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第5話 慟哭の賛美歌

麦の収穫を終え一層夏らしさが深まった頃、シャトランジでは大体的な音楽祭が開催される。皇都の音楽ホールには諸国からの楽団を迎え連日多くの公演がなされる。街の広場でも人々はエールを片手に楽器を引き鳴らし歌を歌い陽気に過ごす。。大聖堂では聖歌隊が組まれ一月に渡って美しい聖歌が奏でられ国全体が歌に包まれるのだった_
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迎春祭を迎えてから早二月喜雨の月、穂麦の月を過ぎ季節は夏の真っ只中祝歌の月に差し掛かっていた。明り取り用の小窓から流れてくる陽気で華やいだ音楽に耳を傾けながら一人溜息を吐く。目の前の机には山積みの石板や木板が重苦しく置かれて部屋に圧迫感を出している。出来るものならばこの石板や木板を全て叩き割って部屋を飛び出し街の酒場で陽気な歌を肴にエールを飲みたい。そんな現実逃避が頭を占めてくる。「……本当にアテレスさんはどこに行ったというのか。」徐に手に取った木板にはアテレスへ貸した兵を返せと言った文面が書かれてある。しかし当のアテレスはしばらく前から忽然と姿を消しその兵と言うのも同様に姿を消していた。セヤの進軍も見られず白亜城へ帰還したニキータの軍ともすれ違うことはなかったと言うのだから行くあても分からずただたただ頭を抱えることしか出来ない。再び溜息をつくとライラは立ち上がって応待室へと向かった。
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「失礼致します。」軽くノックをして部屋に入る。「べ、ベイカー!!助かった、いい所へ来てくれたな!!」部屋へ入るとすぐにアリアナとゼラが駆け寄ってきた。二人とも両の手で耳を塞いでいる。「な、何があったのですか!?」「おやおや、ライラさんではありませんか!!お久しぶりですね!!!お元気そうでなによりです。まさか私がいない間にタビタさんが討ち取られアテレスさんまでもが行方が分からなくなっているなんて……何と悲しいことでしょうか!ここへ帰って直ぐに女神様が嘆く声が絶え間なく聞こえているのです!!!」部屋の中に最大量の声が響いた。「ニ、ニキータさんもお元気そうで何よりです。……それはそうと今後の対応について話し合おうと思っていたので皆さんお揃いのようですしお時間を頂けるでしょうか。」思わずアリアナやゼラと同様に耳を塞ぎたくなるのを堪えて言う。「そうだな、ソレブリア砦の襲撃から二月。そろそろまた行動を起こしてもおかしくは無い頃だ。」アリアナはライラから離れて席に着く。「ええ、一度私の所でソレブリア砦まで偵察馬を送ったのですが砦は見事に崩壊しておりました。」「そうか…まさか砦ごと崩壊させるほどの火力を持っていたとは……。で、軍勢の方はどうだったんだ。」「それが……砦は一切改修されることなく放置されていて中はもぬけの殻だったようです。」「もぬけの殻…おやおや、それは随分と不思議なことですねぇ♪一度襲撃した砦を放置しておくとは。」まさかアートルムに退却わけでもあるまい。しかし他の砦が襲撃されたという連絡は来てはいない。アートルムへの退却も街道への進軍もないとすればやはり山脈を越えて来るというのかとアリアナは唸る。「山脈の上じゃなくて下は通れないのですか?」「山脈の下…ですか。」思いもよらないゼラの発言にまさかとライラは頭を振る。地下にアートルムに居ただけの軍勢が通れるだけの道を掘るのはかなり骨が折れるだろう。「ゼラ!!手柄だ、下を通るとはよくぞ思いついたな!!!」パッとアリアナが顔を上げる。そして手元の本をパラパラとめくってとんと机の真ん中に置いた。「この帝都と上の方に位置する農耕地にはアンヴァンシブル山脈から地下水道を通して水を運んでいる。それを上手く使えばわざわざ遠回りの街道を通らずとも直線距離で進軍することも可能なはずだ。」「しかし水が流れる場所を通るとはなると少々危険では?」「いや、あの辺には既に使われなくなったのが多くあってな……だがその肝心の地図が残されていないんだ。」一同は本を覗き込む。十数本ほど記された線はいずれも山脈から帝都、そして農耕地へと続いており、山脈を挟んだ向こう側にはアートルムやその近隣の森へと続いている。しかし襲撃を受けたソレブリア砦から帝都付近へと続く地下水道は地図上に存在しない。なかなか思うようにはいかないとライラは首を振った。
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それから数時間、四人は書物庫から取り出してきた地図や資料と睨み合っていた。十年ほど前に行われた書物庫の整理の際に不必要だと判断された地図などのほとんどが処分されており目当てのものはやはり残されていないようだった。教会の本をめくっていたニキータがふと顔を上げる。「そういえば、何年か昔にアテレスさんがアートルムと帝都を結ぶ地下道があると仰っていたような気がしますねぇ。」「どうしてもっと早く言わなかった!」ガタンと音を立てたアリアナが椅子から立ち上がる。「すっかり忘れていましたが女神様が思い出させてくださったようですね♪詳しいことは分かりませんがアートルム近郊から帝都付近まで続くかなり大きな地下水道跡があるようですよ。なんでも母君がご存命の頃はそこをよく通っていたそうで!」「……まさかアテレスさんはそこを通ってタビタさんの敵討ちに行こうとしていたのではありませんか?」「そこで愚兄達と鉢合わせて返り討ちにあったか……。一月以上連絡が途絶えている状態で生きているとは考えにくい。」憶測ではあるものの大凡のセヤの目論見は見えてきたように思える。アテレスの言っていたというその地下水道の入口がソレブリア砦の中にあったのだとすればそこを襲撃した理由にも説明がつく。そして忽然と姿を消した革命軍はその地下水道を通り真っ直ぐに山脈を越えこの帝都の付近に潜んでいるはずだ。そこから虚を突いて一気に帝都を落とすつもりなのだろう。今のところそれらしき大軍を見たという報告はない。ということはまだ地下に潜んでいるかどこか人目のつかないところに陣を構えているかの二択だ。アリアナは腕を組み、目を閉じてじっと考える。元々アートルム周辺は気温も低く環境としても厳しい、それほど収穫高が高い訳では無い。二月もの間地下に潜んで兵士全員に十分な食事を与えられるだけの兵糧はないと考えていいだろう。それに加えて騎兵が主力の軍だ。馬は狭くて暗い場所に怯える。馬だけでなく人だって何日も陽の光を浴びることなく湿って薄暗い閉所に閉じこもっているのには限界がある。それらを合わせて考えると既に地下からは出ており人目のない場所に陣を構えているのが妥当だ。「ライラ、山脈付近で人目のつかない場所に心当たりはないか?」目を開いて問う。「そうですね…山脈付近の森ならそれほど人目に付くこともないとは思いますが。…!十年ほど前の飢饉で廃村となった村がちょうどこの辺りに多くあります。そのうちの一つに潜んでいるのではないでしょうか?」「なるほど、ありうるな。ライラ、仕事続きで悪いがその辺を探ってきてはくれまいか。」「分かりました。急ぎ偵察隊を用意させます。」
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「ソレブリア砦を襲撃してから二月。その間にセフィドのポーンのタビタ・アンゲラー、クイーンのアテレス=ククヴィヤラ=エリシアスを討ち取り、直属の部隊を壊滅させた。その対価としてこちらはセドリックとアルバートを失ったわけだけど戦力としてはまだ申し分はないはずだよ。」「そうだな、ピースを二人失ったことは痛いがその部隊が壊滅した訳では無い。それぞれ俺やルゥ、リーヴェスのところで引き継げばいい話だ。だがアリアナの下にはまだ優秀な兵士がごまんといる。」廃村の奥、森を背にした陣の中でルネッタとユージーンは二人話し合っていた。ユージーンはあまり寝てはいないのだろう。目の下には隈ができている。ついこの間もいい加減寝ろだとか寝れる時に寝ているだとか言い合う声が聞こえた。そういえば今日の朝俺の言う事はちっとも聞かねぇからルネッタから休むように言ってやってくれなんて頼まれたっけ。私の言うことならちゃんと聞き入れるだろって言ってはいたけれど果たしてそうだろうか。そんなことを考えながらルネッタはユージーンと言葉を交わしていく。「相手もバカではない、そろそろ俺たちがこの辺りに潜んでることがバレてもおかしくはないだろう。全勢力で先手を打たれたら苦しいぞ。」「そうだね……兵の状態からしてそろそろ動いてもいい頃合いだけど…。」「どうした?何か心配事でもあるのか?」今まで話しながらも筆を走らせていたユージーンが筆を止めてこちらに目を向ける。「兵の状態は十分だよ。だけど君やルゥ、リーヴェスのことを考えると少しね。」「俺たちがどうしたって言うんだ。」怪訝な顔をする。「二人は兵の管理や兵糧の調達に走り回っているし君もその総括にまわっている。君たちはほとんど休んでいないじゃないか。特に君は最近一睡もしていないだろう。そんな状態では出兵は難しい。」「お前もルゥみたいなことを……俺は問題ない。」やはり聞き入れてはくれないようだ。どうして自分のことになるとこうも頑なになるのだろうか。「君も同じ人間なんだから休憩は必要だよ。それこそ指揮者が倒れてしまえば集団として意味をなさない。完璧とは言えなくとも私も君のことを全力でサポートするつもりだ。ある程度は誰かに任せて休憩をとり、常に万全の状態でいることも上に立つものの務めじゃないかな。」黙ったまま返事はない。「…………確かにルネッタの言うことにも一理ある。これが終わったら少し休むか。」ぎこちない笑みを浮かべるユージーンにルネッタは頷いた。
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「暑い!重い!だるい!!」人気のない田舎道に声が響く。「お前さっきからそればっかりじゃねぇか、少しは文句言わずにやれよ。」「だってさぁアートルムより暑いしなんか毎日働き詰めだし荷物はめちゃくちゃ重いじゃん。」「うるせぇな、帝都の出身なんだから暑さなんて平気だろ?だいたいほとんどの荷物持ってるのはお前じゃなくてお前の馬だしさ。」「俺だって持ってるし!!」「あっそ…」馬の手綱を引いて歩く二人はどこからどう見ても異国の商人に見える。やや丈の短いサスペンダーがついた皮のズボンに白い綿のシャツ、濃色のベストを着た姿はいかにもグランデ人のそれだ。元々上背のある二人なだけあって本物と並んだとしても劣りはしないだろう。「にしてもさぁ、わざわざグランデ人のフリする必要あるわけ?」「フリっつうか俺は元からそうなんだけど…まああのまんまこんだけの食料やら何やら買い込んでたら怪しまれんだろ。だったら異国の商人のフリした方がらしいじゃねぇか。」ルゥの言葉に確かにそうだけどさぁとリーヴェスは言う。戦をするには何よりも食料が必要不可欠だ。そのため連日あちこちへ行っては買い集めてきているわけだが、何せ二人だけでは買える量もしれている。しかし近くの村で略奪を働いたり、大勢の兵士が食料を買い占めでもしていれば居場所はすぐにでもセフィドの面々に知れ渡ることとなるだろう。それだけは避けねばならない。それ故に苦肉の策で捻り出したのが異国の商人を装うといったものだった。そういうわけでグランデ語が話せるルゥと背丈がそれらしいリーヴェスが駆り出されている。「もうちょっとしたら森の中に入る。そこまで行けば暑さもマシになるだろうし気張れよリーヴェス。」「は〜俺も荷物と一緒に運んでくれないもんかなぁ。」「馬っ鹿!!んな事したら馬がへたばっちまうだろうが!!」
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ふと目を開けると辺りは真っ暗で布で遮った間からもれる隣部屋のあかりだけがチラチラと輝いていた。いつの間に眠りこけていたのだろうか。椅子に座ったまま寝ていたせいで体のあちこちが凝り固まっている。グッと伸びをすると被せてあった毛布が床に落ちた。……ルネッタが気を利かせてくれたのか。彼女の心遣いに少し頬を緩ませながらユージーンは周りを見渡す。小さな窓から見える月は既に傾いている。あれからかなり寝ていたようだ、もう夜明けが近い。眠ってみて初めて自身がどれほど疲れていたのかがよく分かる。ユージーンはそのまま立ち上がってゆっくりと隣部屋の方へと歩いていく。布をめくったところで部屋の主は気配に気づいこちらへと顔を向けた。「ああ、ユージーン目が覚めたようだね。…うん、さっきよりは随分と顔色もマシになったよ。」「気を遣わせたな、その…案外自分では分からないものだ。それよりルネッタ、お前の方こそ休んでいるのか?」「もちろん、月が南中する頃には寝台に潜らせて貰ってるよ。」君たちと違って健康的な生活を送っているよとルネッタは片目を瞑ってみせた。性別で贔屓する訳では無いがやはり元の体力が違う。軍ともなると男の基準で動くことも多い、そうなると無理を強いることも増えるだろう。本当に無理をしていないだろうか、しかしいくら聞いた所で彼女は笑って大丈夫だと言うのは目に見えている。「二人は帰ってきたのか?」「彼らなら日暮れ辺りに帰ってきたよ。2時間ほど休んでからまた出ていったけれど。」「そうか……あの二人なら問題は無いだろう。普段から体力がありあまっているようだからな。」「二人のおかげで物資も随分集まってきたし次に帰ってきた時にもう一度会議をしようか。」ルネッタの提案にユージーンはああと頷いた。そろそろ大詰めになってきたな。セフィドの本隊とぶつかる日はそう遠くはないだろうと肌が感じ取っている。そうなった時俺はどれだけのものを踏み台にするのだろうか……。
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トントンっと軽く扉を叩く音に顔を上げて返事をした。失礼しますと一声あってから兵士が一人部屋へと入ってくる。「ご苦労さまです、どうでしたか。」「山脈付近の廃村にそれらしき軍勢を発見致しました。軍備を整えているらしく近々動きがあるかと。」「そうですか…キング・アリアナへの報告は私が行っておきます。下がっていいですよ。」兵士が少したじろいだ。まだ報告があるのかと逸らしかけた顔を再びそちらへと向ける。「その……もう一つお耳に挟んでおかれた方がよろしいことが…。」兵の口調が歯切れ悪くなる。何かまた問題でも起こったのだろうか。「どうかしましたか?」「帰還した際に北側の凱旋門を通ったのですがそこに首が……。」「首…ですか。」嫌な予感が背を走っていく。「そのままにしておいては不都合かと思い回収したのですが。」「そうですか、分かりました。私が確認しに行きます。」ライラが立ち上がると兵は案内致しますと先を行く。首は兵舎に置いてあるようで先導する兵はどんどんと進んでいく。しかしライラの足取りは逆に重たくなる。握りしめた掌にはじっとりと汗が流れ出る。タビタさんの時と同様に討ち取った将をわざわざ人目につく場所に置いたのだとすれば首はアテレスさんか…。そんな風に考えているうちに兵の足が止まった。「首はここに置いてあります。……形状を保つためか保護魔法がかけられていたのですが首は首ですし血も多少出ておりますのでご気分を悪くされるやもしれませんが。」「構いません、一度見ているので。」するりと気丈な言葉が口から出た。僅かに語尾が上ずったのは気づかれなかっただろうか。震えないように気を引き締めて布をめくる。めくった瞬間に長く美しい薄緑の髪が溢れ出た。まるで彫刻のような美しい首が静かに佇んでいる。丁寧に施された保護魔法でそれは腐ることも無く未だ鮮やかな赤い血を切り口から滴らせるのは相手の皮肉なのだろうか。「アテレスさん……その後ろの二つも同じですか。」「はい、並べて置いてありました。」何故だろう、タビタの時は一つだけだったのにも関わらず今回はアテレスのもの一つではなく三つも首を送り付けてくるのは。なにか意図があるのだろうか。ライラの全身から冷や汗が出てくる。恐る恐る残りの二つにかけられた布を取り上げた。アテレスと同様に綺麗なままである。「こ、これは……。」込み上げてきた吐き気に兵舎を飛び出した。保護魔法をかけてまでわざわざ首を置いたのはアテレスだと、いやアテレスが連れて行って全滅したのが帝国軍屈指の兵士達の寄せ集めだと知らしめるためだとライラは瞬時に理解した。まさかこれ程のことをしてくるとは思いも寄らなかった。部屋へ戻って直ぐに手元に置いてあったたらいに胃の中の物を全て吐き出す。胃がキリキリと締めあげられる。ライラは徐に机の上の木板を手に取った。「クイーンに貸した兵士二人を即刻返却せよ…ですか。…………………………んなもん返ってこねーよ!全員死んでんだから!!なんでよりによって私が目をつけてた優秀なやつばっかり馬鹿みたいに連れて行って犬死にさせてんだよ!!あ゛〜もう酒でも呑まなきゃやってらんね〜なぁ!!!」
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「どうしたベイカー、今日はいつに増しても死にそうな顔をしているな。」応対室へ入るとすぐにアリアナが声をかけた。「いえ、お気になさらず…うっ。それよりも先日の件ですが。」ライラは頭を押さえながらもアリアナの隣の席に着くと手に持った地図を広げた。「昨日偵察に出していた兵士がこの辺りの村でセヤの軍勢らしき軍団を見たと言って戻ってきました。」そう言いながら山脈付近にあった一つの村の位置を指さす。「やはり読み通りだったか、状況はどうだ?」「近々動き出しそうな様子だったと。……それとその兵が城へ帰還する際に首を持って帰ってきました。」「アテレスか?」「ええ……行方知らずだった兵の首もあったので返り討ちにあって全滅したとして間違いはないかと。連れて行っていたのがかなり優秀なもの達ばかりでタビタさんの中隊を含めこちら側の被害は大きいですね。」「となるとセヤの損害はあのビショップだけということか……しかしあんなへにょへにょのなよなよな奴が死んだところでさして困りやしないだろうな。ニキータも討ち取るのならナイトやルークを討ち取ってこれば良いものを。」アリアナは大きくため息をついて首を振る。「つまり実質あちら側には被害はないと?」「ああ。しかし参ったな、よりによって貴族どもから勝手に兵を借り受け挙句全滅とは。返ってこないと知った途端に口喧しく詰めかけて来るのが目に見える。」貴族どもに構っている暇などないというにと頭を抱える。「ここまで来ているのならばナイトとルークが全力で我が軍を潰しに来るだろうな。」「キング・アリアナ、作戦についてですが……」ライラは立ち上がるとアリアナの耳元にそっと顔を寄せる。「…………そうか、わかった。作戦の方はお前に任せよう。」

「たぁだいま〜、ほんとつっかれた〜」陣の中に入ってすぐリーヴェスは椅子にぐでっと座り込んだ。商人の格好のままの彼がここにいるのはなんだか不釣り合いな光景だ。「お疲れ様、喉も乾いているだろうし果実酒でも飲んで一息ついたら会議を始めようか。」そう言ってルネッタが立ち上がる。「う〜やっぱ姐さんは優しいよな〜。人使いの荒いどっかの誰かと違って。」へたりこんだままリーヴェスは目線だけでユージーンの方を見やる。「ルネッタ、持ってこなくていいぞ。」「あー嘘嘘!!」「ははは、思ったよりも元気そうだね。」「まぁルゥが回復魔法かけてくれたし元気っちゃあ元気だけど…。」けど疲れてるもんは疲れてるからなと念を押すように言う。ルネッタは笑いながら隣の部屋へと歩いていき、ユージーンは半分呆れたように眉根を寄せた。暫くして瓶と杯を持ってルネッタが戻ってくる。リーヴェスは差し出されたそれを受け取ると喉を鳴らして半分ほどを一気に飲み干した。「リーヴェス、ルゥはどうした?」息を着くタイミングを見計らってユージーンが問う。「ん?ああ、ルゥなら帰ってくるなり寝に行ったよ。俺は回復魔法かけてたから二週間ほとんど寝なくても平気だったけどルゥは魔法すらかけてなかったからなぁ。」「…効きにくいんだったな。仕方ないか俺たちだけで始めるか。ルゥには後で伝えておく。」「そうだね。さてと、ひとまず兵糧だけど君たちのおかげで戦をするには十分な量になったよ。それで相手の動きだけど二月何もしてこなかったってことは恐らくこちらの行方を探すのに手間取っていたんだろうね。だけど最近何人かの兵士が偵察隊のような影を見たと言っていてね、勘づかれたと思う。こちらが出るより先に先手を打とうとくるんじゃないかな。」ルネッタは地図を広げその上にセヤとセフィド両方の残りのピースを置いていく。そして川沿いに黒のナイト距離を置いて後ろにキング、その対岸に白のナイト、ルークを並べた。「あれは出てこないというのか?」「地下水道で襲撃してきた敵兵は皆貴族の軍に所属していた者たちらしいからね、貸したものが返ってこないと知ればきっとキングの所へ詰めかけてくるはずだよ。その相手をするのに手一杯なはずだ。それに向こうはまだこちらの被害はセドリックだけしか知らない。ほとんど手勢が残った状態のこちらを相手にして万が一自軍のキングに何かあれば困る、と敵方のルークなら思うはずだよ。」「ようするに一先ず居所はわかったから替えのきく手駒で俺たちを叩きにくるだろうってこと?」リーヴェスの問いにルネッタは首を縦に振って答える。「それで、そいつらを騎馬隊だけで迎え撃つのか?」「帝都の本隊はほとんどが歩兵。歩兵同士がぶつかればこちらの被害も大きくなる、何せ歩兵の数で言えば断然あちらの方が勝るからね。歩兵相手なら騎馬は最強と言える。もし相手方が歩兵を出さずに騎馬兵で仕掛けてきてもルゥの率いる騎馬兵達なら問題なく対応できるはずだよ。」「じゃあ俺たちはここで留守番ってわけか…戦いたいってわけじゃないけどただ待つってのもなんかなぁ」「いや、リーヴェス。君にも働いてもらうよ。」「え!?まじかぁ……」さっきとは打って変わって戦いに行くとかダルすぎるとボヤき出したリーヴェスにルネッタは少し悪戯っぽい笑みを向けた。
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いつもよりも格段に騒がしい城内をライラとゼラは足早に進んでいた。応対間へと続く廊下には派手な衣装に身を包み、立派な顎髭や口髭を生やした中年の男たちが二十人ばかり剣幕を変えて押しかけている。彼らは皆アテレスに兵を貸し与えた貴族たちだ。それを横目にライラはため息をつく。アリアナの危惧した通り兵は皆返り討ちにあって死んだと伝えた即座にこうして城に詰め寄ってきているのだ。まったくアテレスは何をどう言ってあの欲深な貴族たちから兵を借り受けることができたのだろう。兵を貸してくれればアリアナがなんでもハイハイと言うことを聞くなどと言ったりはしていないだろうか、そう考えるだけでライラの胃は悲鳴をあげる。「ライラ、どうしたの?顔色が悪い。」「いえ、なんでもありません。それよりもゼラ、二日後には貴方がキング・アリアナの代わりとなって進軍するのです。問題はありませんか。」「うん……俺がちゃんとキングの代わりに戦うから…ライラは安心して。」ライラの心配はよそにゼラはポヤンとした調子で返事をする。アリアナの代わりとして何度も公務をこなしている姿を見てはいるもののやはり軍の総大将としてゼラを据えるのはやはり心配が大きい。いえ、私が信じずに誰が信じましょうか。タビタさんから教えを受けたゼラならばきっと大丈夫なはずですから。それにいざとなれば私が支えればいい話です。自身に言い聞かせるようにライラは何度もそう考える。「ゼラ、貴方が総括する兵士達の大部分は正規兵ですが中には各地の領主が雇った傭兵も含まれます。決して侮られるような態度ではいけませんよ。」「わかった……いつもよりも威厳を出してみる。スーが王様だ!って。」何となくライラの言いたいこととゼラの思うことにズレは感じるものの本人としてはやる気も責任も十二分にある状態なのだろう。一抹の不安を覚えながらもライラはこれで良いでしょうと心の中で頷いた。「私は戦場でなさなければならないことがあります、貴方の傍には居られないでしょうがきっと上手くやれるはずです。数では相手を上回ります。ナイトやルークが立ち向かってきても恐れずに指揮を取りなさい。」
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山脈から吹き降ろされた風が髪を擽りながら吹き抜けていく。太陽の光を反射してエメラルドに光るエムロードの川を正面に隊を敷いて構えるルゥは対岸を睨みつけていた。向こう岸には淡黄蘗の旗が揺れている。「スラヴィエール・ラ・カルフィエ……。ルネッタの読み通りゼラが大将か。てめぇのそのベールを剥ぎ取って偽りの王であることを知らしめてやる。」サラサラと揺れる前髪の間から除く瞳が鋭く刺すような瞳へと変わった。
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「ゼラ、あとは任せましたよ。」「?……ライラは指揮官として陣にいるはずでは。」立ち上がり陣を出ていこうとするライラをすっかり影をする時の口調になったゼラが制止する。「私は別の仕事があるのです、ですからここからは隊を解って行動することになります。私が戻るまでの間しっかりと敵を抑えていてください。」「そうですか、分かりました。では健闘を。」一礼をしそのまま陣を出ていく。『近衛小隊に告ぐ、これより先本隊と別れ別任務へと当たります。急ぎ準備を!』声に魔法を乗せて発する。流石アリアナの直近兵なだけあって命令後すぐに集まった。ライラは馬へ跨り近衛騎士達の前に立つ。「本隊はこのままエムロード川へ向かい陣を構えセヤの軍勢を攻撃します。その間私たちはここから川を渡り農耕地を経由して手薄となった本陣を攻めます。よろしいですね!!」いつに増して声を張り上げかけた号令に続いて鬨の声があがる。馬に鞭を入れ川を渡り始めた兵の後ろにライラは続く。急遽つくりあげたこの木橋の存在を知らないであろう彼らはきっと唯一橋がかけられてある街道沿いに兵を固めているだろう。1週間ほどかけてアリアナと練り上げた作戦は成功するに違いない。「出来れば殺さずにこちら側へと引き抜きたいものですが…あの才をここで失うのはあまりにも惜しい。」
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遠くから聞こえた地鳴りの音にハッと顔を上げた。皆がここを発ってからまだ一日しか経ってはいない。まさか引き返してきたわけではあるまい。頭の奥にちらりと不安が過ぎる。凡そエムロード川辺りで両軍はぶつかると想定していたがそれよりも早く出くわしたのだろうか。しかしそんな報告は来てはいない。「報告致します!南の方向より敵軍と思わしき隊が向かってきています!!数は百五十程かと。」「まさか……橋を渡らずに来るとは。…至急戦闘準備を、ここで止めなければ本隊が挟まれてしまう。」兵を見送りルネッタは傍に置いていた剣を手に取った。『駐留している兵は直ぐに戦闘準備を!敵は小隊程度だ、ここで食い止める、弓兵、魔術兵は左右に待機。歩兵、騎馬兵は中央で迎え撃て。』念通で本陣にいる兵士全員に指示を出す。こうしている内にもどんどんと地鳴りの音は大きくなる。もうすぐそこまで来ている。「ルネッタ殿、本隊の方へ避難を。ここよりも安全なはずですから!」陣を出たところで一人の兵士が馬を連れて走ってくる。「しかし、私一人逃げるわけには……」「もし貴女に何かあれば陛下に申し訳がたちません、どうかお逃げ下さい。」「…………わかった、指揮は尉官の君に引き継ぐ。」ルネッタはそう答えると連れてこられた馬に跨った。兵の言う通りここは任せた方がいいようだと思う。自分が前線に出たところで対して何も出来ないだろう、いやむしろ守るものが増えて足でまといになりかねない。それはよく分かる。歴史上には男に並ぶ武勲を立てた女騎士もいる、敵方のポーンタビタなどがそうだ。しかし自身は参謀といった役柄に徹した身。性別などではなくそもそもの立ち位置として敵と切り合うのは向かない。「既に共の騎士を準備してあります、この脇道を抜け森の開けた所に待機しているはずです。」「ありがとう、後は頼むよ。」はっと返事をして馬の尻を手で叩いた。一声嘶くと力強く走り始める。本陣に貼られたテントはあっという間に小さくなる。馬の上で振り返って見るとちょうど両軍がぶつかりあったところだった。騎馬小隊相手に百ばかりの歩兵と数十の騎馬兵だけでは分が悪い。ユージーンと合流して立て直さないと。本陣には五割方の備品が置いてある。その中には食料も含まれる。それを奪われる訳にはいかない。前を見るとチラと人影が見えた。恐らく先程言っていた騎士だろう。声をかけようとした時光を反射して矢が飛んできた。矢は馬の体を掠めていく。驚いた馬が後ろ足で立ち上がりルネッタの体は振り落とされた。「っう…!!」咄嗟に受け身をとったものの地面へ体が着くと同時に嫌な音がした。肋が折れたか……。痛みを堪えて立ち上がり剣を抜く。端の方に騎士が二人倒れているのが見える。「五年ぶりですか…お久しぶりですねルネッタさん。」「…ルーク。」木の間からライラが数人の兵士を連れて姿を表した。「あまり時間は取れませんので単刀直入に言います、こちらへ来ませんか?」
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「ユージーン様!本陣が襲撃を受けました!!!」「なに!?」思わずユージーンは立ち上がる。唯一橋がかけられたこの場所からしか進軍はしてこないだろうと踏んでいたがまさか別の場所から来るとは…迂闊だった。「数は?」「騎馬の小隊程度かと。」「まずいな……本陣にはそれほど兵力は置いていない。…急ぎルゥに伝達を出せ!本隊の騎馬兵を三分の二ほど置いていき指揮権預けると。残りは本陣の援護に向かう、俺が指揮を執る。」返事をすると兵士は走ってでていく。ユージーンは机に立てかけていた剣を手に取り腰に挿した。「馬を用意しろ、体勢が整い次第直ぐに出る!!」暫くして馬を連れた兵が来る。「準備が整いました、直ぐに出られます。」馬に跨りながら首を縦に振る。ユージーンはすぐに兵たちが待機している先頭へと向かう。「これより本陣の援護へと向かう、事は一刻を争う事態だ。遅れず私に続け!」馬に鞭を入れ走り始めた。背中に大きく響く幾つもの蹄の音が伝わってくる。それほど暑さを無いというのに額には汗が流れる。街道を駆けていく間ユージーンの頭の中には本陣にいるルネッタへの思いが占めていた。上に立つものである以上戦に私情を交えてはいけないことは分かっている。しかし本陣に残された軍備や兵を失わないためなどと言った建前の裏に彼女を失いなくないという本意があることを切に感じていた。走り始めて十五分ほどが経った時前方から矢が数本飛んできた。矢は馬の足元スレスレに落ちる。驚いた馬は走るのをやめ集団全体が急に立ち止まった。「…伏兵か。」ユージーンは矢の飛んできた森の方へと目を向けた。風が起こりマントが翻る。風を纏った左手を前へと振った。勢いよく吹いた風は刃のように木を後ろに潜む伏兵ごと切り裂く。悲鳴は太い幹が折れ崩れていく音にかき消される。「こんな所で足を止めている暇なんぞないんだ…」焦りが苛立ちへと変わる。視線を森から街道へと戻すと再びユージーン達は進み始めた。
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「やはり答えはノーでしたか。」「当たり前だろう、私は彼らを裏切ったりなんてしない。」「いえ、裏切らずとも済む話です。貴女がユージーン様を説得してくださればいい話ですから。ユージーン様さえ意見を変えればリーヴェスやルゥ、アルバートはそれに従うでしょう。無駄な争いをせずとも国は変えていける。貴方たちほど優秀で若いもの達がいればこの国の腐った根を取り除けるはずですから。」そんなもの理想論でしかない、もう事は引き返せないところまで来ている。今更セヤとセフィド、アリアナとユージーンが手を取り国を担っていくなど不可能だ。ライラが思う以上に邂逅は深くまで刻まれている。今更手を取りあったところで民は着いてこない。「君ならそんなものが机上の空論であることぐらいすぐに分かるはずだ。既に互いの血が流れてしまっている。ズレた歯車は元には戻らないんだ、私たちは君や君のキングとは違う別の歯車として回り始めている。」「……仕方ありませんね、彼女を生きたまま拘束しなさい!囚われの姫にでもなって頂きますから。」ライラがサッと手を上げるとルネッタを囲っていた兵士たちはゆっくりとその輪を詰めていく。痛みを堪えて再び剣を構えた。幸い馬はすぐそばに居る。昔父に教えられた剣の使い方を思い返し目の前の兵士に切りかかった。剣は寸前で避けられ鋒だけが僅かに相手の腕をかする。ルネッタは一歩下がるともう一度剣を振りかぶり兵士に斬りかかった。__カァン!!鈍い金属がぶつかり合う音が響く。「くっ……ぅ…」真正面からぶつかり合った剣の衝撃で両の手がビリビリと痺れる。痺れに耐えきれなくなった腕の力が緩む。剣はスルリと地面へと落ちた。それと同時に鳩尾に拳が突き立てられる。悲鳴は声にもならず口から空気が漏れ出ただけだった。視界がボヤけて体が傾く。囚われの姫だなんてただ一方的に守られるだけの立場になんてなりたくないのに…。「さて、そろそろエムロードでもぶつかりあった頃合いでしょう。本隊と合流しなければいけませんね。」
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馬の足音に合わせて鼓動も速くなる。手綱を握る手に汗が滲む。本陣に近づくにつれて胸の中に嫌な予感が渦巻いて絡みついてくる。ふと前を見据えた時にチラと白の鬣が見えた。ルネッタか……?「総員止まれ!!」左手を上げて制止させる。その時白の旗が上がった。「セフィドの旗か……。」思わず手が剣に伸びる。旗が掲げられた辺りから馬が何頭かこちらへ近づいてくる。一体どういうつもりなのだろうか。まともにぶつかり合えば直ぐに全滅するほど兵力の差があるのは歴然としているというのにあれほど堂々と旗を掲げこちらへ近づいてくるのには何か策でもあるのだろう。ユージーンは警戒して近づいてくる馬を見つめる。前方の馬には兵士とライラが乗っているのが見えるがその後ろは影になって見えない。30ヤード程になってライラたちは馬を止めた。「あの日から5年が経ちましたが随分とお元気そうですね、ユージーン様。」「ベイカー、なんのつもりだ。わざわざ死にに来たか?」「いえ、今日はご提案に参ったのです。……簡潔に言いましょう。兄妹での戦など無意味です、こうしているうちにも国は貴族たちの私利私欲で傾き近隣諸国、いえグランデ帝国は内乱が起き疲弊している我が国を虎視眈々と狙っております。キング・アリアナと和睦を行い国を危ぶますような戦はおやめ下さい。」「……今更何をしても遅い。貴族や聖職者共の言いなりとなった愚妹になんぞ民はついてくるまい。だからこそ私はあれと袂を分かち兵を上げた。」「……全く二人揃って同じようなことを。仕方ありませんね、それならユージーン様には選んでいただきましょう。」そういうとライラは何かを耳打ちする。何を選択させようと言うのだろう。「さぁ、どちらを選ばれますか。」こちらを真っ直ぐに見るライラの後ろから兵士に引きずられて出てきたのは捕虜となったルネッタだった。

「ッツ!!」ユージーンはライラを睨みつける。「汚い真似を…。」「私とてこのようなマネはしたくありませんが仕方ありません。このぐらいはしなければ貴方は考えを改めてはくれないでしょうから。和睦の道を選ぶと言われるのならば彼女は返して差し上げます、拒むと言うのならば私としても大変惜しいのですが彼女はここで…処刑させていただきます。」ライラは眉ひとつ動かすことなく言ってのける。「そんなもの…今ここでお前とその兵士たちを殺せば済む話だ。」「ならば今すぐにでも彼女の首を跳ねるだけでもやってみせましょう。」「…ッウ……今更和睦など……。」言いかけた言葉を最後まで口にすることは出来なかった。はなから分かっていた話だ。婚約者という立場となれば真っ先に天秤にかける材料にされるなんてことは。そうなった時俺は私情を、彼女を選ぶと言う選択を捨てる覚悟を決めたはずだった。だがそれは出来なかった。俺はこれほどにまでルネッタを大切に思っていたのか_ 。選ばなければならない選択肢など分かっている。既にそのためにセドリックやアルバートは死んだ。死んでいったもの達を無下にするような真似は出来ない。それでもユージーンは言葉にすることは出来なかった。「俺は……!!」深紅の瞳と目が合う。彼女の瞳に迷いはなかった。自分一人のために民を裏切ることになるならば切り捨てろと、迷うことなくユージーンへと訴えかけている。「そうか……私は民を裏切るようなことはしない!愚妹を退け私が王となりこの国を導く。」
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「そうですか……では処刑を。残念です、貴方ほどの人材を失うなんて。ミセス・ルネッタ。」こちらを見て言うライラの言葉などどうでもよかった。ユージーンが進む先を自身の存在が塞いでしまう、それだけは嫌だった。しかしユージーンはちゃんと道を進んだ。それならば後悔などない。『君が王となりこの国を導いていく。その手助けを隣で出来ないのは少し残念だよ…』首に伝わる冷たい感覚にルネッタは死を覚悟した。「……何をするつもりです!!!」ライラの叫び声と同時に肌に砂が勢いよくぶつかる。…どうして砂塵が。強い風と砂埃に思わず目を閉じる。処刑のために隣にいた兵士は後ずさりをしてルネッタから離れる。「ルネッタ!!」前から声がした。ほんと少し目を開けると狭い視野の端で赤い髪が揺れている。「ユージーン!!」口を縛っていた布をずらして名を呼ぶ声に答えた。「ルネッタ、こっちだ。今縄を解いてやる。」そういうとユージーンは素早く縄を切った。周りでは剣のぶつかり合う音がする。さっきの砂塵で隊列を崩した所を一気に攻めたのかとルネッタは考える。ユージーンはルネッタの手を引いて砂塵の中をかけていく。ルネッタはその手をしっかりと握りしめた。
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「……はァ、全く君は無茶をする。」「俺はお前を失うわけにはいかない。…大切なものが目の前にいるのにわざわざ敵に殺されるのを見ているなど出来るわけないだろう。」二人は砂塵を抜けライラ達がいた場所から少し離れた森の中に逃れていた。「あの兵力の差があれば直ぐにカタはつく。一度本陣に戻って確認してからエムロードへ行こう。」ユージーンの言葉にルネッタは頷く。「…………死を覚悟した時君が私の名前を呼んで助けに来てくれた。あの時私は正直幸せに感じてしまったんだ。君の婚約者となり隣に立つことになった日からもし私が君の行く先の障害となる日が来たのならば私は迷わず死を選ぶことを決めたというのに…。」今言うことでもないというのに何故か口の外に言葉が漏れ出る。「障害になぞなっていない、お前はこれからも俺の隣で指揮を取ってくれるんだろう。」ユージーンが笑って手を差し伸べる。「ああ……そのつ…………」この先は言葉にならなかった。伸ばしかけた手は空を掴んで落ちる。「まんまとしてやられてしまいましたね、ユージーン様。」ライラの声が聞こえる。そうか…私は彼女に…。地面に崩れた体から血が流れ出て草を赤く染める。やはり私はここで足を止める他ないようだ。どうしてだろう…あれほど覚悟していたことなのにこんなにも名残惜しいなんて。私はまだ貴方の隣に立っていたい。貴方の行く先で共にありたい。涙があふれる。「ユージーン……」伸ばした手は届くことなく地面に落ちた。
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「さて、ニキータ。今頃愚兄はどんな顔しているだろうか。」城の外をみやりながらアリアナはニキータに問う。「そうですねぇ……女神さまに泣いて許しをこうているのではないでしょうか♩」「そうか……それは見ものだな。」二人は笑い声をあげる。やがてその声は教会から響く美しい賛美歌にかき消されていった。

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