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初期キリスト教信仰について⑯

パウロのエルサレム行き

 パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。
 「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」
 このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。(使徒言行録20章17~38節)

『聖書』新共同訳・日本聖書協会


エフェソ/エフェソス、ミレトス http://www.y-history.net/appendix/wh0103-158.html  より
 

 使徒言行録20章において、パウロの行動を説明する箇所において「わたしたち」という、執筆者があたかもパウロの同行者であるかのような記述が良く出てくるようになります。
 この20章以下は、どちらかというと、パウロにおける「受難物語」の導入部分みたいなもので、パウロはエフェソの教会の人たちに対して、「”霊”」による導きによってエルサレムに上ることを伝えます。
 パウロはここで、告別のことばをエフェソの教会の人たちに伝えたとされており、およそ使徒言行録と「エフェソの信徒への手紙」との関係性について、考えることができるのでないかと思います。
 なお、「エフェソの信徒への手紙」は、今日的には「パウロの名による書簡」(『新約聖書V パウロの名による書簡 行動書簡 ヨハネの黙示録』、岩波書店より)として、パウロの自筆の手紙とは異なるものとして理解されています。
 

 上記の「使徒言行録」の引用には「”霊”」と「聖霊」という言葉が出てきますが、これは聖書では「pneuma(霊)」と「pneuma(霊)to(前置詞) hagion(聖なる)」という違いで、永野個人としては「”霊”」は「旧約聖書の概念における霊(神の霊)」、「聖霊」は「キリスト教の信仰的概念における霊」というふうに理解しています。
 つまり、使徒言行録20章22・23節は、この後パウロのエルサレムへ上る行為が、まさに福音書における「イエスのエルサレム入城」のように意識されているというところでないかと思います。そして、それが、まさに「聖霊の導きによるものだ」というのが、使徒言行録がパウロの口に言わせているのでないか、というところです。
 そして、使徒言行録21章になって、パウロはエルサレムへとのぼっていくわけですが、このところで幾つか特徴的な情報を使徒言行録は記しています。
 そのひとつが、使徒言行録6章1節以下、ステファノたちと同じ、使徒によって任命された「7人」のうちのひとりで、ステファノの次に名前が紹介されていた「フィリポ」について、「福音宣教者」という説明がしてある点です。また、彼には4人の未婚の娘がおり、この4人は預言をしていたことに触れています。

翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。この人には預言をする四人の未婚の娘がいた。(使徒言行録21章8~9節)

『聖書』新共同訳・日本聖書協会

 さらに、使徒言行録では、2回「アガボ」というユダヤの預言者についての言及がありますが、これは使徒言行録21章と11章と2回登場し、およそこれが同時期の出来事であることがわかります。
 以前にも書きましたが、通常、「パウロの宣教旅行」は「3回」と数えられていますが、ひょっとすると、歴史的には「2回」だった可能性がある、というところです。

その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。(使徒言行録11章28節)
幾日か滞在していたとき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。(使徒言行録21:10節)

『聖書』新共同訳・日本聖書協会

パウロのエルサレム入城

 カイサリアの弟子たちも数人同行して、わたしたちがムナソンという人の家に泊まれるように案内してくれた。ムナソンは、キプロス島の出身で、ずっと以前から弟子であった。
 わたしたちがエルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。翌日、パウロはわたしたちを連れてヤコブを訪ねたが、そこには長老が皆集まっていた。パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。(使徒言行録21章16~19節)

『聖書』新共同訳・日本聖書協会

 使徒言行録21章の記述によると、パウロは、地中海寄りの町カイサリア(使徒言行録では8・9章でも登場するが、10章のコルネリウスの洗礼で有名)の町を経由して、エルサレムに行きます。
 そこで、パウロはヤコブ(主の兄弟、イエスの実の弟)のところに行き、そこで長老たちと面会すると同時に、自分の奉仕について説明するのでした。
 ところが、使徒言行録の記述を見ると、およそパウロが「ガラテヤの信徒への手紙」で書いている内容とはことなります。特に、パウロが「テトス」という弟子の名前を上げていますが、たとえば使徒言行録15章の使徒会議のところに、バルナバは登場させていますが、「テトス」は全くふれていません。この「テトス」については、以下のところで触れていますので、そちらもご参照ください。
 

 その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。
 エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。(ガラテヤの信徒への手紙2章1~2節)

『聖書』新共同訳・日本聖書協会

 使徒言行録21章の記述によれば、使徒によるエルサレム教会は、①「幾万人ものユダヤ人が信者になり」、②「熱心に律法を守っている」という事にあらわれています。すなわちイエス・キリストを主として受け入れているけれども、なお、モーセの律法も同様に重要な教会の掟として守っている、ということです。
 それに対して、パウロは、「異邦人の間にいる全ユダヤ人」に対して、「割礼を施すな」という教えを説いていたわけです。
 つまり、使徒言行録が考えているのは、当時として「使徒たちによるエルサレム教会」(律法の遵守が必要)と「異邦人教会」(律法の遵守は不要)という、二つの相異なる信仰的理解について、それを発展的に解消させるために、使徒言行録は「異邦人の間にいる全ユダヤ人(つまり、異邦人でなく)」に対して、「(ユダヤ人なら)律法の遵守は必要である」というふうに、少し論点をずらして、異邦人教会で問題になっている「割礼の問題」を単に「離散のユダヤ人」の律法の問題であったとし、そしてパウロも主の兄弟ヤコブの提案に同意したかのように描いて見せているのです。(主の兄弟ヤコブの提案について、パウロの応答がどうであったかは一切触れておらず、そのまま提案に沿うかたちで神殿を詣でている)

これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。また、異邦人で信者になった人たちについては、わたしたちは既に手紙を書き送りました。それは、偶像に献げた肉と、血と、絞め殺した動物の肉とを口にしないように、また、みだらな行いを避けるようにという決定です。」(使徒言行録21章20~26節)

『聖書』新共同訳・日本聖書協会

パウロの逮捕

 七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。 「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」
 彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。(使徒言行録21章27~30節)

『聖書』新共同訳・日本聖書協会

 さて、使徒言行録の記述でいけば、パウロは主の兄弟ヤコブの提案に倣い、エルサレム神殿で清めの式を受け、その後、清めの期間が終わろうとした時、アジア州から来たユダヤ人たちが、神殿の境内でパウロを見つけ、パウロを捕えるのでした。
 使徒言行録はここで、パウロの逮捕の理由を「①民と律法とこの場所(エルサレム神殿)を無視することを、至るところでだれにでも教えている」、「②ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」ということでした。
 この使徒言行録が伝える「②ギリシア人」とは、おそらくパウロが「ガラテヤの信徒への手紙」で「テトス」と言っている人物であると考えられるのですが、使徒言行録では、「テトス」でなく、「エフェソ出身のトロフィモ」であると説明します。
 この「トロフィモ(豊かな・栄養のあるの意)」は使徒言行録20章4節に、登場するパウロに同行した人物で、「アジア州(エフェソはアジア州の都市)出身のティキコとトロフィモ」で紹介されている人物です。
 ところが、この「トロフィモ」と呼ばれる弟子は、使徒言行録の他には「テモテへの手紙2」に登場するだけで、パウロの直筆の手紙には一切、名前が出てこない人物です。
 なぜ、使徒言行録が、「トロフィモ」というパウロの手紙に一切登場しない人物を登場させたのか。
 もちろん、この問いの答えは書いてないのですが、個人的には「テトス」についての考察のところで示したように、おそらくは「パウロが、自身の手紙で紹介しているテトスを、トロフィモという名前で消したかった」ということでないかと推測する次第です。
 そして、使徒言行録は、つまるところパウロが逮捕されたのは「①(無割礼の)ギリシャ人をエルサレム神殿の境内に連れ込んだ」という事と、②異邦人に対して「律法は不要」であるということが原因である、というところだと思います。
 そして、使徒言行録は、そうした歴史的な事実を微妙に修正するかたちで、「①パウロが教えたのは異邦人教会において異邦人に割礼を施すのを禁じただけで、ユダヤ人が律法を遵守することは認めた」ということ、「②パウロはテトスを神殿の境内に連れ込んだ」というのではなく、「トロフィモであったのをアジア州から来たユダヤ人たちが見間違えた」というふうに、ある種、「歴史の改ざん(修正)」をしているという事になるかと思います。

パウロの弁明1

パウロは兵営の中に連れて行かれそうになったとき、「ひと言お話ししてもよいでしょうか」と千人隊長に言った。すると、千人隊長が尋ねた。「ギリシア語が話せるのか。それならお前は、最近反乱を起こし、四千人の暗殺者を引き連れて荒れ野へ行った、あのエジプト人ではないのか。」
パウロは言った。「わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州のれっきとした町、タルソスの市民です。どうか、この人たちに話をさせてください。」
千人隊長が許可したので、パウロは階段の上に立ち、民衆を手で制した。すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語で話し始めた。(使徒言行録21章37~40節)

『聖書』新共同訳・日本聖書協会

 エルサレム神殿での逮捕後、使徒言行録21章では、パウロがユダヤ人たちを町に弁明する話が出てきます。また、パウロが「キリキア州タルソスの(ローマ)市民」であることをパウロの口から言わせていますが、パウロの直筆の書簡にはこのことは出てきません。
 また、ここではパウロが「ヘブライ語で話した」とありますが、パウロが手紙の中で引用するのは「ヘブライ語の聖書」ではなく、ギリシャ語で書かれた『七十人訳聖書』であることが知られており、そのため、パウロが「ヘブライ語を話せたかどうか」については、確かな事は分かっていません。
 しかし、使徒言行録21章がそのことを記したということは、それだけ「パウロをエルサレム教会と異邦人教会との懸け橋になった人物として、高く評価する」意味において、ギリシャ語だけでなくヘブライ語にも精通していた、ということを主張するものであるのかもしれません。

 次回は、使徒言行録22章からみていきます。



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