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「アイドル短歌」と「VTuber短歌」

まずは鷹野様のこちらのアンソロジーに目を通していただきたい。ほんとうにすばらしいアンソロジーで、極大の“愛”と“苦悩”がそこにある。なにがすごいって、デザイン面も読みやすくていい。「テーマ短歌『アイドル』」の部分や小エッセイの部分、ノンブルわきのコーナー名まで配慮がなされていて、大変心を砕いて作業されたのだなあと思っている。ちなみに私がこのアンソロジーを知ったのは偶然で、別名義で参加(「スマプロ!」というセリア発アミファエンターテインメント所属のアイドルについて詠んだ短歌を応募させていただいている)している。
閑話休題、私はこちらの記事のようにVTuber短歌を詠んでいる。そして「アイドルが好き」を読んでから確信した。
「アイドル短歌」と「VTuber短歌」は似ている。
ただし私はアイドル短歌について詳しく知っているわけでもないし、VTuber短歌についても同様だ。個人的な主観と偏見のみで形成された文章であるということを心に留め置いていただきたい。

まず話を進める前にこの記事における「アイドル短歌」の定義と「VTuber短歌」の定義を決めておきたい。
ここでは
アイドル短歌:「アイドル」をテーマとしていて、主体はファンであったりアイドルであったりさまざま。詠み人はファン。
VTuber短歌:「VTuber」をテーマとしていて、主体はファンであったりVTuberであったりさまざま。詠み人はファン。
とさせていただく。

1.テーマの類似性
そもそも「アイドル」と「VTuber」の立ち位置がかなり近いなあと思うのだ。見た目が人間かイラスト(3D)か、というのが一番の違いとなるのかもしれないが、一番最初に掲げた「アイドルが好き」には二次元アイドルについての短歌も収録されている(なによりファンにとって彼ら彼女らは“存在している”のだ)。VTuberだってライブをする時代だし、ファンミーティングだってする。YouTubeチャンネルを持つアイドルもいる。
ファンは彼ら彼女らを推し、熱狂して応援する。
そういう「対象」として、応援する層は違えども似ていると思う。

2.生きている
「三次元アイドル」と「VTuber」は、「生きている」ことが同じだ。
人権を有していると言ってもいい。二次元アイドルのことをガイドラインの範囲内で裸にして二次創作をしてもとがめられないが(ここでは裸にすることの是非は問わない)、「アイドル」や「VTuber」を裸にするには本人の承諾が必要となる。年齢制限コンテンツを出しているVtuberがいることは知っているが、それだって本人の承諾なしでは無理だろう。

3.主体にすることの困難さ
これはまったくの個人的な感想なのだが、心のハードルの高さがまったく違うのだ。二次創作短歌でキャラクターが主体の短歌を詠む場合だってそういう悩みが発生しないとは言わないが、二次創作短歌の場合は「けっきょく二次創作だしな」という合意(空気)が自分や周囲とできている。だが、アイドル短歌やVTuber短歌の場合「本当に本人はこう考えるか?」と思ってしまうのだ。自分が知らなくて使っていないが当人は自在に使いこなす言葉だってある。アイドル短歌のこのあたりの悩みに関しては冒頭の「アイドルが好き」に掲載されているエッセイたちにお任せするとして、私が当初「主体:ファン」のVTuber短歌しか詠んでいなかったのは難しいと感じていたからだ。ちなみに今は「主体:自分の中にある彼ら彼女らの一面」という感じで詠んでいる。

結局のところ、私はただ共感してしまっただけなのかもしれない。
「アイドルが好き」は4つのブロックに分かれていて、冒頭が「テーマ短歌『アイドル』」なのだが、そこにつづられている短歌があまりにも切実で、どうしても短歌にせずにはいられなかった気持ちを重ねてしまった。
鷹野様のX(旧Twitter)にて10月末までコンビニプリント版の番号があるので、ぜひともプリントアウトしてほしい。

おまけ
今一番気になることは「二次創作短歌と推し短歌の違い」である。
ただこれに関してはまず「二次創作とは?」というところからかなと思うし、もうすでに誰かが書いていそうだなとも思う。

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