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第2話 鉄槌の雨に花は咲く

月の始めよりも随分と暖かくなりあちこちに生い茂る若木の枝には柔らかな緑の葉が優しい風に吹かれてそよいでいる。草原にも町の路肩の鉢にも白や黄などの可愛らしい花が顔を出し本格的に春の訪れを感じられる。白亜城の麓の町でも人々は春の訪れを祝うための迎春祭に向けていそいそと準備を始めていた-
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「迎春祭も間近で君もキングの傍で色々とすることはあるだろう、こんなところで私とのんびりお茶をしていていいのかな。」城下の賑わいからは少し遠くにある店のテラス席で2人が優雅に紅茶を嗜んでいる。「うん……いいよ。スーも休みは必要だから。」そう言いながらゼラは骨付き肉をかじるかのように白いバームクーヘンを口にしている。が、食べるのをやめふっと顔を上げた。「そういうルネッタはここにいていいの。敵陣のど真ん中だけど……。」ゼラの正面に座るルネッタは確かにそうだと笑った。ここは白亜城下でありセヤのクイーンの座にある自分がここにいることは随分とおかしな状況だと思う。「そうだね…君のキングにバレたら大変だろうけど君はそんなに無粋なことをしないだろう。今はお互いにブレイクティータイムを楽しむだけだ。」「そうだね、スーもルネッタとお茶を飲んでバームクーヘン食べるのは楽しいから。」「戦が始まればしばらくは君ともお茶もバームクーヘンも食べることはできなさそうだしね。」棒に着いたまま食べるゼラとは打って変わってルネッタはナイフで切られたバームクーヘンをさらにフォークで1口大に切り取って口に運んでいる。2人の間に流れる雰囲気はどこから見ても対立する敵同士には感じられず戦の片鱗はなかった。「やっぱり棒から食べるバームクーヘンは1番美味しいなぁ。」ただ無邪気にバームクーヘンをひたすらかじるゼラを見ているとなんだか笑みがこぼれてくる。できることなら彼とは戦いたくない、それでももう目前に迫った迎春祭の日の奇襲では対峙することもあるだろう……。その時は私はユージーンのためにも敵として彼を切らねばならない。彼は私を切るのを躊躇うだろうか。穏やかな周囲とは反対にルネッタの思考は常に戦への不安や緊張が浮かぶ。本格的な戦が始まる前にゼラを茶会に誘ったのははやる心を落ち着かせるためでもあったが逆効果だったようだ。ルネッタは静かにティーカップを机に置いた。「さてと……私はそろそろ行かないと…。戦の前に最後君とお茶を一緒に出来て良かったよ。…………次会うときはきっと戦場だろうね、手加減するつもりはないけどお互い健闘しよう。」「……うん、スーはキングのために戦うからルネッタでも手は抜かないよ。でもまたバームクーヘンは一緒に食べたいから頑張って。」少し抜けた言葉に頷いてルネッタはその場を後にする。その後ろ姿を見送ったあとゼラは残りのバームクーヘンを口の中にギュッと詰め込んだ。
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昼間ですら暗い城内は日が沈むと全くと言っていいほど何も見えなくなる。廊下を1歩踏み出す事に側壁に設けられた輝石がチカと点滅して光を放ち出す。幾分かは明るいがやはりロウソクを持っていた方が良かったと少しばかり後悔する。明後日に控えた戦いに心が落ち着かずに寝所から抜け出してバルコニーへ来てみたものの、さすがに日中は暖かくとも夜は風も冷たく体が震えた。「セドリックか……」寒さからもう部屋へ戻ろうかと思った時、入口から声がした。振り向くとロウソクを片手に持ったアルバートが立っていた。「アルバートさんでしたか……こんな夜中に散歩ですか?」「散歩…ではないな。毎晩床へ入る前に1度城内を見回るのが日課でな、今はその途中だ。……セドリックこそここで何を…。」「どうも眠れなくて。」ロウソクの明かりで照らされたアルバートの表情はいつもと変わりない。昼間見た皆の顔もいつもと変わりなかった。ユージーンから直接明後日の迎春祭にソレブリア砦を奇襲すると告げられた兵や民の顔もなんだかイキイキとしている風にも見えた。こんなにも心が落ち着かずにいるのは自分だけなのであろうか。「あの…アルバートさんは次の戦、どう思いますか?」上手くまとめられず抽象的な問いをしてしまった気がする。「…………。」沈黙だ。「……私は何があっても陛下のために、仲間のために戦うだけだ。」「そう…ですね、それは僕もそうなのですが……やっぱりいざ戦う、人を手にかけるって思うとなんだか変に緊張してしまって…。」歯切れ悪くセドリックは寝付けない理由を口にする。「昨日、今日とみんなの表情を見てきたのですが、みんなイキイキとしていて…僕ぐらいなのではないかと、こんな風に思うのは。」「そんなことないだろう…皆少しくらいは不安に思ったり緊張したりする気持ちはある。私もそんな気持ちがないと言えば嘘になる。」アルバートの言葉にセドリックはホッと安堵する。実直な彼の言葉だ、ただの気休めや慰めといった類の言葉ではないだろう。少し心が楽になり緊張も和らいだ気がする。今なら寝台に横たわれば眠ることも出来そうだ。「そうか……そうですね。ありがとうございます、少しは気持ちが楽になったような気がします。」「そうか…なら、良かった。明日は早い、少しとはいえ睡眠は必要だろう。もう寝た方がいい。」「ええ、アルバートさんも…おやすみなさい。」そう言うとセドリックはアルバートをバルコニーに残し自室へと向かっていった。
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「明日は朝から進軍だって言うのになんでこんなとこ走らされてるんだよ〜」「仕方ねぇだろ!!急ぎなんだから、お前ももっと馬とばせよ!」「流石にこれ以上の速度は無茶だって。そんな速度で走らせたら振り落とされるし、そもそもルゥの馬ぐらいだってバカみたいに速いのは!」アートルムからソレブリアへと向かう街道を速駆けの馬が2頭走っている。日が沈み真っ暗な街道で馬に乗る2人が持つ輝石だけが辺りを照らしていた。風を切りながら走る黒馬の鐙の上で上手くバランスをとり立ち上がったルゥは何かを探すように星が光る空を見上げている。「てか、俺はなんのために連れてこられたわけ?」その後ろを走る栗毛の馬に振り下ろされまいと手網を握るリーヴェスがルゥの背中に投げかけた。自他ともに認めるショートスリーパーではあれどもやっぱり戦の前は形だけでも寝たい。それに春とはいえ夜は寒いから外にそれも全力に近いスピードで冷えた風を切って走る馬の上にいるのはごめんだ。目的も聞かされずにとりあえず引きずられて出てきたリーヴェスは思う。「まあ、俺が怒られる量を半減するためだな。」「は?」「俺とお前の2人で出かけてたってなると説教食らうのは2人。そしたら1人あたりの説教の時間も半減するだろ。」「まさか、それだけのために俺の事連れ出したわけ!?嘘だろ〜」前を走る男は全力疾走する馬の鐙の上に立つなんてふざけた行動だけで飽き足らず思考回路までふざけているのか…。普段からお互いに持ちつ持たれつではあるけれども今日のこれは最悪だ。「流石に俺も怒りそ…」「!!、ちょっと黙れ」リーヴェスの言葉を遮りルゥが東の空を凝視する。わけも分からないが同じように眺めてみた。星以外に何も見えない。いや、星が動いたような、瞬いたような気がする。馬が急に止まった。「えっ!うわっ!!!」馬の鬣に顔が埋まる。どうやら前を走っていたルゥが馬を止めたらしい。今まで聞こえていた風の音も馬の蹄の音もなくなり急にしんとする。僅かに足元の草がそよいで小さくカサカサと音を立てるくらいだ。2人だけしかいない草原の、緩やかに蛇行する街道の真ん中で冷たい空気を切り裂く口笛だけが響いた。何かを呼ぶかのように抑揚をつけて何度も口笛が響く。「何してるわけ?」「まぁもうちょっと待てって。そのうち見えるさ。」こちらを振り返った顔は笑う。見える?また、東の空で星が瞬いた。「ほら!来たぜ!!」そう言うと革の手袋をつけた左の腕を上へと上げた。羽音が頭の上でし、闇の中から黒い何かがその腕へと飛び込んでくる。「…何これ?鷹?」急な出来事に思わずぽかんとする。「ああ、親父殿ご自慢の伝書鷹だ。こいつを迎えに来てたんだ。」大きな鷹を撫でながらルゥは立派だろうと言う。なるほど俺はこの鳥の迎えのお供をさせられたわけだ。「さ、急いで帰るか。」「またこの寒い中を走って帰るのか〜俺もう寒くて嫌なんだけど…。」「仕方ねぇだろ。」
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カランカランと早朝の鐘が鳴る。兵を集めるための鐘だ。アルバートは集まった兵の顔を見渡す。まだ日の出を迎えたばかりとあってみな眠たそうだ。しかしそんな表情の中にも兵としての凛々しさや戦当日の緊張感は見て取れる。ああ、士気も昨日よりも高まっている。この顔が戦の後にも見られるといいが…。「アルバートさん、兵の集合が完了致しました。」「あぁ、報告ご苦労。陛下が来られるまで待っていてくれ。」兵が列に戻って行くのを見送りながら陛下、そしてルネッタやセドリックを待つ。ギリギリまで会議をしていた支度に手間取っているのだろうか。ルゥは会議が終わるや否や馬の調子を見てくると言って飛び出して行ったからおそらくは門で待っていると思われる。「すまん、待たせたな。」「いえ、兵が集まったのもほんの少しがた前ですので。」「そうか、ご苦労だった。」ユージーンはマントをはためかせながら中央へ歩いていく。その後ろをルネッタ、セドリック、リーヴェスが続いて行った。
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「わりぃ……遅くなっちまった!」「あ゛ぁ〜つっかれた〜」夜明け前の静かな室内にドタバタと入り込んできた2人は肩で息をしている。今日は戦をすると分かっていたはずなのに全くどこに行っていたというのか……。「夜に遊ぶなとは言わないが、日は考えてくれ。」「まぁ確かに戦前に馬で走りたかったってのも半分あるが…こいつを迎えに行っていたんだよ。」そう言ってルゥは懐から書簡を取り出した。「手紙…?一体なんの。」「なんでも、ルゥの古馴染みの女中に密書を頼んでたらしいんだよね。…で、俺はそれに無理やり付き合わされてたわけ。」「で、何が書いてあった。」ユージーンが手紙の内容を催促する。「どうも動きが変だな。ゼラのやつが姫さんの変わりをするのはいつも通りだから別に構いやしないが……迎春祭ってあれ女神も何かしら関与している行事だろ?だったらあいつがいるのが普通だがどうにも姿が見えないらしい。」「あの聖職者か?」「あぁ、神の声が聞こえるとかなんとかってやつ。」確かに例年聖職者が主となって取り計らう迎春祭であの男がいないのはどうにもひっかからる。しかし密告者はたかだか女中、神殿の内部の情報まで知っているとは考えにくい。ユージーンは黙り込んで思考する。この間ルゥが胸騒ぎがすると言っていたことも気になる。「もし……もし彼らが砦を襲撃すると知っているとすると危ういのは殿だね。」ルネッタが卓上にあるルークのコマを指でコツンと押し倒した。「後ろから挟まれるとリーヴェスの兵だけで対応しなければならない。倒れれば本陣はすぐに崩れる。」そう言いながら白いビショップで黒のクイーンとビショップを倒していく。「そして魁、ひいてはユージーンの軍が前後で挟まれることになる。本陣が既に崩れているから指揮はないし総崩れになる可能性もないことは無い。」「しかし、リーヴェスさんの抱える兵はセヤの中でも1番多い。そう簡単に倒れるとは思いにくいのですが……。」「ああ、俺もそう思う。リーヴェスの単軍だけでも充分もつはずだ。それに俺やアルバートが後援に行くことも出来ねぇしな。」「なら、俺が行こう。」静かにユージーンは告げた。「もし後ろから攻撃された時にお前が危ないじゃないか!」「そこは俺に任せて欲しいんだけど〜」「ルゥは過保護すぎだ」だってよぉと言いながらルゥは険しい顔をする。俺の事を心配をしてくれていることは分かるけれどそうは言っていられないのが現状だ。それでいいな、とユージーンは周りを見渡す。皆は首を縦に振って同意を示した。小さな窓から日が差し込んでくる。「さあ、夜明けだ。今から30分後にここを立つ!」その言葉を皮切りに各々は席を立っていく。ルゥは馬の様子を見てくると言ってすっ飛んで行った。『雨が降りそうだ』と扉を出る途中でこちらを振り返って叫んでいた。
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中央に立ったユージーンはすぅと大きく息を吸う。兵たちはユージーンの方へ体の向きを変えた。「いよいよ出撃だ!この戦いは俺たちにとって1歩に過ぎない、だか重要な1歩だ。どうか俺のために皆の力を貸してくれ、そして一緒に勝利を掴もう。さぁ、出るぞ!!」ユージーンの号砲にドッと兵が沸き立つ。丁度遠くソレブリアからゴーンゴーンと微かに鐘の音が聞こえてきた。進撃の合図には丁度良いだろう。ゆっくりと開かれた裏門から騎馬隊を先頭にセヤは初めての進撃を始めた。
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朝日が室内にも差し込み始めた頃白亜城の麓の街も城内も慌ただしく人々が動いていた。城下の商店や家々では迎春祭のための最後の飾り付けや品出しがされている。通りにはキングを迎えるために咲き始めた色とりどりの春の花で飾られ、様々な初物の作物や物珍しい異国の品が並んでいた。「キング・アリアナ!!…キング・アリアナ!!!……いい加減準備してください!」賑やかな城下と同じように慌ただしく騒がしい城内で一際大きな声が響く。「そんなに急がなくたっていいだろう!今日は私はキングではなくナイトなんだから。」「ナイトとてキングの側に立つのです、ちゃんと着替えていただかなくてはいけません。」「ええぃ!面倒だ!!」逃げんとするアリアナを逃すまいと捕まえたライラはそのままズルズルと執務室へアリアナを引きずっていく。その後ろにはピタリと着替えを抱えた侍女が付き添っている。さすがはライラだ、準備がいいな。とアリアナは逃げようと試みるのをやめ大人しく引きずられていった。
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「あら!とっても素敵だわ、スーちゃんもアリアナちゃんも!」迎春祭のパレードに向けて侍女とライラにしっかりと着飾られたゼラとアリアナを見てアテレスがキャッキャと手を叩いた。かく言うアテレスも"春"を思わせる淡いコーラルピンクをベースとした優雅なドレスに雫のような輝石をふんだんに散りばめた絹レースでてきたショールをまとっている。その姿はさながら春の到来を告げる女神だ。「今日はスーちゃんがキングだから私はスーちゃんの左後ろに居ればいいのよね。」「そうですね、キング・アリアナはゼラの右前に、私はその後ろ。アテレスさんは左後ろですね。」パレードの時の立ち位置を各々が確認する。「タビタは近辺を警備する兵の指揮に回っているからパレードにはいないんだな。」ライラの持っている表を見てアリアナが言う。「あら、お兄様もパレードにはいらっしゃらないのね。」「ええ、ニキータさんは修道院の方で午後から行う式の準備に回っていて不在ですね。」「残念だわ、エスコートして頂こうと思っていたのに…。」「午後からはいると思いますよ。」アリアナに続いてアテレスもライラの手元を覗き込み一言二言言葉を交わす。ライラを除いてこの場にいる3人は皆迎春祭のパレードを楽しみにしているようだ。いつもは城のバルコニーから見渡すだけの城下を馬に乗って間近で見られる機会はそうそうない。その分余計に浮き足立っているのだろう。既にキングの影としての衣装を纏い、顔をベールで覆っているゼラも表情こそ見えないものの楽しみだと言った雰囲気が感ぜられる。しかしその反面ライラの表情はいつにましても暗い。昨夜からあまり眠れていないのか目の下にはうっすらと隈が見てとれる。「なんだ、ライラ。そのような重苦しい表情をして!パレードが楽しみでは無いのか?」見かねたアリアナが問うた。「そうですね、民衆が多く集まり目立つパレードですからセヤも迂闊には狙っては来れないでしょうがやはり、キング・アリアナを直接不意打ちできる好機には変わりありません。…それにニキータさんのあの予言もやはり少しは気にかかるので…。」「そうか、だがニキータの予言を信ずる証拠は何一つない。それにあの愚兄は多勢の民衆の前で私を撃つなどとそんな大それたことが出来る玉ではないしな。」ライラの気兼ねとは裏腹に当のアリアナはケロッとそんなことを言ってのける。「何も無いのが私としても1番ですが、万が一というものは何時でもありえるものです。貴女に仕える身として御身をあんずるのは当然ですから……。」「でもその万が一のためにスーちゃんがいるのだら大丈夫よ!」無邪気な顔でアテレスは言い放つ。ゼラがコクコクと首を縦に振る横でライラははぁとため息を1つついた。
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馬でアートルムから走ってソレブリア砦の裏側近辺の森に部隊が到着した頃には出始めたばかりだった太陽は南の空高くに昇っていた。森の中では馬は足取りがゆっくりとなる。僅かに遅れている歩兵を待つには丁度いいとアルバートはルゥの騎馬隊と共に木々の間を闊歩していた。鬱蒼とした森底は木漏れ日が所々に光を差し込んでいるだけで薄暗くて肌寒い。今朝の露で湿った苔むした地面には先を進んでいる騎馬の足跡が残っている。……?何かが引っかかった。アルバートはふと地面を見つめる。…………「アルバート!ちょっと来てくれ!!」部隊の先頭から呼ぶ声がした。ルゥが呼んでいる。何か異状でとあったのだろうか…。「……嫌な予感が当たったな」そう言ってルゥは顎で地面を指す。これは…足跡か?苔の上に薄らと足跡が残っている。自らの乗る馬を1歩後ろへとやる。「これは……。」「うちの騎馬のあとじゃねぇ、この足跡は一回りは小さいだろう。こいつは帝都の兵が乗ってる南産の馬の足跡だ。森の中だから土が湿っていて残ったんだな。」「ということは砦には……」「ソレブリアからの援軍が居るってことだな。」どこで情報がもれたかは分からないが援軍がいるとわかったところで引くにも引けない。アルバートは砦のある方へ顔を向ける。ここからではまだ見えない砦には敵が待ち構えているのか……。「跡から見て数はそこまで多くはないな、騎馬が100に歩兵が200と言ったところか。」「数ではこちらがまさるか。…しかし相手は砦の中、こちらは平原。陣建ても地の利も向こうが有利だ。」「相手の騎馬兵をこっちまでおびき出せばいい。ここらは平原と言っても足場が悪い、南の丘陵地でぬくぬくと育った馬は動きが鈍くなるさ。…っと、その前にルネッタに知らせておいた方が良さそうだな。」そう言って近くの枝に止まっていた鷹に何やら言葉を伝える。ウェール語では無いため何を言っているかはよく分からないが言葉を伝えるだけでこの鷹はルネッタに伝令を届けられるのだろうか。……鷹は人と同じように頷くような仕草をしたかと思えば空へと飛んで行った。「伝令!!砦に旗が掲げられました。オレンジの花印に旗地の色は緑です!」「!!緑の旗地……敵将はタビタ・アンゲラーか。」

「セドリック、魁部隊が砦の裏へ回り終えたそうだ。殿も場所に着いたと今報告があった。」「分かりました。僕の能力で敵がどう動くか見ますからルネッタさんは他のみんなへ伝令をお願いします。」「わかった。…しかし雨が降った時のために陣を森の中に構えたのは良いけれど少し寒いね。」ルネッタは暗い森の中を見渡す。バサバサと頭上で羽音がした。1羽の鷹がルネッタの元へ降りてくる。「えっ!た、鷹?」驚くルネッタの横でセドリックは大きいですねなんて穏やかな感想を述べる。鷹はちょんとルネッタの近くの枝に止まるとじっと彼女を見つめる。「足に飾り石がついている…もしかして伝書鷹?」そっと石に触れると石が光を放ち文字が浮かぶ。「伝書鷹は確かシャトランジより北にある帝国が使う伝令方法でしたよね…。ウェール語では石に言伝を込めるのが難しいからこの国では使われていないはず…一体誰が。」「…ルゥからだね……まずいな、砦に援軍が居るらしい。どこかで敵に情報が漏れたみたいだ。」「それじゃあお二人の軍が危ないのでは。」「いや、問題は無いと書いてある。君の能力で危ないと思う状況が見えたならこちらも手助けをしよう。」セドリックは神妙な顔で頷く。自分の未来を予知する能力、それは幼少の頃よりの努力の結晶だ。遠い先が見える訳では無いためこの戦い自体の勝敗は見えやしないが少し先ならば誰よりも先に知ることが出来る。今こそその力を皆のために使う時だ、女神からのお告げや加護なんかじゃない努力した結果だと認めてくれた皆のために。
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「はぁ〜しっかしここはほんとに砦とちょびっとだけある森以外全部草原なんだなぁ」「それがどうかしたのか?」「いや、後ろから敵が来たら丸見えだなって思ってさ。」予め指定されていた場所に着き馬上でのんびりと自陣の様子を眺めながらリーヴェスは言う。砦を襲撃するのだから殿は後ろから援軍が来たり、魁が危うくなった時以外戦うことはない。援軍はまだしも北産の中でも最高の軍馬を揃えたルゥの騎馬隊と高火力を誇るアルバートの歩兵隊で構成された魁が崩れることはまず無いだろう。今日は俺もユージーンもやる事なしだな。やる事なしが1番いいんだけどそうは言っても暇なんだよなぁ。そんなことを思いながら後ろを警戒するために馬を回れ右させて隊列の後ろへと向かう。障害物は何も無いだだっ広い草原には影ひとつない。ただ若草が風でそよいでいて、ほんの少しむき出しになった地面が顔を覗かせているだけだ。「雲行きが怪しくなってきたな。」後ろからかけられたユージーンの言葉に空を見上げる。先程まで見えていた太陽は雲に覆われて見えなくなっていた。風も強くなり始め遠くの空には黒い雲が広がっている。「雨が降ったら嫌だなぁ…びしょ濡れになる。」そう言った直後にポツと雨粒が頬に垂れた。「うわ、降ってきた!」雨粒は1つ2つと降り落ちすぐに数えられなくなった。それと共に薄く霧が立ち込め始める。視界が悪いな…。この付近は天候が崩れるとすぐに霧が立ち込め始めるからどうにも好かない。ルゥやアルバートたちが霧で困らなければいいけど。「なぁ、リーヴェス。」「ん?」「今霧の向こうで何かが動かなかったか。」何かが動いた?まさか、そんなわけがないと霧の向こうをグッと眉間に皺を寄せて見る。風が吹いて正面の霧が晴れていく。その向こうで大きく淡い紫の旗が靡いていた。
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「おい、おい…嘘だろぉ」「あの旗…ビショップか。……全兵戦闘用意!敵を迎え撃つ、必ずここを守り抜け!」くるりと兵の方を向いてユージーンが号をかける。「ユージーンは俺の後ろに居てくれよな。…さてと、暇だと思ってたのが嘘みたいだけど頑張るしかないか〜」行くぞと声をかけ愛馬を軽く蹴り駆け出す。相手の数はざっと300、兵力では断然こっちが優勢だ。スラと剣を抜いて敵陣へと向かう。遠くからでは霞んで見えなかったが敵は全員が教団に属する兵のようだ。皆教団のマークがついている。向かってくる騎馬兵の奥で弓兵が矢を放った。矢が来るぞと前の方で声が上がる。直後目の前に飛んできた矢を横に薙ぎ払った。1本、2本と次々に飛んでくる矢を振り払いながら前へ進む。ドゥと馬が倒れる音が聞こえる。前の方では金属どうしが激しくぶつかる音がする。教団兵は弓と魔術の遠距離型だこのまま詰めてしまえばいける。「おっと、あぶね」リーヴェスは正面から振り下ろされた剣を弾いた。弾かれた衝撃で僅かに隙ができた相手をそのまま切り伏せる。そういえば前にルゥが向こうの騎馬は寒さにも足場が悪い場所にも弱いって言ってたっけ…。確かに動きが悪いようにも思える。「はぁ〜全く次から次に…っと、ユージーン大丈夫?」「ああ、問題ない……にしてもあの男の姿が見てないな。」正面に立ちはだかる敵を切り倒しながら敵陣の中に切り入っても将であるはずのビショップの姿は霧のせいで見えない。風が多少吹いてくれれば霧も晴れるんだけど……。「俺が風を起こすからお前は将を探してくれ。」「了解。」後ろから一陣の風が吹き付ける。強い風に煽られて霧がかき消される。………………!!見つけた、すぐ近くだ。馬から身を翻して地面に降りると同時に魔法を発動させる。瞬間白のビショップのすぐ前に体は移動した。
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「おや!これはこれはリーヴェスさんではありませんか!!!」目の前の男は大袈裟に驚いてみせる。テレポートした瞬間に相手に向けて振り下ろした剣は斬り掛かる寸前に親衛兵の交差した槍に阻まれた。「ん〜これは本気出さないとアンタを斬れなさそうだね」「そうでしょうか?」敵を目前にしてニイッと笑う。なんだかすごく嫌な感じがした。
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本陣に用意された椅子に座りセドリックは未来を見るために魔力を込めていた。雨が降っている……霧が立ち込め初めて……敵の影がその向こうに浮かぶ。これは。「ルネッタさん!増援の本隊は砦ではなく後ろ、殿の向こうにいます。」「!!まさか…ビショップの……。」「ええ、教団のほぼ全兵を引き連れているようです。数は1000を超えるかと。」「配置は?」「中央に300程、それとビショップがいるのが見えます。残りは左右の少し離れた所に待機していて……!!あの、とんでもない事をお願いしているのは分かっているのですが…今じゃないとダメなんです。その……僕が援護しに行ってもいいでしょうか。」速くしないと間に合わない、どうか承諾して欲しい。グッとルネッタの方を見る。「わかった、私もここを離れるのは難しい。セドリック、君に任せる。」ルネッタは魔力を込めて声を発する。「本陣の兵に命じる、騎馬兵はセドリックと共に殿の援護に周り、残りの兵は今後もここで待機するように!」
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速く、速くしないと…不慣れな馬に乗って森を迂回して平原へと走る。霧が立ち込めていて前が見えにくい。馬はぬかるんだ地面も剥き出しになった岩肌も力強く走り抜ける。まだ戦が始まったような音はしない。でもこの後すぐに両軍はぶつかってリーヴェスさんがニキータの元に…殿の軍が中央に向かう。相手の目的はそれだ。僕が戦場に出ても出来ることはそんなにないだろう。でも未来を知っている僕なら出来ることだってある、…はずだ。ユージーンを、リーヴェスを救わねばならない。その一心でセドリックは騎馬兵を引き連れて走る。殿の隊が見えました、既に戦闘が始まっています。並走する兵が声を上げる。近づくにつれて音が聞こえてきた。怒声、悲鳴、馬の嘶く声、金属のぶつかり合う音……。これが戦場の音なのか…。風に乗って血の匂いも雨の匂いに混じって運ばれてくる。嫌な臭いだ。胸の奥がムカムカとしてくる。「皆さんは左右に回って援護を、僕はユージーン王を探します。」後ろを走る馬の足音が遠ざかっていく。セドリックはさっき見えた未来を頼りに真っ直ぐに馬を駆った。
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「リーヴェス!」リーヴェスが置いていった馬を引きながらユージーンは戦場の真ん中を駆けていた。大凡の位置はわかるがいかせん同じように移動することは出来ない。対峙してくる敵を倒しながら進むしかない。1人で敵将の元へ行くなんて無謀過ぎる。いくら相手が戦になれていない聖職者であってもその周りには精鋭がいる。それを相手にするのはリーヴェス程の腕前であっても骨が折れるだろうし、危険だ。…。少し向こうで剣がぶつかり合う音がした。「リーヴェス!!無事か?」目の前の兵を力任せに薙ぎ倒して叫ぶ。「…見ての通り……よっと!…ピンピンしてるよ!」敵の攻撃を交わしながら答えた。所々服が裂け血は流れているが大丈夫そうだ。ほっと胸を撫で下ろす。「ふふふ、これで本命が揃いましたね♪バカ正直に突っ込んできてくれるとは!」白のビショップ…ニキータ…………。俺の妹を惑わせ愚者に仕立てあげた薄汚い聖職者!!かぁっと血が昇るのを感じた。「…ビショップ!!馬鹿なのは貴様だ!今ここで死に花を咲かせてやる!!」血が滴る剣を振り上げる。視界には俺を見上げて口を吊り上げ笑う男が映った。「チェックメイト……さぁ、私に従いなさい!!!」ぐわんっと波のような衝撃が全身に巡る。…腕が…いや、体が動かない。「ぐっ…何を」チラと横を見るとリーヴェスも他の兵たちも動くことが出来ないようだ。カチと聞き慣れない音がする。「ユージーン!!!」リーヴェスの叫び声と破裂したような音が同時に聞こえた。
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恐る恐る目を開ける。痛みは……ない。さっきのは一体…。「あはは、良かった…。間に合ったようですね。」「!?セドリック、どうして…本陣にいたはずだろ。」「未来が見えたので…来てしまいました。」振り返って笑う顔に汗が伝う。笑う顔はすぐに苦しげに歪んで口から血が溢れでる。「ふふ、ふふふ、あっははははは♪うっ!ゲッホ!ゴホッゴホッ!!あはは!」ニキータが蒸せながら笑う。まるでゼンマイが壊れた人形のように笑い続ける姿にユージーンはゾッとする。「そうです!そうです!私は貴方を待っていたのですよ♪セドリックさん♪神は嘆いておられた、悲しんでおられましたよ。貴方が神を信じることをやめて其方に行った日から。だから女神様は貴方に罰を与えると、神に背く貴方に罰を与えることを私に託されたのです!!…そして貴方は私の、神の罰であるこの銃弾をしっかりと受けた!!!」ニキータは饒舌にまた話し始める。セドリックを待っていた…?未来を見ることが出来るセドリックなら俺が危険だと分かると助けに来ると踏んでいたのか…。頭に昇った血がサァッと引いていく。「神の……罰…ですか。ふふ、おかしなことを言う。神の罰なんかじゃありませんよ。僕がここ居るのは僕の意思です、僕がそう望んだからここにいるんです!」気丈に言うセドリックの体がグラリと傾いて馬から落ちる。ただ見ていることしか出来なかった。名前を呼ぶことしか出来なかった。落ちていく姿がどこか現実味を帯びなくてゆっくりと再生されながら目に映る。「貴方が神を今も信じ続けていたのなら幸せになることが出来たというのに、どうして神を裏切るのか私には全くもって分かりませんよ。嘆かわしいことです。」ニキータは地面に伏したセドリックを見下ろしいかにも悲しいですといった態度をとる。「神を…信じることでしか幸福を得られないなんて……可哀想な…人……ですね。」「何を…神を信じることこそが最上の…おや、いけませんね。」タラりとニキータの鼻から血が滴る。「どうやら能力を使い過ぎたようですね。私は神からの使命を果たしたことですし今日のところは引き上げますか…砦の方はタビタさんに任せれば問題ないでしょう♪」ニキータはクルリと背を向けてサッサと去っていってしまう。今まで動かなかった体が動き出す。「くそっ!待てって!」リーヴェスがニキータを追おうと駆け出す。「待て!リーヴェス、深追いするな。」「でも……」「頼む、行くな!」ニキータとその兵達は霧の向こうに消えていった。
*********
ただ雨の音だけが聞こえる。先程まで聞こえていた怒声も悲鳴も何も無くなってただ雨が地面を、転がる人の体を打つ音だけが聞こえる。噎せるような血の匂いも濡れた地面の匂いもしない。自身から流れ出る血がジワジワとぬかるんだ地面に染みて赤く染めていくのが見える。「セドリック!すまない、俺の…俺のせいでお前が……」ユージーンは転がるように馬から降りてセドリックの元に駆け寄る。幾筋も髪から頬へ滴り落ちる雨がまるで泣いているかのように見える。今治してやるからと言って伸ばされる手をそっとセドリックは制止した。もはや治るものでは無いのは自分がよくわかる。傷口は火傷をしたように熱いのに体はどんどんと冷えていく。ああ、自分は死にいくのかと実感する。このセヤに来て何か特別できた訳でもない。リーヴェスやルゥ、アルバートのように戦うことができた訳でも、ルネッタのように皆を指揮することができた訳でもない。それでも大切な人を守ることができたならそれでいい気がする。激しくなる雨の音に混じってユージーン王やリーヴェスさんの声が聞こえる…。逝くなと叫ぶ声が聞こえる。そんな風に言われるとなんだか心苦しくなってしまう。僕はこのまま死んでしまうんだろうけど今は…今はとっても幸せだから……。今まであんまり役に立つことが出来なかったしこれからもたてないのがほんの少し悔しいけれど、これで充分だとも思う。聖職者として向こうにいた頃は僕の居場所はなかった。ただ父の後継ぎとして変に期待されてどれだけ努力しても全て神のおかげだと言われてお終いだった。ただ苦しいだけの日々だった。……でもセヤのみんなは元々敵対するセフィドにいた僕のことを受け入れてくれて、仲間として一緒に笑ってくれた。ここに来てからの毎日は本当に楽しくて、嬉しくて…幸せで……。ずっと作っていた笑顔はいつの間にか自然な笑顔に変わっていた。神なんて信じなくたって僕は幸せだった_

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