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第七話 遥か遠き日々

 祝歌の月が終わり夏を迎え始めると皇都には馬売の商人が訪れる。春先に生まれた子馬は初夏には強く逞しい駿馬に成長する。人々は先の労働力として、移動手段としてより良い馬を買うために値を貼り市場は大いに賑わうのだった——

 エムロード川でセヤの先制攻撃により始まった戦はルネッタの張り巡らせた巧妙な策によってセヤの勝利に終わった。この戦いでセフィドはルークであるライラが討たれ両者は共に優秀な参謀を失う結果となった——

「キング!…至急……応援を!!」
 慌ててきたのであろう、喘ぎの間から絞り出された報告にゼラは急ぎ足で外へ出た。
「駐留している兵は直ちに出撃準備を、出来次第応援に向かいます。」
 素早く指示を出しながら対岸の方へ視線をやる。薄らと見える影は黒の方が多いような気がする。何故だか嫌に胸の奥が騒いでむず痒い。
「出撃準備、整いました。直ぐに出られます。」
 ゼラの元に兵士が報告をしに来た時だった。風向きが変わり東から強い風が吹き付ける。ゾクリと悪寒に似た寒気が背筋を這う。
「……私が指揮をとります。」
「馬はこちらにご準備して——」
 兵は言葉の途中で空を見上げたまま固まる。
「……!!あれは……。」
 ゼラが振り返ると空には赤の光が舞い散っている。戦場で上がる赤の光。それは戦における勝ちの合図であることを何年か前にタビタから聞いていた。勝敗はついたのだと、ライラは負けたのだと理解する。戦に出こそすれどライラは軍人ではなく参謀官だ。戦で使われる光の合図など知り得るはずがない。となれば自然と自軍の敗北を悟るほか選択肢はなかった。ライラは討たれたのだろうか……。
「すぐに戦況の確認を出してください。一人でも兵が生き残っているのならば彼らを助けに行きます。」
 ライラが死んじゃったらキングは悲しい顔をするのかな。ふとそんな考えが頭を過ぎる。
「伝令です!!……ライラ殿が討死なされました。」
「……分かりました。駐留兵はすぐに応援へ。伝達を寄越した兵はどこに?」
 救護所へ運ばれましたと兵が言うや否やゼラは其方へと走り出した。背後では応援に向かう兵士たちの足音がする。
「ライラの……最期を知るものはどこに?」
 救護所の幕を捲ってすぐに声を上げる。何故自分がこれ程にまで息巻いているのか分からない。しかし体が勝手に動いていた。深藍の髪を一束手の上に置かれたあの時から何かがおかしい。頭の中、胸の奥で潮騒のようなざわめきが起こってうるさい。
「敵方のルークに討たれました。私が見た時にはライラ殿は川へ……。」
 入口の一番近くに居た者が言う。随分酷い怪我をしている。それだけライラがいた戦場は激戦を強いられたのだろう。
「そう……ですか。報告ありがとうございます。貴方も手当を受けよく休んでください。」
 ゼラは重い足取りでテントを後にした。

「逃すな!出来る限りここで討ち取れ!!」
 橋へ敗走していく兵を追いながら怒声が響く。手負いで既に戦意の欠片もない敵兵は長く待つまでもなくほとんどが討ち取られることになった。傷口から滲む血を手の甲でぐいと擦る。風が駆け抜けて行く草原には白と黒両方が死体となって転がっているが断然白の方が多い。
「お疲れさん〜敵さん見事に姐さんの策にハマってくれてさぁ。」
 ニィとイタズラが成功した子供のような笑顔でリーヴェスは言う。
「お前もな。…敵将は?」
「ルークだった。致命傷は与えたんだけどさぁ…最期の悪足掻きっていうのかな?敵にトドメさされるくらいならって感じで川に落っこちてったんだよね。」
 右手でこうバッサリいったから生きてはないよ、と斬り口を示しながらリーヴェスは説明する。
「……あっ、そうそうルークがなぁんか気になること言ってたんだよね。」
「気になること?なんだよ。」
「どうせこの先ユージーンは戦えないって。」
「ユージーンが?」
 ユージーンの名が出た途端ルゥの表情が険しくなる。
「ま、咄嗟に出たまやかしじゃないかなぁ。……それよりさ、さっきから気になってたんだけどそれ……。」
 リーヴェスの視線がルゥの右手へと移された。足の上に置かれた右腕は赤く染まってピクリとも動いていない。止血のために簡易的に巻かれたであろう布も真っ赤に濡れている。
「ん、ああ…囮で攻めた時に矢が刺さってな。……多分筋ごと切れてるから運が良かったら安静にしとけば動くようになるんじゃねぇかな。」
 悪けりゃこの先二度と使えねぇとなんでもないように言ってのける。
「使えなくなったら困るだろぉ……。」
「剣を振るのは左だから問題ねぇよ。」
 どうして俺の周りの奴らは自分の事になるとこうも適当になるのだろ…………。リーヴェスはため息をついて空を見上げた。日が昇りきった空は真っ青で綺麗だ。
「戻るか。向こうも撤退を始めた。」

 重たく響く鐘の音でふと目が覚めた。数からして小一時間ほど微睡んでいたらしい。ゼラとライラを送り出してから一週間と少し、アリアナはほとんど自室へも戻らず政務室で仕事をこなしていた。シャトランジの夏は短い。一週間もすれば駿馬の月が訪れ、屠龍の月も中頃になればアンヴァンシブル山脈から冷えた風が運ばれてくる。アリアナの元には今年の夏と秋の収獲見込みを綴った石板が並べられている。この夏のうちにやがてくる長い冬に備えておかなければ多くの餓死者を出すことになるのだ。毎年山脈の麓やアートルム地方では冬の間の飢餓によって村が一つ消えたなどは珍しい話ではない。
「全く何をやっていると言うのだろうか…………この忙しい時期に内輪揉めなどと無駄なことを。国内だけでも頭痛のもとは湧いて出てくるほどあると言うのにいよいよ国外からもとはな……。この戦早急に終わらせねばなるまい。」
 誰かに話すように言葉を口にするアリアナの視線の先には収穫高を記した板とは別の報告書が置かれている。シャトランジ内での王権争いに気がついた隣の帝国が侵略の準備を始めたと言う内容のものだ。元々この国は彼の国の一地方に過ぎなかった。それを今再び取り戻そうとしているのだ。
「誰かこの板の束を財務の所へ持って行ってくれ。……ああ、あとこれはもういらん。教会の祝祭のことはニキータにでも任せておけ、私の知ったことではない。」
 淡々と仕事をこなしていくアリアナの側で小間使い達が何人も慌ただしく動き回っている。ライラが居てくれればもう少し効率良く回るのだがな…………。やはり政務の為にライラを城に残しておくべきだったと少し後悔の念を感じる。何年も従えてきただけあってアリアナの癖や考え方をよく知っている。その上で仕事を持ってきてくれる為やりやすいのだ。
「ゼラとベイカーはまだ帰って来んのか。愚兄の軍勢如きにいつまで手間取っているんだ!」
 アリアナがため息をついた時だった。
「キング、早馬で伝言が届いております。」
「早馬で…………。」
 嫌な予感が犇く。手渡された羊紙を開く。羊紙には短く『敵方クイーン討ち取る。ライラ討死。』の文字が記されてあった。

 後隊の馬が壁内へ入り、白塗りの城門が再び堅く閉ざされるのを確認してからゼラはアリアナの居るであろう政務室へと足を運んだ。胸ポケットには深藍の髪が一房入っている。早馬の伝言は既に見ているだろう。アリアナはなんと言うだろうか。タビタやアテレスの時同様に過ぎたことだ、次に勝つことを考えろと言うのか。ゼラは廊下を歩く途中で考える。セヤのように同志や仲間といった繋がりではなくあくまでも仕事としての繋がりが強いセフィドにおいてはアリアナの態度は妥当ではある。しかしライラはアリアナの幼少の砌から側に仕え、姉と同じような人であったはずだ。今回ばかりは少しくらい悲しむ表情を見せるのではないか……。黙々と歩いていく中で浮かんだ臆測が自身の希望であることをゼラはわかっていた。しかし親しい者が死んでも悲しむことが出来ないのは『寂しい』気がした。トントンと軽く扉をノックする。暫くして入れと短く返事が来る。
「随分手間取ったようだな。」
 アリアナはペンを走らせながら言う。前髪で隠れてその表情は見えない。
「エムロード川にて敵の策にあい陛下からお預かりした兵の多くを失ってしまいました。……それにライラも……。」
「当初の目的である敵方のクイーンは討ち取ったのだろう。」
「はい、ライラがその印としてこれを。」
 そう言ってゼラはポケットに入れていた髪を机の上に差し出した。
「確かにあの女の髪だな。……ベルトーニ卿に御息女の遺髪として送ってやれ。」
 アリアナは少し光に翳して見るとすぐに側に居た使用人に手渡す。
「あの……ライラは川に落ちたらしく何も残っていなくて。」
「そうか、戦場ともなれば身元も分からない死体なぞ余るほど転がっているんだ。ライラとて同じだろう。それよりゼラ、相手の状況を報告してくれ。」
「相手は未だ充分な戦力を保持しているかと思われます。報告からもソレブリア砦を襲撃した時とそれほど変化はないと。ただキング、クイーン、ルーク、ナイトの姿は確認できたのですがポーンの姿がどこにも見当たらず……。」
「となれば、ビショップだけだと思っていたがポーンも死んでいる可能性があるな。報告に上がらなかったということは行方知らずだった二月の間か。」
 アリアナの中で何かしら納得がいったのであろう一つ頷くと初めてゼラの方へ顔を向けた。いつもと変わらない気丈な顔だ。
「暫く暇を与える。街へ行くなり、自室で過ごすなり好きにするといい。酷い顔をしているぞ。私のことは構わずとも良い、臣下の体調をおもばかるのも王の務めだ。」
 急な言いつけにゼラはパシパシと瞬きをする。素直に休暇を受け取るべきなのだろうか。
「…………私も暫くは一人にさせてくれ。」
 どう答えようか口篭るゼラにアリアナは静かに言った。

「たぁだいま……っと、怪我人もけっこういるからさ包帯とか水貰ってくるわ。」
 本陣に戻ってすぐにリーヴェスは馬から飛び降りると物資が置いてあるテントの方へと走って行った。セフィドの急襲を受けたと聞いていたが周りを見る限りそこまで酷くないようだ。所々に血の跡は付いているがどれも少量であり怪我をしたものや死んだものは少ないだろう。
「……静かすぎるな。」
 ルゥは小さく呟く。陣からは話し声や物音はしているが活気がないように感じる。
「ルゥ、包帯とか持ってきたからその腕止血するぞ。」
「ん、ああ。悪りぃな。終わったらユージーンの所に行くか。」
「そうだなぁ……。ん、ちょっと絞めるからな。」
 リーヴェスは話しながらも器用に止血をする。
「よし、出来た!これで暫くしたら血は止まると思う。」
 ありがとなと言いながらルゥは立ち上がった。その表情は険しい。
「ベイカー嬢の言葉は出鱈目じゃねぇかもしんねぇな。」
「確かになぁんか暗いって言うかさぁ……そもそも俺たちが戻って一度も顔を見せに来ないってのが変だよなぁ。」
 陣の様子にはリーヴェスも違和感を覚えたらしい。二人が奥に行くにつれて兵の数が少なくなっていく。まるで陣の中央、ユージーンの居るはずの場所を避けているかのようだ。
「ユージーン、今戻った。」
 幕の外でルゥが声をかける。しかし返事はなく、灯りがついている様子もない。ルゥは再びユージーンと呼びかけた。
 ————————。
 やはり返事はない。
「どうする、寝てるだけかもしれないし暫くほっといてみる。」
「どう考えても寝てるわけないだろ。」
「まぁ…………確かに。」
 リーヴェスとルゥは互いに顔を見合わせた。
「ユージーン、お邪魔するけど怒んないでよね。」
 そう言って垂れ幕を捲りあげる。中は真っ暗だ。
「……誰だ。入ってくるなと言っておいただろう。」
 闇の中から声がした。
「ユージーン、俺たちだ。……居るなら返事くらいしてくれ。あと灯りを点けろ。」
「ルゥとリーヴェスか……。悪いが今はほっておいてくれ、後で……状況は聞きに行く。」
 暗闇の中から聞こえてくるユージーンの声はどこか力がなく震えている。
「別にいいけどさぁ……なんかあったわけ。って言うか姐さんは——」
 言葉の途中で急に周りが明るくなる。如何やらルゥが灯りを点けたらしい。強い光に一瞬目が眩む。
「————なっ!?」
 暗闇から現れたユージーンの姿にリーヴェスは思わず目を見開いた。服は赤く染まり所々に泥汚れが着いたままになっている。
「俺たちが向こうに居た間に何があった!ユージーン!!」
 力なく項垂れたままのユージーンにルゥが問う。悪い勘というのはいつでも当たるものだ。ユージーンからの返答がないのを見てルゥは奥の垂れ幕を力任せに引き払う。奥はルネッタが寝食に使用していた部屋がある。寝台にはルネッタが横たえられていた。服は赤黒いものが滲んでいるがそれ以外は傷一つなく綺麗だ。
「…………死者に回復魔法をかけたところで傷が消えるだけで命は戻らないってのに……。ユージーン、ルネッタは相手のルークに殺されたんだな。」
 嫌に落ち着いた声音で問いかける。答えはない。代わりにユージーンは小さく頷いてみせた。

 落ち着くまで好きにしろ、そう言って二人が出て行きユージーンはまた一人広いテントの中で呆然と佇んでいた。何を考えるでもない。ただ真っ黒だった。悲しいや苦しい、そんな感情もなくルネッタの死という漠然とした喪失感だけが心中でとぐろを巻き首を擡げている。今まで何をしてきたのだろう。こんなことになるとわかっていたのなら一人陣に残さずに傍に居れば良かった。…………いや、俺の傍に『居た』からルネッタは死んだんじゃないのか。そう考えると嫌にストンと納得がいく。俺という疫病神か何かに好かれたその時から彼女は死の帳の中に取り込まれたのだ。王族としてでは無く、俺というユージーンという人を見てくれた彼女に惹かれた。お互いに生まれ持って背負ってきたものが故に傷を負っていた。それを癒せるのは俺であり、ルネッタであると思った。だから一生を誓い幸せになりたいと願った。しかしそれは俺の傲慢で欲深く、浅ましい心が生み出した大きな過ちだった。そんな俺を嘲笑うかのように、過ちを裁くかのようにあの女は彼女を奪っていった。今頃女神の神官達は『流石は女神の選択した女帝の臣下、聖なる乙女である』とライラを持て囃し、俺はその女帝の兄に生まれた名誉では飽き足らず愚かにも玉座を望んだ痴れ者として指を指し笑っているのだろう。
「確かに……その通りかもしれないな。」
 こぼれ落ちた言葉は虚しく掻き消えていく。全てが過ちだ。何もかも。分かっている。木偶であったのならどれほど良かっただろうか。俺というものが腐り落ちていく。それでもなおみっともなく足掻き余計に醜くなっていく俺は木偶にすらなる資格はないのだろう。——罪は確定し、裁きの矛は降された。聖書の一説とそっくりな己の姿はあまりにも滑稽だった。
 
 ちゃぷちゃぷと足元で水が跳ねる音がしている。岸辺には布に包まれ板の上に乗せられたルネッタの遺体が置かれている。この時期の森や山には狼などの獣がいるため埋葬すれば必ず掘り起こされて食われてしまう。その為水葬にしようということになった。決めたのはルゥとリーヴェスだ。夏の暑さで腐ってしまう前に弔ってやれと言われユージーンは促されるままに首を縦に振っていただけだった。
「このまま流れていけばいずれ海に出る。獣に食い荒らされるより水底で眠りにつく方がマシだろ。……ユージーン、これでもう最期だ。顔くらい見てやれよ。」
「ああ……そうだな。」
 全体が布に包まれている中未だ顔だけは見えるようになっている。布の間から覗く表情は眠っているかのように穏やかだ。いざ彼女を目の前にしても言葉は何も出なかった。いや、何と言おうともそれはもう届かない。生者の声はただ醜く朽ちる。俺の言葉がルネッタを穢さないように……それだけだ。ゆっくりと立ち上がる。
「流してくれ。」
 短く告げた。リーヴェスが顔にまで布を被せると途中で落ちないように紐で括りつけ、ゆっくり板を川へ押し出した。板は重みで少し沈んで静かに水流にのって流れていく。風で立つ波で浮いたり沈んだりを繰り返し離れていく板をユージーンは無言で眺めていた。これで永遠の別れだ。その別れに涙一つ流せない俺はもう人の心すら持ち合わせていないのかもしれない。冷たく乾いた風が頬を撫でる。この冷たさすら耐えられそうにない。
「お前の方が死人みてぇな顔だな、ユージーン。……ほら、形見の一つにでも持っておけ。」
 そう言ってルゥは右手の中に拳大のものを握らせた。握った形ですぐに気づく。これはスカーフを留めていたブローチだ。彼女の形見にしては随分と小さく冷たい。開いた手から溢れ出した紫の光だけがどこか似ているように感じた。
 
「じゃあスーは暫く街の外に行ってくるからキングのことよろしくね。」
 小旅行に行くかのような出で立ちをしたゼラは城の女官達に告げると城門の方へと歩き出した。隣にはちょっとした荷物を背に抱えた馬を引き連れている。アリアナに暇を与えられてから一週間、自室や書庫でバームクーヘンを片手に本を読んで過ごしていたがどうにも落ち着かなった。以前ならば休暇を与えられたならば喜んで街に出向いたり昼寝をしたりと過ごしていただろうが今は空いた時間の分だけ死んでいったもの達の姿が思い浮かんでくる。それならばいっそ旅に出てみるのはどうでしょうかというニキータからの提案もありゼラは北の方へと行くことにしたのだ。門を出て馬に跨がるとその腰を軽く蹴った。こうして馬上から街の様子を眺めるのは迎春祭以来だ。春の頃よりも随分と気温は高くなり日差しも強い。広場にある噴水では子供たちが水浴びをして遊んでいる。内乱が起きていても民衆の生活は変わらない。ゼラはやるせなさを感じ足速に街を抜けることにした。街の門を抜けると遮るものがない為風が強く吹き付けてくる。
「涼しくて気持ちいい風だなぁ……。」
 もう一度腰を蹴ると馬は軽く走り始める。向かい風に乗って運ばれてくる青草の香りが鼻腔を擽り夏を感じさせる。鬱憤とした気分もどこが清々しい。このままもう一度エムロード川に戻ってライラを探そうかな。そう思い手綱を握り直すと馬を川沿いにそって走らせる。ちょうど昼時で南中した太陽の光が水面に反射し川を覗き込むゼラの目をさした。ゼラはライラを見つけるためにじっと目を凝らす。しかしどれだけ川を上っていっても水面は青いままで木の葉ひとつ浮かんではいない。もう海まで流れちゃったのかな……。あれから一週間以上たっているのならばライラの遺体が海へ流れ着いている可能性は充分にある。それでもどこかでライラが見つけてもらうのを待っているような気がして諦めきれなかった。ひたすら川を遡っているうちに南にあった太陽は西へ移動し空は燃えるような赤に染まっている。いつの間にか橋のある場所まで来てしまっていたようだ。この辺りならセヤの兵士がいてもおかしくは無い。ゼラはマントに付いているフードを深く被った。
「せっかく来たんだしライラが川に落ちたところまで行ってみようかな。」
 馬から降りて橋を渡る。対岸にはまだ数え切れないほどの死体が無造作に転がったままになっている。その全てが白の目印をつけておりセフィドの兵士であったことが分かる。きっとセヤの兵士の死体は彼らが運んでいってどこかで埋葬したのだろう。転がっている中には見知った顔の兵士もいた。彼の見開いたままの瞼をそっと閉じるとゼラは伝え聞いたその場所へ歩いていく。この一週間雨は一度も降っておらず乾いた血が草にこびりついたままになっている。川岸に随分と赤く染った地面が顔を覗かせる。きっとここがその場所なのだろう。何も残ってはいないがゼラはそっとしゃがみこんだ。ここからライラは川に落ちたんだ……。水面まで随分と遠いけど怖くなかったのかな。ライラのことだ。先の二人が首だけになって帰ってきたからには自分も敵の手にかかれば首だけになってアリアナの元へと戻るとわかっていて川に飛び降りたのだろう。風の音だけが響く中ゼラはライラの最期に思いを馳せていた。
「あれ、こんなとこで何してるわけ。」
 不意にかけられた声に肩が飛び跳ねた。聞き覚えのある声だ。セヤのルーク、リーヴェス。振り返ると思った通りリーヴェスが首を傾げながら立っていた。
 
「あ〜ぁ、ルゥもユージーンも二人して黙りこくっちゃってまじで居心地最悪すぎるんだよなぁ。」
 ルネッタを弔ってから三日、セヤの陣はいつになく空気が張り詰めていた。ユージーンは傷心しきっていて何とか立ち直らせようと試みるルゥの言葉も何一つ聞こえていないようだった。そんな日が重なることで元来短気なルゥが次第に苛立ち始め、そのルゥからユージーンを庇いつつも何とか気を宥める。その繰り返しに疲れきったリーヴェスは気分転換にと一人草原の方へと足を運んでいた。その草原には先の戦で死んだ兵士がゴロゴロと転がっている。
「気分転換にって思ったけど来る場所間違えたなぁ……。死体だらけじゃ休まるもんも休まらないし。」
 確かこの先は敵さんのルークが落ちていったところだったっけ。適当にフラフラとしている間にあの場所へ再び来ていたらしい。煙草を探す指に固いものが触れる。そういえばあの髪飾りの破片ポケットに入れたままだったな……。暫くバタバタとしているうちにすっかり忘れていた。
「これどうするかなぁ。」
 煙草に火をつけながら川の方を眺める。その視界に動くものが映った。どうやら人のようだ。
「あれ、こんなとこで何してるわけ。」
 声をかけるとその背中がビクリと跳ねる。しゃがんでいるところを見るに何か探しているのだろうか。黒いてるてる坊主のような頭が振り向いた。
「——!?[#「!?」は縦中横]ちょっ!![#「!!」は縦中横]まじで何してるわけ!?[#「!?」は縦中横]」
 振り向いたてるてる坊主はセフィドのナイト、ゼラであった。格好からして今はプライベートな時間のようだ。
「なっ!![#「!!」は縦中横]リーヴェス!![#「!!」は縦中横]」
 ゼラはあたふたとしながら後ずさる。剣もささずに丸腰でよく敵陣の近くまで来たものだとリーヴェスは呆れるやら感心するやらで笑いが込み上げてきた。
「俺も今は一人だしさぁ、戦う気もないし怖がんないでよ。で、何してんの。」
「ライラを探してて……あとルネッタのお墓参りに来た。」
 煙草をふかしたままのリーヴェスに敵対心がないことを感じたのかゼラは肩の力を抜いて話し始める。
「ライラ……敵さんのルークか。それならそこから落っこちてったよ。もう今頃は海じゃないかなぁ。それと姐さんの墓参り……か。」
 敵であるゼラがルネッタの墓参りがしたいというのはなんだかおかしな話だが確か彼らは敵同士であれど友人であったことを思い出した。敵とはいえ友人が死んだのだから花ぐらい供えたいというのがゼラの心情だろうか。
「姐さんの墓、って言っても何も無いんだけど川に埋葬したからさ。それでもいいならまあ一応案内くらいはするけど、どうする。」
「それでもいい……。ルネッタとはまた一緒にお茶会をしようって約束してたからバームクーヘン持ってきたし。」
 そう言ってゼラはバームクーヘンを布袋の中から取り出して見せる。
「それだけで荷物の半分が減った気がするんだけど……まぁ、いいか。馬連れてくるからそこで待ってて。」
「うん、わかった。」
 ゼラの返事を聞いてリーヴェスは草原の向こうへ歩いていった。
 
 すぐ目の前で銀と金の混じった髪が揺れている。あの時草原で出会ったのがリーヴェスで良かったとゼラは思う。もしこれがルゥやユージーンならこうはいかないだろう。それにしても随分とおかしな状況だ。本来なら剣をぶつけ合う敵同士であるというのに一人は道案内をし、もう一人はそれについて行く。ゼラにしてもリーヴェスにしてもこの辺りの敵味方の境界は割と緩いのかもしれない。
「あぁ、この辺だね。姐さんを流したのは。」
「そっか、ありがとう。スーは川にバームクーヘン流してくるからリーヴェスは帰ってもいいよ。……あ、これはお礼。」
 ゼラはバームクーヘンの片端を手でちぎってリーヴェスに渡す。
「……別にいいよ、俺こういうの食べないし。俺も墓参り、してこうかな。」
 リーヴェスはバームクーヘンをゼラの口に突っ込むとスタスタと川岸の方へと歩いていってしまう。ゼラはその後を追う。川岸に出ると急に周りが涼しくなる。風も心做しか冷たい。ゼラはしゃがんでバームクーヘンの半分を川の中へ入れた。
「これはルネッタの分、。こっちはスーの。」
 そう言って口に入れる。もう二度とここに来ることはないだろう。最初で最後の墓参りだ。
「あ、そうだ。これさぁスーが持ってた方がいいと思うんだよね。」
 リーヴェスはポケットから布を取り出してゼラに手渡す。なんだろう……。リーヴェスが渡してくるものなんてないと思うんだけどな。そう思いながらそっと布を捲ると中には割れたオレンジの髪飾りが置いてあった。これはライラの付けていた髪飾りだ。
「ライラの……。」
「いるでしょ、それ。」
「……うん。」
 ゼラは再び布でそれを包むと大事そうにそっとポケットにしまった。僅かだがライラを見つけられたようで嬉しくなる。
「戦ってやだよね。面倒くさくて……。余計な気持ちが増えてくばっかでさぁ。」
 確かにそうかもしれない。今もうるさく鳴る潮騒はこの戦があったからだ。
「じゃ、俺帰るわ。スーも早く帰った方がいいと思うよ、あいつらピリピリしてるから。」
 くるりと背を向けて去っていくリーヴェスは煙草を持った手の方をヒラヒラと振る。ゼラは煙草の煙が風に巻かれて空へ上って行くのを眺めていた。
 

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