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第6話 分かたれた道は戻らない

祝歌の月も中頃を過ぎた頃音楽祭も終わりの兆しが見え始める。各国から訪れる楽団は帰り支度を始めやがて聞こえてくるのは教会の賛美歌だけとなる。人々は美しく透き通った賛美歌を耳に楽団が去った後訪れる者たちのために重い金庫の蓋を開けるのだった_
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ソレブリア砦の襲撃から2ヶ月、セヤはアンヴァンシブル山脈の麓の村に潜み軍力を蓄えていた。そんな中セフィドは2ヶ月の間行方知らずだったセヤの居場所を見つけ出し皇城から進軍を始めた。その進軍を阻むためにエムロード川に唯一かかる橋に軍を駐留させたものの裏をかいた攻撃によって参謀であるルネッタまでもを失うこととなった_
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西から吹き付ける暖かな風がエメラルドの川の水面を波立たせ光を反射させる。正午になり南中した太陽の光は眼帯の奥まで刺すように眩しい。対岸に旗が立てられて半日、動きは未だどちらにもない。風が西から吹いている間は迂闊に攻撃は出来ない、とりあえずは相手の出方を待ってみるか。風で散らばる髪を1つに束ねながらルゥは向こう岸を眺める。昼時もあって陣を構えた中央あたりからは飯炊きの煙が上がっている。しかしその煙も少なく当分のうち動くような気配は感じられない。「ルゥさん、本隊のユージーン王から伝達が来てるぜ!」後ろから声をかけられて振り返る。「伝達?一体なんの…。」伝達者のいる陣の方へルゥは歩いていく。「何かあったのか?急ぎの伝達てことは。」「本陣がセフィドの別働隊に急襲された模様ですので援護に向かうとのことです。本隊の3分の2の指揮権をナイト殿に、と預かってきております。」「おいおい…本陣を急襲ったってこの橋以外にどこを通って……いや、何にせよ本陣が襲撃されたってなるとルネッタと物資が心配だが…………それより本隊の3分の2の兵士まで俺に預けるなよ。」はぁとため息をつくとルゥはいつになく難しい顔をして黙りこくった。トントンと机を指で叩く音だけが響く。「どうせ向こうもしばらく動く気はなさそうだし、となるとそうだなぁ…。」何かを思い出すようにしばらく視線を宙にさまよわせて1人納得したように頷くと伝達者の方へ顔を向けた。「このまま川と橋の死角になっている南の方で待機しておいてくれ。リーヴェスには俺が使いを出しておく。ご苦労だったな、お前も戻って少し休め。」
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「ええい!やかましいわ!!寄ってたかって口々に不満ばかり並べ立てよって!!!」謁見の間に怒声が響き渡る。中央に据えられた王座に座ったアリアナは前にズラと並ぶ貴族達を見下ろしてため息をついた。皆入ってくるや否や失くした兵の損失を寄越せと言い張り聞く耳を持たない。「アリアナ殿、知らぬ存ぜぬと申されるつもりか。自分の部下のしたことに責を持てぬ主ではあるまい。」「確かにアテレスの勝手は許したが出兵の許可もその責を取るとも私は言った覚えはないな。それにアテレスに絆されて兵を寄越したのはお前たちの失態だ。どうせ甘い声で強請られてさして話も聞かずにホイホイと貸したのだろう。その責まで取れと言うのは片腹痛いわ。」「しかし我らの優秀な兵を失う原因はそちらに……。」「くどい!仮に我が軍としてお前たちの兵を率いたとして将も守れずなんの武勲も立てずに全滅した者に渡すものなど何一つない。…もう良いな、私はお前たちなんぞに構っているほど暇ではない。」アリアナははっきり言い放つと目の前の貴族たちに背を向け玉座の後ろへ足早に立ち去っていった。
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剣の刃を伝って生暖かい血が柄の方まで落ちてきて白い手袋を赤く染める。刺し貫いた体から剣を抜くと支えを失った体は傾いて地面へ倒れていった。頭の中は冷静で落ち着いているというのに心臓はバクバクと激しく脈打っている。人を刺す感覚は、人を殺すということはこういうことなのかとライラは思う。「愚か……ですね。大人しくキング・アリアナに従っていれば失わずに済んだものを。」ライラの言葉に答えはない。ただ呆然と立ち尽くすユージーンはもはや仇であるライラの姿すらも見えていないようだ。その様子なら私でも打ち取ることが出来そうですね。そんな考えが頭の中をよぎる。しかし今ユージーンという頭を失えば彼らが黙っていないのは分かりきっている。飼い主がいない猛犬程恐ろしいものはないだろう。今はまだユージーンにその手綱を握っていてもらわなければならない。ライラは細身の剣を握る手の力を緩めた。そしてそのままゆっくりとしゃがむとルネッタの首に手をかけ剣の刃を添えた。「触れるな!!」木々にこだまして帰ってくる程の怒声にハッとする。顔を上げた瞬間剣を振りかぶり風を切る音がした。今更剣で防ごうとしたところで間に合う訳もなくすぐに来るであろう痛みに身構えた。………………カァンと鈍い音に目を開ける。痛みもない。「ライラ殿!ここは私が引き受けます、それを持って帰還を!!」いつの間にか兵士の1人が近くまで追ってきていたようだ。ほっとするのも束の間ライラは剣を持つ手に集中する。私の力では首を落とすのに時間がかかる、本当は城門にでも掲げてやりたかったのですが仕方がないですね。素早く頭を動かすとルネッタの髪を1房握り剣先で切り取った。「頼みました!」後ろの兵士に声をかけて近くに繋いでいた馬に跨ると森をぬけて元の道へと戻る。辺りを見渡すと自身がひきいてきた兵とユージーンの兵は未だ争っている最中だった。しかし数で勝るユージーンの軍に圧倒され防戦一方になっている。「総員撤退を!目的は達しました。」ライラの号令を聞いた兵士たちは前衛を切り崩して撤退を始めた。首は取れなかったものの概ね作戦通りにことは動いている。目の前で婚約者を失ったことでユージーンは傷心しきっているはずだ。あとはゼラが上手く敵兵を減らしてくれればこちらが優位だって和睦交渉を行う道も見えてくるだろう。和睦が成功すればアリアナの名声も高まり、セヤにいる優秀な人材も手中に収めることができる。これ程良いことはないだろう。上手く事が進んでくれると良いのですが……。撤退する兵を先導しながらライラは切り取った髪をポケットにしまい込んだ。
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「カルフィエ様!伝令です。」ゼラは急いで陣の中へ入ってきた兵士の方へ顔を向け何事かと問う。「先程ライラ殿の別働隊から早馬が送られてその背に添え書きが置いてありました。」そういうと手に持った薄地の木簡をゼラの前に差し出した。それを手に取ると薄茶色の木面に文字が浮び上がる。何度かライラとアリアナがこのように魔法を使ったやり取りをしているのは見ていたがいざ自分がこんな風に伝達を受け取ってみるとなんだかワクワクしてしまう。しかし今はキングという立場であり戦場にいる状況がゼラの頬を引き締めた。「……どうやらセヤのクイーンを別働隊が討ち取ったようですね。ライラが戻り次第策を立てて攻撃に出ます。」返事をして去っていく兵士を見送ったあとゼラは隙間から見える川を眺めた。僅かに傾き始めた太陽の光が眩しい。「バームクーヘンもう一緒に食べられなくなっちゃったな……。」誰もいない陣の中でゼラは1人呟く。敵になった日から呑気にお茶を飲み交わすことは訪れないだろうと理解はしていたものの本当にそうなってみるとガッカリするような悲しいようなそんな気持ちが湧いてくる。信じるものが違うし譲れないものがあるのは分かるけどスーはみんなが仲良くして一緒にバームクーヘンが食べられるのが1番いいと思うんだけどな…。
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目の前がモノクロに見える中で地面に吸い込まれていく血の色だけが鮮やかに映る。目の前の出来事を脳が拒否しているのか時間が止まったようだ。「待て!!っ……くそ、邪魔をするな。」仇であるライラが馬で去って行くのを追いかけようとするユージーンの行く手を兵士が阻む。何度も振り下ろした剣は全て簡単に受け止められた。ぐちゃぐちゃの感情が剣の腕を鈍らせる。「今すぐ、退け!!」力任せに相手の剣を叩き割り横になぎ倒した。傷口から勢いよく血がとび出て顔や服に張り付く。倒れた兵士の上を跨いでライラが去っていったあとを見る。「…もうあんな所に……。」木々の隙間から見えた馬の姿はかなり小さい。ライラを含めた軍勢は早駆けで森とは反対の農地の方へと消えていく。カランと音を立てて足元に剣が落ちた。ユージーンは力なくゆっくりとルネッタの方へと歩いていく。そして半分崩れ落ちるように隣に腰を下ろすと冷たくなり始めた左手を握った。全てを犠牲にしてもこの国のためにアリアナと貴族を退けねばならないと思っていた。それがこのザマか。ユージーンは心の中で嘲笑う。涙の代わりに乾いた笑いがこぼれた。目の前にいる1番大切な守るべきものも守れずして何が国を統べる王だ。後悔と自責の念がユージーンを押し潰していく。影を落とした森の木々の間に一陣の風が吹き付ける。風に乗って運ばれてきた賛美歌が途切れ途切れに響きルネッタの死を嘆いているようだった。
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馬を降りてすぐにライラはゼラが居るであろう本陣に歩いていった。本隊と離れてから既に5日程経っているがまだ双方が陣を構えたまま動きを見せていないのは想定外だった。てっきり後がなくてすぐにケリをつけようとしてくるだろうと踏んでいたのですが…これも彼女の指示なのか、それとも現場の判断なのか……。何方にせよまだ動く気配はありそうにないですね。歩く途中で対岸を見ながらライラは思う。「ライラ・リリアン・ベイカー、ただいま戻りました。」陣の布を捲り入ると机の中央にゼラは1人座っていた。「ご苦労様です、帰還してすぐで疲れているでしょうが報告を。」「えぇ。我々別動体はエムロード川下流から農耕地へ渡り不意をついてセヤ本陣を襲撃致しました。本陣に駐留していた兵士及びクイーンであるルネッタ・ベルトーニを討ち取りかなりのダメージを負わせることは出来ました。しかしユージーン率いる本隊からの応援が想定していたよりも早くこちらも半数の兵に負傷者が出てしまいました。」そう言いながらライラはポケットにしまっていたルネッタの髪をゼラに手渡す。「……そうですか、これでセヤは司令塔を失いユージーンに至っては婚約者という支えを失ったことになる。頭がゆらげば集団としても弱くなるのは必然。良くやってくれました。」王らしく言うゼラの手元で深藍の髪が揺れる。僅かに声音が低いのは気のせいだろうか。…そういえばゼラは彼女と仲が良かったはず。敵とは言えやはり見知った仲の者が死んだとなれば気落ちもしますか。「…………キング、この後のお話ですが恐らくあちら側は我々が動くのを待っているかと思われます。手狭な橋を渡った先で集中的に攻撃すれば数は少なくとも十分戦えますから。」「そうですね、ただ今は風が西から吹いている。そういう時は風上にいるものが戦では有利だとタビタが言っていました。弓兵や風を上手く扱う兵士を魁に相手を制し一気に橋を渡るというのはどうでしょうか。相手が待っているのならそれ以上の力で応じてやればいい。」いかにもアリアナが言いそうなことをゼラは口にする。そのらしい言葉にライラは一瞬返事に詰まった。いつまでもフワフワとした子供だと思っていたが知らぬ間にタビタに教えを受け成長していたのだと気付かされる。「…確かにそうですね、我々はこの国の正規軍であり数も優る。これ以上待っても動く気配が無いのならばそれでいきましょう。こちらとしても長時間の待機は士気に関わってきますし…。現場の指揮は……仕方ありませんね、私が行きましょう。戦慣れしたタビタさんがここにいてくだされば良かったのですが、貴方も今のような格好では動きにくいでしょうし。」ゼラは了解したというように首を1つ縦に振った。
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「なぁ、俺たちいつまでココで待機だと思う?」「そうですね…既に1夜明けていますのでそろそろかと思うのですが。」「これ以上待つの嫌なんだよね……湿気でびちゃびちゃだし。」そう言いながらリーヴェスは鞍についた水滴を手で払い除ける。ルネッタの指示でこの場所に着いてこれといった行動もなく既に1日が過ぎている。何かあれば連絡を寄越すと言っていたもののそれもなくとりあえず何時でも出られる準備だけが成されていた。1回ルゥのとこにでも行ってみようかな、大体の座標は分かるし…。「俺ちょっとルゥのところに行ってくるわ〜。1番前線だし細かい指示出してるのあいつだからこの後どうするか聞いとかないとダメだし……ちょっとの間あの辺の面倒見といてくれる?」かなり適当にそばに居た兵士に軍を任せるとリーヴェスは地図を見て座標を確認すると魔法を展開する。「ま、すぐ戻るしよろしく〜!」困惑する兵士にヘラッと笑いながら言った直後視界がぐにゃっと歪んで体が宙に浮く。暫くすると歪んだ視界は元に戻りだし開けた草原の風景が広がりだした。近くで馬の嘶きがしている。微妙に陣の外に転移したっぽいなぁ…。もうちょっと精度が上がればいいんだけど。そんな事を思いながら陣の中央に歩いていく。中央のテントの布をめくって入ってみると数人の中に頭1つとび出た男がいるのを見てリーヴェスはビンゴと小さく呟いた。「やっぱりここに居たな、馬のとこかなって思ったけど現場指揮任されてるしこっちに賭けてみたんだよね。」リーヴェスの言葉に皆が振り向く。「おいおい、今から伝達しようと思ってところに本人が登場かよ!」「暇だったしさぁ、俺が行く方が速いと思って。」ルゥは仕事が無くなったなと片腕に止まった鷹に話しかけながら近づいてくる。「半時ほど前かな、本陣が急襲されたからユージーンが援護に行ったつう連絡が来たんだ。」「敵もなかなかやってくれるね。で、どうすんの?」「ユージーンが半分ぐらい兵を置いていったから最初にルネッタと立てた策のまんまでいいんじゃねぇか。向こう側から上がる煙もちっとばかし多くなってるしそろそろ動くはずだ。」「まじであの作戦でいくつもり?やばいじゃん、あれ。下手したらルゥとその騎兵隊全滅だろぉ。」リーヴェスに心配されるほど弱くねぇし問題ないって。そう言いながらリーヴェスの心配を他所にルゥは笑う。「ま、確かに死んでも死なないよなぁルゥは。」
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静かな廊下に石畳を踏むヒールの音だけが響く。早朝の廊下はまだ薄暗く時折重なったりズレたりする足音で2人の人物が歩いているのがかろうじて分かるほどだ。窓から差し込む朝日が髪や服の金具に反射してキラキラと光る。「さて、ようやっと貴族どもも自分の領地へ帰って肩の荷がおりたな。…ゼラやベイカーは上手くやっているだろうか。」「そうですねぇ……女神様の声も明るいことですしすぐにでも良い知らせが来るでしょうね♪」声は石畳の廊下に反響して何重にもなって返ってくる。声の正体はアリアナとニキータ。大股で急くように歩くアリアナの後ろをニキータはいつも通り貼り付けたような笑みのままついて行く。「おやおやキング・アリアナ、そちらは厩舎の方ですけど!」廊下の突き当たりで右へ曲がり城の外へ出る階段へと向かいだしたアリアナにニキータは声をかけた。破天荒なアリアナの事だ、貴族たちの対応が終わったから自分も戦場へ赴くと言い出すのではなかろうか。「うん、貴族どもの相手に作戦立て…このところずっと椅子に座っていたからなそろそろ体を動かしたい。…というわけで私も戦場へ行こうかと思ってな。ニキータ、お前も来るか?」前を向いたままアリアナは言う。その口調はまるで野山に駆けに行く子供のようだ。やはりそうかとニキータは笑みの奥で独り言ちる。「残念ですが女神様は行くなとお止めになっておられますので!!キング・アリアナも今しばらく城でゆっくりと構えている方がいいと思いますよ♪」「…なぜお前の言う女神とやらは私が戦場へ赴くのを止める、我が軍が負けるとでも言うのか。」ニキータの言葉にアリアナは初めてこちらを振り返って答える。「いえいえ、ただ女神様はキング・アリアナが赴かずとも問題ないと仰りたいのでしょう♪ゼラさんやライラさんが直に戦勝報告を届けてくれるはずです!!!」「……まあいい、愚兄の軍相手なぞ私が出るまでもない。それよりニキータ、惚れた女が死に12年来の腹心も失えば愚兄は私に降るだろうか。」窓の外を見つめながら問いかけるアリアナの横顔はキングのそれではなくただ兄を思う少女のように見える。しかしそれもつかの間、直ぐにキングの面持ちへと戻った。「私は剣を振ってくる、お前も教会に戻って女神の声を聞くなり好きにしろ。」そう言い放つと足早にアリアナはその場から立ち去っていく。「それでは私はお二人の勝利を願って女神様に祈りを捧げましょうか♪」
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西の風を受けた馬の豊かな鬣が揺れる。その馬は皆黒の磨き抜かれた鞍や鐙が付けられ堂々とした佇まいである。対岸に陣を構えて既に2度日が登って沈んだ。士気は未だ高いままである。しかしこれ以上の長居は次第に兵たちに退屈を感じさせ士気も落ちていくだろう。愛馬を含め鞍をつけた黒馬およそ50ばかりの調子を見回しながらルゥは陣の中央の方へと歩いていた。陣の真ん中に立てらてた布地のテントからは蝋燭の灯りが零れている。手前の給仕用のテントから煙が立ち上っているのもあり今がちょうど夕飯時であることが伺える。風に乗って蒸した芋とチーズの香りが運ばれてきて腹を好かせていることを自覚させる。「飯の途中で悪ぃがちっとばかし耳を貸してくれねぇか。」垂れ幕をめくり上げてテントの中へ入ったルゥは声を上げた。中に居る面々の視線が集まる。「明日日が登ったら動く、策はαだ。悪ぃけどこいつはお前たちにしか頼めねぇ、下手すりゃ全滅だ。それでもやってくれるか?」ルゥはテントの中の全員を見る。策α、それは橋を少数の騎兵で渡り敵の前衛を一気に切り崩し本隊の活路を開くというものだ。1度橋を渡ってしまうとその後ろには本隊が構えているため後戻りは出来ない。そのため魁となる騎兵は敵中をただ駆け抜ける他術はない綱渡りとなる。「何言ってんだ、一騎当千の俺達があの程度の敵にビビるわけないだろ!」テントの端から声が上がる。その声を境に皆は賛成の意を口にする。「相手は数だけで統制は取れてねぇ、おまけに歩兵が大半だ。ここで一気に数を減らしてやる。勝利の女神って奴はもう微笑んだりはしねぇよ。」ルゥは口角を上げて笑った。
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「キング・カルフィエ、どうやら動くようです。」ライラはあっちへ行ったりこっちへ行ったりと慌てた様子の兵士の間をぬってゼラの元へとやってくる。ゼラはやってきたライラの姿を見てほんの少しの間表情が固まった。先日までは美しいシルエットを描くマーメイドドレスであったが今は白のパンツを身に付けている。「前線で指揮を取るのでこちらの方が何かと都合が良いかと思い着替えたのですが似合わないでしょうか。」「いえ、あまり見慣れないものですから……。」薄いベールの下でゼラが笑った。「そうですか。……話がそれでしまいましたね。見張りの兵から日が沈んでから向こうが慌ただしく動き回っているとの報告がありました。日が昇ってから攻めてくると思われます。如何なさいますか?」ライラの問いにゼラは黙って考え込む。「…………攻めてくるならは恐らく魁はナイトの騎馬隊。一騎当千と称される火力の高い彼らで一気に前衛を切り崩して正面突破するつもりでしょう。」黙ったままのゼラにライラは言う。「それではやはり当初のまま前衛は弓兵と魔術兵を配置するのが良いと思います。あの騎馬隊と正面からぶつかれば甚大な被害を被るのは目に見えていますから相手の間合いに入る前に攻撃してしまうのが良いかと。遠間から迎撃する弓兵、魔術兵を第一部隊。相手が怯んだ所を追撃する騎兵を第二、歩兵を第三として配置しましょう。」話しをしながらゼラは机上の駒をトントンと移動させて配置図を作ってみせる。その様子にライラは舌を巻いた。タビタとその直属の部隊がソレブリア砦で討ち死にし、その教え子もアテレスと共に全滅して以来セフィドにはタビタという兵将の後釜に匹敵するものは居ないだろうと踏んでいた。しかしどうやらそれは杞憂だったようだ。このまま経験を積んでいけばゼラはタビタに匹敵する兵将となるだろう。「分かりました。ではそのように手配してきます。……今夜は早めのご就寝を、明日は早くなりますから。」ライラは立ち上がると礼をして陣の外へと去っていった。
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暗がりの中いくつもの淡い光だけが右へ行ったり左へ行ったりと動き回っている。夜明けも近く東の空は地平線の辺りが薄らと白み始めているもののまだ視野がはっきりするほどの明るさはない。日が昇ってすぐに攻撃が始められるように準備をするセヤの陣内は慌ただしい。「支度は整った?」不意に後ろからかけられた声に振り返ると誰も居なかった所にリーヴェスが立っていた。「また転移して来たのか。」「まぁね、そろそろ出陣だと思って確認に来たわけ。」「…フリューゲルの仕事を奪ってやるなよ。っとまあ地平線から日が登ったらすぐ出るつもりだ。リーヴェスの方も問題ないか?」ルゥの問いにリーヴェスは勿論だと頷いて見せる。「頼むぜ、道は俺たちが拓くが後はお前たちにかかってるからな。」「了解〜任せといて。」そう言ってニッと笑うとリーヴェスは空間の向こうへと帰っていった。
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山間から暁色の空が見え始めた頃橋の周りには旗が立てられゆっくりと靡いている。「準備はいいな。」五十騎程いる兵の先頭でルゥは確認するように呟く。「ルゥさん、本隊がまだ手間どっているようで後ろに来ていないけどどうする?」後ろを振り返ると確かにそこにいるはずの隊は配列していない。ただ草原の緑が見えるだけだ。しかし東の空は既に暁に染まり日の先端が見え始めている。「くそっ…もう時間はねぇ。本隊が来るまで何としても俺たちだけで持ち堪えさせるぞ。」そう言うとルゥは左手をあげ前へと倒し突撃の合図を示す。それと同時に馬の硬い蹄が石の橋を蹴った。馬は一気に加速し橋を駆けて対岸を目指す。橋の中腹へ達した時眼前で小さく出始めた陽の光が反射した。「矢が来る、斬り落とせ!」号から一拍おいて風を切り矢が飛んでくる。その矢の一つ一つにルゥは障壁を展開させた。軽いガラスが割れるような音がしてスピードを失った矢はその場へ落ちていく。しかし矢はいくら止めても次から次へと雨のように降り掛かってくる。「俺が矢をとめている間にお前たちは射手を仕留めろ!弓兵を減らさねぇと止めたところで次が来る。」追い風に乗って勢いよく飛んでくる矢をとめながら叫ぶ。日が登り周りが明るくなり始めた今高い馬上の兵は恰好の的だ。一人で止めるにはあまりにも多すぎる矢は次第に障壁をすり抜けて馬や兵を射抜いていく。何人かが障壁を抜けた矢を受けて体勢を崩した。俺たちが魁だと踏んで遠距離攻撃ができる弓兵を前衛に固めたか…。眼前に飛んでくる矢を剣で二つに叩き斬りながら魔法を展開し続けるルゥの肌や服もあちこちに切り傷ができ血が滲み出ている。「ルゥさん、無理だ!この矢の雨の中をどう突破するってんだ!!」降り続ける矢の雨に阻まれた前衛の兵士の一人が声を上げた。すぐ隣では兵が矢を受けて川へと落ちていく。矢が空気を切り裂く音に混じって馬の嘶きとギャロップの音がした。その音にルゥは目を細めて橋の向こうを睨む。「……騎馬隊が出てきやがった。ここが潮時だ引け!突破は、この策は失敗だ!!」撤退の命に兵たちは馬を回れ右させて元きた橋を逆走して走っていく。その動きは急な撤退のそれではなく宛ら計画されたかように機敏な動きであった。
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「ライラ、やはり私が指揮を代わりましょうか。」目の前で落ち着かないように指先を動かすライラを見てゼラは尋ねた。「いえ、キングのご心配には及びません。剣を持って前線で戦うわけではないのですから。…私は後ろでただ兵に指示を出す、それだけです。椅子に座って指示を出すか、馬上で指示を出すか差異はありません。……そろそろ夜明けが近いですね。私は馬を用意してきます。ではまた後ほど。」それだけ言うとライラは立ち去っていく。「えぇ、どうぞご武運を。」その背中にゼラはそう投げかけた。
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「よろしいですか、敵は必ずこの橋を渡ってこちらへ来ます。敵影が見え次第弓兵は一斉射撃を。魔獣兵は風を起こし少しでも矢が飛距離を伸ばせるようサポートに徹してください。騎兵、歩兵は相手が崩れた所をすぐに追撃できるよう出撃の準備をし弓兵のすぐ後ろに待機をお願いします。」ライラは橋の周辺にかためた兵士たちにテキパキと指示を出していく。まだ輝石なしでは周りは見えないほどの暗さだがあと少しすれば山間から朝日が覗き始めるだろう。恐らく敵はその前後に攻めてくるはずだ。地平線から日が昇り始めれば逆光でこちらからはその姿が認識しにくい。それだけでなく朝方となれば兵士たちの疲労も溜まっている。攻めるには早朝が適していると考えるはずだ。つい何時間か前に己の手でさし倒した敵方の参謀の考えうることをライラは頭に思い浮かべる。つと視線を手元へやると手綱を握る指先が微かに震えている。これは……「戦への恐怖?…いえ、興奮?」自身の手で策で敵を討ち、アリアナを列記とした王へと据えこの国を建て直していく未来への一段階を今踏もうとしていることに自分が僅かに興奮していることをライラは自覚した。ここで少しでも敵兵を減らし和睦交渉を優位に進めることが出来ればこの国の未来は明るい。これが俗に言う武者震いと言うものですか……。ギュッと右手に力が入る。「ライラ殿!敵が動き始めたようです!!」兵の報告にぱっと顔を上げた。「第一弓兵隊、矢の準備を!弓も矢も十二分に用意してあります。存分に使用しなさい!!」ライラの命に弓兵は矢をつがえ弓を引き絞る。弦が引かれキリキリと音をたてる。ライラは馬上で橋の向こうへ目を凝らした。馬の蹄の石畳を蹴り走る音が聞こえてくる。随分と重たく強い音にやはりナイトの騎兵が魁であったかと心の中で思う。「…前列!放て!!」号令と共に張り詰められた弓が撓み矢が勢いよく空を切る音がした。そのすぐ後に矢の勢いを助ける一陣の風が巻き起こる。ライラは間髪入れずに次の列へと射撃の号を出し続ける。少し遠くで馬の嘶く声が、苦痛の声がした。しかし矢の多くは魔法によって止められたようだった。ソレブリア砦の魔術砲撃といい、此度の障壁魔法といいナイトの騎兵隊には随分と魔力の強い者がいるようですね…。いえ、もしかするとこの魔術を展開しているのはたった一人ナイトであるルゥ・シュバルツだけではないだろうか。そんな考えが頭をよぎる。まだユージーンが城に居た時期に何度かその側近の魔力が強すぎて回復魔法などが効かないなどと耳にした気がする。やはり敵として戦場で散らせるにはあまりにも惜しい心材が多すぎる。「後列矢をつがえ!用意、放て!!」何度目かの射撃令を出した時敵の体勢が崩れた。ジリジリと後ろへと下がっていっているのが見て取れる。「騎馬隊、歩兵隊追撃用意。弓兵は道を開けなさい。」ライラはすかさず後ろで控えている兵に命を出す。そうしているうちに前方の騎馬隊は踵を返して橋を戻り始めた。「第二、第三部隊出撃!追走して背後から打撃を与え少しでも多くの兵を討ち取るのです!」出撃し始める兵を見送りライラは自身も十人程の親兵を引き連れ馬の横腹を蹴った。
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テントを仕切る幕が捲られ部屋の中の明かりが外へ漏れる。幕を捲って入ってきた男はノロノロと歩き空いている手前の椅子に腰を下ろした。「悪ぃ、帰って早々に寝ちまってた。」テーブルの輝石の光で照らし出された顔には疲労の色が浮かんでいる。「仕方ないよ、二週間ほとんど寝ずに働いていたんだ。ルゥ、君も一杯飲んで一息ついた方がいい。」そう言って手渡された果実酒をルゥはぐっとあおった。「…んで、次の動きはどうなったんだ、ルネッタ。」「あぁ、ちょうどさっき話し合っていたところでね。もう一度見直しも兼ねて説明するよ。」ルネッタは地図に再び駒を配置し始める。「さてと、まず今の私たちの位置はここアンヴァンシブル山脈の麓の森の中だ。そしてここからユージーンやルゥ達は進軍してエムロード川の岸辺に陣を立てる。」「まさか橋でかち合わせるつもりなのか?さっさと橋を渡っちまった方が良くねぇか。」地図上に置かれた駒を指先で遊ばせながらルゥは問う。「まあ最後までルネッタの話を聞け、ルゥ。」ユージーンがルゥの手元から駒を取り上げ元に戻しながら言った。「つい最近あちら側に私たちの居所がバレたかもしれないと言う報告が入ってね、きっとあちらも進軍してくると思う。だから少々危険な策にはなるけれどここで帝国兵の数を減らしておきたいんだ。私たちは彼らに数ではかなり劣るからね。そのためには橋を渡ってしまわない方がいい。」そしてルネッタはナイトの駒を橋へ、ルークを森付近、キングをその反対側へと移動させる。駒はちょうどナイトを頂点にした二等辺三角形の位置になっている。「ここからが策、わかりやすいようにαと言おうか。まず君のその直属の騎馬兵少数で橋を渡って敵陣を正面攻撃する。橋を渡ってくる魁は一番危険になるけれど頼まれてくれるかな。」「……そいつは下手すりゃ全滅だな。まぁルネッタの事だ、ただ無闇矢鱈と突っ込んで突破しろって事じゃねぇんだろ。だったら俺は引き受けるぜ。」ルゥは一瞬険しい表情をするもすぐに目を細めて笑って見せる。「ありがとう。もちろんルゥたちの攻撃は突破が目的じゃない。策αは失敗してもらう。いや、正しくは失敗したように見せかけてある程度攻めたら橋を撤退してきて欲しい。後尾に敵兵を引き連れてね。」「つまり俺たちは餌ってわけか。」その通り、とルネッタは笑う。「君が敵を出来るだけ多く引連れて川岸の草原まで退却してきてくれたら次は……」「隠れてた俺とユージーンでまんまとおびき出された敵さんを挟み撃ちってわけ!」ルネッタの言葉に被せてリーヴェスがいたずらっぽく言う。「要するに釣り野伏せをするわけだ。引き際を間違えば全て失敗になる、上手くやってくれ。」「もちろん、任せておけよ。」ルネッタは頷きユージーンの方へ顔を向ける。「というわけでルゥも頼まれてくれた事だ、この策で良いかな。」「あぁ、俺はお前を信じている。他の皆も同じだろう。」そう言うとユージーンは少し笑って見せた。
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「橋を渡り終えたら左右へ別れてスピードを落として走れ、追いつかれるギリギリを走って引きつけろ。こいつらが全力で走れば逃げきっちまう。」ルゥは後ろを振り返り見ながら前を走る兵に伝える。セフィドの騎馬隊は0.1フィート程離れた所を走っている。相手を上手く引きつける距離を見計らいあたかもそれを全力で敗走しているかのように見せかけるのが至難の業だ。まったくルネッタも難しいことを頼んでくるもんだ。そう思いながらも策"β"が上手くいったことに少しばかりの笑みが浮かんだ。馬上で空を見上げ口笛を軽く吹く。草原に口笛が響くや否や頭上に影ができる。『フリューゲル、リーヴェスに伝えろ、今だ!』影はすぐにリーヴェスが居る森へと飛んで行った。ルゥと率いる50より少し少なくなった騎馬兵達は半分に別れて草原の中を駆けていく。見晴らしのいい草原に黒い小さな風が吹き抜けていくようだ。その後ろには美しい装飾をつけ朝日を反射させる真っ白な騎兵がしっかりとついていた。
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さすがは帝国軍で名を馳せた騎馬隊であると敗走していく黒馬たちを眺めライラは思う。急な退却であったのにも関わらずその動き、馬の扱いに無駄はない。しかしいくら名騎手であったとしても小隊とも呼べぬ程の数で帝国軍を突破しようと言うのには無理がある。恐らく本体との動きが合わず気を急いての攻撃だったのであろう。昔からあの男は気が短い。それが仇となりこんなところで散っていく原因となるとはなんとも勿体ないようでライラはため息をついた。後尾を走るライラと近衛兵達からは0.3フィート程先を走る黒い集団は草原の向こう、本陣の方へと駆けていく。「馬のスピードが落ちてきています。そのまま追い本隊と合流する前に討ち取りなさい!」ライラの口から発せられた命は伝達魔法を介して全ての兵士の元へと伝えられる。いくら荒野や山岳で強さを見せつける黒馬と言えど草原では白馬もそれに匹敵するスピードを出すことは出来る。逃げていく集団の後ろに追いつかんとその腰に鞭を打ったその時だった。ライラの視界の左右の端に動くものが写った。「まさか……」瞬時に脳内に"図られた"その一文字が浮かんだ。ナイトのあの少数での無謀な攻撃と敗走は自分たちをこの草原へと誘き寄せる演技であったのだと理解する。その演技にまんまと嵌ったというわけだ。「…ミセス・ルネッタ、貴女と言う人はやってくれましたね…。」ライラの整った顔にぐっと皺が刻まれる。「総員に告ぐ、体勢を立て直し左右より迫る敵を……!!いえ、左右、正面からの敵軍を迎え撃て!!……誰か、本陣のカルフィエ王に連絡を。すぐに応援を求めなさい。」命を出し近くに居る近衛兵に援護を求めるように指示を出す。「ライラ殿、我々はここで敵を防ぎます。貴女がキングへ応援を、危険です。」「いいえ、今私がこの場所を離れれば指揮官のいない軍は崩壊します。私は居なくてはなりません。キングには貴方が伝えなさい、さぁ早く!」普段から気丈な声音ではあるものの一段と強い声音に兵は表情をハッとさせすぐに、と返事をし馬をかっていった。ライラは護身用にと腰に差していた剣を抜き、構える。精鋭揃いの親兵が周りを固めているといえど油断はできない。多少とはいえ剣の心得はある。ぐっと柄を握りしめた。その時断末魔が響いて親兵の一角が崩れた。シルバーとブロンドの髪が揺れる。「おっ、あちらさんのルーク……ってことはビンゴじゃん。」倒れる兵士の後ろから顔を覗かせたリーヴェスは笑っていた。
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橋の方向から聞こえてきた戦の音にリーヴェスは振り返った。木々の間から僅かに橋が見える。ぐっと目を凝らすと魔法を使った時の光が目に付く。「お〜始まったなぁ……そろそろ俺達も準備しなきゃだね〜。」ようやくここから出られるとリーヴェスは嬉しそうに肩を回す。策βの実行のために相手からは死角となるこの森に陣をひいてから三日、湿度は高いのに気温は低い、おまけに常に薄暗い中で過ごすのは夏の暑さを逃れられるとは言えども飽き飽きしていた。「ルゥから合図が来たらすぐに出られるように準備しておいて。」リーヴェスは兵士に指示を出しながら自分の馬が繋いである所へ歩いていく。普段と同じ気の抜けたような口調だがいつもよりかは少しばかりピリッとしている気がする。恐らく合図は魔法かあの鷹でしてくるつもりだろう。既にほとんどの準備をし終えている部隊を横目に空を見上げた。先程よりも少し馬の足音が近くなった気がする。「う〜ん……こっちに敵さんを誘き寄せ始めたかなぁ。」空を見上げながら呟く。足音がかなり近くに感じ始めた時視界の端に黒い影が横切った。一拍遅れて鋭い鳴き声が響く。「!…合図だ、このまま森を出て敵を討つ。」リーヴェスは軽々と馬に跨ると腰を足で蹴った。木々の間を抜けると真正面に騎馬隊の姿が見える。随分と多い。相手はここで一気にケリをつけようと決めたようだと数を見て思う。図られたことに気づいた騎馬隊はルゥ達を追うのを止めその場に留まり反撃の姿勢を見せる。リーヴェスはその中でも目立つ装具を付けた兵士たちの方を見やった。恐らくあの真ん中に指揮官、ピースの誰かがいるのだろう。剣を抜き馬が走る勢いのまま相手に斬りかかった。悲鳴があがり血飛沫が派手にあがる。斬られた相手の体が傾いた先に花の飾りを付けた頭が見えた。やはり勘は当たっていた。リーヴェスは再度右手に握った剣を上に振りかぶった。
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ガキンッと硬い音がする。自身に向けて振り下ろされた剣を三本の剣が阻む。ライラはその振動でビリビリと震える片腕をもう一方の手で押さえた。やはり剣の腕では格が違いすぎる。二度、三度と振り下ろされるリーヴェスの攻撃を防ぐので精一杯だ。親兵達が周りでライラを逃がさんとリーヴェスに剣を向けるがそれも全て防がれ返り討ちにあう。「ライラ殿!このままでは貴女を守り通せません、一度本陣までの撤退を!」隣の兵がそういいライラの馬の臀を叩いた。馬は回れ右をすると一目散に走っていく。「なっ!?止まりなさい!上に立つ者が敵を前にして逃げるなどと下のものに示しがつきません。」止めようとするライラの意志とは裏腹に馬は橋の方へと脇目も振らず駆け続ける。馬を止めるために手綱を強く引いたその時だった。嘶きを上げて突然馬は前脚をあげた。棹立ちなった馬にライラは振り落とされる。「…っつ…う……」地面へと投げ出されたライラの体は振り落とされた勢いで川岸の方まで転がっていく。去っていく馬の腰には飾りの施された短剣が突き刺さっていた。手に持っている剣を杖代わりに体を起こす。地面に叩きつけられた衝撃で体のあちこちが痛む。少し離れただけなのに随分と戦場の音が遠くに聞こえた。「あ〜…良かった、川には落ちてなかったかぁ。」頭上から聞こえた声に顔を上げる。「……リーヴェスさん。やはりお強いですね、どうですかこちらへ来てキング・アリアナに忠誠をちかうのは。今からでも遅くはありませんよ。貴方であれば私が取り計らって上等の席を用意させてみせます。……酒も煙草も一級品を常にご用意致しましょう。以前から貴方とは楽しく飲み交わせそうだと思っていたのですが…。」随分と見苦しい言葉を口にしていると自覚している。しかしライラにとってはそんなことどうでもよかった。自身が何と言われようとも今後アリアナが治世を行うのにおいて優秀な人材はいくらでも欲しい。命乞い紛いではなく純粋にタビタに匹敵するリーヴェスのような飛び抜けて強い戦力を求めていた。そんなライラの勧誘にリーヴェスはキョトンとしたような表情をしている。「ん〜確かに俺にとってはいい条件なんだけどさぁ、やっぱ仲間裏切ってそっちにつくってのは無理だよね。ってな訳で俺はあんたを討ち取らなきゃいけないわけ。」そういうとリーヴェスは馬から飛び降りこちらへと向かって歩いてくる。その足取りに返り討ちに合うかもしないといった恐れは微塵もない。「……くっ、どのみち貴方方の王は、ユージーン様はもはや戦うことすらままならないでしょう!ここで争うのは無意味です!!ナイトやポーンと共にこちらへ降りなさい。アリアナ様は寛大なお方ですたとえ一度刃を向けたからとて兄君を断罪するようなことはないでしょう。」「悪いけど耳を貸す気はないんだって!」リーヴェスの振った剣を辛うじて受け止めるも鋒は腕をかする。この状態でこの相手に勝つなどと到底不可能だ。それでもライラは何とか説得する時間を稼ごうと何度も振り下ろされる攻撃を受け続ける。剣が打ち降ろされる度に腕が震える。何度目かの攻撃を受け止めた時だった。鈍い音がして手に持つ剣にヒビが入る。ヒビはそのまま横へ走り剣は真っ二つに割れた。継いで右下から振り上げられた剣がライラの体を斜めに切り裂く。傷口から血が吹き出し真っ白な服を赤く染める。大量の血が一気に吹き出したショックと血の匂いで頭がクラクラとする。「指揮だけかと思ってたけど結構やるじゃん〜、でもここまで。俺の勝ちだ。」リーヴェスはいつもと違わぬ顔でこちらを見る。「…えぇ、そのようですね。私が剣を振る機会が来ると知っていればもう少しタビタさんに教えを乞うたのですが…」自嘲じみた言葉が零れた。ライラは悔しげに唇を噛む。勝利を確信したリーヴェスはとどめを刺すためにゆっくりとライラの元へと歩いてくる。ライラは既に立っているのがやっとだ。「……貴方に…貴方の手にかかって死ぬような真似は私はしませんよ!」最期の悪あがきだ。目の前にまで来たリーヴェスの体をめいっぱい押し突き飛ばした。その反動で体は反対へ飛ばされ足は地面を離れる。宙に浮いた体はそのまま川へと落ちていった。
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川へと落ちていく瞬間咄嗟のことに戸惑い目を見開いたリーヴェスの顔にざまぁみろとライラは笑う。あの場でとどめを刺されていたらきっとまた首だけはアリアナの元へと返されるのだろう。これ以上アリアナの気苦労を増やしたくはない。首だけとなりアリアナに憂いをもたらすことになるのならばいっそ川に身を投げ死体すらも帰らない方がいい。岸からはそれほど落差はないはずなのに酷く落ちていくのがゆっくりと感じる。そっと目を開くと瑠璃色の空が広がっていた。朝の美しい空、アリアナの澄んだ瞳と同じ色だ。風で髪が散らばり前髪に付けていた髪飾りが宙に舞う。かつて幼かったアリアナが戯れに髪へさしてくれた花を、その思い出を忘れぬためにそれに似た髪飾りを身につけた。その思い出が消えていくようで思わずライラは手を伸ばした。しかしそれは指の間をすり抜けていく。ザバンと飛沫をあげて体が水に沈む。刺すような冷たさの水が肺まで入ってくる。もはや苦しくて藻掻く気概すら残ってはいない。流れていく川に揉まれ沈んでいく。どうか…誇り高き貴女が傀儡と呼ばれぬように……あの日私に花と共に贈ってくれた笑顔が貴女から絶えぬように、自由な未来と末永い栄光をキング・アリアナ___

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