしようもなさ」で更に私の壊れかけの心に追い討ちをかけてくる。

FFXを一言で言うなら、「どうしようもない」に尽きる。


ティーダからはクソ親父に見えているがただジェクトは愛し方が分からなかっただけで本当はティーダを愛しているし、その事だって分かってはいるんだけどそれでも親父が嫌いなティーダとジェクトのどうしようもない家族関係。



エボンは宗教上で罪を償う話をしていてアルベドは論理的にどう戦うかの話をしているから一生平行線などうしようもないアルベドとエボンの確執。



シンを倒し一時的な平穏を手に入れるために何度も何度も「今度こそシンが復活しないかもしれない」と周期で必ず復活するシンに挑み続けるスピラ全体の悪循環のどうしようもなさ。



FFXには「どうしようもない」しかない。
こんなにも美しい風景ばかりのFFXの舞台のスピラに反比例するような全体の「どうしようもなさ」の対比がFFXはとても美しい。

そしてその美しい風景とどうしようもなさを全て象徴するかのような音楽の教科書にも載っている名曲『ザナルカンドにて』。
美しいはずなのにどこが物悲しいメロディはまさにスピラ全体、そしてFFX全体の「どうしようもなさ」を音だけで全て伝える。





………それが私は嫌なんだよ!!!
何でゲームの中でも現実生活のどれだけ頑張っても頑張ってもどうにもならない嫌な感じを味わうんだ!?何でゲームの中ですら夢を見ることが出来ないんだ!?!?


「どうしようもない家族関係」「田舎特有の封鎖的なのにも関わらずその内輪の中では明るい嫌な空気感」「頑張っても頑張ってもどうにもならない現実」、この全てが私の人生にクリティカルヒットしている。もうFFXのせいで再起不能になりかけた。FFXに首を絞められすぎてついに首が取れた。




もうこれ以上やめて欲しい………もうこれ以上俺にこれまでの人生で嫌だったことを追体験させてどうするっていうんだ………


そう思っていた中、自分が死んだ。
FFXは最後に主人公のティーダが死ぬ。
ティーダには「ジスロマック」という名前を付けていたためもう自分が死んだのと同義である。


これまで散々!本当に散々人生の嫌だったことを追体験させて人の心を追い詰めて挙句の果てには殺すのか!?ふざけるな!

こんなゲーム二度とやるか!

バカヤローーーーーーーーーーーー!!!!!!!!





……と、言いたいところなんですけどSwitchのFFXリマスター版を買ったら一緒にFFX-2も付いてきたのでそっちもやってみようと思います。
それでは!

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