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あなたが最近「飽きた」ことは何ですか?

飽きるのは、自分の成長が止まっているから

なかなか簡単には手に入らないようなものほど欲しくなるものだ。       しかし、いったん自分のものとなり、少しばかり時間がたつと、        つまらないもののように感じ始める。                    それが、物であっても人間であってもだ。                  すでに手に入れて、慣れてしまったから飽きるのだ。             けれどもそれは、本当は自分自身に飽きているということだ。         手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。             すなわち、それに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ。        つまり自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいことになる。        そうではなく、人間として成長を続けている人は、              自分が常に変わるのだから、                        同じものを持ち続けても少しも飽きないのだ。                

「悦ばしき知識」超訳ニーチェの言葉



 「マンネリ」という言葉がある。画一的な形式にとらわれ、目新しさや独自性を失うと言う意味である。自分の体験を思い起こしても、初めの頃は大きな夢を抱き、成すことの全てに対して意欲と笑顔で一杯だったが、時が過ぎると、「飽き」が出てくる。また、どんなに美味しい料理でも、食べ初めは食欲に身を任せ、食べたいだけたくさん頬張るが、「もうこれ以上は無理!」と言いながら食べ終える。まさに、「ごちそうさま」である。

 「マンネリ」「飽き」「ごちそうさま」と3つの言葉を並べてみた。そこで私の体験を簡単に話してみたい。

 私は学校で働いている。採用は、希望外の特別支援学校だった。希望していないとはいえ、働き続けるとその学校でのやりがいが見えてきた。しかし、自分は高校で専門教科を教えることが夢で、その思いを発信し続けることで、念願の高校への異動が決まった。高校では、あらゆる生徒達と関わり楽しんできた。

 高校であらゆる生徒と関わり、その生徒達に合わせて様々な授業を展開してきた。プリント学習が自分の得意な授業方法だったが、4年前にやめた。それからは生徒が自主的に学習する授業方法を模索し、「学習の仕方」を教えることに夢中になった。そして、コロナ禍でオンライン授業・オンデマンド配信を経験することもできた。

 私自身、この仕事で一番好きなことは「授業をする」ことである。チョークを持ち、黒板の前で説明することが大好きである。この文を読んで笑った人が多いかと思うが、私にとって学校のあらゆる仕事の中でどんな苦難でも堪えることができる仕事が「授業をする」ことである。

 日々の業務をこなす中で、次の言葉がスッーと頭の中を過った。       「ごちそうさま」

 あらゆる授業をしてきたが、自分の気持ちがこれ以上ときめかなくなっていた。「好き」だけど「飽き」ていたのである。やりたいことをやれるだけやり尽くした感に浸り、授業も「マンネリ」化していた。また、オンライン授業やオンデマンド配信等をやってしまうと、40人の生徒を押し込んだ狭い教室で、授業をする時代は終わったなとも感じた。

 よって、「好き」だけど「マンネリ」化し「飽き」が出てきて、「ごちそうさま」をしたのである。

 ニーチェの言葉の中に「自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいことになる」が書かれている。その言葉は私の心に深く突き刺さった。「『自分が成長していない⁉︎』だから「飽き」たの?」と捉えてしまい、自分自身に嫌気がさしてきた。

 そこで、高校勤務に「ごちそうさま」をし、特別支援学校での勤務に変換した。その理由は次の3つである。

①高校での授業に満足した。(ごちそうさま)                ②特別支援学校でやりがいを感じていた仕事をやり直そうと思った。      ③成長する自分であり続けたいと感じた。

 今は、新しい学校で初心に戻って仕事をしている。恥ずかしいほど何も分からず、何もできない毎日である。しかし、毎日が新鮮である。年のせいか新たなる知識が頭に残らないのだが、日々の反復学習で補おうと努力している。と言うより、最近まで高校生に教えてきた「学習の仕方」の一つである。自分が教えてきたことを、自分自身が実行できなければ、これほど情けないことはない。そのプライドにかけて、この苦難を必ずや乗り越えていきたいと決意を固めている。

「飽き」が、自分の新たなる道を示してくれるのかもしれない。        あなたが最近「飽きた」ことはなんですか?



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