見出し画像

第十一話 戻れぬ二人

 屠龍の月も終わり獣狩の季節に移り変わると冬を越すための肉や毛皮を求めて男たちは弓矢を片手に野や森に分け入る。あちこちで猟犬が獲物を追い吠えたてる声が響き渡り、矢が行き交う。年の最後の恵みを狩り終えるとそれぞれの街へと戻り、女たちが仕留めた獣の毛皮をなめし肉を干すのだった——

 橋の袂で檄を交えてからわずか三日後ユージーンとルゥ、そして数人は数ヶ月ぶりに地下水道跡に足を踏み入れていた。相変わらず中は薄暗く湿っている。前と比べて少し肌寒くなったことぐらいしか変わりはなかった。囮役の騎兵を送り出してすぐに一行は地下に潜り込みただ黙々と大聖堂の霊廟近くへと通じる道を歩いていく。
「地図だともう暫くすれば突き当たりだ。その零点五マイル程先に霊廟がある。」
「それぐらいなら魔法でどうにか出来るったってかなり揺れるぞ……。気取られるかもしれねぇな。」
「ここのことは流石にあれでも分からない。揺れたところで小規模な地震としか思わんだろう。」
 そうかと頷くとルゥは再び前を向いて進んでいく。薄暗い中では隣を歩いていてもそれほど表情は見えない。しかしユージーンが随分と落ち着いていることだけはわかった。そんな様子が本当に大詰めに来てしまったのだということを痛いほど感じさせる。ここに来るまでにほとんどの仲間を失った。もはやユージーンの側を歩くのはルゥただ一人だけだ。俺が最後の一太刀になるなんてな……。なんとも言い難い感慨に耽っていると目の前を照らす光がふわりと動きを止めた。どうやら突き当たりまで来たらしい。
「ここで行き止まり……。この先に霊廟があるのか。ルゥ。」
 ユージーンがルゥの方へと目線をやる。
「ああ。」
 短く返事をするとぴたりと壁に手を添える。そこから波紋を描くように複雑な構造の文字の羅列が生み出されて、光った。同じようにユージーンの後ろにいた兵士たちも魔法を展開する。ズズンと腹に響く轟音がして地下全体が大きく揺れる。パラパラと石の破片が頭に放り注いだ。本当に地震が起きたような感覚に陥る。
「よし、崩れたな。あとは"抜く"だけだ。」
 そういうや否やルゥは目の前のヒビが入った壁に力を込めて蹴りを入れる。硬い鎧が壁にめり込むとニ度目の地響きを立てて目の前の壁と土が崩れ落ちた。その振動に連鎖してどんどんと崩れていく。崩れた土でぐしゃぐしゃの穴を身をかがめながら進むとポッカリと抜けた空間が広がった。大聖堂の地下霊廟だ。抱えるほどある柱の一つ一つには蝋燭が煌々と光を放っている。あちこちに華美ではないものの高尚な技術が施された石棺が鎮座していた。この全てがかつてこの国の頂点に立っていたものの遺骸だ。霊廟の中には巡回をする神官の姿もなくシンとしている。一歩を踏み出すごとに磨き抜かれた半透明の床石がカツンと音を立てた。
「この上が大聖堂だ。上に出れば神官はもちろん見張りの兵士も居る。気を引き締めろ。」
 ユージーンは剣の柄に手をかけながらいう。一行の間に緊張が走る。ここはすでに敵の腹の中なのだ。討つべき敵がすぐそこにいる。その緊張感と高揚感が身震いとなって体を駆け巡った。

「陛下!敵の騎馬隊が城壁正面に迫っています!!」
 慌ただしく部屋に駆け込んできた兵士の声でアリアナはすくと座っていた王座から立ち上がった。
「来たか。最後は真正面からか。すぐに迎え撃つ。なるべく街に被害が及ばぬよう城のギリギリにまで引きつけろ。」
「陛下、第一壁突破されました!」
 ついで報告をする兵が入ってくる。
「構わん、そのまま中へ入れろ。弓兵と魔術兵は上から攻撃して数を減らせ。行くぞ!!」
 テキパキと指示を出すとアリアナはマントを翻し歩いていく。部屋を出てすぐの中庭で兵士が待機している。
「皆のもの、これが正真正銘最後の戦いだ、心せよ。今日ここで必ずやケリをつける。真なる王はこの私以外にはありえんのだ!!」
 もうあの時のように躊躇ったりはしない。もう分かり合えないのだ……兄とは。兄様と呼び慕ったあの尊き日はニ度と還らない。それがアリアナとユージーンの間に定められた性なのだから。馬に跨るとその腰を強く蹴った。一番前を疾走する。姿はまだ見えないものの正面からは蹄の音が聞こえてくる。アリアナは剣を抜いた。一番前を走る兵士の黒が目に映る。その数秒後にはキーンと金属が激しく火花を立ててぶつかり合った。それを弾いて薙ぐ。最初の血飛沫が舞った。そこからは同じことの連鎖だ。白と黒が混じり合い、そこかしこで檄を交える音がする。馬の嘶き、切られたものの悲鳴、怒号。街が瞬く間に戦場へと変わる。道の側に植えられた花は馬の蹄に踏み荒らされる。出店のテントが空を薙いだ剣尖に切り裂かれる。民家の片隅から火の手が上がった。誰かが放った魔法が外れて民家に当たったのだ。煽るような風が火の粉を飛ばしあちこちに飛び火していく。石造りとはいえ燃えてしまえば帰る家をなくすものが出てしまう。アリアナは手を上に向け魔力を込めた。その上に小規模の暗雲が立ち込めていく。それはすぐに雨粒の重みに耐えきれずに雨を降らせる。しかし一つの火が鎮火するとすぐに別の場所で火の手が上がる。これではイタチごっこだとアリアナが唇を噛み締めた時地面が僅かに揺れた。

 ゴーン、ゴーン、ゴーン__
 今日も教会の鐘は寸分違わずにその荘厳な音色を響かせる。その音が響く中ニキータは巨大な女神像の足元に傅き祈りを捧げていた。いついかなる時でも欠かさないそれはニキータの強い信仰心の表れだ。祈りを終えるとニキータは閉じていた瞼を開き立ち上がる。
「……おや、おやおや。まさかそんなことが……すぐにキング・アリアナにご報告を…………と、そういえば顔を見せるなとおっしゃっていましたねぇ。それにしても女神様を否定するなんてキング・アリアナは何を考えておられるのか。全ては女神様のご意志であられるというのに……。どうやら洗脳が解けてきたよう。これも皆ユージーンさんのせいですねぇ。」
 一人でブツブツと呟きながらニキータは歩いていく。そして真ん中辺りへと足を進めた時ふとその歩みを止めた。アリアナが女神を否定するというのならば再び信じるようにすればいいのだ。そのためには否定する根源となるユージーンを女神の遣いたる自分が廃すればいい。先程の女神様のお告げはその為に齎されたのだ。そう独りごちる。我ながらなんと良い考えなのだと笑みが溢れた。
「ふ、ふふ。ふふふ。そうです、そうです♪あのリーヴェスさんだって女神様の仰る通りに討つことが出来たのです!ユージーンさんだって女神様の使徒たる私が倒してしまえば良い話ではないですか!!何故今まで気づかなかったのでしょうねぇ♪」
 そうと決まれば行動はすぐにした方がいい。ニキータはいそいそと大聖堂の奥へと進んでいく。使えるものは使えと言ったのはアリアナだ。それに城門に掲げる訳でもない。ならば許されるだろう。先の戦で使った魔法、それも今回役立ってくれるはずだ。幸いにもこの大聖堂内は農耕地よりも濃い魔力の脈が通っていた。その脈をそっと刺激してやり魔法を発動することで誰でも大掛かりな魔法を使うことが出来る。更には元々その土地にある魔力故にそれほど大掛かりな魔法を使ったとしても魔力の痕跡によって魔法を使ったことが相手にバレることもない。女神からの神託としてその方法を受け取ったニキータ以外には。
「いくら常人を超す魔力を持ったルゥさんでも地脈から齎される無尽蔵の魔力には敵いませんしねぇ♪」
 これは願ってもない好機だ。残されたセヤの中枢核を討ち取りアリアナに再び女神を信じさせる。素晴らしいとしか言いようのない計画を脳裏に描きニキータは高らかに笑い声をあげた。
 
 
「ユージーン、お前は俺の後ろにいろよ。」
「構わん、自分の身くらい自分で守れる。」
「どっから敵が来るかわかんねぇんだ。俺なら多少怪我したって問題ねぇから後ろにいろ。」
「……どうしてお前たちはこうも頑固なんだ。」
 そんな風にぼやくもののユージーンはそのままルゥの後ろに留まる。それを見てルゥはそっと手前の扉を開いた。ユージーン曰く霊廟から続く階段の先は礼拝堂に向かう途中の廊下だと言う。そこなら見張りの兵がいる可能性は高い。柄にかけた手に汗が滲む。しかし扉を開け廊下に出てみるとそこに人の姿はなかった。感覚を研ぎ澄ますものの気配すら感じない。
「……なんだか拍子抜けだな。」
「囮に全兵力を投じたか。」
 裏をかいた作戦とはいえこれ程にまで上手くいくとどうにも疑ってしまう。
「神官達の姿すらねぇってのは妙に引っかかるが……。」
 妙な引っ掛かりを覚えるもののここで立ち止まっていてもしょうがない。長い廊下は酷く静かでユージーン達の足音だけが小さくこだましている。歩みを進める事に少しずつ礼拝堂内で奏でられているパイプオルガンの音だけが響いてきた。穏やかではあるがどこか頭痛を感じさせるような音色にルゥが顔を顰める。
 ギィィ——
 普段とは違い閉ざされた木製の扉が風できしんだ音をたてた。扉は閉ざされているものの外から入るものを拒む様子はなく寧ろ手招きをされているように感じる。
「どうにも嫌な感じだな……。」
「ああ、お前たち気を引き締めろ。」
 ユージーンが扉をグッと睨みつける。この先に何者かが待ち構えている、そんな気配がしたからだ。扉から少し離れたところでユージーンが風を起こす。スッと手を前にやると突風が吹いていとも簡単に礼拝堂の扉を押し開けた。室内は廊下と同様に伽藍堂で神官一人いない。中を見渡した視界の中にふと動くものが映り込んだ。先程の扉を開けた風が室内で渦巻き銀糸のような髪を揺らめかす。その下には鮮やかな赤。真っ白な祭壇には不釣り合いでその一点に目が吸い寄せられる。あれは……リーヴェスだ。まるでその彼に手を引かれたかのようにユージーンとルゥは思わずその足を扉の内側へと踏み入れた。踏み入れたルゥの体の周りで一瞬火花が散る。しかしその些細な異変よりも眼前のリーヴェスに集中してしまう。見つけてくれと言わんばかりに置かれたそれはどう考えても罠だ。それでもとユージーンが手を伸ばしかけた時すぐ後ろで剣を抜く音がした。刹那体が押しのけられ元いた場所で剣と剣が激しくぶつかり合う。
「——なっ!!どうして……。」
 その光景に思わず目を見開く。剣を交わしているのはルゥと黒の鎧を纏った兵士、仲間だ。
「お前……裏切って——」
「違う!!体が勝手に……信じてくれルゥ。」
 体が勝手に……。その感覚をユージーンは知っている。
「ビショップの魔法だ!!ルゥ、殺すな。」
「ッツ——分かってる!!」
 交えた剣を弾くとそのままクルリと回して峰を向かってくる相手の胴に叩き込んだ。ユージーンも鞘に入れたままの剣で鳩尾を突き加勢する。しかし一度倒れたはずの兵士たちはしばらくすると魔法で無理やりに意識を回復させられ何度となく向かってくる。実力のあるものたちばかりを絞って連れてきたばかりに手強く追い込まれているのは明白だった。
「拉致があかねぇ、術者を殺さねぇと止まらねぇぞ。」
「それが……できたら苦労は、しないだろ。」
「離れるなよ。」
「嗚呼。」
 背中合わせになった二人を追い詰めるようにその周りを兵士たちが囲む。殺意は微塵も感じられない。それでも振りかぶってくる剣の動きは確実にユージーンたちを狙っていた。
「ルゥ、このままじゃあこの手でユージーン様を殺してしまう。その前に俺を殺してくれ!!」
「————っう。」
「やめろ、ルゥ!!」
 叫ぶユージーンの頭上に剣が迫る。
「——————クソッタレが!!」
 ルゥの悲痛が混じった怒声と共に視界が赤く染まった。すぐそこにまで迫った剣が床に転がる音がし、兵士の体が傾く。そこからはあっという間だった。血が迸り重い鎧が床に叩きつけられる。やがて静かになった。ルゥの剣先から血が滴り落ちる。
「おやおや、やはり一介の兵士では貴方たちを仕留めることはできなかったようですねぇ。」
 頭上から降ってきた声にパッとユージーンとルゥは顔を上げた。二階の巨大な柱の影から姿を見せたニキータは残念そうに首を振る。
「てめぇ……。」
 その眼光だけで刺し殺してしまえそうな勢いでルゥがニキータを睨みつける。
「そのように睨まれてしまうと流石に私も傷つきますねぇ♪……それに女神様を蔑ろにする貴方たちがいけないのですよ。私は女神様がおっしゃられた罰を貴方たちに下したまでです。皆が女神様を信ずればこの世界は万人に至るまで余すことなく幸せになると言うのに……。悲しいことですねぇ。どうですか、今からでも遅くはありませんよ!!ルゥさんもユージーンさんも女神様を信じれば良いのです!!!!!!!女神様は慈悲深いお方。一度刃を向けた貴方たちでも信じる心さえ持てば暖かく迎え入れてくださいますよ!!!!!!!」
 なぜそこまで盲信的に女神を信じられると言うのだろうか。疑いを持つことなく語るニキータの瞳はまるで純粋無垢な子供のそれだ。純粋であるが故に狂っている。
「俺たちは女神なんか信じない。上層にだけ都合がいい形骸化した宗教などもはや民の救いではない。」
 ユージーンは強く言い放った。その言葉でニキータの瞳に影がかかる。光を宿さない瞳がユージーンとルゥを見下ろす。
「残念ですねぇ……。それならばキング・アリアナのためにもここでユージーンさんたちには女神様からの鉄槌を受けていただきますよ!!」
 
 
 生まれた時からどこへ行っても女神様がそばにいた。両親は敬虔な信者だった。毎日女神様への祈りは欠かさず、今日この一日を幸せに過ごすことができるのは全て天上に座す女神様のお陰であると感謝を捧げた。それは両親だけに限らず、身近にいるもの全てがそうだった。物心ついた時にはその手に聖書を抱え、教会では何度も信仰について説く講義を受けた。そう。ニキータの世界は生まれたその時から女神信仰以外の何もなかったのだ。幼く純粋な心に強い信仰心が芽生えるのにそれほどの時間はかからなかった。寧ろ信仰心が根付かない方がおかしかった。気づけばニキータは周りの誰よりも女神を信じる敬虔な信徒になっていた。
 ——ニキータ、お前は誰よりも敬虔な私の信徒。これからはお前に私の言葉を授けましょう。私の口となり民を救いなさい。
 それはいつものように朝の礼拝をしている最中だった。頭の中に美しく透き通った声が響いたのだ。その声はニキータを震撼させた。まさしく何よりも尊い女神様からの言葉。それが自身に齎される。どれほどの歓喜であろうか。祈りの度に齎されるそれはやがて成人したニキータを神官へと導いた。ウェールズ教の総本山である大聖堂の中においてもニキータほど信仰心の強いものはいなかった。否、ニキータ以外の神官たちはどこまで行っても常人にしかなり得なかったのだ。俗世の愉悦を信仰心以外を知ってしまっていたから。故に女神の声は届かなかった。幼子のような純粋な心で、信仰以外を知らず、ただ盲信的に狂気的な信仰心をひたむきに捧げる。それ以外の幸福を知らない。常人を逸した存在は二十七となった今でも全ての民が女神を信仰し救われることを夢見ている。
「私を信じてください、キング・アリアナ。私の言葉は女神様の言葉。貴女は女神様に選ばれしこの国で唯一人の王。そこに疑う余地などあるはずもありません。女神様がおっしゃっているのです。何も心配はありません、そうでしょう!!」
 だからこそこの国の女帝であるアリアナのそばで言葉を紡いだ。全ては幸福のために——。
 
 
 ニキータは下から睨みつける二人を見下ろしながらその両の手を広げた。そこから魔力の波動が生み出されベールのようにユージーンとルゥに覆いかぶさる。
「私ではお二人には敵いませんしリーヴェスさんの時のように教団兵もいませんからねぇ。ですのでお二人で剣を交わし合ってください!!!!!!!」
 その言葉を皮切りに魔力が体内に流れ込み体の自由がニキータの制御下に置かれる。抗おうと己の手に傷をつけ意識をそちらに向けようと試みるがさらに強い力でそれすらも封じ込められてしまった。このままあの男の思うがままにルゥと二人刺し違えて終わるというのか……。
「ふざけるな!お前の思い通りになると思うなよ!!」
 覆いかぶさる魔力のベールを無理やり剥がすように別の魔力が渦巻き始める。ルゥの魔力だ。反発し合う二つの魔力でバチバチと火花が飛び散る。湧き上がる魔力が髪を逆立たせ琥珀色の瞳に強い光を灯す。
「これほどにまで魔力が強いとは思いませんでしたねぇ♪……ですがこの大聖堂に走る脈から齎される無尽蔵の魔力には敵いませんよ!!」
 反発をされてなおニキータから笑みは消えない。常人以上とはいえ一個人の魔力と自然から得る無限の魔力ではあまりにも差がありすぎるからだ。勝敗は既についているようなものだ。しかしその膨大な魔力を手に入れてから日が浅すぎたが故にニキータは知らなかった。その扱い方を。今までベールを押し剥がすように広がっていたルゥの魔力が雷のように一局に集まりニキータの魔力を割るとそのまま女神像の足元に直撃した。その魔力が飽和して広がるとともに辺りが白の光に染まる。刹那轟音を立てて女神像が崩れ始めた。像に直撃した魔力が相反する魔力の脈を刺激し爆ぜたのだ。広がった余波がさらに近くの脈を刺激して誘爆を起こしていく。巨大な柱が崩れ始め天井からはいくつもの破片が降り注ぐ。
「まさか!!そんな大聖堂が……ああ、女神様が!!!!!!!!」
 崩れゆく女神像を見てニキータが悲痛な声を上げた。その足元も崩れ始めニキータごと下へと落ちる。そこに畳み掛けるように天井の破片がいくつも積み重なった。
「グッ…………ゴホッ!!」
 下敷きになったニキータの口から血が溢れ出る。二階から落ちた衝撃と破片に押し潰された状態では到底体の内側は無事ではないだろう。しかし無事で済まないのはユージーンとルゥも同じであった。台座が崩れた柱の一つが傾きユージーンの立っている方へと倒れていく。
「ユージーンそこから逃げろ!!」
 ルゥの声で我に帰ったユージーンは倒れてくる柱を避けるために足を動かそうとした。しかしその足は地面に縫い付けられたかのようにピクリともしない。
「ふ、ふふはははは……ゴホッ、ガハッ!!逃しはしませんよ!!!!!!!お二人とも私と共にここに残り女神様の裁きを受けるのです!!!!!!!」
 最早助かりはしないと自覚したニキータは最期の足掻きとして二人を道連れにすべく魔法をかけたのだ。再び体の自由を奪われ、柱はもうすぐそこに迫っている。ユージーンは思わずギュッとその瞳を閉じた。
 
「くそっ!!動け!!!」
 つい先ほどの反撃でほとんど魔力が底をつきかけていた体ではニキータの魔法を弾くことはできなかった。動きを封じられただ目の前で柱がユージーンに向かって倒れていくのを何もできずに見ていることしかできない。また俺はお前を守れないのか__。あの夜と同じ道を辿るのか、ユージーン____。守りたい、こんなところで死なせやしない。ただその想いだけだった。しかしその想いは魔法で身動きが取れなくなった体を無理やり動かすほど強かった。縛り付けられた体を無理やり動かしたことで激痛が走る。それでも真っ直ぐにユージーンの元へと走った。柱が触れる直前にその手を握り引き寄せる。柱自体は避けたもののその破片がユージーンの後頭部を打ち付けそのままユージーンは倒れた。その体を抱えて礼拝堂の外へと走り出でる。倒れるように外へ飛び出した直後地響きを立てて礼拝堂全体が崩れ落ちた。礼拝堂が崩れた今この大聖堂自体も崩れるかもしれない。ルゥは痛む体を起こし城の方へと歩いていった。

「怯むな!敵の数は我らよりもはるかに少ないのだ、数で押し切れ!!」
 街中にアリアナの声が響く。数は少ないといえどもここまで生き残ってきた歴戦の猛者とも言えるセヤの兵士たちは恐れの概念を忘れたかのように立ち向かってくる。その勇猛さに押されたセフィドの兵士たちは既に何人も地面にその体を沈めることとなった。最後の戦いだからであろうか。しかしその省みることのない猛攻にはどこか違和感があった。まるでこの場からアリアナたちを離さないようにする為かのようである。それに檄を交えてしばらくが経っているがその中にユージーンとルゥの姿が見受けられない。アリアナの目の届かないところで戦っているのであろうか。だがそれにしては兵士たちの間でそのような声もあがってはいなかった。
「どこにいる……馬鹿兄。」
 苛立ちでアリアナは奥歯をぎりぎりと噛み締める。この手でユージーンを討たずしては何も終わらない。苛立ちの吐口として眼前で剣を振りかぶる兵士を力任せに断ち切る。返り血が血色の良い頬に飛び散った。
「愚兄と腰巾着はどこにいる!!誰か見たものは__」
 叫び声をかき消すほどの轟音が後ろから響いた。何があったんだ……。振り返った瞳に映ったのは崩れていく大聖堂であった。聳えるような塔が根本から沈んでいく。その光景とともにこの兵士たちが単なる囮であり本命はあちらであったと瞬時に理解する。しかし大聖堂をあれほどまで破壊するとは、ソレブリア砦を崩壊せしめた魔術砲撃か何かであろうか。何はともあれこの場にユージーンがいないことは確かであった。後のことは兵に任せても問題はないだろう。
「待っていろ馬鹿兄……今日こそ決着をつける時だ。」
 アリアナは馬の手綱を引いてくるりと城の方へ向きそちらへと走っていった。

 大聖堂と同様に城の中も人はおらず閑散としている。その中をルゥの足音だけが響く。この場所を歩くのは実に五年ぶりだ。あの日ユージーンと共に決別したここに再び帰ってきたのだ。城へ足を踏み入れるとその歩みは自然と七年間毎日通った道へと向かっていた。日当たりの悪い石造りの階段を登りきったその先にある部屋。今はもう使われていないかつてのユージーンの部屋がそこにある。扉を開けると埃に塗れてはいるものの五年前と変わらぬ部屋が広がっていた。この部屋の中でどれだけの時間を過ごしたのだろう。懐かしさが込み上げてくる。
「俺たちはこんなにも変わっちまったのにここはなんにも変わんねぇな。」
 抱えていたユージーンの体を寝台の横に預けた。頭を打ってはいたが顔色に問題はなくただ衝撃で一時的に気を失っているだけだろう。額に垂れた髪をそっと指で掬って耳に掛ける。ここならば誰にも見つからない。ルゥは床に置いた剣を腰に刺し直して立ち上がる。
「ここで待っててくれ。すぐに戻るから。」
 そう言ってユージーンの頭をそっと撫でると部屋の外へ出て扉を閉める。その足でルゥはまっすぐ玉座の間へと向かっていった。

「セヤのナイト、やはりここにいたか。」
「よう、姫さん。やっぱりあんたはここに戻ってくるよな。」
「愚兄はどうした。」
「さあな。」
「まさか大聖堂で死んだわけではあるまい。貴様がいながらそんな失態を犯すわけもない。」
 そう言いながら鋭い瞳を向けるアリアナの言葉には答えずにルゥは剣を抜いた。それを見てアリアナは手に持っていた剣を構える。広い玉座の間の中に張り詰めた空気が漂う。しかしルゥは剣を構えもせずに窓から差し込む光を避けながらゆっくりとアリアナの方へと歩いていく。その様子にふとアリアナは違和感を感じる。だがその違和感の正体はわからなかった。
「貴様を倒さずして愚兄に剣は届かないのだろうな。ならば貴様にはここで倒れてもらうぞ。」
 そう言うと瞬きの間も無く床を蹴ってルゥへと剣を振る。それをルゥは容易くいなして返した刃をアリアナに振り下ろした。受け止めた剣の重さに思わずうめき声が溢れる。
「どうした、俺を倒すんじゃねぇのか。」
「ふっ、舐めるなよ。」
 振り下ろされた剣を弾くとその勢いのまま横に薙ぐ。攻撃自体は避けられるものの鋒が眼帯の紐を断ち切りその下の傷跡がくっきりと目にうつる。随分とひどい傷跡だ。
「ゼラの両親から愚兄を庇った時の傷か。」
「そんなこともあったな。」
 さもどうでもいいことのようにルゥは答える。ユージーンが無事であれば自身の怪我など気に留めることでもないと言うようだ。どうしてそこまでユージーンに尽くすのであろうか。そこまでする義理も何もないだろう。しかしこの男は今も自分のことなど顧みずにユージーンがためにアリアナに刃を向けている。それなのにユージーンはどこで何をしているのだ。その状況に苛立ちを覚える。苛立つ気持ちが剣を握る力を強め打ち込みを激しくさせた。ルゥはそれを避けてはいるものの防戦一方であり追い込まれている。この前と同じ状況に二度目の違和感を覚える。本当にこの男の実力はこの程度なのか……。城に居た頃見たルゥの動きは今よりも研ぎ澄まされており速かった。それに一撃の重みももっと重かった気がする。なぜだ__。手を抜いていると言うのはあり得ない。
「____っう。」
 何度目かの攻撃を受け止めた時僅かにルゥの表情に苦痛の色が浮かんだ。先の戦で痛めた右手が痛んだのであろうか。違う。ふと重なった琥珀色の瞳、その中にあの刺すような光がなくどこか澱んでいる。まさか…………。下ろした視線の先に赤いものが映る。
「なぜそれ程までして愚兄に尽くす!!そこまでする義理なんぞはないはずだ!!」
 叫んだアリアナに対してルゥは柔らかく笑って見せる。それは単なる笑みではない、慈愛の籠った笑みだ。
「んなもん単純な話だよ。あいつを愛してるからに決まってるだろ。」

 そう、愛してしまった。あの日子供には不釣り合いな暗い表情で空を眺めていた赤髪の少年。その彼をどうしようもない程に愛してしまった。人生を、命をかけるまでに。ルゥの答えにアリアナが困惑の表情を浮かべる。血のつながりも救われた恩もない相手に人生すらをもかける愛情、そんなものの為に自分の命を厭わないなどと言うのは理解の域に及ばない。それが迷いとなって剣を鈍らせた。ルゥがその機を逃す訳もなくすぐさま反撃に転じる。やはり動きにキレがない。一撃の重みもどこが軽い。それもそのはずだ。
「その怪我でどうしてまだ私に向かってこられる!?最早立っているのがやっとだろう。」
 アリアナの声を無視して踏み出したルゥの足元にパタパタと血が滴り落ちる。血の出所は左の脇腹だ。ここにくるまでに相当の出血をしたのだろう。服が赤黒く染まっている。この傷はゼラとの戦いで負ったものだ。あの時刃が相手に届いたのはルゥだけではなかった。ゼラの刃もまた届いていた。致命傷にはならずとも相当の傷を負っていたのだ。しかしルゥはそれに気づかせないような態度で立ち去った。そしてそれはユージーンに対しても同じだった。敵もユージーンも他の仲間たちも、そして自分自身をも騙してこの場に立っている。そうでないと倒れていた。だがまだ倒れるわけにはいかない。傷口から血が溢れ出すのも耐え難い痛みも無視して次の一手を振り下ろす。アリアナが上手くそれを剣で防ぐがすぐに軌道を変えて鋒で細い傷を負わせていく。一撃が軽いとは言え、動きにキレがないとはいえ単純な筋力も経験も圧倒的にルゥの方が上なのだ。先ほどとは一転して今度はアリアナが追い詰められる。
「追い込まれれば追い込まれるほど強くなるか、貴様は。」
「守りたいもんがそこにあるからな!!負けられねぇんだよ。」
 そうだ、俺は守りたかっただけなんだ…………。その笑顔を……。ユージーンという人の心に寄り添える兄でありたかった__。その思いを忘れていつの間にか王としての偶像を押し付けていたことにどうして今の今まで気づけなかったのだろう。残酷なほど純粋に真綿でその首を絞めていたのは俺だ。なぜあの時痛みに寄り添ってやらずにただ立ち上がれと言ってしまったのか。悲しみを負ってばかりの修羅の道に連れ込む必要があったのか。気付くのがあまりにも遅すぎた。今更気がついたところで何もかも元には戻せない。戻ることが叶わないのならばせめて____ここで終わらせるべきだ。壁際まで追い詰めたアリアナにとどめの一撃を入れるべくルゥは剣を構える。
「もう終わりにしようぜ、姫さん。」
「くっ____」
 振り上げた剣がアリアナに届きかけた時グラと体制が崩れた。足元にできた血溜まり、それが軸足を滑らせたのだ。咄嗟に突き出した剣が腹を貫く。迸る鮮血がさらに床を汚した。
「は……はは、カッコつかねぇな。これじゃあよ。」
 腹に刺さった剣を手で抜き取るとルゥは数歩後ろへと下がる。その背にトンっと柱が当たった。立つこともままならない体はそのままずるずると崩れ落ちる。もう約束は守れねぇなぁ……。生きて戻ることはできない。
「…………貴様には感謝している。」
「何を。」
 ゆっくりと近づいてきたアリアナが徐に言う。
「敵とは言え貴様は兄を支えてくれた。」
 その言葉が鋭い刃物のように抉りかかってくる。違う、お前の兄を追い詰めたのは俺だ。支えるような顔をして破滅の道に誘った。
「だからこれ以上苦しむ前に終わらせてやろう。」
「はっ……優しいこった。……つっ…………その優しい姫さんに一つ頼みてぇんだけどよ。」
「なんだ、愚兄への遺言なら聞いてやろう。」
 アリアナはもう一歩ルゥに近づいた。
「あぁ、そうだな…………。」
 遺す言葉なんてない方がいいだろう。そんなもの遺すより————
「あんたには俺に最期まで付き合ってもらうぜ。」
「なっ______」
 後ろへ飛び下がろうとしたアリアナの手を掴むとルゥはニッと笑った。掴んだ反対の手に暁け色の髪と水晶のような小石が握られている。それが光を放つ。大聖堂を吹き飛ばしたような威力はないにせよ人二人くらいなら簡単に消し去るだろう。悪かったな、ユージーン。これでお前は自由だよ。
「誰よりも愛してる______」
 閉じた目から頬を伝って雫が床に落ちる。握りしめた拳から溢れ出した光が一閃し劈く音と共に爆ぜた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?