2歩目(後半)大都市を離れて高崎線沿いを北上。上尾宿~桶川宿

さて4月11日の後半だ。
1年後の執筆だ。。。
上尾宿に到着し、鍬神社を探索したのち、15分ほど上尾駅前のデパートで小休止。
(写真なしごめんなさい)

デパート名覚えてなかったけど、調べてみたら丸広デパートというらしい。埼玉県内に数店舗あるようだ。
こういう地元に数店舗展開しているお店は応援したくなる。
頑張ろう丸広デパート……!

さて小休止を挟んでいけるところまでいこう…!

歩いていると、酒蔵の文字が…

カッコイイ建物だ…!寄りたい…!
ただ俺は今上下ランニング系のぱっつぱつのウエアを着て汗もかいている。
い、いけない…
たぶんここで入ってしまうと前へ進めなくなる。
そう直感が言っている。ならば進もう。先に…!

ちなみにこちら、酒蔵 文楽さんは1894年から上尾で酒を造っているとても歴史のある酒蔵さんでした。
HPはこちら…! 

https://www.kitanishishuzo.co.jp/

さて、宿場町のおわり(京都側から見ると始まり)にはしっかりと「中山道上尾宿」の文字が。
こういう文字を目にすると、「ああまた次の町へ行くのだな」と感じる。

ずんずん—―

歩いていると、こんな看板が!

はにわ??
やきそば??フライ???
なにがなんだか良くわかんねえ…!
やきそばのお店なのかな。
あとはなんかアジフライとかエビフライとかとんかつとかの定食屋だな。
と勝手に結論づけた。
とりあえず写真撮っといて歩くか。

名家っぽーい!!すげえ!!

そんなことを思いながら歩いていると、

「桶川市」の文字が!
時刻は16時57分。日も傾いてきたし、今日は桶川までだなぁ。

なんて思いながら歩いていると、



すぐに桶川宿の文字が!
どうやら今は桶川宿の一番端っこにいるらしい。

江戸・日本橋から数えて6番目の宿場。
そこそこの荷物を抱えて江戸・日本橋を出立した旅人がおよそ1日歩き通して日暮れどきを迎え、宿を求めるのがここ桶川あたりであったとされる。

天保14年の記録[8] であるが、それによると当時の桶川宿の規模は、宿内人口1,444人、町並み9町半(約1.0 km)、宿内家数347軒であった。本陣は1軒、脇本陣は2軒。府川家が世襲した敷地面積1,000坪余、建坪200坪に及ぶ本陣は、当時の建物の一部が個人宅として現存している。旅籠は36軒あり、当時の建物を残して今日ある「武村旅館」はその中の一軒であった。

Wikipedia

冷静にここまでゆっくり歩きかつ朝10時スタートとはいえ、ここまで荷物抱えながら1日で歩くのエグくない??
前の記事で書いた上尾宿か、ここ桶川宿が距離的にちょうどよかったらしい。1日40キロ歩くって相当だぞ……

ここはwikiの引用にも載せた武村旅館さん。営業はしていないけど、建物は現存している。
片側1車線の旧中山道で、現在の中山道(国道17号)よりははるかに雰囲気を残しているわけだけど、(あたりまえか)それでもこのように昔の旅籠を残しているのは、無いのとでは、江戸時代の雰囲気を肌で感じる点において大違い。

今日はここまで来てよかった。
なんか今日の宿はここだ!!!って感じあるもん。
少しはその当時、中山道を歩いていた人の気持ちと同じ想いを抱けている気がして嬉しかった。

まあ、桶川から高崎線で帰るんだけどね…(笑)

まだ少し明るいので、桶川宿を散策しよう。

桶川宿は、駅前通りに面していながら、かなり昔ながらの建物が残っているように思う。写真のように矢部家住宅や、今回は載せないがその対面には小林家住宅など、その当時の面影を存分に残している。

本陣の一部を移築した建物も!!

ただこの日はもう閉館時間も過ぎていたので中に入れず・・残念。

お花がきれい。

お恥ずかしながら、この時には気づかず、最近気づいたことがあって。
お花がきれいってことは誰かがお手入れをしているってこと。
道がきれいってことは誰かがお掃除をしているってこと。
当たり前なのかもしれないけど、こういった背景に思いを寄せることも大事なことなんだなと。

一里塚跡。普段生活している上では全く気にしなかった「一里塚」。
でもこの旅を通して、とても大事な意味を持つ「一里塚」。
もちろん、マイルストーン的な意味もあるけど、それ以上に、「自分が歩いてきた証」だから。
自分はこんだけ歩いたんだぞ。と自分に誇りを持たせてくれる。一里塚はそんな存在だ。

稲荷神社。

木の中に祠?が。こんなの初めて見た。
ちょっと怖い。

その通りの石柱?にはお金が律儀に置かれていた。これなんだろうか。
どういう意味があるのだろうか。

なんて思いながら、駅前へと歩を進める。

駅前には奧埜本店さん。和菓子がたくさん。イチゴ大福を買っていただく(写真なし)
美味かったのは1年以上経ってからも覚えている。
旅の疲れを吹き飛ばしてくれる。

そして、イチゴ大福が僕のお腹にエンジンを入れたのか無性に腹が減った。
昨日いけなかった娘々にいきたい…
と思いながらも時間や日にちの問題でいけず。


しょうがなく、駅前の日高屋にて豚骨ラーメンをたべる。
でもこれももちろんうまいのだ。
身体にしみる…

さて、食べたし帰ろう。おうちへ。

今日気づいたことがある。(1年前だけどはっきりと覚えてる)
帰り路、高崎線に乗って帰ると、その日進んだ道を帰ることになる。
今回は浦和駅スタート。そして桶川終わり。
浦和から桶川は、
浦和ーさいたま新都心ー大宮ー宮原ー上尾ー北上尾ー桶川
6駅分歩いたことになる。
今日は何駅分進んだ。今日は電車にして何分稼いだ。
数値化のようなものなんだと思った。

これから高崎まではそのようなことを思いながら進むのだろう。
あと何日かかることやら…
まだまだ市街地を進んでいるだけだが、これからはどんな道が待っているのだろうか。

帰ったらストレッチを入念にしなきゃな…
明日からはまた仕事だ。
そんなことを思いながら、家へ帰った。




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