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第九話 曇天に散る双剣

街中が祭りの色に染まる頃皇都ソレブリアの北に広がる農耕地では多くの作物が収穫を迎え始める。市場では収穫されたばかりの作物が所狭しと並べられ、家の食卓には夏の恵みを喜ぶかのように色鮮やかな食事が並べられる。街の人々が恵みを享受するなか北のアートルムには秋の冷たい風がひそやかに吹き始めるのだった__
 
 両軍は一月の休戦を経て再びエムロードにてその撃を交えることとなった。付近の森で対峙したナイト同士の戦いは熾烈を極めるも終に決着はつき、黒のナイトが勝利の剣を掲げた。かろうじて生きながらえたものの両目の光を失った白のナイト、ゼラの姿は暗い森の奥へと消えていったのだった__
 
「ナイトと共に殉死してぇ奴は俺にかかってきやがれ!!」
 そう声を上げたルゥの剣幕に白の鎧を纏った兵達は僅かにたじろいだ。群青色だったマントは血でどす黒くなっている。それがルゥ自身の血であるのかゼラを斬った返り血であるのかはわからない。
「どうした、怖気付いて剣もふれねぇってのか。なら俺からかかっていってやる。」
 ルゥは馬の腰に蹴りを入れ手近にいた兵へと向かって剣を振った。剣先は相手に避ける間を与えず首筋を切り裂く。派手に血柱が上がった。舞う血飛沫の向こう側で金色の瞳が鋭く怖気付いた兵士達を射抜く。この場にいるものが歴戦の手練れならば、冷静に判断ができる状況であったならばルゥがわざとこんな戦い方をしているとすぐに気づいたであろう。しかしナイトであるゼラが打ち取られたという事実、そしてルゥの余裕を醸し出すような笑みがその場の者達の判断を鈍らせていた。ほんの僅かに怖気付いたその隙をついてルゥは次々と敵兵を切り倒していく。
「貴様ら何をしているか!!敵をよく見ろ、奴は手負いで片腕は使えん。何を怖気付く必要があるのだ。真の王たる私に仕えるのならば敵のナイトの一人や二人容易く討ち取ってみせよ!!!」
 僅かばかり後方で凛々しい声が響いた。その声にルゥは舌打ちをする。やはり今回は姫さん自らが率いてきたか……。ゆっくりとした足取りで真っ白な馬が近づいてくる。
「大将自らお出ましってわけか。」
「王たるもの自ら先陣に立ち敵を屠らずしてどうする。ゼラには格の違いを見せつけるようお前の相手を任せたが敗れた以上仕方あるまい。」
 そういうとアリアナは腰に帯びた細身の剣を抜いた。ルゥの顔から笑みが消える。剣を握る左手にグッと力が込められる。ここでアリアナの相手をしては分が悪い。しかしそんなルゥの都合などアリアナの知るところではない。抜いた勢いのままに剣を振り下ろした。
 ガキンっと鈍い音がして剣先が跳ね返される。剣を跳ね返され僅かに体制が崩れたアリアナにルゥはすかさず切り返すものの鋒は空を掻いただけだった。
「どうした、貴様の腕はそれほどのものか。」
「生憎俺は姫さんが思うほど剣の腕は大したことねぇんだよ。期待するならリーヴェスにしておいてくれ。」
「ほう、ならば私の部下たちはその大したことのない剣に首を落とされたと言うことか。全く笑えんな。」
 苦笑いをしながら答えるルゥに向かってアリアナは二度、三度と剣を振り下ろす。振り下ろした剣は何度も防がれるもののアリアナが追い込んでいるのは明白だった。ルゥは少しずつ後ろへと下がっていく。アリアナがルゥを討ち取るのは時間の問題であろうとセフィドの兵士たちが思い始めたその時頭上を黒い影が横切った。そしてアリアナの視界を遮るようにそれは二人の間へと急降下する。思わぬ邪魔にアリアナの勢いが削がれた。それを好機とばかりにルゥは身を翻すとアリアナから距離を取る。
「悪りぃな姫さん。俺はこっちなんだよ。」
 そういうと血に濡れた右手をアリアナの方へと向けた。指先に魔力の光が灯るとそれは真っ直ぐアリアナの乗る白馬に向かう。光が白馬の体に触れるとそれは一瞬で爆ぜ眩い光が辺りを包んだ。
「全員その場を退け、一度立て直す!」
 ルゥの命でその場にいた騎馬兵は後方の森へと回れ右をして駆けていく。アリアナを含めセフィドの兵たちはそれを見送るほか成す術はなかった。
 
 先ほどまでいた森の方から聞こえる戦の音を耳にしながらリーヴェスはその反対方向、農耕地の方を眺めていた。視界の中にはただ青草が生い茂る地面以外何も写りはしない。しかし敵は必ずこちらからも来ると言う確信があった。先の戦いで敵方のルークが使った橋を使わないわけがない。簡易的に架けられただけの橋を壊してしまうのは容易いことだったがリーヴェスはあえて壊すことはしなかった。わざと橋を残しておいて敵に渡らせそこを迎え撃とうと考えた結果だ。
「橋を残したのが吉と出るか凶と出るか……。姐さんがいてくれれば俺が作戦とか考えずに済んだんだけどなぁ。ルゥもユージーンも好きにしろっていうし……。俺はとりあえず言われたことこなすってのが一番向いてると思うんだけど。」
 一人呟いた言葉に返事をするものはいない。リーヴェスは大きくため息をついた。さっさと終わらせて帰ったら久しぶりにルゥでも誘って酒に付き合ってもらおうかなぁ。もう一度眺めた農耕地の向こうに敵らしき影は映らない。一旦戻るかとクルリと向きを変えた時だった。森の近くで一閃した。あまりの眩さに思わず目を細める。この光はおそらくルゥが魔法を使ったのだろう。目眩しの魔法を使うということは相当追い込まれたということだ。
「あちらさんのキングかなぁ……ルゥが苦戦するってことは。」
 リーヴェスは早足でルゥと決めた落合場所へと向かう。こういう時にしっかり転移魔法が作動してくれれば走らずに済むんだけどそれがなかなかできないから困るんだよなあ。そんなふうに思いながらしばらく足を進める。僅かに汗をかくほどの間走ると簡易的なテントの頭が見え始めた。近くで馬が走る音が聞こえる。やはり一度戻ってきたようだ。木々の合間に黒馬が見える。
「リーヴェス!!」
 少し離れたところから聞こえた呼び声に足を止める。ルゥの声だ。
「橋の付近に姫さんと近衛兵団が控えてる。一旦休戦だ。」
「やっぱそうだよね〜。……ていうかまた派手にやったなぁ。」
 振り向きながら視界に映ったルゥの衣服は血で赤黒くなっている。どうしていつもこう血飛沫を浴びるような戦い方をするのだろうか。
「血飛沫浴びたら鉄臭くなるじゃん。嫌じゃないの。」
「別に気にしねぇよ。派手に血飛沫あげた方が敵が怖気付く、それだけだよ。」
「ふぅん……あっ、動かすなって言ったのに動かしてるじゃん。」
 リーヴェスが右手の方に視線をやるとルゥは僅かに目を逸らした。無理やり動かしたであろう右手からは今も血が滴っている。いくら利き手でないにせよもう少し大事にしてやってほしいものだ。
「俺の右手はどうだっていいんだよ。それよりこの後どうするかだ。ひとまずナイトはどうにかしたが向こうはあるだけ全部の兵力を注ぎ込んでやがる。姫さんが率いてるのが本隊だろうがあれで全部じゃねぇ。おそらくビショップと教会の兵が別で動いてるはずだ。」
「となると多分あっちの橋から来て挟み撃ちって魂胆かなぁ。だったらそっちは俺が相手するのがいい感じ。」
「俺たちを引き離すのが狙いだろうな。ここまでわかっておいて相手の思い通りに動くのは癪だがそれ以外術もねぇ。」
 どうしたものかとルゥは黙り込む。しかし良い案が浮かぶ訳でもない。戦における頭脳が討たれた痛手が目に見えて現れる。
「ならば俺がどちらかの援護にまわろう。」
 急にかけられた言葉に二人はバッと顔をあげる。声の主はユージーンだ。僅かにルゥの顔に喜色が浮かんだ。ようやく立ち直れたのだろうか。顔色は優れないにしろ声音は以前のように気丈としている。だがどうにも無理やり作ったような気丈さにリーヴェスは眉を顰めた。……無理してるよなぁ。しかしそれを感じたところでどうしようもない。
「それならさ、ユージーンはルゥの援護にまわった方がいいよね。俺はぴんぴんしてるけどルゥは右手も怪我してるしさぁ。あちらさんのキングと本隊相手にするならユージーンの兵力があった方が良いと思うし……。」
「俺はそれで構わない。」
「だが教会の兵力は侮れないだろ。帝国一個師団にも引けをとらねぇって話だ。」
「元々俺のとこは兵力も多いじゃん。それに俺の方にユージーンの援護を回してルゥに死なれでもしたら寝覚め悪いし。」
 リーヴェスの軽口に俺は死なねぇってんだろっとルゥが笑って返す。確かに死んでも死ななさそうだと笑いかけた時、見張りに回っていた兵士が駆け込んできた。
「農耕地の向こうで敵と思わしき影が!!」
「やっぱそうなるよな〜。……じゃ、俺行ってくるわ。帰ってきたら酒の相手してよね。」 
 そう言ってリーヴェスは軽々と馬に飛び乗った。
「死ぬなよ、リーヴェス。」
「そっくりそのまま返すよ。ルゥ、ユージーン。」
 
 周りから微かにうめき声が聞こえている。アリアナは眉間に皺を寄せながらさっていく黒馬を睨みつけていた。私としたことがぬかってしまったな……。出陣前にゼラに言った自身の言葉を思い出し唇を噛み締める。先の魔法でこの辺り一帯の兵下隊は目をやられたようだ。ここは一旦引いて様子を伺うのが一番であろう。
「一度引いて体制を立て直す。」
 アリアナは馬を回れ右させると川の方へと戻っていく。もう暫くすればニキータが橋を越えて農耕地の方へと着くだろう。そこからが本番だ。その前にゼラを失ったことは惜しいが仕方がない。川岸にひいた陣の中へ入るとアリアナは馬から降り手近の椅子に腰掛けた。そして机の上に広げられた地図に目をやる。相手が陣を引いているであろう場所は大方目星はついている。そこに黒のナイトとルークの駒を置いた。
「さて、あの愚兄はどうしたものか……。ナイトにつくか、ルークにつくか……いや、まだ塞ぎ込んだままかもしれんな。」
 顎に手を添えアリアナは一人考え込む。どちらにせよ愚兄が居るという状況がナイトとルークを実力以上に足らしめるのは目に見えている。
「状況的に見てナイトの方か。奴は手負いだしな。」
 コトンとキングの駒をナイトの側に寄せる。粗方相手の動きの予測はついた。アリアナは勢いよく椅子から立ち上がると声を上げる。
「敵が動きを見せ次第動く。それまでは少し体を休めておけ。今からは先程よりも厳しくなるぞ!!」
 そういうとテントの中へと入っていった。遠くの空で雷がなる。雨が降ればこちらが不利になるな、それまでに決着をつけねば……。めくれた垂れ幕の隙間から空を一瞥しアリアナは目を伏せた。
 
「ここを渡ればいつ敵と出くわしてもおかしくないですからね♪皆さん気をつけて下さい!!!」
 木造の橋の袂に大声が響く。ニキータの声だ。薄紫の旗を掲げた旗持ちの後ろには仰々たる軍団が並んでいる。それらの兵は全て教団の紋章が刻まれた腕章をつけている。その兵士たちが橋を渡る姿をニキータはいつもの如く貼り付けたような笑顔で見守っていた。
「さてさて私の元に来るのは誰でしょうねぇ。ルゥさんでしょうか、リーヴェスさん……それともユージーンさんでしょうか。誰が来るにせよ女神様が罰を降してくださる。楽しみですねぇ♪」
 ニキータはまるで遠足に行くかのように楽しげな口調で言う。いつまでも笑みを浮かべるニキータと一寸も違わぬ動きで進んでいく教団兵は異質であり薄気味悪さを感じさせる。橋を渡り終えた集団は川岸近くにテントを設営し足を止めた。
「ニキータ司祭ひとまずこちらで馬を休めその後攻撃に転じる予定です。テントの中へどうぞ。」
「おや、ありがとうございます♪私は女神様のお告げを聞いてきますね♪」
 そういうとニキータはテントの中に入り、奥に設けられた祭殿に向かって膝を折った。そして胸の前で手を組み合わせる。テントの中は静けさに包まれ淡く青い光がチラチラと舞い始めた。暫くすると光は消え外のざわめきがテントの中にも響いてくる。ニキータは手を解き顔を上げた。その顔は満面の笑みである。
「なるほど、なるほど……もう一度あの顔が見られると思うと楽しみですねぇ♪」
 女神の信託はニキータに何を知らせたというのだろうか。テントから出たニキータは近くにいた兵にそっと耳打ちをした。兵は一つ頷くと他の兵達が待機している場所へ走っていく。
「……キング・アリアナの勝利は近いですねぇ。」
 また遠くの空が光った。
 
 農地を隔てる柵の前でリーヴェスは馬を止めた。向こう側にははっきりと敵影が見える。影の前で薄紫に橙色の花の旗印が揺れている。
「はぁ〜まぁたビショップかぁ……やなんだよねあの読めない感じ。」
 嫌だと言う割にはリーヴェスの表情は明るく見える。ひっさしぶりに腕がなるなぁと右手を回した。静かに剣を抜く。
「さて、と。ぱぁと片付けて酒飲むからな〜お前ら!」
 そう言うと馬を蹴る。後に続く馬や兵士が柵を踏み壊し進んでいく。前方で待ち受ける影に動きはない。しかし不自然に太陽の光が反射した。あれは……随分と大掛かりな防御魔法だ。さすがは教団兵なだけある。
「障壁が展開してある、普通の攻撃じゃ破れない。気をつけろぉ。……っと、俺の馬よろしく。」
 トンっと身を翻すとリーヴェスは魔法を展開する。体が後ろを走る馬にぶつかる寸前にリーヴェスの体が掻き消えた。
 
「こんにちはぁ〜とっ。」
 転移先で片足が地面に着くや否やリーヴェスは目の前の兵士を一人斬り捨てる。その勢いのまま隣の兵士を薙いだ。教団の兵が倒れた傍から淡い障壁の光が消えていく。やっぱ内側から崩すのが手っ取り早いよな。ルゥみたいに派手な壊し方はできないしさぁ。教団兵の作った防壁魔法は陣形の一角が崩れると割れたガラスのように散っていった。そこにセヤの兵たちが追い討ちをかける。魁と共に駆けてきた馬に飛び乗るとリーヴェスは次々と教団兵を斬り捨てていく。
「まじで直ぐに片付いたりしちゃう感じ。」
 防壁が簡単に破られセヤの猛攻を受け尻込みする教団兵の姿に思わずぼやく。しかしふと帝国軍一個師団にも値すると言うルゥの言葉が頭の片隅に引っかかった。噂が独り歩きしたにせよこれ程にまで弱いものなのだろうか。いや、それよりもこの程度の強さの軍団にアリアナがこちらの相手を任せるわけが無い。そう思った途端に嫌なものが背筋を走った気がした。降りかかった返り血が嫌に冷たい。
「そういえばあちらさんのビショップって見てないよな……。」
 黒と白の兵士が混じり合い土埃が立ち上る戦場をぐるりと見渡してもニキータの白装束は目に入らない。
「まさか……ね。」
 頭の隅に最悪の一文字が浮かび上がる。ここにいる教団の兵士たちは皆囮であり、その本隊はアリアナのいる方へと向かっている。そんな最悪の事態だ。頼むからこっちにいてくれよなぁ。そんな焦燥感に揉まれながらもリーヴェスは剣を振り敵を確実に薙いでいく。不利を悟った教団兵たちは少しずつ後退していき防戦の一方である。そして後方の一人を皮切りに体勢が崩れ敗走し始めた。それをセヤの兵士たちが追う。
「敵さんの大将が見当たらない、あんまり深追いするなよ!」
 しかしリーヴェスの制止の言葉が聞こえていないのだろうか、セヤの兵士たちは敗走兵を追うのをやめる素振りは見せない。むしろどんどんと先へ進んでいき集団は農耕地の中央付近まで踏み込んでいる。何かがおかしい。そう感じるリーヴェスの後ろ側で不吉な風が騒めいた。
 
 先ほどまで照り付けていた夏の焼け付くような日差しが今や分厚い鉛色の雲で覆われ、森の中は薄暗い影が広がっていた。その中をルゥとユージーンが率いる兵士たちが動き回っている。既に一度撃を交え退却してから一時は経っている。お互いがいつ動きを見せてもおかしくはない。待機する間も戦慄が走っている。
「ユージーン、お前大丈夫なのか。」
 ルゥは隣に佇むユージーンに問いかけた。視線はセフィドの陣が構えられている川の方へと向けられているものの意識はユージーンの方へと向けられている。
「ああ、問題ない。」
 ユージーンはそれだけ答えるとチラと視線をルゥの方へとやる。右側からだと表情は見えない。きっと今もこの男は軍人の顔をしているのだろう。見上げるようにしていた視線を足下へと落とした。
「もうすぐ雨が降る。この辺りはアートルムほど霧がかったりはしねぇがそれでも視界は悪くなる。リーヴェスの方が心配だ。」
「……相手はビショップだったな。あの男は読めない。」
「ああ、あの貼り付けた笑みが薄気味悪りぃ。」
 心配する気持ちに偽りはないがそればかりはここで案じていてもどうしようもないというものなのだろう。
「さっさと片つけるのが一番だがそうもいかねぇしな。まああいつも相当手練れだし下手こくことはないだろうがよ。」
 信じるしか術はないとルゥは一人呟いた。そして初めてユージーンの方へと顔を向ける。ユージーンは反射的にそちらへと目をやった。なぜだろう。あの射抜くような琥珀色に覇気がないように感じる。
「……ルゥ、お前。」
 何を隠している、その疑問を口にすることはできなかった。聞いたところでこの男は隠すだろう。いや、聞かせないような雰囲気に気圧されたのかもしれない。口をつぐみ視線を川の方へと向けた。
「心配するなって、俺は大丈夫だ。」
 そう言って笑うとルゥはそっとユージーンの頭に手を置いた。まるで子供か弟に言い聞かせる時のようだ。大丈夫だと言うからには何かあるのだろうがそれでも何も言えなかった。
「そろそろ仕掛けるか。お前ら準備はいいな。」
 ルゥはユージーンの頭から手をどけると軽々と横につけていた馬に飛び乗る。それに倣いユージーンも馬に跨った。随分と久しぶりだ。鞍越しに自身の馬の躍動を感じる。馬までもが戦に出ることに昂っている。やはり一人だけ置いて行かれた気分だ。気づかれないように小さくため息をついた。
「行こう、今度こそ愚妹の首をとる。」

「陛下、敵軍に動きが見られました!現在森の中を移動しこちらに向かっているかと思われます。」
 テントの中に入ってきた兵士の報告を受けアリアナはゆっくりと立ち上がった。
「報告ご苦労。各自持ち場につき出撃の準備をせよ。次こそ愚兄とその腰巾着を退けて見せよう。」
 はっきりというとアリアナはテントの外へ出た。空は先ほどよりも暗くなっている。やはり一雨きそうだ。雨が降れば馬の質からして彼方に有利となるのは明白、しかし雨を待たずして仕掛けてくるのを見ると焦っているのだろう。焦っているのは、ナイトの方か……。策謀を張り巡らせていたあの女が死んだ今策を立てているのは戦場になれているナイトかルークだ。あのばか兄はそれに首を縦に振るか横に振るかをしているだけだろうな。アリアナは兵が連れてきた自身の馬に跨った。すでに兵たちの出撃準備はできている。
「皆準備は良いな、早急に敵を退け城へ帰還する。神の意は我が手にある。真の王たるのは私以外にあり得ない。偽王を語る輩は我が兄とて討たねばならぬ。皆私の剣となり戦い我が手に勝利を。」
 勇ましいアリアナの言葉に兵士たちは声を上げる。剣を抜き上へと掲げると出撃の合図を出した。前に整列していた兵士たちが駆けていくのを見てからアリアナは馬の腰を蹴った。走り始めてから暫くすると前方で金属がぶつかり合う音が響く。アリアナは馬を駆り前へと躍り出た。そしてすぐ近くの兵士を薙ぎ捨てる。
「恐るな!私がいる限り負けはありえん。」
 敵兵を切り捨てながらも勇猛果敢な言葉を叫ぶアリアナの脇を攻撃の魔法が掠めていった。バッと攻撃が飛んできた方向へ顔をやると燃えるような赤とそれに対照的な深い青色が視界に映り込む。
「威勢がいいじゃねぇか、姫さん。」
「ほう、一度は尻尾を巻いて逃げ出したと言うのにわざわざ戻ってくるとはご苦労なことだ。」
「何せやられっぱなしは性に合わねぇもんでな。」
 戦場でこうも軽口を叩くとは大した度胸だと口角を吊りあげる。そしてキキと鋭い瞳をその後ろへと向けた。
「部下の後ろで守られるとは情けないことこの上ないな。セヤのキング、よ。王を豪語するのならば自ら前に立ち敵を屠るべきではないのか。それすらもできずして王を語るとは痴れ者にも程があるというものだ。」
 見据えた赤い瞳は静かに伏せられる。何も言い返してこないことが余計にアリアナの腹を煮えくり返した。
「王は務まらない、貴族や神官共に祭り上げられただけの偶像のお前にはな。」
「モノの道理も分からぬ愚兄が……。」
 ふつふつと湧き上がる怒りに任せてアリアナは剣を振り上げ、力一杯振り下ろした。
 
「おやおや、お久しぶりですね♪」
 頭に響く声にリーヴェスは振り向く。振り向いてすぐ視界に飛び込んできたのは白装束を身にまとったニキータと千はゆうにいるであろう兵士たちだ。皆教団の腕章を付けている。これが……ルゥが危険視していた教団兵。帝国軍一個師団に相当するという噂は本当のようだ。
「はぁ〜嘘だろぉ。」
「嘘ではありませんよ!!全ては女神様の思し召したままなのですから!!!!」
 そういうことじゃないんだけどな、とリーヴェスはため息をつく。農耕地の正面で待ち構えていた兵士たちは俺たちの意識を向けるための囮だったってわけか。まんまと一杯食わされた状況に初めてリーヴェスの表情が険しくなる。しかしずっと見張っていたはずだと言うのに何故ニキータ達は後ろにいるのであろうか。これ程の大人数を一度に転移できるような代物はない。もちろん一人一人が転移魔法を使ったというのならば話は別だが転移魔法を使った形跡もない。どしらにせよ図られたことに間違いはないとリーヴェスは考えるのを諦めた。
「敵さんは妙な魔法を使うから気をつけろよ。全員叩きのめしてやれ。」
 一度に緩めた右手に再び力を入れ剣を構える。どう考えても数で不利なのは分かる。それならば最初の攻撃で敵を怖気付かせ士気を下げるしかない。なるほど、ルゥがあれほど血を浴びて帰ってくるのはそういうことかと納得する。リーヴェスは構えた剣を相手の頸動脈に向かって振り下ろした。派手に血飛沫が飛んで斬られた兵士の白い鎧を赤く染め上げる。並の兵士ならば血祭りに上げられた仲間を見て多少は怖気付くものだろう。しかしニキータをはじめズラと並ぶ兵士たちは顔色を変えるどころか、眉一つ動かすことはなかった。
「さあ、女神様の名の下に鉄槌を下すのです!!!」
 ニキータの仰々しげな声がかかると兵士たちはリーヴェス達に迫り来る。
「まったく……お手柔らかにして欲しいもんだよ。」
 左右から挟み込むように振り下ろされた剣を軽く受け止めながらリーヴェスは言う。そして剣を弾き返すと二人同時に切り捨てる。両者がぶつかり合って十分もしないうちにリーヴェスの周りには死体の山が出来上がっていた。強化魔法をかけているとは言えど常人離れした剣裁きに教団の兵士たちは迂闊に手出しができすリーヴェスを中心に間合いをとるような形になっていく。
「普段からばけもん相手にしてたら案外強くなったりするんだよね。」
「ふふふ、確かにお強いですねえ♪……ですが女神様がおっしゃることは絶対。貴方に勝ち目はありませんよ!!!」
「それはどうだかなぁ。」
 恍惚の笑みを浮かべるニキータに向かってリーヴェスはニッと笑って見せる。それを見てニキータはさも悲しげに首をふった。
「残念ですねぇ、貴方が女神様を信仰しキング・アリアナのために尽力を尽くすというのならば私は喜んで貴方を迎え入れたのですが!!!嗚呼、なんと悲しいことでしょう!!!世界中の人々が女神様を信じれば幸せになれるというのに!!!!」
 そう言いながらニキータは長筒を持ち出しリーヴェスの方へと向けた。撃鉄を持ち上げた時に僅かにカチリと金属音が鳴る。その僅かな音にリーヴェスはハッとする。あの時と同じ音だ。あの雨が降る中微かに耳にした音。見慣れないそれは火を吹くと同時にセドリックの胸を貫いた。
「貴方が女神様に従わないというのならば今は私に従って貰いますよ♪……さあ、私に従いなさい!!!!!」
「同じ手には引っかかんないからな!」
 リーヴェスはニキータが叫んだ瞬間、己の剣を左手に突き刺した。激痛が走り固まった体が動くようになる。そしてそのまま馬を翻させた。パァンと乾いた音がして血が飛び散る。馬は後ろ足で立ち上がりリーヴェスを振り落とすと口から血泡をふいてどうと倒れた。振り落とされたリーヴェスはそのまま地面に体を叩き助けられる。地面に触れた瞬間骨が折れる嫌な音がした。
「くっ……がはっ。」
 リーヴェスの口から血が吐き出される。地面に叩きつけられた衝撃が骨だけでなく内臓にまで損傷を与えたのだろう。それでもなおリーヴェスは立ち上がる。マントを裂きその切れ端で剣を手に縛りつけるとグッと構えた。
「負けるのは……嫌いなんだよね、俺。ルゥなんか馬鹿にするだろうしさぁ……。」
「まだ戦えるとは素晴らしいですねぇ♪ですが私にも使命がありますからね!!!!今楽にして差し上げますよ!!!!」
 そういうとニキータは手で上げる。それを合図にリーヴェスを取り囲んでいた何十人もの兵士が一斉に刃を振り翳した。
 
 ポツポツと降り始めた雨はやがて本降りとなり周りは雨の音に包まれる。あちこちで響いていた金属の音や怒声、馬の嗎はいつの間にか消えていた。降りしきる雨で体のあちこちについたどす黒い血が流され地面に染み込んでいく。この辺り一帯で立っているのはリーヴェスとニキータ、そして農耕地には不釣り合いな木だけだ。そのリーヴェスも木にもたれかかるようにして辛うじて立っている。追い込まれてからのリーヴェスの獅子奮迅は凄まじいものだった。その証拠に木の周りには大勢の死体が折り重なっている。体のあちこちに致命傷になってもおかしくはない傷を受けながらも鋭い眼光が未だ目の前に立つニキータに向けられている。一人何事もなかったかのように汚れひとつない真っ白な装束のままで立っているニキータは眉を寄せた。
「まさか貴方一人で私以外を倒してしまうとは思いませんでしたねぇ。これでは私がキング・アリアナにお小言を食らってしまいます♪」
 自らが率いてきた兵士たちが全滅したというのに動揺するどころか、どこか楽しそうな口調で話す。
「後は……あんただけ、なんだけどなぁ。」
 手に巻き付けていたマントの切れ端が解け剣が滑り落ちる。もう剣を握る力すら残っていないようだ。冷たい雨が体温を奪っていく。
「さて、貴方はすでに風前の灯。私が手を下すまでもありませんね!!!女神様も満足しておられる♪……おっと、忘れるところでした!!戦利品を持ち帰らねばなりませんね!!!!」
 ニキータはそう言ってニコニコと笑うと近く落ちていた短剣を拾い上げた。ほとんど装飾もないそれはリーヴェスのものだ。そしてソレを懐の中に入れると自身の乗ってきたであろう馬に跨り悠々と去っていく。雨で視界が遮られる中でも真っ白な装束と馬はよく目立つ。その白が小さくなるとリーヴェスはずるずると背中を木の幹に擦りながら崩れ落ちた。
「帰ったら酒飲むって言ったけどもう無理かなぁ……。」
 視界もぼんやりとしだし指先も震える。血を流しすぎた。治療魔法をかけたところで助からないだろう。己の体だ、それはよくわかる。リーヴェスは震える手で懐を探り煙草を取り出す。口に咥えて火をつけようとするものの血で濡れたそれに火はつかない。
「はぁ、最期の一本も吸わせてくれないなんて、ちょっと……意地悪じゃないかなぁ……。」
 口元に添えられた手が地面に落ちた。雨脚はさらに強くなる。水たまりに落ちた煙草に染みた血が滲み出し煙のように漂っていた。

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