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コミュニケーションについて

コミュニケーションは毛づくろい的な営みであるとはよく言ったもので、話の中身の有無よりもお互いの雑な意見や感想を適当に同調しながら仲を深め合うための道具に過ぎない。しかし、コミュニケーションが苦手な人はしばしば発表のようになってしまう。(サムネ画像のように)

今回はこのコミュニケーション障害、いわゆるコミュ障の人達が中身のある話をしたがる(してしまう)のはどうしてなのかを考えてみようと思う。
そもそも、どうして突然こんなことを書こうと思ったのかと言うと、白饅頭氏の記事がきっかけである。

僕の駄文とは違って非常に読みやすい文章でまとめられているこの記事では、コミュ障は会話の中身に固執しすぎるという事が書いてあった。
もちろん中には更に具体的な理由が書いてあるので気になる方は読んだ方が僕の考察も深められる。

白饅頭氏が言うには、コミュ障の人間は会話に慣れる以前にメタ的な視点(コミュニケーションは毛づくろい的な営みである)を再インストールする必要があるということらしい。当然、それが理解出来ずに現在苦しんでる人は今回の白饅頭氏の記事でコミュ障脱却できる可能性があると思う。

しかし、理解した上でコミュニケーションを変えられるかどうかは別問題である。おそらく理解しても最終的に中身のある会話に「逃げて」しまう人は出てくるだろうと言うのが僕の考えだ。
まぁ、これぐらいなら白饅頭氏も思い至っているだろうと思うので、ここから先はただ自分が考察をしたいというだけのお遊びみたいなものだ。


まず、話すことに関しての能力は二つに分類できると考えている。それが

「コミュ力」と「トーク力」

である。
これは個人的な定義に過ぎず自分が見てきた範囲での考えなのだが、僕はいつも会話のあれこれを他人に話す際に「コミュ力」と「トーク力」という二つの言葉を用いて説明する。
まずはその二つの定義について書いていく。

・コミュ力

文字通りコミュニケーションする能力。
毛づくろい的な意味合いが強く、内容を深掘りすることよりも相手の反応や同調する態度を見て、無意識的に敵か味方かを判別するために行なわれるものだと考えられる。
多くは女性の方がこの能力に優れている。

・トーク力

トークつまり話す能力。
単に話すだけなら上記のコミュ力と同じだが、ここでは内容について深掘りしたり、または何かしらの情報を上手く伝える能力だと考える。
セールストークなどがこれに当たるだろう。
多くは男性の方がこの能力に優れている。

この定義からコミュ障というのはコミュ力が欠如していたり劣っていたりする状態のことだと考えられる。原因は性差的なものから自己肯定感まで様々だろう。そこに関しては既に小山氏も指摘している。


僕なりの解釈をすると、コミュ力いわば毛づくろいの上手さはこれまでどれくらい周囲の人間に受け入れられたかで決まるというものだ。
話しかけるだけ近寄るだけで嫌な顔をされる人間と、相手からニコニコと話しかけられやすい人間では当然後者の方が毛づくろいが上手くなる確率は高い。

では前者はどのように会話を習得していくか。
おそらくは無意識に相手に楽しんでもらうか価値のある存在であると認めさせるために「トーク力」を見せつけようとするのである。中身で勝負という訳だ。
そこで説明が飛び抜けて上手かったり(その場合はたいていコミュ力もあるが)、中身が面白かったり相手と噛み合ったりすれば晴れてコミュニケーションが成立する。

僕の友人含め、男性のコミュ障は大抵前者のタイプが多い。もちろん嫌われてるとかいじめられてるとかそういうレベルだけではなく、性差からのコミュ力の低さとトーク力の高さのバランスでそうなっているものも多い。仲良くなると面白いのに最初で躓くと関係が始まらないまま終わるタイプだ。

また女性のコミュ障は見た目に自信が無かったりする人に多い。これは自己肯定感との関連性や相手が会話コストを払ってくれるかどうかで変動している部分があると推測している。特に男は下心で女子に話を合わせるパターンがあるのでそれが少ないと自分をコミュ障だと感じる人も一部発生するのだろうと予想している。

長くなったが、これらがおおよそのコミュ障の原因だと考えている。


コミュ障を克服するには

コミュ障は様々な要因の絡む問題で「これだ!」という圧倒的な解決法は恐らくない。
ここまで書いておいてなんだが、白饅頭氏の言うようにメタ的な視点を再インストールするのが一番肩の力を抜くのに有効な気がしている。
ただ、これだけ書いてそれで終わりも寂しいので、考えうる克服方法を書いてみようと思う。

そもそも、コミュ障問題で一番疑問なのは、コミュ障なのに「自分が話そう/話さなきゃ」という意識が強い人の多さである。そういう人がだいたい直面するのがコミュ力というセンスの壁である。


弘法筆を選ばずというが、中身のない話も使い手によっては心地の良い会話の材料となる。
それを後から習得するのは非常に難しい。
頭の回転の早さやパッと面白い一言を思いつく能力、芸人などを見ていれば分かるだろうが、ふとしたきっかけで面白い一言や気の利いた言葉を生み出す能力はセンスや相当の修練(慣れ)を必要とする。

そこで僕が提案したいのは「自分が話すことをやめる」である。会話をやめるという意味ではない。自分が話すことをやめ、相手に話させようという事だ。
こんな事はあらゆるコミュニケーション本や動画で散々言われていると思うが、相手の話を引き出せるようになれば自分が話す必要は無くなる。
要は聞き上手になれということだ。

たいして話が面白くない、面白い話をしている訳では無いのに周囲に人が集まりやすい人の中に「聞き上手」というものがいる。
もともと相談を受けやすい雰囲気を持つ人もいるが、コミュ力を磨いていく中で質問の仕方や話の聞き方で信頼を勝ち得ている人は大勢いる。

先手を打って質問をした後、相手からの返答に相槌や肯定(あんまり納得してなくても)しつつ、それに興味を持った態度を取れるようになれば、自分が話すよりも簡単にコミュ障脱却ができると思う。
(先に話しかける勇気がないと言われてもそこまでは対応できないので頑張って勇気を出そう)

また質問というものはある程度パターン化できて使いまわせるのでいろんな人に使うことができる。
研究では質問を多くすると相手から好意を持たれやすいという研究結果もあった。(どこの研究かは忘れたが)
とにかく、相手からの質問に上手く答えたり会話の中で気の利いた一言を出すよりも、前もって質問をパターン化しておいて小出しにする方がどう考えても簡単だ。自分から話すのが苦手という人は、いろいろ調べて見て「聞き上手」を目指すことをおすすめする。

気が抜けるほどしょうもない克服案で申し訳ないが、もしも画期的な克服案が思いついたら多分noteに書きます(そんなものはない)
一人でも多くコミュ障を脱却できる人がいることを祈っております。

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