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第3話 健気なる織部の双眸

春も深まり青い草葉が茂りだす頃シャトランジには恵の雨が降り始める。大地に降り落ちた雨はやがて川をなし地下を経て町に豊かな水を齎す。雨で潤った畑には夏に実る野菜の苗木が植えられ朝露が太陽に照らされて光る。畑の麦は穂を風に揺らし、その穂先は金色に輝き始める。人々は燃えるような夏を待ち侘び汗を湛えて土を耕すのだった_
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迎春祭を機に進軍を始めたセヤ。ソレブリア皇城攻略の足がかりとしてアートルムの東に位置する砦へと軍を進めていた。対するセフィドは秘密裏にビジョップとポーンを砦へと送り、森をぬけた平原でビジョップ_ニキータと殿軍が激突。両軍ともに兵の被害は少なく済んだもののセヤはセドリックを失うこととなった_
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雨の音が聞こえる。頭の奥にまで響いてきて、その音が煩くてズキズキと痛み出す。隣でリーヴェスが何かを言っているけれどそれも雨の音に掻き消されてよく聞こえはしない。周りには敵も味方も関係ないように人が転がっている。その表情は憎しみだったり苦しみだったり怒りだったり嘆きだったり様々だけれど目はみんな虚ろだ。虚ろな目が俺を見ている。冷たくて重たくなった手がするりと抜け落ちた。地面がぬかるんで出来た水溜まりがバシャンと水を跳ねさせる。落ちた手の先には血を流して動かないセドリックが横たわっている。…………………………俺のせいだ。虚ろな目がお前のせいだと俺を見る。死んでいったもの達が耳元でお前のせいだと囁く。…………そうだ、俺のせいだ。俺があの時冷静になっていれば、あの男の見え透いた罠になんて嵌らなければ、もっとしっかりしていれば…………セドリックは俺を庇って死ぬことなんてなかったのに…。冷たい雨で濡れた体がどんどんと重くなっていく気がした。「ユージーン、これ以上は敵が来る気配もないし本陣へ戻ろう。このままじゃ体に触るしさ。」ようやく聞こえたリーヴェスの声もなんだかぐにゃぐにゃ歪んで聞こえる。「……だ、……れの…いだ。俺のせいでセドリックは、セドリックは死んだんだ!!!」嘆いたところで、悔いたところで今更どうにもなる訳でもないとわかっていながらもユージーンは叫んだ。仰ぎ見たリーヴェスの表情は今まで1度も見たことがない顔をしていた。はっと息が詰まる。「……戻ろう。」「嗚呼、そう…だな。」
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金色の馬具をつけ飾った白馬が町の大通りをゆっくりと歩んで行く。煉瓦の道を蹄が蹴る度に道の傍からは花が舞い歓声が上がった。例年通り王のパレードは滞りなく進み太陽が南中する頃には中央の広場へと着く予定だ。暖かな風が吹いて輝く金色をたなびかせる。ここにお兄様とタビタちゃんも居ればもっと素敵なパレードになるのに…。傍からこちらを見つめてくるあどけなさを残した少年兵にひらひらと手を振りながらアテレスはそんなことを思う。後でライラに聞いたところどうやらニキータは神殿にいるのではなくここからかなり遠くのなんとか砦という所にタビタと一緒にセヤを討ちに行ったらしい。しかしそのことをアリアナは知らない様子。先程集まった時もライラはまるでそんな素振りを見せはしなかった。アテレスにとってライラが何を思うて各所への対応をしているのかはどうでもいいがどうしてアリアナに隠しているのかは知りたいななどと好奇心が疼く。それにしても通りは色とりどりの花や果実、物珍しい交易品で埋め尽くされ思わず目があっちへこっちへと移ってしまう。それはゼラも同じようでキョロキョロとしてはハッとした様な素振りをして姿勢を正すという動作を何度も繰り返している。「ねえ、王様。私あのキラキラ光るものがとっても気になるの。少し見てみたいのだけれど……。」「…あれ、ですか?それなら私が買ってきますからアテレスさんはここにいてください。」パレードの列からライラがはみ出て露店に並べられたそれを1つ手に取り戻ってくる。「まぁ、素敵!!タビタちゃんの瞳の色とそっくりね。ありがとうライラちゃん。」「…ライラちゃん…………」ライラは一瞬眉根をくっと寄せた表情をしたがすぐに元の面持ちに戻りパレードの定位置へと馬を寄せた。「本当に綺麗だわ。」飴玉程の丸い石をコロリと手の中で転がしてみる。石の触れたあたりはじんわりと温もりが感じられた。これは…魔力の温かさだわ、それもとても高濃度の。アテレスは石の中に大量の魔力が込められていることに驚き、ライラの袖を引っ張った。「ねえ、この石魔力が込められているわ!」「そうですか…この国に隣接する諸国の中には魔法技術に優れた国もありますからきっとそこから輸入したものなのでしょうね。」「ふぅん、この石何に使うのかしら。」「用途は分かりかねますが、お守りの代わりに持っていればよろしいのでは。」「そうね、そうするわ!後でネックレスにでもしてもらおうかしら。」そういうとアテレスは小石をそっと太陽に翳す。深い緑が光に当てられキラキラとした輝きを揺れるレースに映した。
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「そろそろ広場だぞ、ゼラ。ちゃんと祝いの言葉は覚えているか。」広場の中央にある一際存在感を放つ噴水と初代女帝の像の頭がチラと見え始めたときアリアナはそっと後ろからゼラに問いかける。その問いにゼラは無言で1つ首を縦に振って答えた。万が一忘れたら私の方を見るんだぞ。とアリアナは言う。さすがに覚えていないなんてことは無いだろうが大勢の前に立ってみると覚えていたものもスコンと抜け落ちてしまうことはありうるだろうとちゃんと昨日覚えてきた。ゼラはちょっと抜けてるし、私がキングだから助けてあげないとな。なんて思う。この間も寝惚けてボタンをかけ間違っていたし、バームクーヘンだぁなんて間抜けた声を出してどこかへ行ってしまうし、極めつけは敵であるあちら側のクイーンと茶会をしていた…。仮にも私の影を務めるのだからもう少ししっかりしていて欲しいがどうにもゼラのことは甘やかしてしまう。私の代わりとしてスラヴィール・ラ・カルシエを演じている時は随分と頑張っているようだし……。「……ドキドキしてきた……。」ポソッと前から声が聞こえた。やはり緊張しているのか。………………。なんだか私まで緊張してきた気がする。でも、私はキングだしここはしっかり励ましてやらないとな。「大丈夫だ、しっかり練習してきたんだろう。いつもどうりやればいい。」「…!そうですね、頑張ります。」ちょっとだけらしくなった後ろ姿にほんのちょっぴりアリアナは微笑んだ。
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「わぁ、お母さん!てるてる坊主の王様だよ!」「しっ、てるてる坊主って言っちゃダメでしょ。」そんな会話が聞こえる。どこか微笑ましくてベールの下でゼラはクスリと笑う。真っ白な出で立ちに顔を隠すためにベールまでつけているから小さな子供から見るとてるてる坊主に見えるらしい。そういえば前の視察でもてるてる坊主って言われたっけ…。本当はもうちょっと威厳のあるキングにならないといけないのかもしれないけどそんな風に子供に言われるくらい親しみやすいキングを演じられているならそれも悪くはないのかな。そんな風に考えながら馬を降り、広場の真ん中に進んでいく。真ん中には初代女帝の像と並ぶように演説台がある。真っ青な空とちょうど南中した太陽に照らされた噴水の水飛沫を背景に演説するなんてかっこいいなぁなんて思う。………………。う、緊張する。いざ前に立ってみるとまた緊張が体を走る。アリアナに励まされて少しはマシになったと思ったけれどもやはりそう簡単に無くなってはくれないようだ。チラと横を見るとアリアナがコクと頷いた。今はスーが王様なんだ…。すっと息を吸う。「皆の衆、長い冬が終わりようやくこのシャトランジに春が訪れた。この暖かな風が吹き美しい草花が芽吹き始めたこの日にまた迎春祭を開催することが出来私は嬉しく思う。」一言演説を始めるとスルスルと次の言葉が出てくる。背中を通してアリアナから激励されているような感じがして頑張れる。しっかりとキングらしい演説ができているような気がして身振り手振りや抑揚までそれらしくなっていた。時折聴衆からわっと歓声も上がる。「兄であるユージーンが私に反旗を翻してから5年がたった。その間皆には多大な苦労をかけてしまったことだろう、だか私は今年、必ずユージーンとその臣下と決着をつけこの国に再び平穏を取り戻してみせよう!そして悠久の繁栄を約束する!!!」最後まで言い切り周りを見渡す。辺りは歓声が飛び交い、拍手が鳴り響く。その音は次第にリズミカルな音楽へと移り変わり人々は手を取りダンスを始めた。…ポッ。頬に水が落ちた。それはすぐに頬だけでなく肩や手にも落ち、全身を濡らす。パッと上を見ると空は青く晴れたままだ。しかし雨は降り注ぐ。「見ろ!恵みの雨だ!女神様が王に祝福を齎したんだ!!」誰かが叫ぶ。雨で濡れた石畳の道や飾り、服、肌が光に照らされて眩く光る。「いい兆しだ。きっとこの先の戦も私たちが勝利を掴めるだろう!」「ええ、そうですね。」ゼラは振り向いて笑った。
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湿って重たくなった風が緑の旗を翻させる。窓の外を覗いても雨と共に立ち込めた霧で半マイル先もしっかりと見ることは出来ない。けれどもすぐ前に広がる森に敵が居て、その軍勢はこの砦をしっかりと囲んでいることは肌が感じ取っていた。まさか本当にニキータ様の予言が当たるとは…。この砦に敵が攻めてくると聞いた時にはなぜこのようなほとんど捨て置かれた状態の砦にと疑問を抱いたけれども、敵が攻めてきたと言うことは一介の兵長に過ぎない私には知りえない何かがあるのだろうとタビタは思う。何はともあれ私は命の通りこの砦を守り通すだけだ。「タビタ殿!先程偵察隊が戻りこの先の森にセヤの騎馬隊、並びに歩兵隊が待機しているとの情報が!数は合わせて500といったところかと。」「伝令ご苦労様です。騎馬と歩兵ですか、将は誰だか分かりますか。」「いえ、ただ騎馬と歩兵は別部隊のようだったと。」「そうですか。…暫く相手の様子を伺いましょう。その後で作戦を立てます。」はっと返事をして兵は下がって行った。騎馬と歩兵が別ならば相手の将はきっとナイトとポーンだろう。ここへ来た時にわざと見えやすいところに旗を掲げて置いた。相手は私がここに居るということはわかっているはず、ならばどうやったここを攻めてくるのか…。相手が強いと確信しているからこそ迂闊に出ることは出来ない。私たちはこの砦の中に駐留しているのだからわざわざ相手を討って出ることは愚策だ。それならばここで待ち受け、じっと動かず相手が痺れを切らして攻めて来たところを応じるのが1番だろう。…さぁ、どう来るのでしょうか。見えないとわかっていながらもタビタはもう一度窓の外を見やる。深い緑の双眸にはただ鈍色の雨が映るだけであった。
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「やっぱり降って来たか。」急に降り出した雨にルゥが空を見上げる。先程まで出ていた太陽は厚い雲に覆われ辺りは途端に暗くなる。霧も出始め随分と視界も悪くなった。ただでさえ日当たりの悪い森で冷えるのに加え、雨がどんどんと体温を奪っていく。…これは早く決着をつけないと士気がもたなさそうだな。僅かに体を震えさせ始めた兵を見てアルバートは思う。しかし相手は砦に盾籠ったまま、このまま闇雲に攻めてはまさに相手の思うつぼだろう。砦の周りを囲んでいると言っても兵糧も既に搬入し終わっているはずだ。どうにかしてこちらに誘き出すような策を練らねばならい。「しっかし視界は悪い、兵に土地勘はない、おまけに雨で体温は奪われて思うように体は動かせない。全く最悪なコンディションだな。こんだけの人数がいたらさすがに魔法でなんとかなる話でもねぇし。」「ああ。相手がタビタとなると兵もかなり強い。」どうにかしねぇとなとルゥは頭を搔く。「相手をどうにかしてこちらに誘き出せたらいいが、生憎タビタは安い挑発なぞで引っかかるような馬鹿ではない。同じポーンの立場として彼女を侮ることは決して出来ない。」「それは俺も分かってるさ。正面から攻めても、兵糧攻めをしても無駄だ。」……………………。お互い沈黙が間に流れる。暫くたった時ピーッと空に鋭い鳴き声が響いた。大きな羽音がしてさっきの鷹が舞い降りてくる。「フリューゲル!!戻ってきたか」「フリューゲル…というのか、その鷹。」「グランデ語で翼って意味なんだ。っと、手紙か?ご苦労さん、ほら!」ルゥは鷹から手紙を受け取ると腰の袋から何かを取り出して宙へ投げた。鷹はそれを綺麗に咥え取ると近くの枝に静かに止まった。さっきのあれ…生きたねず……いや、考えないでおこう。先程の何かを考えないようにとアルバートは頭を振る。「流石、セヤの頭脳だな。なかなかにえげつないけどこいつが1番いい策だな。」ルゥは手紙を流し読むとそのまま手紙をアルバートへと手渡す。ルネッタから送られてきたその手紙には簡潔に砦攻略の策が書き綴られている。なるほど…確かに建国当時からある砦ならば近年の技術に耐えるほどの強度は持ち合わせていないか。だがそうすると私たちの目的が砦では無いとバレるのでは…。特に何も考えずにいい策だ、と納得したルゥとは反対にアルバートは考え込む。しかし、代替案が思い浮かぶわけでもなくこの手でいくかと呟いた。ありがたいことにこちらは力のある男も多い、それにルゥがいるならば魔力にも困りはしないだろう。
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軽やかな鐘が鳴り響く。パレードの一行は広場から折り返し女神からの祝福を授かる儀を行うためにテオス=アネモス大聖堂にいた。アリアナの魔法で一行の濡れた衣服は一瞬にして水分がなくなりふわりと風に揺れる。儀は上層の席を占める貴族と聖職者、そしてセフィドのピースの面々だけで行われる。ゼラはベールと自らの羽織る白のマントを控えの侍女に手渡しスっとアリアナの後ろへと下がった。ここではナイトはゼラ、キングはアリアナだ。鐘の音が鳴り止み厳かなオルガンの音が奏でられる。天窓とステンドグラスから射し込む金の光に照らされるベルベットの赤い絨毯の上をアリアナは1歩ずつ進んでいく。その姿は最早神聖の類とも言えるほどだ。ブルーサファイアの靴が1歩を踏み出す事に聖堂の中は淡く光る青の粒が満ちる。光の粒はゆるりゆるりと漂いながらアリアナの周りを包み込んでいく。まるで建国の神話を再現したようですね。アリアナの後ろ姿を真っ直ぐに見つめるライラはふと思う。神格化された初代の女帝を側で支えてきたかの聖人もまた同じようにこの光景を見ていたのでしょうか。まだ未熟と言えどアリアナの立ち居振る舞いは立派な女帝のそれとそう変わりはない。けれども彼女が偶像と後ろ指を指され、都合のいい"小娘"と呼ばれるのは何故だろうか。ライラは聖堂に設けられた椅子に脚を組む、腕を組むなど尊大な態度で座る貴族たちを一瞥する。この国は上部層が世襲によって引き継がれてきたことによって根腐れを起こしてきていた。私利私欲のために国教であるウェールズ教を買収して民衆に辛酸を舐めさせ自分たちは甘い蜜を吸う。今は逞しい幹に長く伸びた枝を持ち、葉を生い茂らせ花を咲かせている大樹ではあるがこの樹が根元から崩れるのも時間の問題だ。いつだったかユージーン様が言っていた。そんなこと私だって分かっている。今もこの大木が少しずつ傾き続けている状況をこの目で見ている。だからこそ私は腐った根を取り除き真っ直ぐに立つ大木の輝く花としてキング・アリアナを民衆に、あの男たちに認めさせたい。偶像の女帝だなんて言わせない。
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貴族たちからアリアナへと目線を戻すと既に祝福の言葉が送られている最中だった。「……女神からの祝福を汝に捧げこの国の悠久なる繁栄を汝が齎さんことを-。」今まで周りを漂っていた光の粒が輝きを放ちながらすぅっとアリアナの中へと溶けていく。青い輝きが全て消え自然の光だけが聖堂の中を照らし出すとアリアナはくるりと聖職者に背を向けこちらへと足早に帰ってくる。「さぁ、儀式は終わりだ。ベイカー!アテレス!ゼラ!執務室へ帰って戦の準備だ!ニキータとアンゲラーにも職務から戻ってくるように伝えろ。」今までの荘厳な雰囲気をかき消す大声でアリアナは言う。「キング・アリアナ、お言葉ですがこれは重要な儀式なのです。退場する所までしっかりとして頂かなければ。」ライラは後ろの貴族たちを振り返り見る。やはり皆怪訝そうな顔をしている。また儀式もまともに出来ぬ不出来な小娘と影で罵るつもりだろう。「女神からの祝福なぞ私に与えたいのなら勝手に与えればいい、面倒な儀式は不要だ。そんなことよりも今は愚兄が今後どのように出てくるかが大事だ。早く行くぞ!」ライラが戸惑っている間にアリアナはもう聖堂の扉を過ぎようとしている。ゼラはその後をついて行き、アテレスは皆様ご機嫌ようと裾を摘んで挨拶をしてからその後を走ってついて行った。やはりアリアナにもそのほかの面々にももう少し作法を厳しく言わなければならないかと頭を抱えながらライラも遅れてその後に続いて行った。

ほんの少し雨足が弱まりましたね。砦の中央に構えられた簡易的な会議机の端で雨の音を聞いていたタビタは目を開いた。雨が降り始めてから既にかなりの時間が経っている。外で雨避けも何も無いまま過ごすのにもそろそろ限界になってきているはず、攻めてくるのも時間の問題だろう。タビタは再び窓の近くへと移動する。雨足は弱まっても霧はさっきよりも濃くなっている。その霧の合間に一瞬何かが光った。「…今、なにか……!!!」一息の間をおいてドォンと重たい音が響き砦全体にビリビリとした振動が走る。思わず足元がふらつき壁に手をかけた。「一体何が起こったのですか?!」「タビタ殿!砦の正面西側の壁が陥落しました!」「どういうことです?」「恐らく魔術砲撃かと思われます。」「セヤには魔術砲撃に必要な魔術を集められる程の人数はいないはずですが……。」タビタが言葉を区切ったその時再び轟音が響いて砦が揺れた。ちょうど目の前の壁が無惨に崩れ落ちていく。「2発目まで…。ここにいては危険です、直ちに奥へと移動を!」砦の中は霧もなく相手からは丸見えだ。壁が崩された今その近くにいては狙ってくださいと言っているようなもの、駐留兵たちは奥へと避難していく。その間にも砲撃は続き天井からはパラパラと石の破片が振り落ちてくる。あと数発砲撃されればこの砦は崩れ落ちてしまう。「タビタ殿、このままでは砦は崩壊し兵は全滅です。」「そうですね。……仕方ありません、全兵出撃用意を!正面の草原で敵を迎え討ちます!」「はっ!!」
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「凄まじい威力だな…。」音を立てた崩れ落ちる砦を眺めながらアルバートはぼやく。ルネッタの読み通り砦の強度は魔術砲撃に耐えられる程のものではなかった。しかしまさかあの砦の壁一面をあっという間に陥落せしめたのがたった1人の魔力だとは誰も思うまい。味方で良かった、としか言えんな……。その後ろ姿と崩れていく砦を交互に見比べ味方ながら恐ろしさを感じた。先程まで砲撃を撃っていた男は振り返ってにぃと笑う。「よっしゃ!アルバート、これで奴ら外に出てこざるをえないな。」「ルゥ、お前のその力は底なしなのか…?」「一応底はあるけどまあ、切れた試しは1回か2回くらいだな。親父殿に締めあげられた時とか。とはいえ俺なんてまだまだひよっこみたいなもんだし、ちょっとばかし多いだけだって。」「…父親と戦争でもしていたのか。」「いや、ただの親子喧嘩だよ。殴り合いの。」どうやらこの親子は随分と規格外らしい、このまま話を続けていてもあまりの常識外れに感覚がおかしくなりそうだ。「しかし、あまり悠長にしていられないな。すぐに来るぞ。」「そりゃわかってるさ、俺は何時でもいけるぜ!」先程の轟音に怯えた馬のしりを叩き宥めながら言う。「さてと、相手さんの馬の動きでもじっくり見させて貰うとするか。この濡れた地面に足取られてなかなかに滑稽な姿が見られるぞ。」「戦なんだ真面目にやってくれ。」すぐそこに敵がいるとは思えないような無駄口を叩いていると霧の向こうにチラホラと影が見え始めた。「相手の出鼻を挫くか、まだ準備は終わって無さそうだし。」「ああ、そうだな。」ルゥがスっと剣を抜いて上へと掲げた。見事に研ぎ澄まされた刃は僅かな光を反射して光る。「敵を屠れ!我が軍に勝利と栄光を!突撃!」
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敵を迎え撃つための準備が慌ただしく行われている。体勢が崩されたこの状態で襲撃を受ければあっという間に隊は総崩れになるだろう。一刻も早く体勢を立て直さなければならない。タビタは焦る気持ちを押しやり慌てる兵たちに指示を飛ばす。「第1騎馬隊準備が整いました!」次々と準備完了の報告が来るがまだ完璧ではない。相手もこちらの準備が整うまで待っていてくれるほど馬鹿ではないだろう。「伝令、砦正面の魁部隊が突破されました!騎馬隊を先頭にこちらへ向かってきています。」負傷兵が叫ぶ。「わかりました。誰かこの者の手当を!第1、第2騎馬隊、歩兵連隊、突撃用意!指揮は私がとります。さぁ、キング・アリアナに勝利を!」馬が嘶く。濃くなった霧で敵の姿は見えない。けれども音は聞こえる。重鈍な蹄の音、金具がぶつかり合ってたつ音、兵の声の間に混じって軽い、それであって奥に響くような力強いギャロップの音が聞こえてくる。雨を切って、霧を掻い潜って向かってきている。「霧の向こうに人影を確認、1マイル程先です」「第1騎馬隊正面に障壁展開、第2騎馬隊は左右へ回り込み敵の左翼右翼を攻撃、歩兵連隊はこのまま私に続け!」タビタが命を出すと同時に隊列は命道理に動き出す。帝国の陸軍が諸国に恐れられる由縁はこの規律正しい兵と命を素早く実行する対応力、そして指揮者の機転にある。中でもタビタのまとめる中隊はここ数年精鋭揃いで手強いと専らの評判だった。相手は数、そしてピース個々の強さは明らかにこちらより上をいく。しかし軍として強いのはこちら、数は多いと言えどもやはりその大半は戦慣れしていない民衆。敵とはいえ民に手をかけることは気が引けるがそんなことを思っていては戦は出来ない。「敵の将は成る可く避け、まずは兵を倒し確実に戦力を削る。いいですね!」タビタが声を上げる。その時パァンとガラスが砕け散るような音がした。「こんな薄っぺらい障壁じゃあ攻撃は防げねぇよ、タビタ。」霧の向こうから姿を見せた男が笑う。「ルゥ……お久しぶりですね。」ソードを抜いてルゥに突きつける。「悪ぃな。本当はあんたとも久々に剣を交えたいところだけどあんたの相手は俺じゃねぇ、他にやることがあるからな。…だから、あんたの相手はこっちだ。」そう言うと後ろから来る何かを避けるように体を傾けた。瞬間黒い鉄の風が真っ直ぐに飛んでくる。「ッ…!!!」避ける間もなくそれは直撃し視界がグルンと傾いた。
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馬の嘶きを背に聞きルゥは馬を駆って草原の東へと向かっていた。西側の左翼陣には帝国軍から引き抜いた精鋭が多くいるが右翼陣はそれほどでもない。馬の扱いはそこらの軍人なんかよりよっぽど上手いがやっぱり戦場での勘や動きは戦慣れしている兵の方が上だしな。タビタの軍をここで潰しておかねぇと後々脅威になることは間違いない。カァーンと近くで剣がぶつかり合う音がした。「近いか。」霧で視覚が役に立たない今聴覚だけが頼りだ。ルゥは耳をすませる。重い蹄の音がした。風を切る音がして刃が頬を掠める。「おっと、…やっぱり霧が厄介だな。」そう言いながら手に小さな炎を灯す。そしてそれを宙に放った。炎はパッと宙で揺らいで燃え広がり、やがて雨にかき消されるように小さくなっていった。次第に霧が薄くなっていく。ルゥは消えていくベールの向こうで戸惑う敵を横に薙ぎ払った。「他国にも恐れられる帝国陸軍中隊が戦慣れもしていない民に手をかけて恥ずかしくないのか!帝国軍としての名に、"アリアナ"の顔に泥を塗りたくないのなら俺にかかって来い!!」こんな安い挑発にかかるなんてよっぽどの馬鹿か生真面目くらいだが…タビタの兵は生真面目で優秀な奴ばっかりだもんな。そう思いながらルゥは剣に残る血を振り払った。「くそっ!ナイトを討ち取れ!将が倒れればあとは烏合の衆に過ぎん。」近くの兵が剣を高く振りかぶって掛かってくる。勢いよく振り下ろされた剣は真っ直ぐにルゥへと向かう。パキンっと軽い音がしてガラスの欠片のようなものが砕け落ちた。「なっ!?」急に力が抜けたようになり剣を持つ手がダラりと落ちる。そこへ間髪入れずにルゥは相手を切り伏せた。派手に血飛沫が舞いルゥを囲む兵たちは一歩二歩と後ずさる。「来ないのか?…なら俺から行くぞ!」ルゥは左手に持つ剣を構え直し不敵に笑った。
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頭がクラクラとする。タビタは痛む頭を抑えながら辺りを見渡した。血を流して倒れる兵、雨に濡れててらてらと光る青い葉、むき出しになった地面が近くに見える。どうやら私は落馬したらしい。先程の黒い鉄の風、そう見えたアルバートの大剣の一振はタビタの乗っていた馬を薙ぎ倒しタビタ諸共地面に叩きつけたようだ。気を失っていたのはどのくらいだろうか…。「気がついたか。」タビタがゆっくりと立ち上がろうとした時頭の上から声が落ちてきた。反射的に横に転がったソードに手が伸びる。「気がついたのならゆくぞ。」そう言うとアルバートは手を虚空に差し出す。ゆらりと宙が歪んで何もなかったところに大剣の輪郭が現れだした。「何故待っていたのですか。」「倒れた相手を討ち取ることは仁義に反する。」「そうですか……ではお互い真っ向勝負ですね。」立ち上がり構える。一息で間合いを詰めソードを軽く振る。ソードは簡単に受け流されるがタビタは2度、3度と撃ち込んでいく。アルバートの大剣の一振はタビタのソードとは威力が桁違いにある。1度でも攻撃されれば防ぐことも避けることも容易ではない。タビタはアルバートに剣を振らせまいと間髪を与えず攻撃を繰り返す。攻撃を上手く交わしたり、防いだりしてはいるもののアルバートの服や肌が少しずつ切り裂かれていく。このまま攻撃を続けて隙が出来たところを狙うしかないようだ。そう思った時攻撃を避けてアルバートが2歩ほど後ろへと距離をとった。そのまま反撃の体勢をとる。「させませんよ」がら空きの懐に真っ直ぐに入って剣を振りかぶった。「無駄だ!」そう言うとアルバートは大剣を両手で握りしめて一気に振り上げた。「っう!!」血飛沫が舞う。右腕ごとソードは宙へ飛び少し離れた所へ落ちた。「その腕では戦えまい、降伏すれば命は…」「いいえ、お断りします。…ポーンとはいえ一隊の長、王の臣下の1人です。恥ずかしい真似は出来ません。」タビタは強い瞳でアルバートをききと見据える。「……そうか、私は差し出がましい真似をしたようだ。ならこちらも陛下の臣として恥のないように応えねばならないな。」
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もう一度大剣を構える。いつの間にか雨は止み、冷たい風が頬を撫でていく。タビタは右腕を庇いながら左手でダガーを握り間合いをとった。ジリジリと互いに間を詰めていく。息を詰め肌の神経を尖らせ、相手の目線をじっと見る。寒いはずなのに手には汗が滲む。あのダガーでは俺の間合いに入っても届かないだろう、この一撃で必ず倒す。大剣を握る腕に更に力を込めた。タビタ程の実力者を無くすのは惜しい、それ故に彼女を今ここで打ち倒せばセフィドにとって多大な痛手となりうるだろう。じっと見つめていた緑の双眸がゆっくりと瞬きをした。……!!ぱっと視界が白んでタビタの姿が消える。これは……魔法か…?一瞬の出来事にアルバートの思考は停滞する。手前で足音がした。それとほとんど同時に右の腹から左の肩にかけて焼けるような熱が走る。反射的に後ろへと飛びのき相手との距離をとった。このままでは死ぬ……ようやく霞んでタビタの姿が見え始めた。彼女はいつの間にか手にしていたソードを高く振りかぶる。間に合わない…!剣が振り下ろされる瞬間見開いた目に映ったのは織部の瞳だった。………………。「…ダメ…でしたか。」右手に生暖かい血が流れ落ちる。剣が振り下ろされたその瞬間咄嗟に手に取った細身の剣は真っ直ぐにタビタの胸を貫いていた。口から血が零れる。健気な光を宿していた瞳が次第に霞がかっていく。剣を引き抜くとその体は支えを失い草間に沈みこんだ。風が濡れた髪を揺らして駆け抜けていく。雲の陰間から日が差込みはじめ光のベールが空へ誘うように揺蕩う。「……見事だった。」アルバートは立ち上がり小さく呟いた。「くっ…!!」右手で反対の腕を押さえる。ソードを防ぐために出した左手は綺麗に筋が切られていた。血で切れ味が鈍っていたのが幸いか…。それにしても随分と静かになった。つい先程まで響いていた雨音も怒声も何もかも消えて広い草原の中に1人取り残された気分になる。しばらくの間そこでアルバートは佇んでいた。
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夜もふけ昼間の喧騒も影を潜めた頃聖堂の側道をアテレスは1人ゆるりと歩いていた。鼻歌交じりで歩く彼女は昼に来ていたコーラルピンクのドレスとはまた別のドレスを着ている。裾の白いレースが歩く度にぴょんぴょんとはねる。「あ〜あ、お兄様もタビタちゃんも早く帰ってこないかしら。せっかくのお祭りなのに暇だわ。ライラちゃんもスーちゃんもアリアナちゃんも難しい話ばっかりしているし、戦なんて野蛮なことよりも楽しい方がずぅっといいのに。」独り言を言いながら歩くアテレスの胸元には緑の小石が輝いている。「…あら?」軽いステップを踏んでいた足が止まる。アテレスの目線の先には2つの青い光が浮かび上がっている。青い光はパチパチと瞬きをするように消えたり現れたりを繰り返す。あれは…何かしら?光のある方は森だけど。光に誘われるままに足を森の方へと向けた。アテレスが追いかけて行くと2つの光は音もなく森の奥へと遠ざかっていく。「あ!もう!!どうして遠ざかっていくの!?」1度は引き返そうかと迷ったけれど何となく着いてこいと誘われているような感覚がして追いかける。聖堂の光も届かなくなった森の開けた所で光はゆっくりと止まった。「はぁ…はぁ…やっと追いついたわ!…あっ!ドレスが汚れちゃったじゃない、お気に入りなのに。」そう言いながら光の方へ顔を上げた。2つの光はアテレスよりも背の高い木の枝に浮かんでいる。月の光を受けて正体が現れる。「まぁ、鳥だったのね。随分と大きいわ。」あの青い光は鳥の目だったのね、でもどうして?こんなにおおきな鳥がここに居るのかしら。キョトンとした表情で見つめるアテレスの方へ鳥は近寄ってくる。足元には何かを引き摺っている。「とっても人懐っこいのね。あなた誰かに飼われているの?……あら?足になにかついて…あっ!私のこの石とそっくりだわ!!」アテレスははしゃぎながら足元のそれに触れた。それは淡く光って文字が浮かび上がる。「……………………えっ!?」読んでいる途中でアテレスの表情が強ばった。鳥はそんな事には構わず、自分の役目は終わったというように足元に引き摺っていたものを置いたまま羽ばたいていった。まさか……嘘よ!タビタちゃんが…。アテレスは置いていかれたそれにおそるおそる手を伸ばす。布で包まれたそれはずっしりと重みがある。これって…まさか…………ううん、そんなことないわよ。でも…怖い!恐怖を押しやり布を引っ張るとゴロンっと中身が転がりでる。「ひっ!!…きゃぁぁぁぁぁぁあ!!!」まだ血の滴る織部色の瞳が虚ろに月の光を浴びていた。

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