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第八話 受け継がれし誉と成りて

 晩夏を迎えるとシャトランジでは毎年迎春祭に次ぐ大規模な祭りが開かれる。街の広場には芝居小屋が築かれ神話に描かれる竜退治の劇が演じられる。人々は祭りの日に竜退治の騎士に扮し長いパレードを繰り広げるのだった——
 
 エムロード川でセヤとセフィドが激戦を繰り広げてから一月、両者は刃を混じえることなく束の間の平穏な日々が過ぎた。しかし時は経てど大切な者を失い刻まれた傷が癒えることはなかった——
 
「ゼラ・スー、ただいま休暇より戻りました。」
 アリアナから暇を与えられた一月程の間ゼラは城門の外を気の向くままに放浪する旅を続けていた。しかし日はあっという間に過ぎ既に屠龍の月も三日経っている。そのためゼラはアリアナの元へと帰ってきていた。この一月の間もアリアナはずっと政務を一人こなしていたのであろうか。目の下には隈が出来、顔色も心做しか悪く見える。
「そうか……もう休暇はいいのか。しかし早いものだな、一ヶ月というのは。」
 休暇が必要だったのは自分ではなくアリアナの方だったのでは無いのだろうか。目を細めて笑うアリアナを見てゼラは思う。
「陛下、これを。」
 ゼラは懐から白い布を取り出してアリアナに手渡した。
「なんだ。まさか休暇旅行の手土産でも持ってきたのか。ゼラにしては気が——」
 布を捲る途中でアリアナが言葉を呑む。布の中にはオレンジの花が窓からの光を反射してキラと輝いた。
「これを……どこで。」
 アリアナの声はほんの少し震えている。
「旅の途中で敵方のルークと出会い受け取りました。」
「そうか……。彼奴も読めない男だな。敵であるお前を斬るでもなくこんなものを渡してくるとは。」
 アリアナは髪飾りの破片を一頻り眺めるとそっと布を被せ引き出しの中へとしまった。
「して、ゼラ。いつまでも嘆いている時間はない。我が国の内乱に気づいた隣国が戦を仕掛ける準備をしておる。くだらぬ内輪揉めなんぞ早急に片をつけ軍備を整えるぞ。次からは私が指揮を執り愚兄の双璧を崩す!」
 ゼラを見据えるアリアナの瞳はいつもの強い光を宿している。やはり陛下は強い。そうゼラは思う。
「では私も準備をして参ります。次は陛下の騎士としてお役にたてるよう尽力致します。」
「ああ、励めゼラ。」
 そう言って笑うアリアナに一礼をしゼラは部屋を後にした。
 
 朝日が窓から差し込み、パイプオルガンの音が響く教会の中をアリアナはゆっくりと歩いていた。迎え先はビショップ、ニキータの所だ。天井に反響してくるオルガンの音はどうにも頭を痛くさせる。そのため普段は滅多に教会に足を運ぶことは無いのだが今日はニキータに急ぎの用があった為自らの足を運ぶことにしたのだ。朝のこの時間は祈りを捧げる時間だ。敬虔は信者であるニキータはやはり女神の象の前で跪き祈りを捧げていた。
「ニキータ、話がある。朝の日課とやらは終わったか。」
 アリアナの声にニキータはゆっくりと顔を上げると驚いたような素振りを見せた。
「おやおや!これはこれはキング・アリアナではありませんか!!滅多にここへは来られないというのに……ようやく女神様に祈りを捧げる大切さにお気づきになられたのですね!!!」
「いや、祈りなどと無駄な事に時間を費やす暇はない。次の戦いに向けてお前に用があっただけだ。」
 ニコニコとするニキータの言葉を食い気味にアリアナは否定する。ニキータはそれは残念ですね、と大袈裟に肩を落とした。
「それで私に用とは一体なんでしょうか。キング・アリアナの頼みとあらば私は全力でお応え致しますよ♪女神様もそれをお喜びになるでしょう!!」
「そうか。では教会の全兵力を次の戦いに出せ。あちらが少数精鋭だと言うのならばこちらは圧倒的な数で相手してやる。そのためにも教会が所持する兵力は必要だ。出し惜しみは一切無用だからな。」
「えぇ、えぇ。分かりました。しかし随分と慌てておられる♪事を急いては何事も上手くいきませんからねぇ♪……と女神様も仰っています。」
 ニキータはいつものように貼り付けたような笑みでアリアナを見る。どうにもやりづらい。ニキータの笑みを、声を聞いていると調子が狂う。何故だろうか。これだからここへはなるべく来たくなかったのだが……。アリアナは僅かにニキータから目を逸らした。
「それでは頼んだぞ。……あぁ、それと教会で女神の声なんぞばかり聞いておらずに軍議には顔を出せ。お前もピースの一人だからな。」
「勿論心得ていますよ♪」
 本当に心得ているのであろうか。ニキータの表情は全く変わらず何を考えているのか図ることは出来ない。アリアナは諦めた様な表情をするとニキータに背を向け教会から去っていった。
 
「ただいまぁ。……あ〜今日もめちゃくちゃやな雰囲気じゃん。」
 リーヴェスはうげぇと顔を顰めながらテントの中へと入ってくる。
「悪かったな。」
 テントの奥の暗がりから不機嫌そうな声が返ってきた。
「悪いと思ってるならその怖い顔どうにかして欲しいんだけど……。」
「どうにかしろったって元々この顔なんだからどうしようもねぇだろ。」
「そういう事じゃないんだけど……まあいいか。それよりどうすんのこの後。」
 リーヴェスは椅子に腰掛け煙草に火を付けた。魔鉱石一つだけの明かりしか灯っていないテントの中では煙草の光でも明るく感じる。正面に座っているルゥは机の上に足を投げだし仰け反ったままこちらを見る様子はない。
「さぁ……どうすんだろうな。あっちの姫さんはそろそろ仕掛けてきそうな様子だけどよ。肝心の大将があれじゃあ何もしようがねぇ。」
「そうは言っても来るなら応じるしかないじゃん。まさか降伏しろって言うわけ。」
「んなもん出来るわけねぇだろ。ユージーンがやらねぇなら俺とお前で何とかする他方法はねぇ。……でもそれであいつらは納得するのか。着いてくるのか!?」
 ルゥの半分怒鳴るような言葉にリーヴェスは口を噤む。ユージーンが指揮することの無い戦。それは大義がないのも同然だ。セヤという軍はユージーンを王と成し、国を変えるという大儀の元に成り立っている。いくらルゥとリーヴェスが先頭で獅子奮迅しようともユージーンが居なければ大義という根本がかけた集団に成り下がるのだ。
「どうしようもないよなぁ……。俺たちの言葉は何にもユージーンに届かないしさぁ。」
 どうしたものかと視線を上へと向ける。面倒事は嫌いだ。だから毎日宛もなくフラフラと外へ出歩いている。しかし向こうが動き出すというのならばユージーンが自力で立ち直るのをただ待っているだなんて悠長にしている暇はない。十二年来傍に連れ添ってきたルゥなら何とかできるのではと頼りきりにしていたがルゥ自身も相当参ってきている。俺も何かしないとなんだよなぁ……。そうは思うもののこれといった妙案も浮かばずリーヴェスは二本目の煙草に火を付けた。
 
 あれから月日はあっという間に過ぎ屠龍の月に入った。今頃城下では芝居小屋が建てられて邪龍を討伐する劇が演じられているのだろうか。もう何年も劇もパレードも見ていないな……。ユージーンはそんなどうでもいい事をただひたすらに考えていた。考えることを止めればルネッタが死んだあの時が何度も蘇ってくる。腹を貫通した刃から滴り落ちる紅。届くことなく地面へ落ちていった手。悔しそうな表情。少しずつ消えていく瞳に宿った光。全てが今起こっていることかのように生々しく再生される。脳裏に焼き付いて離れない。もういい加減彼女の死を起こってしまったこととして片を付けないといけないことはわかっている。春霞の月に戦を初めてから何人も失った。彼女もその内の一人であり乗り越えなければならない。頭のどこかで冷静な自分がそう囁いている。それでも体も心もそんな自分を無視する。どうしようもないのだ。戦なのだから誰かが死ぬのは仕方がない事だと割り切れ。悲しむのは、涙を流して弔うのは全てが終わってからだ。この一月の間何度もルゥはここへ来て言った。彼は根っからの軍人だ。自分とは違う。
「俺はお前とは違うんだよ……何にも無かったかのように振る舞うことなんて到底出来ない。」
 これ以上立ち上がることも疎ましいというのにどうしろというのだ。あいつは……。こうしている間にも時間は過ぎて行く。ユージーンを置いてどんどん進んでいってしまう。重たい体を寝台にもたれかけた時入口の垂れ幕が捲られテントの中に一筋の光が差し込む。ユージーンは眩い光に思わず目を細めた。しかし光はすぐに長身に遮られる。
「ユージーン、あのさぁちょっと外出てみたりしない。いつまでも暗いところにいたら気分も塞ぎ込むしさ。」
 ルゥでないことに無意識に胸を撫で下ろす。しかしリーヴェスの誘いとは言えど足は動きそうに無かった。ユージーンは静かに首を横に振った。
 
 午後の日差しが差し込む部屋でアリアナとゼラ、そしてニキータは無言で机を囲んでいた。残りの三脚は空席のままだ。
「ゼラ、何故一番遠くの席に座る。こちらへ来い。ニキータ、お前もだ。」
 ティーカップを机に置きながらアリアナは言う。
「しかしその席はライラの……。」
「居らぬ者の席を空ける必要はない。そんな所に座っていては説明が面倒だ。」
「三人だけとはなんとも寂しい軍議ですねぇ。」
 ニキータはそう言いながらアリアナの近くの席へ座り直す。
「さて、次の戦いの目的は愚兄の双璧の内一つを潰すことだ。そう簡単に討ち取られる玉ではないと踏んでいたがやはり最後まで残りおったな。ナイトとルーク当人だけでも相当に厄介だが奴らの率いる軍勢が残っているのは面倒だ。必ずどちらかを潰さねばユージーンには到底至るまい。」
 アリアナは机上に置いてある黒色のナイトとルークをトンと前に出す。
「ルークはセヤの中で最も率いる数が多い。文字通り塔であり、当人は戦車の如く。ナイトは近隣にも名を馳せる少数精鋭の騎馬兵を率いている。どちらを先に潰させれるのですか、陛下。」
 ゼラの問いにアリアナは押し黙る。
「現状を見るに落とし易いのはナイトだ。先のエムロードの戦いではかなりの傷を負ったと聞く。しかし……。」
 どうしたのだろうか。またもアリアナは口を閉ざす。悩んでいるにしては随分と思い詰めた表情をしている。
「悩まれるのであればいっそ両方を潰してしまえば良いではないですか!!」
 いつもの笑顔でニキータは簡単に言ってのけた。
「……両方、か。ふっ、はは……ははは。そうだな。いずれはどちらも潰してしまうのだ。何も順にせずとも一度に片を付けてしまうか。偶にはお前も良い事を言うではないか。」
「それならばナイトとルークは引き離した方がよさそうですね。二人に同じ所に居られてはこちらに譜が悪い。」
 そう言いながらゼラはナイトとルークの駒を地図の離れ場所へ置き直した。
「そうだな……。となるとゼラと私が騎馬兵を率いてナイトの相手をする。ニキータは残りの歩兵と教団兵を連れてルークを農耕地の方へ誘導するんだ。この時期ならば作物の収穫はもう終わりかけだ。兵達が踏み荒らしても損害は少なく済む。ニキータ、お前は新設した橋を渡って敵を挟み撃ちにするんだ。」
「ええ、分かりました。しかしリーヴェスさんには砦での戦いの際に私の手の内はしられていますからねぇ。どうしましょうか♪」
 ニキータは困った様な口調で言うがその表情はどこか楽しげだ。
「数は断然私たちの方が多い。小賢しい真似などせずとも良い。してゼラ、あの愚兄の腰巾着の相手は私がしようか。それともお前がセヤとセフィドのナイトの格の違いを見せてくれるのか。」
 ニッと笑いながら問いかける。しかしこれは問いかけているものの答えは一つだ。アリアナは格の違いを見せてやれと言っている。
「私が相手致します!陛下のナイトとして。」
 ゼラの答えにアリアナは満足そうに頷いた。
「そうだ、それでこそ我が臣下よ!!」
 
「……ユージーン。塞ぎ込む気持ちは分かるけどさぁ、皆ユージーンのこと心配してるし待ってるんだよ。あちらさんもまた動き始めてる。」
 首を振るユージーンにリーヴェスは入口から説得を試みるが返事はなかった。これ程打ちひしがれたユージーンは今までに見たことがない。それほど彼の中でルネッタという存在が大きいものだったのだと気付かされる。
「リーヴェス、退け。」
 強い力で肩を引かれ思わず後ろへとよろめく。
「ちょっ、ルゥ!!」
 リーヴェスが止めようとする手を振り払うとルゥは真っ直ぐにユージーンの元へ歩いていく。怒ってる、よなぁ……。表情は見えなかったもののその背中からは怒気を感じる。ユージーンの傍まで来たルゥは手を伸ばす。手を引いて無理やりにでも外へ連れ出すつもりだろうか。手荒になる前に止めた方がいいかとリーヴェスが駆け寄ろうとした時ルゥの伸ばされた手がユージーンの胸ぐらを掴みあげた。
「お前はいつまでそうやって項垂れてんだよ!!ルネッタのことを守れなかっただと!?それがなんだってんだよ、お前はここを王宮か何かだと思ってんのか。甘ったれるんじゃねぇ!!」
「ルゥ!!止めろって!」
「うるせぇリーヴェス、言わなきゃわかんねぇだろうが。」
 リーヴェスは駆け寄るとユージーンの胸ぐらを掴む手を振り払う。ユージーンは為されるがままだ。
「今お前が居る場所は戦場なんだよ。いつ誰が死んだっておかしくねぇ、そういう場所なんだよ。分かっててルネッタを連れてきたんじゃねぇのか。戦場に連れてきた以上何があったっておかしくねぇ、その覚悟も無くお前はあいつを傍に置いていたのか!?」
「……覚悟はあった。それでも戦だから仕方がないと割り切れるわけが無いだろう。……お前には分からないだろうな。俺はお前とは違うんだよ、ルゥ。」
 ユージーンは静かに言った。声音には怒りや苛立ちといったものは感じられず淡々としている。その言葉にルゥは唇を噛み締めた。僅かな時間三人の間には沈黙が流れる。
「……あぁ、分からねぇよ。俺はお前じゃねぇ。だがな、割り切れたとしても守れなかった悔しさが、てめぇを責める気持ちが死を悲しむ気持ちが無いわけじゃねぇんだよ。ここにいる奴らは皆何かを失ってんだこの戦で。それでも乗り越えて戦ってんだ。お前を信じているから……。」
 怒りに任せ噛み付くような言葉とは打って変わり静かに諭す様なルゥの言葉にユージーンは俯いた。いつからだろうか、その言葉が重い枷のように絡み始めたのは。
「それなのにお前はルネッタが死んでからずっとその調子だ。お前がそんなでどうするんだよ。人の心を捨てろだなんて言わねぇ。それでも戦うしかないだろ!?姫さんの代わりに王となって国を変えてみせると言ったのはお前だ。……それとももう姫さんに降るか。お前がそうしたいならすれば良い。戦を起こした責も兵を死なせた咎も俺が背負ってやる。ユージーンを唆した奸臣としてな。その代わりお前は生きろ。」
 あまりにも残酷な言い分だ。ルゥは真っ直ぐにユージーンを見る。暗がりでもはっきりと見える琥珀色にユージーンは息すらも出来ない。ユージーンがそんな選択を出来ないと分かっていてルゥは選べと言っているのだ。最早戦いに身を投じる他道は残されていなかった。どこかでガラスが割れる様な、壁が崩れる様な音がした。
「敵が攻めてくるなら屠龍の月の終わり頃だ。」
 ルゥはそれだけ言うとテントを出て行く。
「無理はしないでよね。ユージーンがしんどい思いするのは俺も嫌だからさぁ。えっと、ほら話とかは聞くし……。」
「あぁ、問題無い。心配をかけたと皆に伝えてくれ。……ルゥにも。」
 ユージーンは冷めた笑みを浮かべた。
 
 雲一つ無い青空の下ソレブリア皇城の中庭には蒼玉色の旗が棚引いていた。アリアナはゆっくりとその横を進んでいく。目の前には千を超える兵が並んでいる。実に壮観だ。
「皆のもの待たせたな!私がキング、真なる王アリアナ=エウフェミア・ディ・グレチアだ!此度の戦、我が兄による謀叛で皆には迷惑をかけたな。だからこそ必ずやこの私が兄を討ち果たして見せよう!皆私に続け!!」
 アリアナの言葉で広場に鬨の声が上がる。カリスマというのはこういうことなのだろうと一歩下がったところから見ていたゼラは思う。自身が影として立った時の何倍もの士気を感じる。やっぱりキングは凄いなぁ……。
「第一近衛兵隊及び第二、第三騎馬兵隊は私、そしてゼラと共に正規の橋を渡り黒のナイトを討つ。それ以外のものはニキータと共にルークを討ちとれ!」
 号と共に城門が開かれ兵士たちが駆けていく。数日後にはアリアナの凱旋が成されるだろう。ここは凱旋門になるのだ。ゼラも馬に鞭をいれた。旅に出たあの日よりも随分と涼しくなったようだ。夏にしては珍しく湿った空気が肌に絡みつく。雨、降らなきゃいいけど。空を見上げて思う。雨が降れば草原の土がぬかるみ足場が悪くなる。そうなれば馬たちは最高の状態で走ることは出来ないだろう。軍馬になるために生まれてきたような逞しく美しい黒馬。それがあの騎兵隊の馬だ。エムロードの対岸を駆け抜けるあの姿は今思い返しても震えがする。だが怖気付いてはいられない。
「スーがあの馬達をキングのために止めないといけないんだ。」
「なんだゼラ。随分と意気込んでいるではないか。」
「!?あっ……い、今のは独り言で…………。」
 気を引き締める為にも呟いた言葉を思いがけずアリアナに聞かれていたことに驚きゼラは馬上でアタフタとする。そんなゼラを見てアリアナは笑った。
「ふっ、ははは。やはり面白いなお前は。その意気でナイトを討ち取れ。だが油断はするなよ。彼奴は手負いだ。手負いの獣ほど恐ろしいものは無い。」
 その通りだ、とゼラはグッと口を結ぶ。城にいた頃タビタと共に模擬試合は何度も見ていたがあの男は不利になってからが強い。そんな印象があった。
 
「さぁゼラ、よく見ていなさい。見ることも学びの一つです。」
「うん、わかった。」
 昼下がりの中庭、周りではいくつも模擬刀がぶつかり合う音がしている。その中でも目を引く二人をゼラとタビタは見ていた。リーヴェスとルゥだ。激しく模擬刀をぶつけ合う二人の動きには無駄がない、とタビタが言っていた。
「二人とも速くて凄いなぁ……。」
「あなたも彼らのようにならないといけないのですよ。剣の腕前はリーヴェスの方が一枚上ですがその代わりルゥは経験と魔術で足りない分を補っている。あなたは体格で彼らに劣る。ではそれを補うにはどうすればいいと思いますか。」
 タビタの問いにゼラはぼんやりと二人を眺めながら考える。体格、つまりは筋力といった力の差だ。
「強化魔法を相手より多く使えるようになる……とか。」
「えぇ、それも正解の一つですね。ですがルゥのように魔力の保持量が多いものもいます。そうなれば単に強化しただけでは魔力の差で補うことは出来ませんよ。」
 どうすればいいんだろう……。ゼラなりに色々と考えてはみるもののなかなか良いと思う答えは見つからない。体格といえばタビタも彼らには劣る。それでも互角に渡り合えるのは何故だろう。やはり経験といったものの差なのだろうか。
「思いつきませんか。それではヒントを出しましょう。今から私が彼らと手合わせをしてきます。それを見て考えてみなさい。」
「うん、頑張ってね。」
 タビタは傍に立てかけていた模擬刀を手に取ると二人の方へ歩いていった。暫くしてリーヴェスがこちらへ来る。タビタはルゥと手合わせするようだ。
「スーは今日も稽古かぁ。真面目だね〜。」
「スーはタビタみたいに強くならなきゃいけないから……。」
「そっか。今は何してんの。」
「リーヴェス達みたいな強い人に負けない戦い方を考えてる。タビタがヒントを出してくれるからよく見ておかないと。」
 ゼラの眼前ではタビタとルゥが模擬刀を構え互いに間合いを取りながら睨み合っている。一瞬即発、そんな雰囲気に思わず生唾を飲んだ時だった。地面を蹴り前へ飛び出したタビタが二度、三度と棒を撃ち込む。攻撃自体はそれほど重くない。ルゥも片手で受け止めている。それでもルゥはタビタに追い込まれていた。
「いつもより速い。」
「そうだね〜多分脚力だけに集中して強化魔法をかけてると思うんだよね。全身を強化するんじゃなくて脚だけだと使う魔力も少なくてすむしより強い魔法を施せる。……ってこれ言ったらダメなやつだっけ。」
 リーヴェスの言葉になるほどと納得する。一極集中であれば魔力の保持量が少なくても効率よく魔法をかけることが出来る。そしてタビタが剣を振る腕ではなく脚に強化を施したのは小柄な体躯を活かすためだ。小さく軽い体であればそれだけ小回りが効き素早い動きが可能となる。
「いやぁやっぱ強いね。ルゥが苦戦するなんてさぁ。」
「タビタは凄いから……。」
 それから何度か棒をぶつけ合う音がしてカランと乾いた音が響いた。タビタがルゥの模擬刀を叩き落としたのだ。
「勝った!!」
 ゼラは小さく喜びながらタビタの元へ走っていく。
「タビタ!どうすればいいかスー分かったよ。……あ、でも半分はリーヴェスが教えてくれた。」
「そうですか、よく出来ましたね。私たちは王の手足です。自身の持てるもの全てを使って強くなりなさい。」
「うん、ルゥにもリーヴェスにもタビタにも勝てるぐらいスーは強くなって恩返しするんだ。」
 パヤパヤとした顔で言うゼラを見てタビタは少し笑った。
「俺より強くなろうってか……。お前みたいなチビ助は菓子でも食ってりゃいいんだよ。」
 そう言いながらルゥはゼラの頭をポンポンと叩くと、兵舎の方へリーヴェスと歩いていった。
「……バカにされた。スーは負けないもんね!」
「そうですか。では復習を兼ねて私と手合わせをしますか。」
 ゼラはこくんと頷くと棒を構えタビタへと振りかかった。
 
 アリアナ達が橋の掛け口まで着いた頃遠くの空でゴロゴロと雷鳴が鳴った。未だ暗雲は見えないが近いうちに雨は降り始めるだろう。一月前と違って対岸に敵の姿はない。陣をひいた森近くで迎え撃つつもりなのだろうか。
「ここから先はいつ敵と出会してもおかしくは無い。皆気を引き締めて進め!!」
 橋の中腹まで進んだアリアナが声を上げた。兵たちはその横を通り過ぎ平原に続く一本道を駆けていく。先頭の馬が小さくなった頃また雷鳴が響いた。その音にアリアナは眉を顰める。
「今の音…………。」
「キング、どうかしましたか。」
「うむ、今の雷鳴だがな。少し違和感が——」
 アリアナの声をかき消すように後方から鋭い鳴き声が響いた。大きな影が森の方へと矢のように飛んでいく。それを目で追っていたゼラはハッと目を見開いた。木々の影に紛れて黒い鬣がたなびいている。居る——。刹那隊の前方で一閃する。雷鳴に似た轟音が響いた。
「敵襲だ!戦闘隊列を組み向かい撃て!!……あれがソレブリア砦を打ち壊した魔術砲撃か。やはり魁はナイトで間違いなかったな。」
 
「敵さんやっぱり大将はキングだ。先頭の旗が青だった。」
 転移魔法を使って偵察に行っていたリーヴェスが告げる。
「まぁそうだろうな。俺たちが相手の動きを読んでるようにこっちの動きも読まれてる。こっから先は純粋な力の勝負ってわけか……。」
「俺たち的にはそっちの方が分かりやすくて良いけどさぁ。どう見ても泥試合だよね。あ〜ヤダヤダ。」
「俺とリーヴェスが居れば問題ないだろ。力じゃ負けねぇよ。そうだ、リーヴェス。あんまり隊から離れんなよ。相手は数で勝つために戦力を分散させようとしてくるだろうからよ。」
 了解と言うようにリーヴェスは片目を瞑って見せる。そして魁は頼んだからねと言うと再び転移して去っていった。静かになった森の中でルゥはじっと橋の方を見つめる。敵の本隊はこの橋を渡らざるを得ない。一度奇襲に使ったであろう橋を見に行ったが実に簡易的で小ぶりなものだった。あれでは渡る間に狙ってくれと言うようなものだ。————来た。橋の向こう側に錦繍の青旗がチラつく。太陽の光が白の甲冑に反射して目を刺す。
「準備はいいな。」
 ルゥは後ろを振り返って問う。返事はないが僅かにピリついた雰囲気で準備は整っていることが分かる。ピーっと甲高い鳴き声が森の中にまで響き渡った。馬の蹄が地面を蹴る音が近づいてくる。先頭の馬が見えかけたとき地面がカッと光り、吹き飛んだ。高濃度の魔力を吹き込んだ魔法水晶が敵兵の魔力に反応して弾け飛んだのだ。最初の陽動としては充分だな。急な轟音で馬が怯えている。
「勝利は我が手に有り!敵を屠り主君に栄光を齎せ!!」
 森に身を潜ませていた数百の騎馬が怯んだセフィドの兵に襲いかかる。ルゥは手近に居た兵を撫でるように斬り払う。血飛沫が派手に飛んだ。返り血が群青のマントを染める。
「この先に行く者は残らず俺がたたっ斬ってやる!死ぬ覚悟があるやつは来やがれ!!」
「俺が相手になるよ、黒のナイト。」
 声がした方へ顔をやる。蜂蜜色の髪が視界の端で揺れている。白のナイト、ゼラだ。敵を斬りここまで来たのであろう。白の服が赤く染っている。
「ゼラ……。まずてめぇからユージーンへの手土産にしてやる。」
「俺は、ルゥに負けるつもりは無いよ。」
 
 ガキンっと勢いよく刃がぶつかる。一撃の重さに腕が痺れる。五年前に刃を交えた時よりもずっと強く、速く、重たくなっていた。ゼラは振り下ろされる刃を防ぎながら森の方へと後退していく。ルゥは馬上での戦いに慣れている。馬の上でならスーよりもずっと強い。だから、まずはスーが得意な土俵にルゥを引きずり出す!ちゃんとルゥの目には押し負けて森へ逃げているように映っているだろうか。
「どうした、押し負けてんぞ。俺に負けるつもりはないんじゃねぇのか!!」
「うん、ないよ。俺は今からだから!」
 そう言うとゼラは剣をルゥの馬に向けて振った。それに気がついたルゥが避けさせるも切っ先が肉を裂く。驚いた馬が後ろ足で立ち上がった。
「くそったれ!」
 普段ならば馬が後ろ足で立ったぐらいで落馬はしないだろう。だが手綱を握る右手が使えないルゥはそのまま地面へと転がる。それを見計らってゼラは自身の脚へと強化魔法をかけた。素早く地面を蹴るとルゥに向かって剣を振り落とす。二度、三度と振り下ろした剣はかろうじて受け止められる。ゼラは一度離れて間合いをとる。周りは木々で囲まれ足場となる場所は十分にある。正しくゼラに有利な土俵だ。もう一度地面を蹴って剣を振り、それが受け止められると素早く飛び退く。木の幹を蹴って八方から繰り出されるゼラの剣が少しずつルゥの肉を切り裂いていく。
「ルゥは信念があるから強いってタビタが言ってた。確かにそうかもしない。でも俺も譲れないものがある。キングに恩を返さないといけない。それに、みんなが、タビタやライラが俺を強くしてくれから俺は負けられない。」
「ああ、そうだな。確かにお前は強くなった。もう騎士の風上におけねぇなんか思いもしねぇ。だけどよ、俺はあいつの、ユージーンの行く先を拓くって決めてんだよ!」
 パァンとガラスが砕け散るような音が響きゼラの剣の動きが止まる。障壁によって剣の勢いが殺されたのだ。見上げた視線の先でルゥは笑っている。
『油断はするなよ。手負いの獣ほど恐ろしいものは無い。』
 ふとアリアナの言葉が過ぎる。瞬間腹から肩にかけて熱が走る。視界の端で左手が動くのを見て咄嗟に後ろへ飛び退いたおかげで傷自体は浅かった。しかし血はドクドクと流れ出ている。……そうだ、ルゥは不利になってからが強いんだ。ゼラは剣を構え直す。姿勢は正しく真っ直ぐに。腰を落として重心は後ろ足。視線は常に相手から逸らさない。冷静さを失わずに相手を観察する。全部タビタが教えてくれたことだ。想いは全て受け継がれている。ゼラは地を強く蹴った。
 
「もう、キングの邪魔はさせない。俺はキングのナイトだからタビタやライラの代わりに戦うんだ!」
 まるで別人のようなゼラの姿にルゥは思わず息を飲んだ。しかし直ぐに剣を両手で構える。無理やり動かした右手は血が滴り激痛が走る。それでも両手で剣を握らねばならないと感じた。それ程にまで今のゼラには気迫があった。姿勢、息遣い、視線、動き。これは——。向かってくるゼラの赤い瞳に織部色が重なる。同じ瞳だ。
「……タビ……タ。」
 視界に鮮血が迸る。それと同時に目の前のゼラは膝から崩れ落ちた。手から滑り落ちた剣が音を立てる。
「終わりだ、ゼラ。てめぇの目はもう治らねぇ。」
「そう……だね。真っ暗でなんにも見えないや。なんで目を。殺せたと思うんだけど。」
 ゼラの問いにルゥは答えず黙る。それは無意識だった。殺らなければ殺られる、そんな状況で手が勝手に動いていた。
「ナイトとしてのお前は死んだだろ。」
 ただそう答える。
「うん。目が見えなかったらキングのために戦えない。」
 あまりにも酷だ。
「……だから、繋いでくれ。」
「何を。」
「お前はタビタやベイカー嬢の意志を受け継いでいる。意志を受け継いであいつらがここに生きてそしてこの戦いで死んでいった確証になれ。それはお前だから出来る事じゃねぇのか。」
 ゼラは口を噤んだ。ルゥの表情はもう見えない。ただ真っ暗な中で聞こえた声はなんだか虚しい声だった。馬の蹄の音とルゥの足音が遠のいていく。恐る恐る手で地面を探る。剣が転がったのはルゥが居た方だ。そっと伸ばした指先に生暖かいものが触れた。なんで————。そう思った時だった。
「白のナイト、ゼラ・スーは俺が討ち取った!ナイトみてぇに死にたくねぇやつは今すぐ失せろ!!」
 ルゥの怒声が微かに聞こえた。白のナイト、ゼラ・スーはこの瞬間死んだのだ。ゼラはゆっくりと立ち上がると。森の奥へ歩いていった。

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