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13トリソミーの次女と妊娠5ヶ月での中期中絶手術を経て

2019年10月13日は、本来生まれるはずであった次女の出産予定日でした。

この記事は、無料部分と有料部分の2部構成になっています。
無料部分は私が受けた中期中絶手術の概要、有料部分は今回何故中期中絶手術を受けなければいけなかったのか、胎児奇形の発覚〜中期中絶手術、火葬、その後について、迷ったこと感じたこと悲しかったことなど自分の気持ちを書いています。

無料有料部分どちらもショッキングな内容が含まれているので、閲覧は自己責任でお願い致します。

無料部分は、現在どうしても中期中絶手術を受けなければいけなくて、不安でネットで情報収拾している方の一助になれば幸いです。
大丈夫だよ、とは言えません。心にも身体にも大きな負担がかかります。
ほぼお産と変わらないので、場合によっては命に危険が及ぶ可能性もあります。
けれど、どういう感じなんだろうと想像出来ないことが私は一番怖かったので、こうして詳細を書くことによって心構えが出来るのであれば、少しは当日慌てずに済むのかなと思います。

それと、これだけは本当に、もしかしたら言ってもなかなかそうは思えないかもしれませんが(私がそうだったので)お母さん、お父さん、赤ちゃん、みんな誰一人悪くないです。だーれも悪くない!!手術前は「私があの時薬のんでたから…」とか「私がちゃんと栄養とってなかったから…」とか思ってたけど、結果として母体の口にしたものとは全く関係ないと診断が下っています。なので、決して自分を責めたり、ましてや妊婦さん本人以外が妊婦さんを責めたりはしないでください。

有料部分は、もっと踏み込んだ内容になっています。
中絶という選択肢は、命を扱う非常に重たいものです。もちろん、少なからず反対したり受け入れられない方々がいるのは重々承知の上です。
けれど、私も夫も、これに関わった実両親義両親全員、今回の件で深く深く傷つきました。これ以上無用な誹謗中傷に晒されることがないように、あまり人目につかないようにという意味で有料にさせて頂きます。
読みたくない方は読まなくてもいいように。
読みたい方は読めるように。

ただし、もし私と同じ境遇で、とてもとても悩んで辛い思いをしている方がいたら、メールでもtwitterからでもお気軽に声をかけてください。聞いておきたいことがあればどんどん質問して下さい。全てお答えします。同じ境遇にいる方には有料部分も全文、メールで読めるように無料でお送りします。
私は今回の体験を語ることが、今後同じ体験をすることになる人たちの助けになれたらいいなと思っています。事実、今回私が中絶手術を受けるにあたって経験者の何人かの方からお話をお聞きし、そのために心構えができました。語ってくださった方の中には、まだ心の傷も癒えていないのに私のためにと必要な情報を教えてくれた方もいました。私も、誰か同じような辛い思いをしている人がちょっとでも救われるのであれば、ちゃんと形に残しておきたいと思い、この記事を書きました。

時系列は入れ替わりますが、中絶手術とはどんなものなのか、を先に書いていきます。手術とはいっても、中期だと出産とほぼ変わりません。むりやり子宮口を広げてむりやり陣痛起こすというところが自然分娩と違うところです。初期中絶手術については詳しい方法を書いているサイトが多かったけど、中期については詳しくどんな処置をするのか見つけられずにいたため、この概要が今後誰かの役に立てばいいなと思います。


【中期中絶手術概要】

5/14 10時 入院 病室に案内されて後ほど担当の看護師が説明に参りますからしばらくお待ちくださいと言われる。
12時 何の説明もないままお昼ごはんが出てきて食べていいのか戸惑う(完食)
13時 唐突に診察に呼ばれ別室にて処置開始。ラミナリアを8本入れられる。最初にエコー、次にクスコを入れて中を消毒2回。「子宮口掴むので痛いですが頑張って下さい」と言われる。確かに痛い。子宮口なんて掴めるものなんだ…と何故か冷静に感心してしまう。ラミナリア入れていきます、と言われ、細い何かを次々挿入される感覚。気持ち悪い。長さを調整しているのか?バチンバチンと何かを切っている音と振動がする。その振動が痛くて叫ぶ。しばらく頑張って最終的に8本入ったらしい。
処置直後、膀胱が圧迫される感覚がありトイレに何回も行くが少ししか出なくて気持ち悪い感じ。痛み止め(ボルタレン)を処方され飲むと30分くらいで痛みは引いた。6時間ほどで切れるのでこれ以降6時間ごとに痛み止めを処方される。

18時 夕食 おかずの味が薄いのにご飯が毎食200gもある。ふりかけ持って行って正解だった(不良患者)

21時半 処置、ラミナリア16本。
まずは元々入っていたものを抜き、新しいものを16本入れる。
13時に入れた時より量が増えたから、長い間めちゃくちゃ痛くて涙が出た。もう辞めてムリムリムリムリって思ってる時に先生の「もう1本チャレンジしていいですか?」との無慈悲な声。結局16本入れられた。

22時 痛み止めは効いているが、膀胱への圧迫感で30分に1回はトイレに行ってしまう。夜は一応5時間くらいはまとまって眠れた。4時頃痛くて目が覚めてナースコールし、痛み止め貰ってまた少し眠る。

5/15 9時 ラミナリア24本。もう痛すぎて叫ぶことと涙が出ることはデフォルトになる。
入れる時はもちろんだが、本数が増えると抜く時の方が痛いし気持ち悪い。内臓が出るかと思ってしまう感覚。もう二度と経験したくない痛み。
痛み止めを飲んでも、この時から痛みが引かず、血も出始め何もやる気が起きなくなりほぼ一日寝たきりだった。
しかし痛いことはしっかり子宮口が開いているということなので順調だと言われる。
痛くてシャワーも浴びれなかったが、明日出産になり2晩頭が洗えないことになるのでこの日無理にでも洗っておけば良かったなとやや後悔。

17時 ラミナリア32本。
先生が変わり、抜き方が雑で一気に抜かれ内臓出たかと思った。過去最高に叫ぶ。痛すぎて涙が止まらなかった。今まで経験した痛みの中でダントツでめちゃくちゃ痛いし嫌な痛みだった。
痛すぎて明日の予定を聞くことも忘れてフラフラと病室に歩いて帰る。
車椅子で帰る?と聞かれたが、座った方が痛かったので頑張って歩いて帰った。
あまりに痛いから痛み止めもっと強いのありませんかと聞いたら、今処方しているのが一番強いやつと言われ絶望する。ただ、一緒に使えるからとカロナールも処方してもらうが気休め程度の効き。ずっと強めの生理痛のような痛みが続く。出血量も生理3日目くらい。
この時点でまだ胎動有り。生命力の強さに驚く…

22時 消灯、寝てみようとするが痛みと緊張と胎動が分かる悲しみであまりよく眠れなかった。

5/16 10時 陣痛促進剤の膣剤を入れる処置をする日。順調にいけば今日中の出産。
歩けるが、何故か車椅子で分娩室に移動。
手術室みたいな雰囲気の無機質な部屋で色んな器具があって冷たい感じに怖くなり緊張、痛み止め飲んだばかりなのに頭痛がしてくる。

10時半 最初に、出産した時万が一大量出血したら輸血しなければいけないから、その時用に針だけ刺しておきますと言われ処置開始。しかしなかなか血管が見つからず4回失敗され5回目に結局手の甲に刺される。看護師さん2人、医師1人に交代してもなかなか刺さらず、ラミナリア抜き差しする痛みより全然マシなので「刺さっていかないね、ウフフ」と笑う看護師さんと一緒に笑ってしまう。失敗した部分は5日後くらいに青い部分が広がって痛々しい見た目になり、その後1ヶ月は跡が消えなかった。

11時 夫到着。来てくれてホッとした。
またラミナリアを抜いて膣剤を入れる処置があるので一旦退室。
32本ものラミナリアを抜くので痛みを覚悟していたが、その時の先生は一気にではなく数本ずつ抜いてくれたので、昨日よりはマシだった。が、まぁ痛いので叫んで泣いた。
しっかり子宮口開いているので、陣痛促進剤入れます、と膣剤を1つ入れられる。
もうラミナリアのあの痛みはないから安心してね、と言われるが、今度は陣痛が待ってるんだよな…と思うと怖くなる。
夫は廊下で私の叫び声を聞いてヒエェと思っていたらしい。

11時半 ラミナリアを抜いたおかげで逆に痛みがほぼなくなり、束の間夫とお喋りして休憩出来る。
この時点でも、まだ胎動がある。あんなに近くを刺激されているのに不思議…
まだ痛みが来ないので夫は食事のため外に出て貰う。
痛みはないが、子宮がキューッと縮むような感覚が数分おきにしてくる。

12時 ちょっとずつ軽い生理痛みたいな痛みが定期的にしてくる。食事が運ばれてきて痛みの合間に少し食べる。食べ始めは、全部食べれそうだなと思っていたが、一気に痛みが増幅してきてほぼ食べられなかった。
ここから急激に陣痛が進む。
夫が戻ってくる。痛みに合わせて手を握ってもらう。

12時半 1分おきに強い痛み。でもまだ「いたたた…」くらいで済む感じ。ラミナリアが痛すぎて感覚がおかしくなっていたのかも…
股から何かドロッと出た感覚があったので、破水したかな?と思ったが血だった。この時初めて知ったが、今回は破水させず、膜ごと出した方が綺麗に出るから破水させないでおくねと言われた。無理矢理破水させる時はめちゃくちゃ痛いと聞いていたからちょっと安心する。
内診してもらい、子宮口もばっちり開いているしもうすぐお産になるかもーと言われる。
お通じしたい感じない?と聞かれるが、どちらかというと尿意が酷くて、トイレに行かせてもらう。
トイレに入ってる間、助産師さんがしきりに大丈夫ですか?と声をかけてくれる。おそらくこの場で出産してしまう可能性があるから。
トイレに座った瞬間かなり強い痛みが来て全く出る気がせず、何か他のものが出そうだったので慌てて立ち上がって分娩台に戻る。
戻る途中に動けないほどの強い痛み。
分娩台に上がると、もう我慢できないほど痛くなっていた。
もうお産になりますから準備しますね、と言われるが痛みで全部遠くに聞こえる。
めちゃくちゃ尿意があるが出ない上にハンマーで膀胱と股関節を全力で殴られている感じ。
痛くて足を開く作業も助産師さんに無理矢理動かして開かせて貰う。
その間、あーーあーーと絶叫。夫は手を握って頭を撫でていてくれたが、構う余裕もなくただ絶叫していた…
足を開いてわりとすぐの強い痛みで、特に何か出すつもりはなかったのにズルンと股から何か出た感覚があった。
赤ちゃんが膜ごと出たらしい。
お尻が見えてるよーと言われる。
出た瞬間から、スッと痛みが引いてしまう。
次の痛み(子宮の収縮)で赤ちゃん出ますからね、あとちょっとで楽になりますよと言われるが、次の痛みが全くやってこない。
助産師さんがずっと私の股から出てる膜の袋を押さえている。
お医者さん、助産師さんが5人くらい私の股を凝視、10分くらいはその状態が続いていたように感じた。夫は「時が止まった…?!」と焦っていたらしい。
陣痛引いてしまったかな、とお医者さんが話し合い始め、お腹にグッと力入れられる?と言われる。
やり方は分からなかったが、起き上がる時に腹筋使うようにグッと力を入れてみたら、バシャッという音と共に全部出てきたらしい。

13時12分 出産。

赤ちゃん見ますか?と言われ、はい、見せて下さいとお願いする。
詳細はここでは書かないが、明らかに呼吸は出来ない顔で、ピクリとも動かなかった。
女の子だった。
お名前は?と聞かれ、まだ決めてませんでしたと言ったら、涙が溢れてきて止まらなくなった。
ピクリとも動かないその姿にショックのあまり、痛くもないのにわんわん泣いた。
泣いていたら、胎盤の残りとか内容物掻き出しますからねーと何か器具を突っ込まれて子宮内をゴリゴリ削られる。
多分これが最高潮の陣痛並みに痛かったが、悲しくて泣いているのか痛くて泣いているのか、感情がごちゃごちゃになって夢の中の出来事のようだった。

前回の出産が帝王切開だったので、陣痛過多による子宮破裂の可能性、また傷口に胎盤癒着している可能性もあると事前に言われていたが、どちらも無く胎盤も綺麗に剥がれ出てくれた。

処置が終わりしばらく横になっていたら、綺麗に洗ってもらった赤ちゃんが、ガーゼと保冷剤に包まれ、紙で出来た小さいベッドに乗せられて来た。
紙のベッドのままだけど抱っこしていいですよと言われ、抱っこしたが軽すぎてまた泣けてくる。
192g,21cmだった。

折り紙のおもちゃをくれたり、手形・足形をとってくれたり、パパママ赤ちゃんの3人で写真撮ってもらったり、へその緒をくれたり、母子手帳に出産記録書いてもらったり、助産師さんたちはたくさん気を遣ってくれた。
つとめて明るく振る舞ってくれて、ありがたかった。

産んだ直後から全く痛みがなく、1時間は横になっていて下さいと言われるが、その後はスタスタ歩けて帝王切開の時の違いに驚く。
赤ちゃんも小さかったので会陰などにも全くダメージはなく痛みはなかったが、それが赤ちゃんの小ささを物語っているようで逆に悲しかった。

5/17 9時 エコーで子宮内の様子を見てもらい、しばらく悪露は出るけど大丈夫、酷い出血はないだろうとシャワーと退院許可が出る。
頭がかゆくてかゆくて大変だったので、急いでシャワーを浴びて退院準備。15時 葬儀屋さんにいったん赤ちゃんのご遺体を預ける。本当は一緒に家に帰りたかったけど、自家用車を持っていないため公共機関にはご遺体は乗せられないため。
15時30分 退院。

5/20 火葬

以下、有料部分でなぜ今回中期中絶手術を受けなければいけなかったのか、胎児奇形の発覚〜中期中絶手術、火葬、胎盤検査で発覚した13トリソミーの染色体異常などについて書いていきます。

上記の内容も充分ショッキングだと思うのですが、以下は私一個人のどろどろした感情などまで触れているため、かなり重い内容となっています。

特に、現在順調な妊婦さん、出産されて間もない方などにはお勧めできない内容になっているので、読むかどうかは自己責任でお願い致します。

【2019年2月14日二人目妊娠発覚】

1月末から体調不良が続いていて、自覚はなかったが生理も少し遅れていたので「ないだろー」と思いながら妊娠検査薬を使ったところ陽性。奇しくも2月14日は夫の誕生日だったので、報告したら最高の誕生日プレゼントや!と大喜びしてくれる。

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