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暴れる小説家

たくさん絵を描きたいです。
ずっとやりたくてやれずにいます。
白い紙や、白い画面を見つめて数十分、時には1時間を過ぎてしまいます。
何か描いても、違う気がしてすぐに消してしまいます。
本当はかきたいはずなのに…
そうしている時間が多い気がします。

noteもそうです。
いろいろ書きたいことがあるはずなのに、書いたり消したりを繰り返して、1時間過ぎてしまいます。

そして実際にじたばたと暴れます。
髪をかきむしったりします。

完成した絵や文章をみると、そういう暴れた跡がわからなくて、なんだかみんなスマートに仕上げているような気がしてしまいます。

小説家が原稿を書いているシーンを想像すると、ぐちゃぐちゃと丸めた原稿用紙が散らかっている様子が想像されます。
画家が絵を描いているシーンを想像すると、こんな色じゃないとか叫んでキャンバスを破壊したりしている様子が想像されます。

だけど完成したものを、本や美術館でみると、初めからそうであったかのような顔をしています。
暴れた形跡はいったいどこに行ってしまったのか。

古くからある立派な作品は、暴れずにつくられたのでしょうか。
紙が貴重品だった時代です。
平安時代の歌人たちは、即座に歌がひらめいたのでしょうか。
この言葉じゃない!って、破いたりしなかったのでしょうか。
エジプトのピラミッドは、初めからあの形で行こうとしてたのでしょうか。
もっと違う形の、第2案とか、第3案とか、途中までやったけど違うってなってやめたとか、なかったのでしょうか。

ミケランジェロの言葉に、「全て大理石の塊の中には予め像が内包されているのだ。彫刻家の仕事はそれを発見する事」というのがあります。
ミケランジェロは暴れることはなかったのでしょうか…?

さぽさぽさぽ~と♪